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第二章 王都アニマ
12.離別する器用貧乏
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結局似たような戦闘を数度やらされた次の日の朝、俺は師匠に呼び出され、住居近くの湖のほとりへと訪れていた。
「おーう、来たか少年。こっちだこっち」
師匠は桟橋の端っこで、右手をひらひらさせながら俺を呼び寄せる。
「どうしたんですか師匠、改まってこんなところに呼び出して。話があるなら家で話せばいいじゃ――はっ、まさか新しいろくでもない実験を思い付いたのか!?」
俺は、またえげつないことをさせられるんじゃないかと警戒しながら、かつかつと湖の中央付近まで伸びる桟橋を歩いていく。
「違う違う、そんな警戒すんなって。……今日は、お別れを言おうと思ってな」
「はいはい、約束ですからね、なんでもやりますよ……って、えっ!? お別れって……!?」
師匠の近くへと辿り着いた俺は、突拍子もないことを告げられた。最初何を言っているのか理解できなかったほどだ。
「ああ。今日、ここで、少年とはお別れだ」
「今日ここで!? そ、そんなこと急に言われても……」
……いや、本当は心のどこかで別れの日が来るのことはわかっていた。何故ならば、師匠の目的としていた超越スキルは一年も前に習得済みだからだ。
多分だけど、この一年間は俺を鍛えるために時間を使っていてくれたんだと思う。俺がひとりになっても生きていけるように。
「なんだ、寂しいのか?」
「そんなことない…………って言えば嘘になる」
「ふふ、生意気に育ったかと思ってたけど、案外可愛いとこあるじゃん」
師匠は目を細めながら愛おしそうに笑う。
そんな師匠の顔を見て、俺の胸には温かな感情が沸き上がっていた。
……ああ、なんだかんだいって俺はこの人のことが好きなんだな。こんなに長い間家族同様……いや、本物の家族以上に濃密な時間を過ごしてきたんだ。そしてなにより、俺のことをひとりの人間として真剣に向き合ってくれたのは、この人だけだった。
「ほら泣くなよ。湿っぽくなるのは嫌いなんだ」
「な、泣いてない……!」
感傷に浸りうっすらと涙ぐんでいたのを見透かされ、俺はそっぽを向いてしまう。
そのまましばらく黙っていると、柔らかく温かな感触が俺の背中を包む。
「少年、あたしなんかに付き合ってくれて感謝しているよ。こんなに充実した日々を過ごせたのはいつぶりだか思い出せないほどだ」
師匠のささやきが耳もとで優しく零れる。初めて聞く師匠の声色に涙腺が耐えきれず、ついに涙が溢れ出してしまう。
一滴の涙が俺の頬を伝い、滴り落ちたそのとき、いつまでも感じていたかった温もりが、ふと俺の背から離れていく。
「これはあたしからの感謝の印だ。大事にするんだぞ?」
ぽん、と背中を軽く押された俺は、首元に違和感があることに気付いた。
見てみると、いつの間にか俺の首にはペンダントがかけられていた。組紐の先に小指の先ほどの空色の石が吊り下げられているシンプルなものだ。
……この石、師匠の瞳と同じ色だ。
「……ずいぶん不格好な贈り物だな」
師匠に気付かれないようそっと涙を拭い、おちゃらけながら師匠へと振り返る。
案の定、師匠は不満そうに頬を膨らませた。
「なにー!? 初めて作ったにしちゃ上出来だろうが!」
「まったく、師匠は戦闘とか研究以外はダメダメなんだから……そんなんで俺がいなくても大丈夫なのか?」
「なめんなよ、ひとり暮らし歴千年だぞ」
――ぷっ。
「「はっはっはっは!」」
俺が思わず吹き出すと、師匠もつられて笑い出す。
……そうだな、俺も湿っぽくなるのは嫌いだ。別れるにしても、こうやって笑いあって別れたい。
平常心を取り戻した俺は、別れの理由を聞いてみることにした。
「……それで、なんだってこんな突然?」
「ああ、少年もだいぶ強くなっただろ? それが昨日のゴーレムとの戦いで確信できた。んで、そろそろ任せられる頃合いかと思ってな」
「やっぱりこの一年間は鍛えてくれていたってことか……っていうか、任せるって何を?」
「うーん、話すとお前キレそうだから言わん。……ま、そのうちわかるから気にすんな」
「えぇ……」
この人のことだから、どうせろくでもないことなんだろうな。問いただしたところでどうせ何も言わないだろうし、今は気にしないでおこう。
「よし、じゃあそろそお別れだ。例のやつ頼むよ」
「例のやつ……あの超越スキルだな」
師匠が目的としていた超越スキル、その名も【次元魔法】。地獄の日々を乗り越えてきた努力の結晶とも言えるスキルだ。
この【次元魔法】で現状俺が使えるのは、別の次元へと続く『穴』を生成することだけだ。
その穴を通じてここではないどこかの世界へ物体を送ったり、取り出したりすることが可能となる。
つまり現状の用途としては容量無制限のアイテムボックスみたいなものだな。
しかし、師匠がどんな理由でこのスキルを必要としていたのかは未だ聞かされていない。こんなスキルでいったい何をするつもりなんだ……?
「師匠はこの【次元魔法】に何を求めてるんだ?」
「ん? ああ、言ってなかったか。そのスキルで次元の穴が開くだろ? それを通って違う世界に行く、ってのがあたしの目的さ」
「ちょっ、ええっ!? 違う世界って……そんな簡単に言うけど、次元魔法で作った穴がどこに通じてるのか、使ってる本人にすらわからないんだぞ!?」
確かに、この【次元魔法】は別次元への扉を開く役割を果たすスキルなのだろうが、自ら飛び込もうとは微塵も思わない。
何故なら、このスキルを習得した影響からか、なんとなく理解しているのだ。この未知の扉は、普通の人間が通っていいものじゃない、と。
その証拠に、生物を収納しようとすると謎の力によって阻まれてしまう。
「いやでも……それ以前にスキルで作り出した『穴』に、生物は入れないんだが……」
「心配すんなって、そこはあたしがなんとかする。このレニ様なら余裕だって」
……なんだろう。根拠はまったく無いのだが、不思議と頷いてしまう説得力はある。この感じだと本当に別次元へ渡っちゃうんだろうなぁ、この人。
「いや、師匠の心配は全然してないけど」
「少しはしような?」
「けど……師匠が別世界へ渡るってことは、今生の別れってことになるのかな」
「なーにしんみりしてんだ。ちょいと旅行するってだけさ。面白くなかったら帰ってくるつもりだよ。まあ、行った先に世界を渡れるような技術とかがあるかはわからんけどな」
「……そっすね」
「はは、可愛い弟子が人肌恋しくて泣きべそかいているようだったら、すぐ飛んできてやるよ」
「……二度と帰ってくんなクソババア」
いつものやりとりを終えた俺と師匠の間に、いくばくかの沈黙が流れる。
そして俺は何も言わずに、【次元魔法】を発動させた。
師匠が入りやすいよう、最大まで入口となる次元の穴を広げる。
「……別れ際に人生の先輩からのアドバイスだ。これから先、特にやりたいことが見つからなかったなら旅をするといい」
師匠は次元の穴の前に立ち、くるっと振り返ると、俺の目を見ながら突然旅を勧めてきた。
「旅……?」
「ああ。もちろん少年の人生を決める権利はあたしにはない。だから強制はしないが、あたし的にオススメだぞ。世界中見て回るといい。
この世界には少年の知らない楽しいことが山ほどあるぞ。バカみたいに黄金を蓄えたドラゴン、底が見えないほど深い谷、雲を突き抜けるぐらい高い塔……不思議が盛り沢山だ」
俺の半生は、良くも悪くも師匠に依存してきた。その師匠がいなくなったとき、俺の心には大きな穴が開いてしまうのは想像に難くない。
そのことを見透かされていたのだろう。俺の先行きを案じた師匠は俺に目下の目標を提示してくれた。
そして、師匠が提示した『旅をする』という目標は、不思議なくらい俺の心にすとんと収まった。
考えてみればそれも当然なのかもしれない。今までの人生を振り返ってみたら、俺の知っている世界なんてちっぽけなものだった。グランマードの屋敷、この森……俺の生きてきた場所はあまりにも狭く、小さい。
今までは実験の過酷さで忘れていたが、俺の心の奥底には、外の世界への憧れが強く根付いている。
当時は天命の儀を受けるだけで終わってしまったが、過去に初めて王都へ行ったときの興奮は、今でも覚えているほどだ。
見たい。聞きたい。知りたい。
この世界の全てを、とまでは言わない。でも、少なくともすべての国を一度は回って、そこで得た経験を自慢気に誰かへ話すんだ。
――生まれて初めて、自分の意思で『将来の夢』を決めた瞬間だった。
「ふぅん……旅か。いいかもな」
「そうだろう? 少年にはあたしの知るありったけのスキルを叩き込んでやったが、あたしの知らないスキルだってきっと山ほどある。
だから、世界のすべてを見ろ、そこで得られるすべてを吸収しろ。そうすればきっと……そうだな、あたしの次ぐらいには強くなるんじゃないか?」
「はっ、いつか師匠をギャフンと言わせてやるよ」
「……ああ、楽しみにしておこう。それじゃ、行ってくるよ。少年」
師匠はそれだけ言い残すと、次の瞬間には姿かたちもなく、静けさだけが残った。
おそらく、時を止めながら次元の穴へと入ったのだろう。
「……行ってらっしゃい、師匠」
俺は誰もいない空に向かって、見送りの言葉を吐いた。
――あまりにあっけなく、あまりに静かに、その別れは幕を閉じた。
寂しくないなんて言えば嘘になるけど、これからは前を向いて進んでいこうと思う。
そう、俺にはあの人がくれた、千を超えるスキルがあるのだから――
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