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1話

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 待ち合わせの場所は、俺の職場から最寄り駅近くのファーストフード店。
 ガラス壁に向けて席が並んでいて、座っている人の顔が店外からでも確認できるから、待ち合わせにはよく使われている。
 その一番右端の席、何を考えているのかよく分からない顔でハンバーガーをかじりながら、目の前の大通りを流し見している男が座っている。
 それがどうやら、俺が今夜会う約束をした相手のようだった。

 やや目付きが鋭いことを除けば、イケメンと言って良い部類だろう。
 いわゆる女の子にモテそうな、手入れされた眉と、整ったバランスに配置された目鼻立ち。ザラついてそうな金髪は根元が黒く、手入れは悪そうだが、そこが逆にワイルドさを醸し出すウルフカットには合っている。

 左耳にはインダストリアルピアスがバッチリとハマっていて、もう片方にもこちらは小さな石ではあるが赤く光るピアスがあった。そして目を引くのは、遠目に見ても分かる背の高さだろうか。列の隅っこに特に幅を取るでもなく座っているというのに、隣は当たり前に二つ分の席をあけられているし、上半身だけで頭一つ周囲から飛び抜けている。

「いやいや、待って。何かの間違いでしょ」
 
 もう一度確認しようとして、スマホをひらく。
 と、同時にアプリに届いた新着メッセージに、俺は絶望した。

【もう着きました? 分かりやすいように、窓際に会員用のバッグ置いときます】

 スっと右端の彼が足元から引っ張り出して、窓から見えるように置いたバッグは、紛れもなく俺たちを巡り合わせたアプリの登録時に全員プレゼントサービスで貰えるエコバックだ。
 待ち合わせの場所に着いてから、早十五分。
 彼の視界から外れる位置をウロウロしつつ、「どうか違っていてくれ」と彼の行動を窓越しに逐一観察していた俺は、とうとう観念した。

「やっぱりあの人だ……うわ、無理無理ガチで怖い」

 バース特化型マッチングアプリ「DeStiny」。
 運命という単語の中で、DomのDとSubのSを目立たせるというタイトルロゴを持つそのアプリは、「理想のプレイ相手が絶対見つかる!」を謳い文句にしている。マッチングからのパートナー契約率は実に70%以上という驚異的な数字を持つ、DomとSub限定の出会い系サービスの中で一番人気のアプリだ。

 他にも似たようなサービスは沢山あるが、ここはプレイのNG内容を詳細に設定出来るのが特徴的だ。例えば、スパンキング、縛り行為、言葉責め等々。通常支配されることを悦ぶ性質のSubと、嗜虐性を好むDomとの間では一定レベルで許容されるような、SMプレイに似た類のことも、ここではNG行為として設定出来るのが良い。

 しかし現実問題として、その項目にNGチェックを入れるSubは恐らくほとんどいない。他のアプリでこういった行為のNG欄がないのは、その項目が必要ないから。DomとSubであれば当然の行為として、双方にそれが受け入れられているのが現状だ。そもそもプレイに必要なコマンドは、程度の差はあれどSubに身体的、もしくは精神的に痛みを与えるものが基本だ。逆にその痛みがなければ、DomもSubも満たされない。それを拒絶しておいてプレイをしたいだなんて、かなり矛盾した話なのだ。

 それが分かっていて、全項目にNGチェックを入れているのがこの俺、鹿野蒼介かの そうすけ
 登録名はカノ。パートナーのDomとのプレイ経験は、一切なし。
 サービス登録して丸5年、誰ともマッチングしたことのないド底辺Sub!
 物理的に痛いのがダメなら、精神的にイジメられるのもダメ。
 小さい時から怖がりで泣き虫。
 正直、自分でも何が怖くて何に泣きたくなるのか分からない時もある。

 別に親に虐待されてトラウマになったとか、学校でSubだからって虐められてたとか、そんな御大層な理由は何一つない。ただ本能的に、俺はどんなに些細なことでも痛みを恐れる。自分より大きな身体の人が近くにいるだけで勝手に怖くなるし、大きな声で喋る人は元気で陽気な人ってだけでも何故か恐ろしい。
 全部相手の問題じゃない。自分の問題だ。
 Subが本能で支配や痛みを好むと言うなら、俺の生まれ持っての臆病な性質は神様が盛大にミスったバグに違いない。
 
 そんな俺がなんと、つい先日奇跡的にマッチングしたのが、今夜会う予定になっていたチアキ君だ。
 年は登録情報通りなら俺より8つ下。SubとしてのNGだらけの俺と同じように、Domとしてのプレイ内容項目に全部NGチェックを入れていた彼は、顔写真ではなくデフォルトで入っている柴犬のイラストを顔アイコンにしていた。

 顔を見せていない相手とのマッチングは、堂々と顔を晒している相手よりはマッチングが難しくなる。プレイをするとなれば、疑似恋人的な距離間でお互いの本能を見せ合うことになる。相手の容姿は、重要なパートナーを選ぶ際の判断材料だ。それでも、俺もチアキ君と同じくデフォルトの鹿のアイコンを使っている。俺はどこで誰に見られているとも分からない恐怖から顔を隠したが、チアキ君が一体なんの原因で顔を隠しているのかは分からない。ただ、彼も俺と同じく容姿に関しては問わないという条件で相手を探していた(そうでなければ俺とマッチングしない)、ということだけは分かった。
 
 このアプリは会員費が高く、真剣なパートナー探しの人が多いため、運営会社によって身元がきちんと確認された人だけが登録されている。だから、相手の素性という面では安心できる。登録条件と違うプレイを要求されたとか、ルールに沿わない行動が確認されればすぐに通報、退会処分になる徹底ぶりだ。
 とすれば、顔が見えない問題は見た目が好みじゃないとかだけの話なので、俺は特にチアキ君が顔出ししていないことは気にしていなかった。
 彼が8つ下というのも、俺にとってはプラス要素だった。
 幾らDomとは言え、同年代というには若すぎるし、年長者の強みで俺の方が主導権を握れるのではないかという打算があった。
 
 それに俺にはもう、後が無かった。

 俺がSub性を発現したのは、9歳の時。
 正月で親戚一同が集まって、親も親戚の輪に入ってあまり構ってくれない状態で、子供たちは一緒に遊んでおいでと親戚の中で唯一のDomだった6歳年上の従兄と一緒に放り込まれた部屋の隅。子供と言ってももう15歳で、既に第二の性も発現している大人側に属する彼と二人きりにされたことが不安で泣き喚く俺が、酷く煩わしかったんだろう。
 「”黙れ”」と、無意識のコマンドを使われたのがきっかけだった。

 初めてのコマンドと、元々の恐怖が一緒くたになって俺を襲い、俺はその瞬間そのたった一言の不完全なコマンドによってサブドロップして意識を失った。正直、その時のことはあまりの衝撃でまともに覚えてもいない。ただその後の従兄との気まずさは計り知れず、お互い大人になった今でもロクに顔を合わせない日々が続いている。
 産まれ持っての臆病な性質とは相性の悪いバース性の発現が、一般の発現年齢よりかなり早い段階だったというのはなんとも皮肉なものだ。

 コマンドプレイは、DomやSubが健康な日常生活を送る上で欠かせないとは言え、性的な欲求を誘発しかねないものだ。子供へのプレイは緊急時以外推奨されておらず、18歳未満に対しては投薬によってバース性をコントロールするのが基本となる。
 幼い頃から薬を使い続けていた俺は、いよいよ大人になる頃には抑制剤の効きが耐性によって悪くなり、パートナーが居ない以上より強い薬に頼らざるを得なくなった。お陰で通常の条件下での通学や就職は難しく、大学は通信制のところを卒業し、その後なんとか身内の会社で事務仕事に就けはしたが、行って帰って以外には何もする気力がなく、宛がわれた社員寮代わりのアパートの一室に引きこもりがち。
 友人だって、中学からの幼馴染が一人いるだけで、あとはほぼ皆無という寂しい交友関係だ。ましてやパートナーなど出来た試しはなく、俺の体調はグングンと悪化の一途を辿った。
 見かねた医者に薦められて登録したアプリが、その道の実績ナンバーワンである「DeStiny」だった。そこで希望のパートナーを探すも、まったくマッチできずに挫折。そして今に至る。

 そんな訳で、俺はチアキくんとの出会いに、藁をもすがる思いでなけなしの勇気をふり絞って飛びついたワケだが――。
 
「やっぱり帰ろうかな……」

 既に挫けそうになっている。
 俺とマッチングしたからには、彼は俺と同じく、Dom/Subプレイが苦手なDom。つまり、相手に支配欲や加虐心が湧かないDomに違いない。そこからイメージした年下男子は、Domにしては物腰穏やかなタイプの、見ただけではDomと分からないようなおっとり男子を想像していたってのに、やって来たのはどう見てもイカツイヤンキー……俺のような小心者にはハードモードすぎる。

(この子目からしてバリバリのDomなんですけど!? 日常的に喧嘩に明け暮れてる的な! すぐ殴ったり蹴ったりめちゃする人でしょ!! うわぁ……騙された)

 勝手に想像を膨らませておいて、”騙された”なんてひどい言い草だ。
 でもその時は、本当にそう思ったのだ。
 すまん、チアキくん。
 待ち合わせをすっぽかして、逃げる俺を許して欲しい。
 だって怖い。俺は君みたいなDomが心底怖い。
 いや、正直君がDomじゃなかったとしても怖いんです。
 これは俺が臆病なせいで、君のせいじゃない。
 顔はいいんだから、俺とは違って趣味の合うちゃんとしたSubを見つけて幸せになってください!!

 心の中でオタク顔負けの早口で一気にお詫びの言葉を述べて、俺は踵を返す。
 駅に繋がる交差点の横断歩道の先で、信号が青から赤に変わろうとチカチカしているのが見える。
 マズい、急がないと――!
 焦って足を踏み出した、その時だった。
 ほんの数歩進んだ先のところで、突然視界がぐらりと歪んだ。

「あ、」

 転ぶ、と思った時にはもう遅い。
 体勢を立て直そうにも、足がもつれて動かない。
 ブブーッと激しいクラクションが鳴り響き、急ブレーキでタイヤの擦れる音と共に一台のタクシーが迫って来るのが見えた。
 
 こういう場面って、スローモーションで見えるってよくドラマとかで言うけど、現実にそうだった。
 ほんの数秒のことのはずなのに、俺の中では物凄くゆっくりと、視界がコマ送りのようになっている。
 頭の中では走馬灯のように色々なことが駆け巡る。そんなとこまでドラマ通りだって、まるで他人事のように感心する。
 
 そう言えば、昨夜は今日のことが気になっていつも以上に眠れなかった。
 Domとプレイをする以上、何か間違いがあってはいけないと、普段より強めの抑制剤を飲んだのも良くなかったのかもしれない。以前それを飲んだ時は、二日酔いのような症状に一週間近く悩まされたのを思い出した。

 それに何より、俺は”初めて”のことをするのが大の苦手なのだ。
 待ち合わせの為に会社を定時であがるのもいけないことしてるみたいでドキドキしたし、顔も知らないDomとプレイをするなんて考えただけで吐き気がする。それでも俺が死ぬ思いでここにやって来たのは、それだけ俺の身体に限界が来ていたからで、何とかしてこの状況を打破しなければ冗談ではなく死んでしまう、という切実な危機感からだった。

(なんだ、どっちにしろ死ぬんだったら、痛くない方が良かったな)
 
 慣れないことはするもんじゃない、と後悔しながら全てを諦めた時だった――。

「”Come来い”!!」

 投げかけられた強い言葉に、ドクリと心臓が動いて、突然俺の意思と関係ないところで足が動いた。
 成すすべなく道路の中心に投げ出されようとしていた身体が、マリオネットの糸が引かれたように後方へと引き寄せられる。

「う、わっ、わ……ッ!!」

 逆方向にバランスを崩した俺の身体は歩道側に尻もちをついて転がって、その足先を掠めるようにさっきのタクシーが不機嫌なクラクション鳴らしながら通り過ぎて行った。
 あと一歩遅かったら、間違いなく轢かれていただろう。
 ドっと背中に、イヤな感じの冷や汗をかく。
 
「た、すかった……?」
 
 何事も無かったかのように、車の列が流れ出す。
 俺を中心にざわついていた空気は、すぐに平常を取り戻していった。
 腰が抜けて座り込んでいる俺の横をすり抜け、カツカツとハイヒール鳴らしたOLが信号待ちで俺の前に立つ。しばらく腰が抜けてボーッと呆けたようになっていたら、無関心にスマホやらを眺めて集まってくる人たちの中から、ひと際大きな影が俺を見下ろすように背後に立った。
 それは紛れもなく、俺が逃げ出したかった相手――チアキ君だ。
 
「あの……大丈夫っすか? 俺、咄嗟にコマンド……」
 申し訳なさそうに俯いてボソボソとそう零す声に、ようやく合点がいった。
「今のってコマンドだったのか! すごいな。本当に身体が勝手に動くんだ」

 俺はその時、自身の身体に起こった奇妙な体験に理由があったことに真っ先に安堵した。
 普段の俺だったら、自分の意に沿わない動きを、どこの誰とも知らない奴に取らされる恐怖が先立ったと思う。だけどチアキ君は俺の全く知らないDomとは違う。

 アプリからマッチングの通知が来たところでいきなり会おうだなんて、幾ら切羽詰まっていたからと言って、俺の臆病さから言えば当然ストップがかかっていい案件だった。それでも、なんだかんだ足を運ぶまでに至ったのは、
『条件に合う人がいるなんて思ってなかったんで驚きました。
 俺たち会ってみませんか?』
 と、Domにしてはすごく控えめに、そして俺の出している無理な条件を妥協ではなく、わざわざ選んで声をかけてくれたのだと言う相手に、少なからず感動したからだった。

 もしかしてこの人なら――と、期待が不安を上回ったから、俺は震えながら『俺も会ってみたいです』と返事をしたのだ。
 ちなみにそれも、俺の唯一の相談相手であるNormalの幼馴染、理一りいちに「もうこんなチャンス二度とないかもしれないだろ!」と背中を押されてやっとのことで決心したくらいで、メッセージをもらってから返信するまでに三週間もかかった。

『良かった。嬉しいです。じゃあ、カノさんのお仕事帰りに』

 ほぼ即レスで返って来たメッセージに、よく愛想も尽かさず普通に返事を待っててくれたもんだと思う。
 マッチングアプリなんて、相手から即反応がなければすぐ切ってしまうのが当たり前なのに、随分と辛抱強い人なんだな、と。
 俺はその時もチアキ君に好感を抱いた。
 そしてこの人も本気で俺みたいな条件の相手を探していたんだって、半信半疑だったそれに確信を得た気がした。

 会う日時の予定も、待ち合わせ場所も俺に合わせてくれると言うチアキ君からは、横暴なDomの気配は一切無かった。
 狭い交友関係の中で、元々数が極端に少ないDomと従兄以外に直接出会ったことはないのだが、その従兄は俺の記憶にある限りでは、どこか高圧的ないかにもDomという言動の人だった。Domとはこういうもの、と漠然として授業などで教えられているテンプレートそのものみたいな人と実際に接してしまったせいで、俺の中のDomのイメージはずっとこの従兄だった。

 幼く無防備な自分に、容赦なくコマンドを与えた人。それは俺にDomへの恐怖を植え付けるには十分な体験だったのだと思う。ロクに記憶になくたって、身体が覚えている。あの頭のてっぺんから爪先まで冷えていく感覚。自分が自分じゃなくなって、他人であるDomに支配される、あの恐怖。
 
 だけどチアキ君が咄嗟に俺に投げかけたコマンドには、そんな感覚は全くなかった。あれはチアキ君が、俺を俺として認識してかけたコマンドじゃない。ただ、見ず知らずの通りすがりのSubの命を助けたいと、その一心で発したコマンドだった。

 チアキ君のコマンドは、俺の命を救ってくれた。
 俺の苦手な、大きな声と強い口調――それなのに、ちっとも怖くなかった。

「気分悪いとか、無いっすか。俺、コマンド慣れてないから」
「いや全然、大丈夫」

 彼が恐縮しきりで頭を垂れているのには理由がある。
 コマンドは双方の同意のもと使われるべきものである。一応法律にもある規定で、意図的に無関係のSubをDomがコマンドで従わせることは犯罪になる。
 勿論今回のように緊急の場合は免責になる事例だとは思うが、本来彼のやったことは褒められたことではない。
 DomとSubを合わせた第二の性を持つ人々の数は、人口の約5パーセント。数は少ないとは言え、この場に俺以外のSubが居ないとも限らない。不特定多数の人が集まる場所でコマンドを使うことは、予期せぬ事態を招く可能性だってあるのだ。
 それでも、俺が命を助けてもらったのは事実だったし、俺の他に彼のコマンドの影響を受けている人は見たところ居なそうだった。万が一いたところで、呼ぶというだけの軽いコマンドだ。影響を受けるのは一瞬だし、問題にはならないだろう。

「でも腰痛めたんじゃないっすか? 俺が無理矢理引っ張っちゃったせいっすよね……」
 申し訳なさそうに眉尻を下げたチアキ君に、俺はアレ?と思う。
 随分とコワモテだなと思ったけれど、しょげ返っている彼には窓越しに見た眼光の鋭さはない。むしろ大きな身体を必死に縮こませているのを見ると、なんだかカワイイような気もする。

(叱られてるワンコみたいだ)

 そんなことを思うのは、彼のアプリでのアイコンが柴犬のせいかもしれない。やり取りの度に見ていたそのアイコンが、どうにも彼のイメージと重なってしまう。

「そんなことない。助かったよ、チアキ君」
「え、」

 不意に名前を呼ばれて、驚いたんだろう。
 パッと目を見開いた彼が、マジマジと俺の顔を見てから「ああ」と納得したように頷く。
「アンタがカノさんっすか。そっか。考えてみたら早々Subの人となんて会わないっすよね」
 Subと待ち合わせしていた場所に、偶然別のSubがやってくる確率なんて、滅多にあるモンじゃない。冷静に考えれば分かる事だが、彼も突然の出来事に気が動転してそこまで頭が回らなかったんだろう。 

「さっきのコマンドって、俺がSubって分かっててやったの?」
 SubはDomにしか分からない、フェロモンを出している。と言っても、定期で抑制剤を飲んでいる俺のフェロモンは無きに等しい。距離があったチアキ君の場所からは分かるはずはないのに、と不思議に思って尋ねる。

「いや、確信があった訳じゃないっすけど。俺、カノさん待ちながらずっと大通り見てて、そしたら俺のことチラ見してくるなんか顔色悪い人いるなって、気になってたんっすよね」
「へ、へぇ?」
 なんてことだ。俺の完璧な隠密からの観察は、どうやらチアキ君にはバレバレだったらしい。
「俺こういう見た目じゃないっすか。だからまあ、ガンつけられること多いんっすよ……いちいち相手にはしてねぇけど」
 いつも苦労してるんだなあ、と。
 その困ったようなぎこちない笑みから、なんとなく感じ取る。
 ほんのちょっと前まで俺だって彼のその見た目で色々と決めつけてたってのに、急に彼に理不尽な仕打ちをする見た目でレッテルを貼る連中にムカついてくる。

「そんで見てたら、その人がフラフラ~って信号変わるってのに行っちまったもんだから、俺もう無我夢中で」 
 気がついたら店を飛び出してコマンドを放っていたと、彼は言った。
 その彼の打算の無い無鉄砲な善意に、俺は助けられた。
 同じ無意識のコマンドでも、俺を己の為に従わせようとした従兄とは全然違う。

「あの、カノさん」
「ん?」
「待ち合わせ来てたんなら、なんで声かけてくれなかったんすか?」
「それは……」
 見られていたということは、俺が店先で十分以上もウロついていたことも知っていたということだ。
 流石に気まずくなって、言葉に詰まる。 

「もしかして、俺の見た目にビビッて逃げようってしてました?」

 責めるでもなく、諦めたように、彼は静かに笑った。
 それがあんまりにも寂しくて、俺は素直に口を開いた。
 
「う……ごめん。正直に言うとそうなんだ。俺、昔からすごい怖がりで、ここにも人生で一番ってくらい勇気出して来て、それで君を見てぶっちゃけビビったよ。仕方ないだろ。俺はチビだから身体の大きい人が怖いし、俺みたいな地味リーマンと違って君のような若くて派手な容姿の人もなんとなく怖いし、Domだって怖い」
「だったらもう、プレイする気なくなった?」
 一気に捲し立てるみたいに言った俺に、チアキ君の声が明らかに沈んでいる。
 疑問形だったけど、答えはもう分かってるみたいな言い方だった。それがなんだか悔しくて、「違う!」と俺は声を張り上げた。

「最初は、そうだったけど、俺わかったから」
「分かったって、何がっすか?」 
 不思議そうに首をかしげるチアキ君の、所在なさげな手をギュっと握る。

「君のコマンドが俺を傷つけないってこと――だから良ければ俺と、今からしませんか?」 

 手を握ったのは、口下手な俺からの逃がすまいという強い意思表示だ。
 言うなれば、覚悟の表れ。君を俺のDomとしてプレイを望みますって、誓いのようなモノ。
 その意味が正しくチアキ君に伝わったのかは分からない。
 それでも彼は嬉しそうに笑って、「喜んで!」と居酒屋みたいな元気な返事をしながら、俺の手を包めるくらいの大きな手で握り返した。  
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