Ω令息は、αの旦那様の溺愛をまだ知らない

仁茂田もに

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番外編

とある王太子の運命 3

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 それから、ルードヴィヒとアデルは幾度か裏庭で顔をあわせた。
 そのたびに彼は水に浸かっていたり、木に登っていたり、はたまた土を掘っていたりとその行動には一貫性がなく神出鬼没で、毎回毎回突然現れてはルードヴィヒの度肝を抜くのだ。

 しかし、アデルは何故かルードヴィヒと目が合うと一目散に走り去ってしまう。声をかけようとしても、彼のことを手伝おうとしても拒否されて逃げていく。
 何かをしているときに声をかけると迷惑なのか、と教室の休み時間に近寄ったこともあった。しかし、そんなときは裏庭で会うよりもずっと態度が厳しく、視線すら合わせてくれないのだ。

 そんなことが続けば、いくら楽観的で前向きなルードヴィヒといえども気づいてしまう。
 これはもう、明らかに――。

「嫌われている……」
「どなたにですか?」

 王宮にある自室。その中央に置かれた執務机の上に項垂れたまま、ついそう口にすれば、それに律儀に応えてくれる者がいた。

 顔を上げれば、目の前で本を抱えたままこちらを見ている紫色の瞳と目が合った。
白銀の美しい髪と宵闇を溶かしたような紫の瞳。人形のように整った相貌は無表情で、けれども長い付き合いのルードヴィヒには彼が別に不機嫌なわけではないということが分かっていた。

 ――リリエル・ザシャ・ヴァイスリヒト。

 ルードヴィヒの婚約者で、シュテルンリヒトの四大公爵家のひとつヴァイスリヒト家の令息だ。
 彼はこうやって月に一度は王宮にルードヴィヒに会いにやって来る。
 とはいえ、自分たちは想い合う恋人同士では決してなかった。これは婚約者のいる王族の慣習のひとつで、相手の都合などお構いなしに決められた公務のようなものだった。

 現に、リリエルは仕方なく務めを果たしに来ていると言わんばかりの態度で、ルードヴィヒとは少し離れたところにある長椅子でのんびりと本を読んでいる。
 けれども一応、こちらのことは気にしてはいたらしい。ぼんやりと呟いた言葉をリリエルはしっかりと聞いていて、きちんと返事をしてくれたのだ。

 我ながら、婚約者と過ごしているのに、別のオメガのことを考えているなど最低の極みであることは自覚していた。だからこそ、促すようにルードヴィヒを見つめるリリエルにそれ以上の言葉をつづけることが出来なかった。

「……何でもない」
「そのようには見えませんが」

 そうだろうな、と心の中で思いつつも口には出さない。
 十年ほどの付き合いになるこの幼馴染は、ひどく頭が良いのだ。うっかり口を開くとリリエルの思うつぼだ。上手く誘導されて、こちらの心の中を丸裸にされてしまう。

 今も見透かすかのように見つめてくるリリエルの視線から、ルードヴィヒは逃れるように目を逸らした。けれども、あまり効果がなかったらしい。

「――アデル・ヴァイツェン」
「うっ」

 何度も心の中で思い描いた相手の名前が聞こえて来て、ルードヴィヒは激しく動揺した。目を通そうとしていた書類を思いっきり握りしめてしまい、上質な羊皮紙に大きな皺が出来てしまう。

「な、なにを……」
「つい先日、平民のアデル・ヴァイツェンが恐れ多くも王太子殿下に迫っているという噂を耳にしました」
「はぁ?」

 狼狽えるルードヴィヒのことはまるっきり無視をして、リリエルが言った。

「それは本当ですか?」
「そんなわけがないだろう。むしろヴァイツェンは……」
「殿下を避けているように見えますね」
「分かっているなら何故、聞いたんだ!?」

 落ち込むルードヴィヒに追い打ちをかけるように、リリエルは言った。これはおそらく、第三者――つまり、リリエルから見た客観的な事実だ。

 改めて他者から突きつけられると、分かっていても心に突き刺さるものがある。
 じくりと痛む胸に少しだけ泣きそうになりながら、唇を噛みしめると、リリエルがぱたんと本を閉じた。

「では、殿下が嫌われていると落ち込んでいた相手はヴァイツェンですか?」

 本当にこの婚約者は人の心が読めるのではないだろうか。
 何も言っていないのに、いきなり核心を突かれたルードヴィヒはついうっかり顔を上げてリリエルの方を見てしまった。紫色の瞳が静かにこちらを見て、微かに眇められる。

 今、たぶん心を読まれた。
 動揺しまくる心の中を出来るだけ顔に出さないように、ゆっくりと息を吐く。
そしてルードヴィヒはどうにか否定の言葉を口に出した。何となく、リリエルには言いにくかったのだ。しかし――。

「ヴァイツェンなのですね。まぁ、あれほど見事に逃げられれば、さすがの殿下でもそう思いますか」

 あっさりと正解を言われてしまった。

「だから、分かっているなら何故、聞いたんだ!? そもそもそこまで確信があるなら、わざわざ追い打ちをかけなくてもいいだろう!?」
「訊ねなければ分からないでしょう」

 人の心が読めるくせに、リリエルは平然とそんなことを言う。
 リリエルがその細い顎に指をあてて、首を傾げた。肩で切りそろえられた白銀の髪が、その動きに合わせてさらりと揺れる。

「殿下はヴァイツェンと親しくなりたいのですか?」
「親しくなりたいというわけではないが」

 リリエルに訊ねられて、ルードヴィヒも首を傾げる。

 ――自分は彼と親しくなりたいのだろうか。

 話しかけるのに、彼の視界に入るのに必死で、自分が彼とどうなりたいのかを考えたことがなかったのだ。

 アデルと親しくなり、言葉を交わし笑い合えるようになれば、それはとても素晴らしいことだとは思う。けれども、友人というには自分は「アデル・ヴァイツェン」を意識しすぎている。彼をアロイスらと同じような友人の枠に置ける気もしなかった。

「力に、なりたいとは思う……」

 そう力なく言って、ルードヴィヒは先日のアデルを脳裏に思い浮かべる。

 この前会った彼は、裏庭の池の中にいた。もうすぐ初夏とはいえ、池の水はまだまだ冷たい。そんな中に素足を浸して、彼はただそこに立っていた。泣き言も言わず、助けすら求めずひとりで立つその姿に、手を差し伸べたいと思ってしまうのは、彼がルードヴィヒの運命の番だからだけではないだろう。

 だって、彼が水に浸かっているのも、木に登っているのも、土を掘っているのにも、全部理由があるのだ。
 その理由のことも知っているらしいリリエルは、じっとルードヴィヒを見つめたまま小さくため息をついた。

「平民のアデル・ヴァイツェンと王太子である殿下が見ている世界は大きく違っています」
「リリエル?」
「オメガの私たちとアルファの殿下が置かれている世界もまた違います」

 リリエルの言葉を聞いて、それはそうだろうとルードヴィヒは思った。
 立場が違い、育ちが違えば、常識や背負うものも違ってくる。貴族の中にたったひとりで飛び込んで来たアデルは、誰よりもその環境の違いに戸惑っているように見えた。

 それは理解している、とは思いつつもルードヴィヒはリリエルに先を促した。賢く思慮深い彼は、余計なことも無駄なことも口にすることはない。

「つまり、どういう意味だろうか?」
「避けられているからといって、嫌われているとは限らないということです」
「なるほど……?」

 どうやらこの鉄仮面のような婚約者は、落ち込むルードヴィヒに励ましの言葉をかけてくれているらしい。まったく表情が変わらないのと、かけられる声が平坦すぎるせいで気づくのが遅れてしまった。

 驚いて瞬きをしたままリリエルの顔を見つめれば、やはりその表情筋はぴくりとも動かない。人は無表情の彼をまるで人形のように愛らしいと褒めそやすけれど、ルードヴィヒに言わせればリリエルはそんな可愛らしいものではない。どちらかといえば強かで、父親であるヴァイスリヒト公爵によく似ていると思っている。

 顔に貼り付けているのが作り笑顔か無表情かの違いなのだ。親子そろって食えない性格をしているが、それでもリリエルは公爵よりもずっといいやつで悪意がない。ルードヴィヒも彼のことは友人として信頼していた。

「けれど、嫌われていないからと言って軽率な行動は慎むべきかと」
「軽率……? それはひょっとして僕がヴァイツェンに声をかけたことを言っているのか?」

 学友にただ声をかけるだけで、軽率と言われるとは。
 リリエルのこの忠告が、決して悋気から来るものではないことは分かっているので、ルードヴィヒは素直に驚いた。しかし、リリエルはそんなルードヴィヒには構わずに、ゆっくりと頷いた。

「アデル・ヴァイツェンが殿下に迫っているとわざわざ僕に教えてきた者がいるのです。その意味が分かりますか?」
「ヴァイツェンの評判を落そうとしている?」

 答えればリリエルは静かに首を横に振る。

「今の彼に落ちるような評判はありませんよ。平民でオメガ。魔力は多いとはいえ、魔力操作をまともに勉強していない彼は、幼子よりも魔法が使えません」

 リリエルが言う幼子、というのは貴族の子弟のことだろう。そもそも平民は魔力が少なく、魔法を学ぶ機会がない。それでも入学試験を通過するぐらいの魔力を出力することが出来るアデルは、十分に優秀であると言える。

 しかし、大きすぎる魔力は扱いが極めて難しい。濁流を治めるのが難しいのと同じように、魔力量が増えれば増えるだけ、繊細な魔力操作は困難になるのだ。

 誰よりも魔力が多いアデルは、実技がひどく苦手だった。簡単な生活魔法すら使えないその姿に女神の愛し子という触れ込みで入学した特待生は、あっと言う間に劣等生として周知されてしまった。
 だからこそリリエルは、事実としてアデルの評判はこれ以上悪くなりようがないと言っているのだ。

「では何故だ?」
「人の悪意というのは留まるところを知らないということです。彼を貶める材料は多い方がいいと思う輩がいるのです。貴方は王太子としてそこにいるだけで人の注目を集めてしまいます。それがアデル・ヴァイツェンのためになるのかをよく考えて行動するべきです」
「君は、僕にヴァイツェンと一切関わるなと言っているのか?」
「そう聞こえますか?」
「いや、聞こえはするが、君のことだからそういう意味ではないんだろう」

 素直に言えばリリエルは小さく笑った。
 珍しいその笑みに、ルードヴィヒは少しだけ驚いた。

 幼い頃の彼はよく笑う子どもだった。ライナルトやアロイスと一緒に本を読んでは笑い合い、下らないことで喧嘩するルードヴィヒとゲオルグを見ては笑っていた。けれど、ルードヴィヒの婚約者になった三年ほど前からめっきり笑わなくなってしまった。

「アデル・ヴァイツェンの力になりたいとおっしゃるのなら、心のままに行動してみては? その代わり、しっかり考えなければ彼の迷惑になりますよ。ルードヴィヒ」
「分かっている。もう、教室で声をかけるのはやめよう」
「そうした方がいいでしょうね」

 それだけを言って、リリエルは王宮を後にした。
 彼が次にルードヴィヒの自室に足を運ぶのは、おそらく来月になるだろう。そのときにはまたアデルの話をしてもいいだろうか。

 婚約者とはいえ、リリエルはルードヴィヒにとって気心の知れた友人だった。おそらく、リリエルの方もルードヴィヒのことを友人――もしくは手のかかる弟分としか思っていないだろう。

 将来、彼と結婚し子どもをなすことに、不満はなかった。身分のしっかりした相手と結婚することも後継を作ることも王太子としての義務であり、そう育てられたルードヴィヒにとっては息をするように当たり前のことだったからだ。

 しかし、アデルに出会ってそうは思えなくなってきている自分がいるのだ。

 きっとこれはまずい兆候なのだろう。自分はリリエル以外に心を傾けるべきではないし、これ以上アデルに関わるべきではないのだろう。
 それは頭では理解しているが、本能がどうしてもアデルを求めてしまう。

 だから、ルードヴィヒはこの気持ちには蓋をすることにした。アデル自身もきっとルードヴィヒが自分の運命の番と気づいている。

 ――王太子と平民。

 天と地ほども身分に隔たりがあり、どう考えても結ばれることなどありえない。
 許されないことだと分かっているからこそ、あれほどまでにルードヴィヒを嫌い、避けるのだ。リリエルは嫌われてはいないと言っていたけれど、つまりそういうことだ。

 嫌われてはいない。けれども関わりたくないと思われている。
 その事実はまだ若く柔らかいルードヴィヒの心を、まるで錐の様に突き刺したのだった。


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