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終末の獣
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「いーやーっ!?」
「ミャン・ポンっ、参上!!」
「氷蛇」の肛門、もとい尻尾の先から放り出された僕たち。
「光球」が照らすその場所には、奇妙な壁があった。
中空で、風か魔力か、柔らかに受け留められる。
ーー今日は、地竜だった。
下からは下着が丸見えになるので、僕はミャンに背中を貸した。
直後に、必要のない行為だったことに気付く。
「それ、着いたぞ、リャナ。引っ付くのであれば、我でなくライルにするが良い」
「……百竜様。ご迷惑をお掛けしました」
元々胆力があるリャナだけに、早々に回復してーー凹んだ。
恐怖を抱いたことと、百竜を信じていなかったことは同義ではないが、リャナにとっては忽せに出来ないことだったようだ。
リャナが僕に引っ付く前に、僕たちは着地。
同時に、「氷蛇」の尻尾から悲鳴が響いてくる。
僕を含めた男性陣は、目を閉じて下を向く。
「あーれーっ!?」
「ひょぎゃ~!!」
「ち~りゅ~っ!」
「飛翔」が得意なのか、三人娘の内、パンだけが楽し気な様子で飛び出してくる。
悲鳴と呼び声に驚いたのか、壁がーー「終末の獣」が揺れた。
着地の音に目を開けると、賢者のような表情のユミファナトラが「終末の獣」を見上げていた。
三人娘を確認してから、そそり立つ壁を見上げると。
無数の、巨大な針ーーかと思ったが、違う。
「あれは、毛?」
毛の一本一本は、僕の体よりも太い。
大木、とまではいかないが、大きな樹の幹くらいある。
このすべてが「終末の獣」の毛だとするなら、いったいどれ程の大きさなのだろう。
「光球」は三竜分の高さまで照らしているが、「終末の獣」の体は、ほぼ垂直。
「ほわっ、でっかいか~い! これって背中なのカナカナ?」
「って、こらっ、『終末の獣』を刺激すんなって!」
「今更だろう。皆、悲鳴を上げていたし、何かあるなら、もう起こっている」
叫んだワーシュと、十分に大きな声を出したコルクスを見て、エルムスは溜め息を吐く。
気絶からは回復しているようだが、ホーエルは煤けていた。
しばらくは、そっとしておいたほうがいいだろう。
「これは、尻尾ですわ」
「ぴゃ~! こんっ、こんっ、こんっ!」
人だけでなく、竜も騒いでいた。
とはいえ、ラカールラカのほうは生贄、ではなく防壁となっているようだ。
ヴァレイスナに首根っこを掴まれて、「終末の獣」に向けられているラカールラカの前には「結界」が張ってあった。
世界に「触れる」ような透明。
ここに着いてから「終末の獣」の気配が薄れたのは二竜、或いはリシェと四竜がすでに対処を済ませたからだろう。
「ほ? これって、尻尾っぽ?」
「細長い尻尾ではなく、兎のような丸い尻尾ですわ。魔力が歪過ぎて、いまいち全体像が掴めないのですわ」
「嘘吐き氷竜なのだ! この壁っぽいのは真っ直ぐぅぅううううぅぅ~~っっ!!」
魔法使いも鳴かずば撃たれまい。
思ったことをそのまま口にするのは、ミャンの良いところの一つだが、竜相手にだけは学習させたほうがいいのかもしれない。
「ひゃっこい。ひゃっこい。ひゃっこい」
「ひゃばひゃばひゃばひゃばひゃば~~っっ!?」
「遊んでおる場合か。好い加減、状況を説明せんか」
「あぴゃあぴゃあぴゃあぴゃあぴゃ~~っっ!?」
凍気の中からミャンを助け出した百竜だったが、その瞬間にヴァレイスナは凍気を引っ込めた。
今度は熱気に包まれ、ミャンは氷声に続いて炎声を上げる。
ミャンには悪いが、今は「終末の獣」を優先させてもらう。
僕は、リシェを見た。
ここからでは表情が見えないので、仕方がなくリシェの横まで歩いていく。
リシェの、「終末の獣」を見上げる哀し気な眼差しーーを見た瞬間、僕はギザマルから餌を横取りする勢いで断言した。
「『終末の獣』が怯えている」
「ええ、そうですよ。昔から動物には好かれませんでしたが、ええ、そうですとも。『終末の獣』にも嫌われてしまいましたとさ」
リシェは拗ねた。
今ならいいかと、二つ折りにした紙をリシェに渡す。
紙に書かれた僕の頼み事を見て、陰気な視線を向けてきた。
同病相憐れむ、或いは炎竜氷竜。
リシェに遠慮する理由は、竜の爪の先程もないので追撃。
「『終末の獣』なら、竜のように懐いてくれるかもしれないと、無駄な望みを抱いていた」
「『終末の獣』が駄目でも、まだ魔獣が残っています。魔獣には、知能が具わっている獣も居ると聞いたことがあるので、いつかーー。獣型の魔物の、死体以外の毛並みを堪能してやります」
「リシェには無理」
「僕が言うのも何ですが、『無理』である対象を明確にしてください。いえ、もういいです。僕が居ると、上手くいくものも上手くいかないので、帰ります」
さすがに冗談かと思ったが、リシェは本当に帰ってしまった。
風を纏って入っていった「氷蛇」の尻尾から、戻ってくる気配はない。
どうやらリシェという存在は、僕が思っている以上に厄介なもののようだ。
「父様と、話は済んだですわ?」
僕がリシェと話をした、理由の一つ。
本当にヴァレイスナには恐れ入る。
その行為から、僕の不安を見透かされてしまった。
「リシェが居なくなって、『終末の獣』が落ち着いた」
「……、……」
「もう『触れた』からわかる。僕はここに居る」
「……、……」
「ああ、一緒だ。ーーなら、一緒に居よう」
「……、……」
皆には聞こえていなかったようだ。
ヴァレイスナに話し掛けたあとに突然、独り言を言い始めた僕。
しかし、僕らの会話を邪魔する者はいない。
いや、邪魔ーー以前の問題だった。
「終末の獣」は極力、口数を少なくしていた。
自身の存在が、言葉が。
与える影響を考慮しているのだろう。
「ひゃっこい。これはまた、敵意がないとわかっていても、疼きますわね」
「氷絶」を打ち込む寸前の、凄絶な笑みを浮かべるヴァレイスナ。
ーー存在するだけで、周囲を巻き込む。
「皆っ、大盾の後ろにーー」
「止めておくです。抗うのではなく、耐えるです。『終末の獣』は、ただそこに居て、そこで生きていて、呼吸して、話しただけです」
皆まで言わず、判断を委ねるユミファナトラ。
ーー存在しなくなることも、きっと出来ない。
「ヴァレイスナ。どうしたらいい」
「そんなこと、私の知ったこっちゃないですわ。手伝ってやりますから、遣りたければ遣るが良いですわ。それ、父様が四大竜と言ったのですから、残りの三竜は魔力タンクになるですわ」
ヴァレイスナの素っ気ない言葉に、百竜とユミファナトラが応じる。
ーー苦痛ではない苦痛を抱え続けた、見詰めるだけの存在。
「ぴゃ~。準備が出来たら、わえと交代するのあ」
「ふぉっふぉっふぉっ、我の魔力も使うのだ!!」
耐え続ける皆の中で、ミャンが近付いてくる。
ーー透明になるまで世界を、受け容れてしまった。
「問題魔。なら、魔力を使ってやりますわ」
「ふぬ? ……ぅぷっ…っっ!?」
ヴァレイスナに魔力を吸い取られて、減魔症で嘔吐するミャン。
ーー始めよう。
「ヴァレイスナ。今、ここでなくてもいい」
「初めての減魔症は大抵、突然ですわ。夢追魔は、人種にしては魔力量が多いですから、下手すると最初の減魔症で死に至りますわ。こうして安全に減魔症を体験させてやったのですから、お礼を言って欲しいくらいですわ」
力なく、自身の吐瀉物の上に倒れそうになったミャンを抱き留めて、ホーエルに。
ーーここから始めよう。
「あ、ごめんね、ライル。たぶん、皆も倒れちゃうと思うから」
「ライルさん。あたしには、ライルさんが何をしようとしているのかわかりません。でも、ライルさんならーー」
減魔症で倒れていく皆と、最後に、言葉でなく眼差しで伝えてくれるリャナ。
ーー歩き出そう。
「ラカールラカ。交代してくれ」
「ったく、遅いですわ! いきますわ!!」
魔法、魔法陣ーーだけでなく、聖語まで駆使して、僕の背中に触れるヴァレイスナ。
ーー一緒に。
「……、……」
喀血。
目から液体。
きっと涙ではない。
「その程度! 『治癒』で治してやりますわ! 繋いでやったから、さっさと遣れですわ!」
見えない。
それでも見えている。
触れている。
「……、……」
透明は色付く。
見上げる空の下には。
きっと、宝物が。
「……、……」
同じ景色を見よう。
同じ道を歩こう。
ーー一緒に、笑い合おう。
……、……ケモ。
透明は、未来を奏でるように解けた。
「ひゃにゅ~」
「ひゅー。聖語まで刻んで頑張竜だったのあ。わえがりえのところまで持ってう」
「今は我も居らんほうが良かろう。あとは任せる故、ーーナトラ」
ラカールラカは、ぐった竜のヴァレイスナの背中にくっ付いて、二竜で「氷蛇」の尻尾の中に消えていく。
意地っ張竜の百竜は、「ケモ」からみーを遠ざける為か、二竜を追っていった。
「皆。ワーシュを止めて。あと、リャナはミャンをお願い」
「ほわ~っ、ふさふさっ、やわふさっ!?」
減魔症など何のその。
ワーシュが立ち上がって。
コルクスとエルムスが足に、ホーエルは腰にしがみ付いて、ワーシュを止めた。
ミャンのほうは。
立ち上がろうとして、ズッコケていた。
「ワーシュ。ケモが怖がるから、しばらく接触禁止」
「ほ? ケモって、名前? それならもっといい名前が……」
「……ケモ?」
「ぅえ!? そっ、そんな『とっても気に入ったのに、ケモじゃ駄目なの?』みたいな純粋で無垢ムクな瞳で見られると、ぐぅ~、心が痛いわ!?」
仰け反ったワーシュは、ホーエルの上に倒れた。
自然と皆の視線が集まると、ケモは僕の足の後ろに隠れた。
「ケモ~」
顔はお尻辺り。
人間だと、五歳くらい。
人型の獣、というより、人のような獣。
全身は明るい茶色。
顔や手足に、茶褐色の模様。
猫科の動物に似ているような感じだが、類似の動物や魔物は思い付かない。
顔は、獣より人の輪郭に近い。
柔らかそうな髭と、恐怖の為か大き目の耳が垂れ下がっている。
ヴァレイスナの言っていた通り、茶褐色の大きな尻尾は真ん丸だった。
「……可愛い」
「使い魔にするのはっ、我のほうが先なのだ!」
僕に近付こうとしたリャナを、いつもとは逆にミャンが止める。
「ふわふわ」
「もふもふ」
「ふわもふ」
女性陣には概ね好評なようで、三人娘の視線にも険しいものは見受けられなかった。
「終末の獣」と知っていてこの対応なら、ーーいや、まだわからない。
ここに居る皆は、「終末の獣」が居る場所に来られるくらいに、心が強い者ばかり。
市井人と比べるべきではないだろう。
「……ケモ」
「友達が居る?」
「ケモっ」
「大丈夫。皆で一緒に行こう」
「ケモ~」
繋いでやったーーヴァレイスナはそう言っていた。
僕自身、自分が何をしたのか、はっきりとわかってはいない。
ただ、そうあって欲しいという未来を、心に響かせた。
「魔触」が繋いでくれた、僕とケモ。
一つ、紡いだ絆。
そう、ここから。
「魔力量が少ないからか、私はもう大丈夫なようだ」
エルムスが立ち上がると、リャナとコルクスも倣おうとしたので、僕は声を掛ける。
「無理をしなくていい。十分に回復するまで休んでいたほうがいい」
二人だけでなく、皆にも言い含めておく。
ケモの友達が来るようだから、まだ時間が掛かる。
或いは、交渉や説得が必要となるかもしれない。
ケモの為にも、気を緩めるわけにはいかない。
僕とケモの会話で、皆もある程度は察してくれたようだ。
皆が回復に向かって努める中、手持ち無沙汰だったのかエルムスが話し掛けてきた。
「ライルは、ケモ様と……」
「そこは呼び捨てのほうが、ケモが喜ぶ」
「そ、そうか? ーーでは。ライルは、ケモと意思疎通が出来ているようだが、問題、ではなく、ーーどのようになっている?」
どのように尋ねたらいいか迷ったエルムスは結局、要領を得ない尋ね方になった。
エルムスと同様に、僕の答え方も要領を得ないものになるだろう。
僕たちは、手を当たり前のように動かしているが、どうやって動かしているのかを説明するのは困難だ。
ーーどうやっているのかはわからないが、それが出来る。
それ以上の説明は出来ないので、そのまま伝えることにする。
「僕には無理だ。気が向いたら、ヴァレイスナが説明してくれると思う」
ーー今は問題ない。
それで満足してもらう他ない。
「ケモっ」
「地下から? ということで、ユミファナトラ。これからケモの友達が来るから、地面に『結界』などの、接近を阻害する魔法を使っていたら解法して欲しい」
「わかったです。ーーこれは。ケモに比べれば微々たるものですが、竜の体高よりも長いです」
ユミファナトラの言葉が終わらない内に、地面が細かく振動。
地下から、何かが向かって来ているのは間違いないようだ。
ユミファナトラは「光球」の数を増やして、翠緑宮が丸ごと入るくらいの敷地を光の領域に収めた。
直後、地面から吹き出したのは、ラカールラカーーではなく、彼の風竜にも劣らないくらい真っ白な、穢れのなさそうな生き物だった。
「ふきゃ~っ!」
僕とエルムスは不意を衝かれた。
魔力量が多いワーシュが、走り出せるとは思っていなかったのだ。
ふら付きながらもワーシュは。
ケモの友達に突っ込んでいって、純白の毛に全身を埋もれさせた。
「ケモっ、……ケモ」
「ワーシュ。ケモが言っている。ケモの友達である、その虫は、凄く優しくて、凄く繊細で、とてもいい虫だから、好きになってあげて欲しい」
僕はケモの言葉を伝える。
ケモの言う通り、優しい虫なのか、ワーシュを潰さないように動かず、じっとしている。
細長い、というと語弊がある。
太っとい生き物。
胴回りーーという言葉はたぶん、正しくはないのだろうが、ワーシュの身長の、四倍くらいの高さに背中がある。
僕とエルムス、それから立ち上がったリャナとコルクスは、答え合わせをしようと後ろに下がった。
「ほ?」
「コルクス。任せた」
「を? って、俺かよ」
「おややん? 羨ましーのなら、コルクスも来ればいーでしょ! すぅーんっごいっふぁーふぁーよぉーん」
触り心地は極上なようで、ワーシュの言葉が崩れていた。
そんな夢心地なワーシュに向かって、コルクスは慎重の上にも慎重を重ねるように事実を伝えた。
「いーか、ワーシュ、耳の穴とふやけた魂かっぽじって、よーく聞け。ライル、じゃなくてケモが言ったよーに、その虫は優しくて繊細ですんっごくいー虫だ」
「んー? 結局のキョクキョク、何が言いたいのよー?」
「いーか、ワーシュ。もしお前が、その虫を裏切ったら、俺はお前と半周期、口利かねぇかんな」
「……どなことどなこと天竜地竜?」
「その虫は、ふわふわの真っ白な、巨大で太っとい生き物はな、ーー芋虫だ」
「……ほび?」
ワーシュは固まった。
呼吸もしていない。
芋虫の魔物か、或いは魔力異常などの、突然変異の芋虫。
ワーシュは虫全般が嫌いだが、就中蜘蛛と芋虫が苦手だ。
どちらも動きが駄目らしい。
「……ほぴ??」
ワーシュは動き出した。
距離的に、制止するのは僕たちでは不可能だった。
可能なのはユミファナトラだが、暴走娘を興味深げに眺めているだけだった。
ワーシュは毛を掴みながら、芋虫を登り始めた。
「魔力は使ってないはずなのに、軽々と登っていってるね。魔力を使ってるとき、体のほうも鍛えられてたのかな?」
「それはどうだろう? もしそうなら、私にももう少し体力がついていても良さそうなものだが」
もう手遅れなので、エルムスとホーエルが雑談を交わす。
登り切ったワーシュは、地面から出てきた側ーー頭に向かって走り出した。
「たうっ!」
みーの真似をしたらしいワーシュは、頭から飛び込んでいった。
魔法は使えないので、芋虫の背中を滑っていったワーシュは、頭の手前で手を突いた。
そこで勢いを殺すと、ぽすんっと座り込んだ。
「全速ぅ~前進っ!」
ワーシュは両手を芋虫の頭に置くと、前に向かって滑るように伸ばした。
するとケモの友達の芋虫は、ワーシュの命令、ではなく、お願いを聞いて、全速で前進し始めた。
「ひっ」
「ふぁっ!」
「っ……」
説明し難いが、尻の側から波打つように体を動かしていた。
芋虫がワーシュを気遣っているからか、頭のほうはあまり動いていない。
その動きが生理的に駄目だったのか、リャナとケイニーが声を上げて、ホーエルが顔を引き攣らせた。
「みぃぎぃ~へ行ったら~、ひ~だり~ん!」
両手を右に、そして左に、更にはぐるりと回転させた。
芋虫は円を描くように回り始めて、白い輪っかのようになった。
「さぁ~、シロップ! 最後のごのごの~、ジャぁ~ンプ!」
いや、それは無理だろう。
そう思ったが、魔力か魔法か、芋虫ーーシロップは波打つように体を撓らせてから跳躍した。
「光球」の領域を抜け出して、五竜分の高さまで。
それから自由落下してきた真白な巨体は、ふわりと静かに着地した。
「ケモ、ケモ」
「ワーシュ。ケモが言っている。シロップは、自分と違って魔力操作が得意で、これから小さくなる」
「ほ? ほっ、ほ~?」
竜の力を借りずとも、自身の力で小さくなるシロップ。
馬くらいの高さになったところで、ワーシュはシロップから飛び下りた。
ワーシュが着地する前に、シロップは跳び上がって、ワーシュの頭の上に。
そこで先程のように輪っかになると、ワーシュの頭を通って肩まで落ちて。
輪の広さを縮めると、服の装飾の一部のようになる。
「ケモっ、ケモっ」
「ケモが言っている。シロップは魔力操作が得意なので、寒いときには温かく、暖かいときには冷たくなる。硬化も出来るので、剣を弾くことが可能。あと、シロップという名前を、シロップはとても気に入って、喜んでいる」
シロップのことを、友達のことを好きになって欲しいと、一生懸命に伝えてくるケモ。
「おややん? ほんとね、シロップが温かくなって、ぬくぬく~ぬっくヌクヌク~っ」
ふわふわの白い輪に頬擦りをして、ご満悦のワーシュ。
そこでコルクスが最終確認。
「まぁ、何だ? シロップは芋虫なわけだが、大丈夫なんだよな?」
「な~にを言ってるか、チンプンカンプンよ。い~い? シロップはね、シロップっていう生き物で、世界に一体しかいない大切なシロップなのよ」
「お…、おぅ…?」
一切ブレず、言い聞かせるようにワーシュが言うと、簡単に押し切られてしまうコルクス。
エルムスもホーエルも納得しているし、仲間が増えたと喜んでおこう。
竜にも角にも、シロップの件は、これで一件落着なのだが。
減魔症から回復した魔法娘たちの目が、妖しい光を放っていた。
魔力量の多寡が影響しているようで、ミャンよりも先に立ち上がったマホフーフは、邪竜を蹴飛ばす勢いでケモに指を突き付けた。
「では、ケモさん! 次のお友達を呼んでくださいですわ!」
「ケモ?」
「ケモが言っている。友達は二体で、もう来ている」
「ど、どこですわ!?」
マホフーフだけでなく、ケイニーにパン、それからやっとこ立ち上がることが出来たミャンも「光球」に照らされる範囲を見回すが見付からない。
ケモもシロップも大きかったので、先入観に囚われているようだ。
さすがにユミファナトラは気付いていたようだ。
横目でリャナを見てから、僕にも視線を向ける。
立ち上がったリャナが困惑した表情を向けてきたので、僕が対応する。
「どこなのだ! 隠れていないで……うぬぬ? わかったのだ! 一目竜然っ、隠れているのを見付ければ主なのだ!!」
「ミャン! 欲張りは竜に躓くですわよ! もう、みー様という使い魔がいるのですから、私たちに譲るのですわ!」
「言っとくけどね~、シロップは使い魔じゃなくて友達よ~ん」
ワーシュは余裕の、或いは勝利の口付け。
克服、を通り越して、友情まで芽生えてしまったらしい。
どうやらシロップも喜んでいるようで、楽し気にクルクルと回転していた。
「ケモ、ケモ」
「ケモが言っている。名前を付けて欲しいと、出来れば、カッコイイのがいいらしい」
ワーシュがシロップとの仲を見せ付けたので、魔法娘たちが暴発するーーその間際に、言葉を滑り込ませた。
魔法娘たちの視線が僕とケモに集まったので、その視線をリャナに誘導する。
リャナの銀髪。
シロップと一緒に飛び出してきたケモの友達は、そのまま弧を描いてリャナの旋毛に着頭。
それから無反応。
どうしたらいいのかわからず、リャナは置物になっていた。
逸早く気付いたミャンが、リャナに向かって魔突猛進。
「クロポンっ、なのだ!!」
「ギィ~っ!」
両手を組んだくらいの大きさの、真ん丸の黒い毛玉ーークロポン(仮)は耳障りな鳴き声を上げると、液体を噴射した。
「ふどぁ!?」
ミャンの顔面に直撃。
透明な液体だが、粘着性があるようでミャンは目を開けられないようだ。
二番手で遣って来たマホフーフは此れ幸いと、黒毛玉に命名する。
「クロッツェっ、ですわ!」
「ギィ~っ!」
「ふぐぁ!?」
再度、液体がミャンの顔面に直撃。
どうやらクロッツェ(仮)は、お気に召さなかったようだ。
次はケイニーとパンの番だが、ケモが僕の服を引っ張ってきたので、先に伝えることにする。
「ケモ、ケモ」
「ケモが言っている。人間の王様のような、もっと長くて、カッコイイ、高貴な名前を付けてあげて欲しい」
「そ、それは難易度が高いわ」
「ムズムズだよ~!」
二人の手には余るようで、期待を籠めた眼差しが「光輝九命」に向けられる。
リャナが僕を見たので、僕はユミファナトラを見る。
「こういうのはリシェ殿が得意なので、ちょっと待っているです。崖付近で三竜を待っているはずだから、まだ声は届くです」
竜の鼻息。
ユミファナトラは「結界」を張ると、透明な壁を通り抜けていった。
「ほんと、竜って凄いわねぇ。リシェさんがやってたように、属性の力なのかしら?」
「あれ? でもワーシュは、同じようなことやってなかったかな?」
「自分が張った『結界』なら出来るわよ。ただ、あんなに自然に、何事もなかったようにやるのは無理ね」
ワーシュとホーエルが話している間に、ユミファナトラは大声で呼び掛けていた。
「結界」の外の地面が細かく振動していたので声、というより竜の咆哮だったのかもしれない。
竜笛での返答があったのか、ユミファナトラは早々に戻ってきた。
「あ……」
最初に気付いて声を漏らしたのは、コルクスだった。
「破壊魔」ーーラカールラカは、そう言っていた。
「結界」に次々とぶち当たって、壮絶な光景が展開される。
「リシェ殿から返答があったです。クロイツェナ・ベナルロード・ギルギサーニス五世だそうです。愛称は、ギル様、です」
誰も聞いていなかった。
恐らくは、ユミファナトラの咆哮が原因。
崩壊した「氷蛇」が、「結界」に牙を突き立てる。
千蛇に襲われるも、「結界」の内側は無音。
白が白を穿ち、弾け、塗り潰していく、恐ろしくも心惹かれる一幕に、皆の目が釘付けになる。
「ギィ~~っっ!!」
「ふびぁ!?」
「ケモ~」
「ケモが言っている。ギル様は名前を、甚く気に入ったそうだ」
液体を拭って目を開けられるようになったミャンに、倍の量の液体が直撃。
獣のマーキングのようなものかもしれないが、ミャンが不憫ではある。
ただ、液体からは甘い匂いが漂ってくるので、場の空気が緩んでしまう。
どうしたものかと、皆はリャナから距離を取って静観していた。
「ゴセイーーとは名前? それと、名付けを行ったということは、ギル…様は、リシェ殿の使い魔ということになるのか?」
「ギィ~っ!」
「ぷぴぃ!?」
「ケモ~」
「ケモが言っている。ギル様は一番偉いので、下風に立つを潔しとしない。いずれ世界を統べる、尊き御方ーーだから、仲良くしてあげて欲しい」
ミャンとギル様は仲良くなれそうではあるが、逆に反発しそうでもある。
あの液体噴射は、好敵手を牽制してのものかもしれない。
「世は、助数詞。昔の王様の、呼び名の一つだと思っておけば良いです。あと、リシェ殿はどこまでわかっているのか、魔物との混血とも言われているその生物は、ギィルという種族です」
混乱を収めるには、ギル様の説明をしたほうが良いと思ったのか、ユミファナトラはエルムスの問いに答えた。
他にまだ追加情報があるのか一拍、悩んでから話し始めた。
「ギィルは、竜語時代に絶滅したとされているです。ミャン、と言ったです? ミャンにこびり付いた、その液体ーー糖蜜ですが、地面に振り払ったり服で拭ったりせず、集めて容器か何かに入れたほうが良いです」
「その糖蜜は、何か効能があるのですか?」
魔香師の見習いとして好奇心が刺激されたのか、間を置かずリャナが尋ねた。
ユミファナトラの表情を見るに糖蜜は、リャナが期待するようなものではなかったようだ。
「『魔法の粉』は知っているです? 先程言ったように、ギィルは絶滅しているーーと思われていたので、『魔法の粉』よりも高価になる可能性があるです」
「ほ? どなことどなこと天竜地竜?」
「先ず、今代の人々は、ギィルのことを知らないです。当然、糖蜜のこともです。高く売るには、買う側に、貴重で価値があると認識させる必要があるです。ただ、認識させて価値があるとわかればーー」
ユミファナトラは言葉を切って、エルムスを見た。
人間の欲望、というものを考えれば、容易に答えに行き着く。
思い至ったエルムスは、渋い顔で答えた。
「価値があるとわかってしまったーーそれが、ギィルの絶滅に直結してしまったのだろう。糖蜜を売るにしても、極秘にしないといけない。ただ、秘密というものは漏れるものだ。なら、初めから売ることなど考えなければ良い」
エルムスは、以前のエルムスであればしなかったことをする。
ミャンの顔の糖蜜に指を付けると、躊躇いなく口に。
ぺろりと舐めた。
この先の展開を予想して、僕はエルムスに近付いた。
「エルムス。落ち着いたほうがいい」
「……は?」
エルムスは、無意識の内にミャンに近付いていたことに気付く。
大丈夫なようなので、僕はエルムスから手を離す。
「これは不味い……ではなく、美味すぎる。もっとたくさんと、体が勝手に動いてしまっていた。『魔法の粉』と同様に、お菓子作りなどに使ったほうが良い」
エルムスは、まだ動揺が収まっていないようだ。
そんな風に言われて、じっとしている魔法娘たちではない。
「ふぬぅ!? ぬほっ、や…やめるのだ!!」
「美味しい……、もっと…もっと寄越すのですわ!」
「大丈夫です、ミャン。容器に移すだけだから、じっとしていなさい」
「ふきゃ~っ! 動けないよーに、ミャンちゃんを魔法で縛りバリバリよー!」
魔法娘たちの合間を縫って、僕は四本の指をミャンに。
糖蜜をコルクスとホーエル、それからユミファナトラにも勧める。
「エルムス。たぶん大丈夫だと思うけど、僕たちが糖蜜に遣られたら、止めてくれ」
「わかった。だが、そうと知っていて舐めるのなら、問題はないだろう」
二人と一竜が指に糖蜜を付けたので、皆で同時に口に含んだ。
一瞬。
頭が真っ白になった。
本当に美味しいものを食べたとき、人は言葉を失う。
そんな話を聞いたことがあったが、確かに、衝撃で「味わう」以外のことが疎かになった。
「捕食者に噴出。捕食者が糖蜜を舐めている間に離脱。糖蜜の味は、生存競争に於ける命懸けの産物です」
「もしかして、糖蜜を浴びた捕食者は、周囲から狙われるようになったのか?」
「それはあるです。魔物や動物、あと虫なども、糖蜜の味を覚えた者から狙われることもあったはずです」
ケモやケモの友達について、色々と考えなければいけないことがあるが、先ずはリャナの許に向かう。
溢れるくらいに糖蜜を入れた容器を、腰の小袋に仕舞うリャナ。
リャナのことだから、糖蜜は食べるだけでなく、魔香の素材にもなるのだろう。
「リャナ。帽子を貸して」
「え、あ…はい」
何を言われているのか一瞬、理解できなかったようだが、素直に潰れ三角帽子を渡してくれる。
減魔症の症状が出たときに帽子を取ったようだが、今なら問題ないだろう。
僕は、三角帽子をリャナの頭頂の、ギル様の前まで持っていく。
「ケモ。お願い」
「ケモ! ケモ~」
僕の頼みを聞いてくれたケモは、ギル様に伝えてくれる。
目も耳も、というか顔などが見当たらない、黒い毛玉はケモの頼みで、ぴょんっと飛び上がった。
透かさずリャナに帽子を被せると、ポトリとギル様が落っこちる。
「これなら帽子の飾りに見えるので、違和感はない」
「あの……、あたしはギル様の従者、ということでしょうか?」
「そこら辺は、ミャンと同じ対応で構わない。ケモが言っていたように、仲良くしてあげて欲しい」
「ギィ~」
リャナの帽子の上を、コロコロと転がるギル様。
不服はあるようだが、一応は納得してくれたらしい。
そして、リャナのほうの諦めも完竜したらしい。
「ユミファナトラ。シロップとギル様は、魔力異常か何かなのか?」
「『治癒』は終わったです。体のほうは休息を求めているです。じっくりと休むが良いです」
ーー「治癒」。
僕の質問を無視した、ユミファナトラの言葉。
四竜の内、ユミファナトラだけが残った。
地竜は、「治癒」や「結界」に優れていると聞く。
ああ、そうだ。
ケモと繋がる為に、僕は四竜の力を借りた。
ただの人の身が成すには、過剰な成果。
やはり、代償は必要だったようだ。
「残念だ。地竜が飛ぶところを見たかったのに……」
「ケモ~、ケモ~」
「それだけ言えれば十分です。起きるまで寝てろ、です」
リャナだけでは僕を支えられないので、ユミファナトラが手助けしたようだ。
困った。
もう一つの透明のような、リャナの匂い。
手が動く前に、勝手に心が動いて。
「ららららららららっ、ライルさんっ!?」
「ふぉっふぉっふぉっ、我もライルを支えるのだ!」
「ケモっ、ケモっ!」
幾つかの理解と共に、意識が遠退いていったのだった。
「ミャン・ポンっ、参上!!」
「氷蛇」の肛門、もとい尻尾の先から放り出された僕たち。
「光球」が照らすその場所には、奇妙な壁があった。
中空で、風か魔力か、柔らかに受け留められる。
ーー今日は、地竜だった。
下からは下着が丸見えになるので、僕はミャンに背中を貸した。
直後に、必要のない行為だったことに気付く。
「それ、着いたぞ、リャナ。引っ付くのであれば、我でなくライルにするが良い」
「……百竜様。ご迷惑をお掛けしました」
元々胆力があるリャナだけに、早々に回復してーー凹んだ。
恐怖を抱いたことと、百竜を信じていなかったことは同義ではないが、リャナにとっては忽せに出来ないことだったようだ。
リャナが僕に引っ付く前に、僕たちは着地。
同時に、「氷蛇」の尻尾から悲鳴が響いてくる。
僕を含めた男性陣は、目を閉じて下を向く。
「あーれーっ!?」
「ひょぎゃ~!!」
「ち~りゅ~っ!」
「飛翔」が得意なのか、三人娘の内、パンだけが楽し気な様子で飛び出してくる。
悲鳴と呼び声に驚いたのか、壁がーー「終末の獣」が揺れた。
着地の音に目を開けると、賢者のような表情のユミファナトラが「終末の獣」を見上げていた。
三人娘を確認してから、そそり立つ壁を見上げると。
無数の、巨大な針ーーかと思ったが、違う。
「あれは、毛?」
毛の一本一本は、僕の体よりも太い。
大木、とまではいかないが、大きな樹の幹くらいある。
このすべてが「終末の獣」の毛だとするなら、いったいどれ程の大きさなのだろう。
「光球」は三竜分の高さまで照らしているが、「終末の獣」の体は、ほぼ垂直。
「ほわっ、でっかいか~い! これって背中なのカナカナ?」
「って、こらっ、『終末の獣』を刺激すんなって!」
「今更だろう。皆、悲鳴を上げていたし、何かあるなら、もう起こっている」
叫んだワーシュと、十分に大きな声を出したコルクスを見て、エルムスは溜め息を吐く。
気絶からは回復しているようだが、ホーエルは煤けていた。
しばらくは、そっとしておいたほうがいいだろう。
「これは、尻尾ですわ」
「ぴゃ~! こんっ、こんっ、こんっ!」
人だけでなく、竜も騒いでいた。
とはいえ、ラカールラカのほうは生贄、ではなく防壁となっているようだ。
ヴァレイスナに首根っこを掴まれて、「終末の獣」に向けられているラカールラカの前には「結界」が張ってあった。
世界に「触れる」ような透明。
ここに着いてから「終末の獣」の気配が薄れたのは二竜、或いはリシェと四竜がすでに対処を済ませたからだろう。
「ほ? これって、尻尾っぽ?」
「細長い尻尾ではなく、兎のような丸い尻尾ですわ。魔力が歪過ぎて、いまいち全体像が掴めないのですわ」
「嘘吐き氷竜なのだ! この壁っぽいのは真っ直ぐぅぅううううぅぅ~~っっ!!」
魔法使いも鳴かずば撃たれまい。
思ったことをそのまま口にするのは、ミャンの良いところの一つだが、竜相手にだけは学習させたほうがいいのかもしれない。
「ひゃっこい。ひゃっこい。ひゃっこい」
「ひゃばひゃばひゃばひゃばひゃば~~っっ!?」
「遊んでおる場合か。好い加減、状況を説明せんか」
「あぴゃあぴゃあぴゃあぴゃあぴゃ~~っっ!?」
凍気の中からミャンを助け出した百竜だったが、その瞬間にヴァレイスナは凍気を引っ込めた。
今度は熱気に包まれ、ミャンは氷声に続いて炎声を上げる。
ミャンには悪いが、今は「終末の獣」を優先させてもらう。
僕は、リシェを見た。
ここからでは表情が見えないので、仕方がなくリシェの横まで歩いていく。
リシェの、「終末の獣」を見上げる哀し気な眼差しーーを見た瞬間、僕はギザマルから餌を横取りする勢いで断言した。
「『終末の獣』が怯えている」
「ええ、そうですよ。昔から動物には好かれませんでしたが、ええ、そうですとも。『終末の獣』にも嫌われてしまいましたとさ」
リシェは拗ねた。
今ならいいかと、二つ折りにした紙をリシェに渡す。
紙に書かれた僕の頼み事を見て、陰気な視線を向けてきた。
同病相憐れむ、或いは炎竜氷竜。
リシェに遠慮する理由は、竜の爪の先程もないので追撃。
「『終末の獣』なら、竜のように懐いてくれるかもしれないと、無駄な望みを抱いていた」
「『終末の獣』が駄目でも、まだ魔獣が残っています。魔獣には、知能が具わっている獣も居ると聞いたことがあるので、いつかーー。獣型の魔物の、死体以外の毛並みを堪能してやります」
「リシェには無理」
「僕が言うのも何ですが、『無理』である対象を明確にしてください。いえ、もういいです。僕が居ると、上手くいくものも上手くいかないので、帰ります」
さすがに冗談かと思ったが、リシェは本当に帰ってしまった。
風を纏って入っていった「氷蛇」の尻尾から、戻ってくる気配はない。
どうやらリシェという存在は、僕が思っている以上に厄介なもののようだ。
「父様と、話は済んだですわ?」
僕がリシェと話をした、理由の一つ。
本当にヴァレイスナには恐れ入る。
その行為から、僕の不安を見透かされてしまった。
「リシェが居なくなって、『終末の獣』が落ち着いた」
「……、……」
「もう『触れた』からわかる。僕はここに居る」
「……、……」
「ああ、一緒だ。ーーなら、一緒に居よう」
「……、……」
皆には聞こえていなかったようだ。
ヴァレイスナに話し掛けたあとに突然、独り言を言い始めた僕。
しかし、僕らの会話を邪魔する者はいない。
いや、邪魔ーー以前の問題だった。
「終末の獣」は極力、口数を少なくしていた。
自身の存在が、言葉が。
与える影響を考慮しているのだろう。
「ひゃっこい。これはまた、敵意がないとわかっていても、疼きますわね」
「氷絶」を打ち込む寸前の、凄絶な笑みを浮かべるヴァレイスナ。
ーー存在するだけで、周囲を巻き込む。
「皆っ、大盾の後ろにーー」
「止めておくです。抗うのではなく、耐えるです。『終末の獣』は、ただそこに居て、そこで生きていて、呼吸して、話しただけです」
皆まで言わず、判断を委ねるユミファナトラ。
ーー存在しなくなることも、きっと出来ない。
「ヴァレイスナ。どうしたらいい」
「そんなこと、私の知ったこっちゃないですわ。手伝ってやりますから、遣りたければ遣るが良いですわ。それ、父様が四大竜と言ったのですから、残りの三竜は魔力タンクになるですわ」
ヴァレイスナの素っ気ない言葉に、百竜とユミファナトラが応じる。
ーー苦痛ではない苦痛を抱え続けた、見詰めるだけの存在。
「ぴゃ~。準備が出来たら、わえと交代するのあ」
「ふぉっふぉっふぉっ、我の魔力も使うのだ!!」
耐え続ける皆の中で、ミャンが近付いてくる。
ーー透明になるまで世界を、受け容れてしまった。
「問題魔。なら、魔力を使ってやりますわ」
「ふぬ? ……ぅぷっ…っっ!?」
ヴァレイスナに魔力を吸い取られて、減魔症で嘔吐するミャン。
ーー始めよう。
「ヴァレイスナ。今、ここでなくてもいい」
「初めての減魔症は大抵、突然ですわ。夢追魔は、人種にしては魔力量が多いですから、下手すると最初の減魔症で死に至りますわ。こうして安全に減魔症を体験させてやったのですから、お礼を言って欲しいくらいですわ」
力なく、自身の吐瀉物の上に倒れそうになったミャンを抱き留めて、ホーエルに。
ーーここから始めよう。
「あ、ごめんね、ライル。たぶん、皆も倒れちゃうと思うから」
「ライルさん。あたしには、ライルさんが何をしようとしているのかわかりません。でも、ライルさんならーー」
減魔症で倒れていく皆と、最後に、言葉でなく眼差しで伝えてくれるリャナ。
ーー歩き出そう。
「ラカールラカ。交代してくれ」
「ったく、遅いですわ! いきますわ!!」
魔法、魔法陣ーーだけでなく、聖語まで駆使して、僕の背中に触れるヴァレイスナ。
ーー一緒に。
「……、……」
喀血。
目から液体。
きっと涙ではない。
「その程度! 『治癒』で治してやりますわ! 繋いでやったから、さっさと遣れですわ!」
見えない。
それでも見えている。
触れている。
「……、……」
透明は色付く。
見上げる空の下には。
きっと、宝物が。
「……、……」
同じ景色を見よう。
同じ道を歩こう。
ーー一緒に、笑い合おう。
……、……ケモ。
透明は、未来を奏でるように解けた。
「ひゃにゅ~」
「ひゅー。聖語まで刻んで頑張竜だったのあ。わえがりえのところまで持ってう」
「今は我も居らんほうが良かろう。あとは任せる故、ーーナトラ」
ラカールラカは、ぐった竜のヴァレイスナの背中にくっ付いて、二竜で「氷蛇」の尻尾の中に消えていく。
意地っ張竜の百竜は、「ケモ」からみーを遠ざける為か、二竜を追っていった。
「皆。ワーシュを止めて。あと、リャナはミャンをお願い」
「ほわ~っ、ふさふさっ、やわふさっ!?」
減魔症など何のその。
ワーシュが立ち上がって。
コルクスとエルムスが足に、ホーエルは腰にしがみ付いて、ワーシュを止めた。
ミャンのほうは。
立ち上がろうとして、ズッコケていた。
「ワーシュ。ケモが怖がるから、しばらく接触禁止」
「ほ? ケモって、名前? それならもっといい名前が……」
「……ケモ?」
「ぅえ!? そっ、そんな『とっても気に入ったのに、ケモじゃ駄目なの?』みたいな純粋で無垢ムクな瞳で見られると、ぐぅ~、心が痛いわ!?」
仰け反ったワーシュは、ホーエルの上に倒れた。
自然と皆の視線が集まると、ケモは僕の足の後ろに隠れた。
「ケモ~」
顔はお尻辺り。
人間だと、五歳くらい。
人型の獣、というより、人のような獣。
全身は明るい茶色。
顔や手足に、茶褐色の模様。
猫科の動物に似ているような感じだが、類似の動物や魔物は思い付かない。
顔は、獣より人の輪郭に近い。
柔らかそうな髭と、恐怖の為か大き目の耳が垂れ下がっている。
ヴァレイスナの言っていた通り、茶褐色の大きな尻尾は真ん丸だった。
「……可愛い」
「使い魔にするのはっ、我のほうが先なのだ!」
僕に近付こうとしたリャナを、いつもとは逆にミャンが止める。
「ふわふわ」
「もふもふ」
「ふわもふ」
女性陣には概ね好評なようで、三人娘の視線にも険しいものは見受けられなかった。
「終末の獣」と知っていてこの対応なら、ーーいや、まだわからない。
ここに居る皆は、「終末の獣」が居る場所に来られるくらいに、心が強い者ばかり。
市井人と比べるべきではないだろう。
「……ケモ」
「友達が居る?」
「ケモっ」
「大丈夫。皆で一緒に行こう」
「ケモ~」
繋いでやったーーヴァレイスナはそう言っていた。
僕自身、自分が何をしたのか、はっきりとわかってはいない。
ただ、そうあって欲しいという未来を、心に響かせた。
「魔触」が繋いでくれた、僕とケモ。
一つ、紡いだ絆。
そう、ここから。
「魔力量が少ないからか、私はもう大丈夫なようだ」
エルムスが立ち上がると、リャナとコルクスも倣おうとしたので、僕は声を掛ける。
「無理をしなくていい。十分に回復するまで休んでいたほうがいい」
二人だけでなく、皆にも言い含めておく。
ケモの友達が来るようだから、まだ時間が掛かる。
或いは、交渉や説得が必要となるかもしれない。
ケモの為にも、気を緩めるわけにはいかない。
僕とケモの会話で、皆もある程度は察してくれたようだ。
皆が回復に向かって努める中、手持ち無沙汰だったのかエルムスが話し掛けてきた。
「ライルは、ケモ様と……」
「そこは呼び捨てのほうが、ケモが喜ぶ」
「そ、そうか? ーーでは。ライルは、ケモと意思疎通が出来ているようだが、問題、ではなく、ーーどのようになっている?」
どのように尋ねたらいいか迷ったエルムスは結局、要領を得ない尋ね方になった。
エルムスと同様に、僕の答え方も要領を得ないものになるだろう。
僕たちは、手を当たり前のように動かしているが、どうやって動かしているのかを説明するのは困難だ。
ーーどうやっているのかはわからないが、それが出来る。
それ以上の説明は出来ないので、そのまま伝えることにする。
「僕には無理だ。気が向いたら、ヴァレイスナが説明してくれると思う」
ーー今は問題ない。
それで満足してもらう他ない。
「ケモっ」
「地下から? ということで、ユミファナトラ。これからケモの友達が来るから、地面に『結界』などの、接近を阻害する魔法を使っていたら解法して欲しい」
「わかったです。ーーこれは。ケモに比べれば微々たるものですが、竜の体高よりも長いです」
ユミファナトラの言葉が終わらない内に、地面が細かく振動。
地下から、何かが向かって来ているのは間違いないようだ。
ユミファナトラは「光球」の数を増やして、翠緑宮が丸ごと入るくらいの敷地を光の領域に収めた。
直後、地面から吹き出したのは、ラカールラカーーではなく、彼の風竜にも劣らないくらい真っ白な、穢れのなさそうな生き物だった。
「ふきゃ~っ!」
僕とエルムスは不意を衝かれた。
魔力量が多いワーシュが、走り出せるとは思っていなかったのだ。
ふら付きながらもワーシュは。
ケモの友達に突っ込んでいって、純白の毛に全身を埋もれさせた。
「ケモっ、……ケモ」
「ワーシュ。ケモが言っている。ケモの友達である、その虫は、凄く優しくて、凄く繊細で、とてもいい虫だから、好きになってあげて欲しい」
僕はケモの言葉を伝える。
ケモの言う通り、優しい虫なのか、ワーシュを潰さないように動かず、じっとしている。
細長い、というと語弊がある。
太っとい生き物。
胴回りーーという言葉はたぶん、正しくはないのだろうが、ワーシュの身長の、四倍くらいの高さに背中がある。
僕とエルムス、それから立ち上がったリャナとコルクスは、答え合わせをしようと後ろに下がった。
「ほ?」
「コルクス。任せた」
「を? って、俺かよ」
「おややん? 羨ましーのなら、コルクスも来ればいーでしょ! すぅーんっごいっふぁーふぁーよぉーん」
触り心地は極上なようで、ワーシュの言葉が崩れていた。
そんな夢心地なワーシュに向かって、コルクスは慎重の上にも慎重を重ねるように事実を伝えた。
「いーか、ワーシュ、耳の穴とふやけた魂かっぽじって、よーく聞け。ライル、じゃなくてケモが言ったよーに、その虫は優しくて繊細ですんっごくいー虫だ」
「んー? 結局のキョクキョク、何が言いたいのよー?」
「いーか、ワーシュ。もしお前が、その虫を裏切ったら、俺はお前と半周期、口利かねぇかんな」
「……どなことどなこと天竜地竜?」
「その虫は、ふわふわの真っ白な、巨大で太っとい生き物はな、ーー芋虫だ」
「……ほび?」
ワーシュは固まった。
呼吸もしていない。
芋虫の魔物か、或いは魔力異常などの、突然変異の芋虫。
ワーシュは虫全般が嫌いだが、就中蜘蛛と芋虫が苦手だ。
どちらも動きが駄目らしい。
「……ほぴ??」
ワーシュは動き出した。
距離的に、制止するのは僕たちでは不可能だった。
可能なのはユミファナトラだが、暴走娘を興味深げに眺めているだけだった。
ワーシュは毛を掴みながら、芋虫を登り始めた。
「魔力は使ってないはずなのに、軽々と登っていってるね。魔力を使ってるとき、体のほうも鍛えられてたのかな?」
「それはどうだろう? もしそうなら、私にももう少し体力がついていても良さそうなものだが」
もう手遅れなので、エルムスとホーエルが雑談を交わす。
登り切ったワーシュは、地面から出てきた側ーー頭に向かって走り出した。
「たうっ!」
みーの真似をしたらしいワーシュは、頭から飛び込んでいった。
魔法は使えないので、芋虫の背中を滑っていったワーシュは、頭の手前で手を突いた。
そこで勢いを殺すと、ぽすんっと座り込んだ。
「全速ぅ~前進っ!」
ワーシュは両手を芋虫の頭に置くと、前に向かって滑るように伸ばした。
するとケモの友達の芋虫は、ワーシュの命令、ではなく、お願いを聞いて、全速で前進し始めた。
「ひっ」
「ふぁっ!」
「っ……」
説明し難いが、尻の側から波打つように体を動かしていた。
芋虫がワーシュを気遣っているからか、頭のほうはあまり動いていない。
その動きが生理的に駄目だったのか、リャナとケイニーが声を上げて、ホーエルが顔を引き攣らせた。
「みぃぎぃ~へ行ったら~、ひ~だり~ん!」
両手を右に、そして左に、更にはぐるりと回転させた。
芋虫は円を描くように回り始めて、白い輪っかのようになった。
「さぁ~、シロップ! 最後のごのごの~、ジャぁ~ンプ!」
いや、それは無理だろう。
そう思ったが、魔力か魔法か、芋虫ーーシロップは波打つように体を撓らせてから跳躍した。
「光球」の領域を抜け出して、五竜分の高さまで。
それから自由落下してきた真白な巨体は、ふわりと静かに着地した。
「ケモ、ケモ」
「ワーシュ。ケモが言っている。シロップは、自分と違って魔力操作が得意で、これから小さくなる」
「ほ? ほっ、ほ~?」
竜の力を借りずとも、自身の力で小さくなるシロップ。
馬くらいの高さになったところで、ワーシュはシロップから飛び下りた。
ワーシュが着地する前に、シロップは跳び上がって、ワーシュの頭の上に。
そこで先程のように輪っかになると、ワーシュの頭を通って肩まで落ちて。
輪の広さを縮めると、服の装飾の一部のようになる。
「ケモっ、ケモっ」
「ケモが言っている。シロップは魔力操作が得意なので、寒いときには温かく、暖かいときには冷たくなる。硬化も出来るので、剣を弾くことが可能。あと、シロップという名前を、シロップはとても気に入って、喜んでいる」
シロップのことを、友達のことを好きになって欲しいと、一生懸命に伝えてくるケモ。
「おややん? ほんとね、シロップが温かくなって、ぬくぬく~ぬっくヌクヌク~っ」
ふわふわの白い輪に頬擦りをして、ご満悦のワーシュ。
そこでコルクスが最終確認。
「まぁ、何だ? シロップは芋虫なわけだが、大丈夫なんだよな?」
「な~にを言ってるか、チンプンカンプンよ。い~い? シロップはね、シロップっていう生き物で、世界に一体しかいない大切なシロップなのよ」
「お…、おぅ…?」
一切ブレず、言い聞かせるようにワーシュが言うと、簡単に押し切られてしまうコルクス。
エルムスもホーエルも納得しているし、仲間が増えたと喜んでおこう。
竜にも角にも、シロップの件は、これで一件落着なのだが。
減魔症から回復した魔法娘たちの目が、妖しい光を放っていた。
魔力量の多寡が影響しているようで、ミャンよりも先に立ち上がったマホフーフは、邪竜を蹴飛ばす勢いでケモに指を突き付けた。
「では、ケモさん! 次のお友達を呼んでくださいですわ!」
「ケモ?」
「ケモが言っている。友達は二体で、もう来ている」
「ど、どこですわ!?」
マホフーフだけでなく、ケイニーにパン、それからやっとこ立ち上がることが出来たミャンも「光球」に照らされる範囲を見回すが見付からない。
ケモもシロップも大きかったので、先入観に囚われているようだ。
さすがにユミファナトラは気付いていたようだ。
横目でリャナを見てから、僕にも視線を向ける。
立ち上がったリャナが困惑した表情を向けてきたので、僕が対応する。
「どこなのだ! 隠れていないで……うぬぬ? わかったのだ! 一目竜然っ、隠れているのを見付ければ主なのだ!!」
「ミャン! 欲張りは竜に躓くですわよ! もう、みー様という使い魔がいるのですから、私たちに譲るのですわ!」
「言っとくけどね~、シロップは使い魔じゃなくて友達よ~ん」
ワーシュは余裕の、或いは勝利の口付け。
克服、を通り越して、友情まで芽生えてしまったらしい。
どうやらシロップも喜んでいるようで、楽し気にクルクルと回転していた。
「ケモ、ケモ」
「ケモが言っている。名前を付けて欲しいと、出来れば、カッコイイのがいいらしい」
ワーシュがシロップとの仲を見せ付けたので、魔法娘たちが暴発するーーその間際に、言葉を滑り込ませた。
魔法娘たちの視線が僕とケモに集まったので、その視線をリャナに誘導する。
リャナの銀髪。
シロップと一緒に飛び出してきたケモの友達は、そのまま弧を描いてリャナの旋毛に着頭。
それから無反応。
どうしたらいいのかわからず、リャナは置物になっていた。
逸早く気付いたミャンが、リャナに向かって魔突猛進。
「クロポンっ、なのだ!!」
「ギィ~っ!」
両手を組んだくらいの大きさの、真ん丸の黒い毛玉ーークロポン(仮)は耳障りな鳴き声を上げると、液体を噴射した。
「ふどぁ!?」
ミャンの顔面に直撃。
透明な液体だが、粘着性があるようでミャンは目を開けられないようだ。
二番手で遣って来たマホフーフは此れ幸いと、黒毛玉に命名する。
「クロッツェっ、ですわ!」
「ギィ~っ!」
「ふぐぁ!?」
再度、液体がミャンの顔面に直撃。
どうやらクロッツェ(仮)は、お気に召さなかったようだ。
次はケイニーとパンの番だが、ケモが僕の服を引っ張ってきたので、先に伝えることにする。
「ケモ、ケモ」
「ケモが言っている。人間の王様のような、もっと長くて、カッコイイ、高貴な名前を付けてあげて欲しい」
「そ、それは難易度が高いわ」
「ムズムズだよ~!」
二人の手には余るようで、期待を籠めた眼差しが「光輝九命」に向けられる。
リャナが僕を見たので、僕はユミファナトラを見る。
「こういうのはリシェ殿が得意なので、ちょっと待っているです。崖付近で三竜を待っているはずだから、まだ声は届くです」
竜の鼻息。
ユミファナトラは「結界」を張ると、透明な壁を通り抜けていった。
「ほんと、竜って凄いわねぇ。リシェさんがやってたように、属性の力なのかしら?」
「あれ? でもワーシュは、同じようなことやってなかったかな?」
「自分が張った『結界』なら出来るわよ。ただ、あんなに自然に、何事もなかったようにやるのは無理ね」
ワーシュとホーエルが話している間に、ユミファナトラは大声で呼び掛けていた。
「結界」の外の地面が細かく振動していたので声、というより竜の咆哮だったのかもしれない。
竜笛での返答があったのか、ユミファナトラは早々に戻ってきた。
「あ……」
最初に気付いて声を漏らしたのは、コルクスだった。
「破壊魔」ーーラカールラカは、そう言っていた。
「結界」に次々とぶち当たって、壮絶な光景が展開される。
「リシェ殿から返答があったです。クロイツェナ・ベナルロード・ギルギサーニス五世だそうです。愛称は、ギル様、です」
誰も聞いていなかった。
恐らくは、ユミファナトラの咆哮が原因。
崩壊した「氷蛇」が、「結界」に牙を突き立てる。
千蛇に襲われるも、「結界」の内側は無音。
白が白を穿ち、弾け、塗り潰していく、恐ろしくも心惹かれる一幕に、皆の目が釘付けになる。
「ギィ~~っっ!!」
「ふびぁ!?」
「ケモ~」
「ケモが言っている。ギル様は名前を、甚く気に入ったそうだ」
液体を拭って目を開けられるようになったミャンに、倍の量の液体が直撃。
獣のマーキングのようなものかもしれないが、ミャンが不憫ではある。
ただ、液体からは甘い匂いが漂ってくるので、場の空気が緩んでしまう。
どうしたものかと、皆はリャナから距離を取って静観していた。
「ゴセイーーとは名前? それと、名付けを行ったということは、ギル…様は、リシェ殿の使い魔ということになるのか?」
「ギィ~っ!」
「ぷぴぃ!?」
「ケモ~」
「ケモが言っている。ギル様は一番偉いので、下風に立つを潔しとしない。いずれ世界を統べる、尊き御方ーーだから、仲良くしてあげて欲しい」
ミャンとギル様は仲良くなれそうではあるが、逆に反発しそうでもある。
あの液体噴射は、好敵手を牽制してのものかもしれない。
「世は、助数詞。昔の王様の、呼び名の一つだと思っておけば良いです。あと、リシェ殿はどこまでわかっているのか、魔物との混血とも言われているその生物は、ギィルという種族です」
混乱を収めるには、ギル様の説明をしたほうが良いと思ったのか、ユミファナトラはエルムスの問いに答えた。
他にまだ追加情報があるのか一拍、悩んでから話し始めた。
「ギィルは、竜語時代に絶滅したとされているです。ミャン、と言ったです? ミャンにこびり付いた、その液体ーー糖蜜ですが、地面に振り払ったり服で拭ったりせず、集めて容器か何かに入れたほうが良いです」
「その糖蜜は、何か効能があるのですか?」
魔香師の見習いとして好奇心が刺激されたのか、間を置かずリャナが尋ねた。
ユミファナトラの表情を見るに糖蜜は、リャナが期待するようなものではなかったようだ。
「『魔法の粉』は知っているです? 先程言ったように、ギィルは絶滅しているーーと思われていたので、『魔法の粉』よりも高価になる可能性があるです」
「ほ? どなことどなこと天竜地竜?」
「先ず、今代の人々は、ギィルのことを知らないです。当然、糖蜜のこともです。高く売るには、買う側に、貴重で価値があると認識させる必要があるです。ただ、認識させて価値があるとわかればーー」
ユミファナトラは言葉を切って、エルムスを見た。
人間の欲望、というものを考えれば、容易に答えに行き着く。
思い至ったエルムスは、渋い顔で答えた。
「価値があるとわかってしまったーーそれが、ギィルの絶滅に直結してしまったのだろう。糖蜜を売るにしても、極秘にしないといけない。ただ、秘密というものは漏れるものだ。なら、初めから売ることなど考えなければ良い」
エルムスは、以前のエルムスであればしなかったことをする。
ミャンの顔の糖蜜に指を付けると、躊躇いなく口に。
ぺろりと舐めた。
この先の展開を予想して、僕はエルムスに近付いた。
「エルムス。落ち着いたほうがいい」
「……は?」
エルムスは、無意識の内にミャンに近付いていたことに気付く。
大丈夫なようなので、僕はエルムスから手を離す。
「これは不味い……ではなく、美味すぎる。もっとたくさんと、体が勝手に動いてしまっていた。『魔法の粉』と同様に、お菓子作りなどに使ったほうが良い」
エルムスは、まだ動揺が収まっていないようだ。
そんな風に言われて、じっとしている魔法娘たちではない。
「ふぬぅ!? ぬほっ、や…やめるのだ!!」
「美味しい……、もっと…もっと寄越すのですわ!」
「大丈夫です、ミャン。容器に移すだけだから、じっとしていなさい」
「ふきゃ~っ! 動けないよーに、ミャンちゃんを魔法で縛りバリバリよー!」
魔法娘たちの合間を縫って、僕は四本の指をミャンに。
糖蜜をコルクスとホーエル、それからユミファナトラにも勧める。
「エルムス。たぶん大丈夫だと思うけど、僕たちが糖蜜に遣られたら、止めてくれ」
「わかった。だが、そうと知っていて舐めるのなら、問題はないだろう」
二人と一竜が指に糖蜜を付けたので、皆で同時に口に含んだ。
一瞬。
頭が真っ白になった。
本当に美味しいものを食べたとき、人は言葉を失う。
そんな話を聞いたことがあったが、確かに、衝撃で「味わう」以外のことが疎かになった。
「捕食者に噴出。捕食者が糖蜜を舐めている間に離脱。糖蜜の味は、生存競争に於ける命懸けの産物です」
「もしかして、糖蜜を浴びた捕食者は、周囲から狙われるようになったのか?」
「それはあるです。魔物や動物、あと虫なども、糖蜜の味を覚えた者から狙われることもあったはずです」
ケモやケモの友達について、色々と考えなければいけないことがあるが、先ずはリャナの許に向かう。
溢れるくらいに糖蜜を入れた容器を、腰の小袋に仕舞うリャナ。
リャナのことだから、糖蜜は食べるだけでなく、魔香の素材にもなるのだろう。
「リャナ。帽子を貸して」
「え、あ…はい」
何を言われているのか一瞬、理解できなかったようだが、素直に潰れ三角帽子を渡してくれる。
減魔症の症状が出たときに帽子を取ったようだが、今なら問題ないだろう。
僕は、三角帽子をリャナの頭頂の、ギル様の前まで持っていく。
「ケモ。お願い」
「ケモ! ケモ~」
僕の頼みを聞いてくれたケモは、ギル様に伝えてくれる。
目も耳も、というか顔などが見当たらない、黒い毛玉はケモの頼みで、ぴょんっと飛び上がった。
透かさずリャナに帽子を被せると、ポトリとギル様が落っこちる。
「これなら帽子の飾りに見えるので、違和感はない」
「あの……、あたしはギル様の従者、ということでしょうか?」
「そこら辺は、ミャンと同じ対応で構わない。ケモが言っていたように、仲良くしてあげて欲しい」
「ギィ~」
リャナの帽子の上を、コロコロと転がるギル様。
不服はあるようだが、一応は納得してくれたらしい。
そして、リャナのほうの諦めも完竜したらしい。
「ユミファナトラ。シロップとギル様は、魔力異常か何かなのか?」
「『治癒』は終わったです。体のほうは休息を求めているです。じっくりと休むが良いです」
ーー「治癒」。
僕の質問を無視した、ユミファナトラの言葉。
四竜の内、ユミファナトラだけが残った。
地竜は、「治癒」や「結界」に優れていると聞く。
ああ、そうだ。
ケモと繋がる為に、僕は四竜の力を借りた。
ただの人の身が成すには、過剰な成果。
やはり、代償は必要だったようだ。
「残念だ。地竜が飛ぶところを見たかったのに……」
「ケモ~、ケモ~」
「それだけ言えれば十分です。起きるまで寝てろ、です」
リャナだけでは僕を支えられないので、ユミファナトラが手助けしたようだ。
困った。
もう一つの透明のような、リャナの匂い。
手が動く前に、勝手に心が動いて。
「ららららららららっ、ライルさんっ!?」
「ふぉっふぉっふぉっ、我もライルを支えるのだ!」
「ケモっ、ケモっ!」
幾つかの理解と共に、意識が遠退いていったのだった。
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