魔女はパン屋になりました。

月丘マルリ(12:28)

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1巻

1-1

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   一 押しかけ番犬なんて困ります


 月の綺麗な夜。
 男があけに染まった剣を一振りして、刀身に付いた血を飛ばす。
 私の目に映るのは、その薄紅色うすべにいろの刀身。
 桜みたいな色が綺麗、と場にそぐわぬことをぼんやり考える。
 すると、ゆっくり近づいてきた男が、ゆがんだ笑みのまま腕を振り上げ――――――――――


「…………っ…………!」

 目を開ければ、自室の天井があった。

「ゆめ…………」

 視線を窓に向けてもカーテンの隙間すきまから差し込む光はなく、まだ陽が昇っていないようだった。ベッドの上で身を起こし、何度か深呼吸を繰り返すと、速かった鼓動も落ち着いてきた。
 たまに見るこの夢には、いつも暗鬱あんうつな気分にさせられる。
 思わず溜息をいてしまった私は、ぱちんと両手でほおを叩いて気合を入れた。
 ベッドから下りて着替え、鏡の前に座った。くしで軽くいてから、前髪を編み込んでいく。それを落ちないようにピンとリボンで留めると、残った髪を後ろで束ねてひもで結わえる。くすんだ鏡に映った自分の顔が不格好な笑みを浮かべた。
 裏口から外へ出ると、遠くの空がうっすらと明るくなるところだった。
 夜から朝へと変わってゆく時間。まるでこの世界に自分しかいないかのようで、私のお気に入りの時間だ。

「よいしょ、と」

 井戸から運んできた水を大甕おおがめに移し終えると、腕まくりしてパン生地をこねる。
 硬くて腹持ちのいい伝統的なパンを焼いた後は、同じ数だけ自分レシピのパンを作るのだ。
 真っ白な粉に、適温にしたミルク、そして卵とバターと砂糖と塩を混ぜて、丁寧に揉み込む。きれいに丸めて、濡れ布巾をかけて寝かせておく間に、それとは少し配合が異なる生地をこねる。
 最初の生地が優しく膨らんだら、余分な空気を出すため押しつぶすようにして成形する。四角い型に入れて角パン。延ばして丸めてロールパン。
 一番多いのは角パンと細長いパンだ。角パンは二きんほど薄切りにして、ハムやチーズ、野菜を挟んだサンドイッチにする。細長いパンは真ん中に切れ込みを入れてソーセージなどの具を挟む。
 出来上がったパンを店先に並べていると、もう開店の時間になった。
 私が住むフュレインは、大陸の南側にある国で、美と芸術をこよなく愛するお国柄。夏は少々暑く感じることもあるが、冬のこごえるような寒さがないのはありがたい。
 そんなフュレインの王都、その片隅の平民街にあるのが『ベイラーパン屋』。一人で切り盛りしている小さな店だけど、私にとっては大切なお店。
 カララン、と来客を知らせるベルが鳴って、今日もパン屋の一日が始まるのだ。


 ――――――夢見が悪かったのは何かの暗示だったのか。
 忙しい時間帯が過ぎた頃、苦手な人が来店した。

「こんにちは、アーヤさん。今日こそいいお返事を聞かせてもらいたいですね」
「わ、私、お店を売るつもりはありませんので…………」

 勇気を振り絞ってそう告げてみたけれど、相手の眉間みけんに発生したしわに、思わずヒッと声を漏らしてしまう。
 目の前にいる男性はトルノーさんといって、商業組合長の親戚だ。うちの店を買い取りたいということで何度も来店している。

「お店の経営はあくまでアーヤさんにお任せします。いわゆる雇われ店主になるだけですよ。給与もきちんと支払いますし、この店にも破格のお値段をつけさせてもらいます。これまでと生活はそれほど変わりませんでしょう? 従業員を増やす予定ですから、アーヤさんも楽になると思いますよ」

 にこにこしながら畳みかけるようにしゃべられるのは苦手だけど、うなずくことなんてできない。

「…………お、お店…………この、お店は、ベイラーさんが私にのこしてくれた大事なもの、なので、て、手放すつもりは……………………」

 一時の大金とは別に、給料という定期収入も得られるというけれど、雇われ店主になったら、その後すぐに解雇かいこされる可能性だってある。私はここに住んでいるから、解雇かいこされたら住む場所も同時に失うわけだけど、その場合の保障とかないですよね?
 ――――――そんな風に、内心では色々渦巻うずまいているけれど、小心者なせいで言葉にはならない。
 うぅ…………私がこんなんだから、相手もあきらめないんだろう。
 トルノーさんの目当ては私が作るパンのレシピだと思う。ふんわり柔らかいパンは、この世界では珍しいものだから。
 何度もお断りしているのにあきらめてくれないトルノーさんに、苦手意識ばかりがつのる。
 誰かお客さんでも入ってきてくれないかな…………そうすれば今日は解放される。トルノーさんは人の目を気にするようで、他の人が来るとすぐに帰っちゃうんだよね…………
 他力本願な期待を込めて扉をチラチラ見ていると、トルノーさんが溜息をいた。

「まったく、したたかなものですね」
「…………え?」
「好条件を引き出すための駆け引きですか。さすが、老夫婦に取り入った挙句あげく、店まで手に入れた孤児は違いますね」

 吐き捨てるようなセリフとともに、強く手首をつかまれた。

「私も暇じゃないんですよ。この辺で手を打ってうなずいてもらえませんか」

 これまでの当たりさわりのない笑みとはまったく違う、苛立いらだちを含んだ目でにらまれて、瞬時に身がすくんだ。
 …………こ、怖い…………!
 思わず震えてしまったそのとき、
 ――――――カララン。
 来客を知らせるベルの音に、トルノーさんの手がゆるむ。そのすきにサッと自分の手を取り戻した。
 安堵あんどの気持ちとともに扉を見やれば、フードを被った旅人風の人物が店に入ってくるところだった。少しすその汚れたマントをまとい、大きな荷物を背負っている。
 それを見て小さく舌打ちしたトルノーさんは、「また来るから、よく考えておいてください」と言い残して出ていく。
 …………とりあえず、助かった…………
 強張こわばっていた身体から力が抜けかけたけれど、そこでハッと思い出す。そうだ、お客さんがいるんだった!

「いらっしゃいませ。何をお求めですか?」

 入り口に立ち尽くしているお客さんに、慌てて声をかけた。
 店の棚に並ぶパンは、この世界では見慣れない形のものが多くて、初見のお客さんは戸惑うこともある。この人もそうなのだろうと思って声をかけたのに、相手は微動びどうだにしない。
 困って視線を彷徨さまよわせたとき、旅人の腰にげられた剣に目が留まった。
 つるりとした黒色のさやう、複雑な文様もんようつばの部分に輝く、くれないの石。

「…………あ…………?」

 ――――――――――知っている――――――――――
 そうだ。私は、この剣を知っている。不思議な輝きをまとう刀身が、血に濡れるその姿を。くれないの石が爛々らんらんと輝いていたことを。
 目の前で振り上げられたそれが、とてつもなく怖くて、ゾッとするほど綺麗で、目に焼き付いたあの瞬間を、私は、知っている――――――――――

「…………あ…………あ、ああ………………」

 ガタガタと勝手に震える身体を抱きしめるようにして後ずさる。が、ものすごいスピードで減っていく。
 崩れるように床にひざをつき、それでも剣から目が離せないでいる私の前で、フードがひるがえった。さらりと赤茶色の髪が揺れる。長い前髪の間からこちらを見据えるのは、鋭い琥珀こはく色の瞳。

「……グ……ラン、シオ…………」

 どこか遠くから聞こえたようなその声が、私の口から漏れ出たモノだと気づいたのは、男が目を大きく見開き、次いでその口が、にやぁっと歯をくようにゆがんだからだ。
 ――――――――――それはまるで、獰猛どうもうな肉食獣のような。

「…………みぃーつけたぁ…………!!」
「みぎゃあああああああああああああああ!!」


 涙目で叫ぶのと同時に、視界の端に映る数字が〝0〟を示し、私の意識は途切れた。


 この世界には、時折不思議な力を持つ魔女が発生する。
 それは、異世界からの転生者。私も、その一人だ――――――――――
 ゆらゆらと、意識が揺れる。あふれる記憶のうず翻弄ほんろうされる。
 日本で日々仕事に追われていた私は、事故で死んだはずだった。それなのに、気づけば雪景色の中に一人たたずんでいた。辺りに人はなく、何故か子供の姿になっていた。何より困惑したのは、自分がこの世界で魔女と呼ばれる存在になったと、自然に理解していたこと。
 誰かに教えてもらったわけでもないのに、情報だけが自分の中にあるのはおかしな感じで、最初、これは夢だと思っていた。けれど、白い布の靴は雪を踏みしめる感触を伝えてくるし、頭から被るだけの簡素な白いワンピースは冷たい空気をさえぎってくれなくて…………時間が経つごとに、これが現実なのだと思い知らされた。
 心細さを抱きながら歩き出し、日が暮れてからようやく辿たどり着いた集落。そこにいた人たちに助けを求めた私は、あっという間に人買いに売られてしまった。
 薄暗いおりの中に押し込められ、食べろ、と乱暴に出されたのは薄いスープと硬いパン。空腹に耐えかねた私はそれを食べて――――――――それからのことは、よく覚えていない。
 時々怒鳴り声が聞こえたし、誰かがおりから連れ出されることも、新しく入ってくることもあった。だけど何も感じなかった。時折出される食事を口に運ぶ以外、心も頭も麻痺まひしたかのように、ただぼんやりとおりの中に座っていた。
 そんなある日、私たちはおりから出され、外で一列に並ばされた。
 月の綺麗な夜だった。ぼんやりと月に見入っていると、視界の端で何かが光った。そして上がる血しぶき。音を立てて崩れ落ちる人。理由なんてわからないけれど、次々と殺されていく。だけど何も感じない。並んで立っていろと言われたから、そうするだけ。
 やがて、私の番が来た。
 身体中が血に濡れた男がゆっくりと近づいてくる。長い前髪から琥珀こはく色をした目がのぞく。髪からしたたる返り血が肩に落ち、黒い服に染み込んだ。
 男が剣を一振りすると、血が飛び散った。薄紅色うすべにいろの刀身は美しく、つばに輝く紅色べにいろの石は光の加減なのか、男が動くたびにまるで脈打つかのように色の深みを変えた。
 なんて怖くて、なんて綺麗なんだろう――――――――――
 目に映るままにそう思ったとき、男が長剣を振りかぶった。
 ああ、私、死ぬんだ――――――――――………………?
 その瞬間、それまでぼんやりしていた頭が死の恐怖のためか、一瞬クリアになって――――――死にたくないと、強く思った。
 私は、無我夢中で魔女の力をふるった。
 次に覚えているのは、自分を殺そうとした男に抱えられ、揺られているところだ。
 男は迫る追っ手を殺し、私を抱えて逃げ続けた。その逃避行とうひこうは、彼が私を他の大陸への船に乗せたところで幕を閉じる。私は、魔女の力で男を利用した挙句あげく、彼を置き去りにして船出したのだ。
 そのあと、何がどうなったのか…………ベイラー夫妻に見つけられたとき、私はフュレインの砂浜に倒れていたのだという。たぶん船から落ちてしまったのだろう。助かったのは奇跡だと思う。
 身内だと名乗り出る者など当然おらず、そんな私を夫妻は引き取って育ててくれた。
 当初、私は笑うことはおろか、話すこともできなかったそうだ。
 何年も経つにつれ、徐々に意識もはっきりしてきて、自分が魔女であることも、別の世界で生きていたことも、この世界で最初に受けた仕打ちも、あの男のことも思い出した。
 けれど、私はそのすべてを胸に仕舞い込んだ。怖いことも辛いことも、自分がしたことも、魔女と呼ばれる存在だということも…………何もかも捨てて暮らすことを選んだのだ。
 そうして、私は過去と決別して生きてきた。
 今日このときまでは――――――――――――――


 まぶたを上げたら、自室の天井が目に入った。
 視線だけを巡らせると、決別したはずの過去がそこにいる。

「目、覚めた?」

 …………夢じゃ、なかった。
 今まで、ここに来る前のことはあまり考えないようにしていた。きっとそれは、自分がしたことを忘れてしまいたかったから。忘れて、ただのパン屋の娘でいたかった。
 だけどそんなこと、許されるわけがなかったんだ。

「…………グラン、シオ…………」

 かすれる声でその名を呼べば、琥珀こはく色の目がすぅっと細くなった。
 ――――――――彼は、私の、犠牲者だ。
 私を見下ろす彼の、長い前髪。その隙間すきまから、琥珀こはく色の鋭い瞳が私を見つめている。
 形のいい唇が、ゆっくりを描き、三日月のような形になって――――――――

「ごめんねぇ。ここまで運ぶのに許可なく触っちゃった」

 …………あれ? こんな話し方だったっけ?
 疑問に感じたけれど、当時の会話など思い出せない。うっすら残る記憶の中では、もっと殺伐さつばつとした印象なのだけれど……………………?
 じっと私を見つめるグランシオは、三十代くらいに見える。記憶の中の姿よりも、当然だけど成長していた。それもそうだ。あれから十年以上経っている。
 精悍せいかんで男らしい顔立ちに、たくましい体つき。目つきは鋭くて少し怖いけれど、間違いなく立派な成人男性だ。その事実が私の罪悪感をちくちく刺す。
 でも目をらすことなんてできなくて、琥珀こはく色の瞳を見つめ返した。

「ふふ、薬は完全に抜けているみたいだね」
「…………くすり…………」

 ここに来たばかりのとき、まるで人形のようだった私を診てくれたお医者さんは、人を無気力にさせてあやつる危険な薬を飲まされているとベイラーさんに告げたそうだ。たぶん、食事に混ぜられていたんだろう。今思えば、確かに食事をしてから記憶が曖昧あいまいになったような気がする。
『それがアーヤの成長を阻害しているのか! なんて可哀想に!』とベイラーさんは嘆いたけれど、のちにその話を聞かされた私は複雑な心境になった。
 周りの子供に比べて明らかに背が低い私を、夫妻が心配してくれていたのはわかる。
 だけど、元の世界でも童顔どうがん低身長だったので、たぶん薬は関係ないんだよね…………

「あんな状態だったあんたが、まさか俺の名前をおぼえてくれてるなんてねぇ。すっごく光栄」

 ひく、とほおが引きつった。
 ………………光栄に思っているようには、とても見えない。目がなんかギラギラしているし、むしろすっごく恨んでいそうに見える………………
 相手を刺激しないように、そうっと身体を起こしつつ、ベッドの上でできるだけ距離をとった。身動きするたびに追ってくる琥珀こはく色の瞳に、必死で気づかないフリをする。

「あ、の…………どうして、ここに………………?」

 緊張のあまり出にくい声で、どうにか疑問をつむげば、彼は片眉を上げた。

「あんたが、俺のご主人様だからに決まっているでしょ?」

 ぐっと息が詰まった。自分の顔が強張こわばったのがわかる。

「あんたの力は今も変わらず俺を縛ってる。そりゃあもう雁字搦がんじがらめにね。それはあんたが一番よくわかっ――――――――――」
「…………?」

 どこか愉快そうにしゃべっていた相手が、目を見開いて急に押し黙った。突然動きを止めたことを不思議に思い、何かを凝視ぎょうしするその視線を追うと、それは私の手首で――――――あ、トルノーさんにつかまれた部分、ちょっとあざになっている………………?
 思わず反対の手であざに触れた。指で押すと少し痛いけれど、これくらいならパンを焼くことはできそう。
 ホッと息を吐いて顔を上げると、目の前でグランシオがブルブル震えていた。
 ん? とまばたきしている間に、その形相が変わっていく。細められた琥珀こはくの目は鋭さを増し、額に青筋が浮き出る。き出しになった歯の隙間すきまからうなり声が聞こえてきた。

「…………あ・の・ク・ソ・ヤ・ロ・ウ…………! いつでもヤれると思って見逃したが…………ふふっ……ふふふふふふふふふふ………………!! イイぜぇ……希望通り、なぶり殺しにしてやんよぉ…………!!」

 ええええええええええ!?
 クソヤロウってトルノーさんのこと!? 『ヤれる』って、間違いなく『殺れる』って意味ですよね!? そうとしか聞こえませんでしたけど!? あと、たぶん誰も希望なんかしてないよ!?
 ゆらりと立ち上がった彼に咄嗟とっさにしがみつくけれど、止めるどころか引きずられてベッドから落ちかけた。それに気づいたグランシオは丁寧に私を押し戻すと、扉に顔を向けて立ち去ろうとする。
 行かせちゃダメだと焦っているのに、私の口はあうあうと開閉するばかり。このままじゃ、また私のせいでグランシオが誰かを――――――――――!

「――――――『お待ち』」

 私の声に、グランシオがピタリと動きを止めた。扉に向かおうとしていた身体がゆっくりと振り返り、琥珀こはく色の目が私に向けられる。
 私は寝台しんだいの上にすっくと立つと、右足を後ろに振り上げ――――――――ドン、とグランシオの腹を蹴る。まったくの無防備だったのか、彼は呆気あっけなく床に尻もちをついた。

「『主人の心情を察することもできないなんて、下僕としての程度が知れるわね』」

 すらすらと私の口からつむぎ出される言葉は、普通なら到底許容できないセリフだろう。しかし――――――彼はぎこちないながらも、その場にひざをついた。

「…………申し訳、ございません。ご主人様っ…………」

 その身体はブルブルと激しく震えている。ギリギリギシギシと聞こえてくる歯ぎしり。こんな小娘に屈してしまうことを嘆いているのか。申し訳なさが私の胸を占める。
 それなのに、唇はを描き、目も細めてしまうのだ。

「『あら、謝るのはまぁまぁ上手じゃない。そうねぇ、犬としてなら合格かしら』」

 駄犬ほど可愛いというものね? とくすくす笑う自分に軽く絶望する。
 視界の端にある数字が、がりっと一気に減った。
 この世界で〝魔女〟と呼ばれる存在には、一人につき一つだけ不思議な力がある。
 私の力は〝隷属れいぞくの力〟。対象を自分の言いなりにすることができるのだ。
 ただし、力を使うには必ず〝代償〟が必要となる。魔女が出てくる物語などを調べた限り、その代償は魔女によって様々で、魔女の宝物だったり、魔女そのものだったりした。御伽噺おとぎばなしのような読み物も多かったので、本当かどうかはわからないのだけれど。
 私が払う代償は、私自身の精神力。主に羞恥心しゅうちしんあおられ、それによって精神力がすり減ることで、魔女の力が発揮されるのだ――――――――――
 ……………………………………なんで!? 責任者出てきて!! お話し合いしましょう!!
 …………もしも神様がいるのだとしたら、絶対に意地悪だと私は確信している。
 隷属れいぞくの力を使う間、私の身体と口は、先ほどのように勝手に動く。私の羞恥心しゅうちしんが刺激されるような方向で。グランシオに対して偉そうに〝命令〟したのはそのせいだ。
 私の視界の端には、常に小さな数字が浮かんでいる。これが私の精神力を表していて、それが減っている間、数字はカウントダウンされていく。隷属れいぞくの力を使っている最中にカウントがゼロになれば、私は死ぬ。
 …………ひどい。
 ちなみに、魔女の力を使わずとも精神的に疲弊ひへいすれば、数字が減る仕様だ。力を使っていないときにゼロになったとしても死ぬことはない。ただし気絶する。
 ……………………やっぱりひどい。なんなの、この仕様。
 実は私、前世からかなりの恥ずかしがり屋で小心者なのだ。
 何言ってんの? と思われるかもしれないが、ちょっとからかわれただけで赤くなったり青くなったりと忙しい顔。手から脇から背中からと、いたる所から噴き出す汗。もつれる足。どもる口。挙動不審ぶりが原因の失敗談は数限りない。だからこそ、できる限りひっそりと生きていたのだ。
 仕事上ではなんとかなった。時間をかけて事前準備を完璧にすることで、ミスをして赤面してどもってコケるなどという事態は最小限に抑えられるようになった。『私は社会人。私は社会人。私は社会人』と言い聞かせ、自分をだまして乗り切った。
 私は心に波風の立たない平穏な生活を愛する小市民だったのだ。それが、何故こんなことに………………!
 この世界では、元の世界でいうところの魔女狩りなんてないみたい。魔女は、ただそういう存在なのだと人々に受け入れられる。魔女にとっては割と優しくて平和な世界といえるだろう。
 だけど、私は自分が魔女であることを隠している。
 だって、〝隷属れいぞく〟だよ? ……………………恥ずかしいいいいい!!
隷属れいぞくの魔女〟とか、絶対に呼ばれたくないっ!!
 私のちんまい見た目に似合わなすぎて、そういう意味でもバレたくない!!
 前世でも争い事が苦手で、会社の女性陣の派閥はばつにも加わらず、ひっそりと過ごしていたのだ。何よりも平穏を愛していた私に、何故こんな力が……………………!
 私の性癖せいへきとかそういうのは関係ないと断言できる。だって前世含めて年齢=彼氏いない歴なのだ。二次元とかラノベとかちょっと薄い本とかたしなむことはあったけど、いたってノーマルなんですっ!! 誰かを従えたいとか、そんなの望むどころか考えたこともない!!
 力をふるうのをフッと消すようにやめれば、視界の数字も減少を止めた。
 隷属れいぞくの力には、それほど長い効果はない。そのときの〝代償〟の大きさにも影響されるが、対象が魔女から離れれば効力は数日で失われる。力をふるい続ければ私自身の生死にかかわるので、永続的に使うなんてことは不可能な力――――――――――なのに。
 目の前にいるグランシオは、魔女の力に支配され続けている。私と離れて正気を取り戻した後も、ずっと支配されていたのだ。
 それを私は支配する側として常に感じ取っていた。そのことに戸惑い、おびえ、いつか消えるはずだと自分に言い聞かせてきた。それなのに彼を支配する力は、その存在を主張し続けていた。
 まるで、私がしたことを忘れるなと突きつけてくるかのように。

「命令じゃあ従わないわけにはいかない。命拾いしたよねー、あの虫けら」

 立ち上がり、何事もなかったかのように笑うグランシオ。私だったら、とてもそんな風に振る舞うことなんてできない。これが大人の余裕なのか…………などと現実逃避げんじつとうひ気味に考えていたら、グランシオがさらりと爆弾発言を投げかけてきた。

「今日から俺もここに住むね!」
「…………は?」
「だって、あぁーんな乱暴者がのさばっているって知って、放っておけるわけないでしょう? それにぃ、駄犬はいいけど、能無しだと思われたままじゃあ俺の沽券こけんかかわるしぃ? だからぁ、ご主人様を守る番犬に、俺がなってあ・げ・るってこと!」

 …………ちょっと待って。明るく言われても困る。駄犬はいいんだ? とかどうでもいいことも脳裏のうりかすめ、混乱して涙が出てくるくらい困る。

「ばばば、番犬なんていらない、から…………帰って……くだ、さい…………!!」

 ゆるゆると頭を横に振りながら、気力を振り絞ってどうにかそれだけ言った。
 グランシオは「うーん」と人差し指を口元に当て、思案するポーズをとった。

「でもそれじゃ、俺が安心できないデショ?」

 自称番犬がこてりと首を傾け、その動きに合わせて長い前髪がさらりと揺れる。

「ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅぅぅぅ――――――っと、あんたの望みのままに離れてやってたんだよ? この、俺が」

 ひっ、とのどの奥から変な音が漏れた。
 前髪からのぞ琥珀こはく色の目は、ちっとも笑っていない。口元だけが笑みの形をとっていて、「俺ってば、とんでもなく辛抱強くていい犬だよねぇ」と笑ってみせる。
 自分を犬だと、そう宣言してしまえることを、なんとも思わないのだろうか。それもこれもすべて、魔女の力のせいなのに。

「頭にあるのは常にあんたのことだけ。あんたが泣いてないか。苦しんでないか。怖がってないか。寂しがってないか――――――何をしていても気になって仕方ない。心配で心配で心配で心配で心配で心配で、気が狂いそうだったけど、あんたのためだけに耐えた。ご主人と引き離されることがどれほど辛いか、あんたにはわからないだろうけどね。それでも耐えた。――――――そんな俺がどうして今更あんたを探したと思う? 三年も」
「…………さんねん…………?」

 どきりと心臓が跳ねた。それはベイラー夫妻が亡くなり、私が一人になった時間。

「魔女の力に支配されている俺には、あんたが強い感情を抱くと伝わるんだよ。三年前、あんたはひどく嘆き悲しんだ。俺が居ても立っても居られないくらい。何もかも捨てて、海を渡ってあんたを探すくらいに」

 す、捨てた…………!?

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 あっけらかんと告げられた内容に困惑し、どういう顔をすればいいのかわからずにいる間に、彼はそれまでの態度を一転させて視線を落とした。
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