竜の国の異邦人

風結

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氷竜の贈り物

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「ケモ?」

 侍従長の執務室から飛び出して、二歩目だった。
 ここが翠緑宮でなかったら、ケモを突き飛ばしていたかもしれない。

「ケモ、動かないで。恐らく、ヴァレイスナの魔法陣だ」

 光り輝く二重の円に、様々な文様。
 陽が沈んだ薄暗い廊下に、神秘的な青白い淡光が揺らめく。
 同時に、ランプに光が灯った。

「っ……」
「ケモ、ケモ~」

 二つの光源に反応して、目を閉じてしまった。
 ケモが驚きつつ、喜んでいたので早く目を開けたかったが、心を落ち着けてからゆっくりと開いた。
 魔法陣は、ヴァレイスナの仕掛けだ。
 「魔法王」の執務室での頼み事。
 善意、だと信じたいが、あの氷竜のことである。
 何があるかわからないので、警戒はしておくべきだろう。

「ケモ、ケモ、ケモノ?」
「うん、よく似あっているよ」
「ケモ~」

 僕が褒めると、喜びの獣舞踊。
 暗色だったケモの外套ローブが明るい茶色に変化していた。
 それだけでなく、みーの外套のように、端には茶褐色の木枯らしのような絵柄。

「ケモっ、ケモっ!」
「え? 他にもある?」

 僕には見えない、感じられないが、周辺には魔法陣が仕込まれているらしい。
 ケモは迷わず、前方左側に走っていく。

「ケモっ!」

 ケモがぴょんっと飛び乗ると、魔法陣が発動。
 円陣の光が明滅したあと、ケモの外套に吸い込まれていった。
 何も起こらなかったが、状況からして「凍結」や「隠蔽」などの魔法が付与されたのだろう。

「ケ~モっ!」

 老婆心。
 ホーエルからもそんなことを言われてしまいそうだが、ケモが心配なのだから仕方がない。
 僕の顔の高さ辺りの、逆側の壁を見て目標をセットロックオン
 走り出したケモのあとを追った。

「ケモ~、ケモっ!」

 素晴らしい跳躍力。
 自身の身長の、二倍ほどの高さまで跳び上がったケモは、両足を壁に着いた。
 魔法陣が発動ーーと同時に、好奇心と溢れ出る衝動のままに行動してしまったことのツケを払うことになる。

「ケモ……?」
「ケモ。そのまま落ちてきて」

 僕は両手足を床に突いて、待ち受ける。
 僕の想いはケモに伝わって。
 ケモは天井を見たまま、僕の背中に。
 手足を緩めて、ケモを背中で受け留めた。

「ケモ……」
「一獣でやるんじゃなくて、僕も交ぜて欲しい。それで、次はどこかな?」
「ケモ、ケモっ」

 失敗に消沈したケモだが。
 失敗を恐れる必要はないーーと伝えつつ、一緒に楽しもうと提案すると、ケモは仔炎竜のように燃え上がる。

「ケモ、ケモ」
「次は天井? ケモ、これから立ち上がるから肩に乗って」
「ケモ~」

 翠緑宮の天井は高い。
 ケモを肩車して、その上で僕が壁を蹴って跳び上がるなどの手段が必要かと思ったが。
 立ち上がると、ケモは危なげなく僕の肩の上に立っていた。
 バランス感覚は、竜並みのようだ。
 まだケモには触れられないので、手で支えることは出来ないが、問題はないようだ。

「ケモ~」
「跳躍すれば届くけど、どう?」
「ケモっ!」
「わかった。じゃあ、じっとしているから、頑張って」
「……ケモ」

 両手を限界まで伸ばしても掌二つ分、届かなかったのでケモは決意を固める。
 他に手段はあるーーあるが、ケモのやる気が仔炎竜メラメラなので、水竜に邪魔させるのは野暮というものだろう。

「ケ…モっ!」

 ケモが跳んだので、ーー僕はケモを信じる。
 老婆が逃げ出すくらいに、ケモを心配してしまうが、それはそれ、これはこれ。
 目を閉じて、ケモが成功することを、一欠けらの疑いもなく思い描く。
 瞼を越えて、伝わってくる魔力の光。
 それから。
 肩に、優しい重み。

「ケモ……、ケモ~」
「うん、よくやった、ケモ」
「ケモっ、ケモっ」
「え? 二人だから、一緒だから出来た? うん、そうだね」
「ケモ!」

 最後の魔法陣は、階段の近くにあるようだ。
 肩から飛び下りるケモ。
 僕が先行して、周囲に人が居ないことを確認。
 ケモから伝わってくる。
 魔法陣は、屋上へと続く階段の裏側ーー段裏にある。
 位置的に、魔法陣は天井より高い場所に描かれているようだ。
 丁度良い場所に窓枠があるが、足を掛けるのは至難。
 不思議と、わかってしまう。
 迷うことなく、ケモは階段を上っていく。
 僕も続いて駆け上る。

「ケモ~、ケモっ!」
「よっと」

 間を置かず、階段の上から跳び上がったケモ。
 五段下から僕も跳び上がって。
 ケモは僕の肩に乗って、更に跳躍。
 僕はケモの成功を信じて、着地と同時に階段を駆け上がる。
 再度、同じ位置から跳び上がると、青白い光が。
 それから、肩に重みと、遠ざかるケモの声。

「ケモ!」
「大丈夫!」

 一回目とは角度が、衝撃が異なるので、着地点も変わる。
 だが、ケモは遣り遂げたのだから、僕がこんなところで失敗するわけにはいかない。
 ーー両足での着地は危険。
 左足をやや後ろに、右足を前に。
 先ずは左足。
 階段に着地したと同時に、力を抜いて、一段下に右足。
 逆に右足には通常よりも強く力を。
 勢いのままにもう一度、跳び上がってから階下の床に着地。

「ケモ~っ、……ケモ?」
「誰か居る?」
「ケモ……」

 そんなに慌てなくてもいいのに、こちらが心配してしまうくらい勢いよく階段を下ってきたケモは。
 喜びを分かち合う間もなく、僕の後ろに隠れてしまった。

「ーーヴァレイスナ?」
「ケモ」

 僕とケモが魔法陣を攻略していくのを覗き見て、氷竜が楽しんでいたのかと思ったが、どうも違うようだ。
 ケモがヴァレイスナの魔力の、感知を間違うはずがない。

「はは、さすがケモだな、バレてたか」
「危なそうなら助けに入ろうかと思っていたのですが、必要ありませんでした」

 廊下の角から姿を現したのは二十半ばの、二人の男だった。
 私服なので確信が持てないが、彼らには見覚えがある。

「炎竜の間で見たことがある。竜騎士の隊長と、ーー『いっとーしょー』のザーツネル」
「いや、勘弁してくれ。さすがにそれが二つ名になったら、泣くに泣けない」
「それに今は、アーシュさんの団の方が『いっとーしょー』のようですので、ザーツネルは『にとーしょー』に格下げです」

 竜騎士は元冒険者と、城街地という場所に住んでいた者で構成されていると聞く。
 彼らの醸す雰囲気からして、元冒険者ということで間違いないだろう。
 竜の民もそうだったが、竜騎士である彼らも似た空気を纏っている。
 ーー穏やかで心躍るような、そこにずっと居たくなるような。
 新興国、ということだけでは説明出来ない、何かがあった。

「感謝する。ーー不躾ながら尋ねるが、僕とケモの無事を確認したなら、二人はそのまま立ち去っていたはず。その場に残っていたことの理由は、那辺にあるのか教えて欲しい」
「ケモ?」

 またか、などと思ってはいけないのかもしれないが。
 コウに続いての、無礼な言行。

「ひっ、侍従長!?」
「こらこら、失礼なことを言うな、フィヨル。あー、すまんな。侍従長への、苦手意識を未だに克服出来てないんだ」

 僕はリシェではないので、そんなことを言われても困る。
 リシェじゃりゅう扱いされたので、もっと怖がらせてフィヨルを苛めたいところだが、そんなことをすれば取り返しがつかないことになるかもしれないので我慢する。

「ケモ、ケモ?」
「ちょっと待った、ケモ。これから二つ、説明するから、そんなに急がないでくれ」
「……ケモ、ケモ」
「そう、それが一つだ。今、俺たちには、ケモが人間の子供に見えてるんだ。あと、普通に喋ってるようにも聞こえるんだがな。何というか、違和感はないんだが、理解出来てるようで出来てないというか」
「ケモ、ケモ、ケモノ?」

 ケモと会話しているザーツネルだが。
 ザーツネルの言うように、「よくわからないけど、よくわかったのだー」状態らしい。

「ヴァレイスナの魔法陣の効果であることは間違いない。原理を解明するのは不可能だから、現状維持。明日からは、『ケモ箱』の前に、外套の使い方から学んでいこう」
「ケモ!」

 僕にはケモがケモに見えている。
 魔法陣の効果が及んでいないのか、ケモと繋がっているから例外なのかはわからないが、こちらも現状維持以外に方法はない。

「ほれ、もう一つ。彼は、侍従長じゃないんだから、情けない姿見せてないで、お前が言え、フィヨル」
「……その、失礼しました。体が勝手に反応してしまうというか……」
「言い訳はいいから、しゃんとしろって」
「ケモ~」
「ケモも応援しています」

 フィヨルは、リシェの被害者だ。
 少し可哀想になってきたので、ケモと一緒に謎舞踊。
 ザーツネルも加わって、執務室から出てきたファスファールも加わったーーということになったら面白かったのだが。
 もう機嫌は直ったのか、ケモに手を振りながら通り過ぎていった。

「ケモケモケモケモっケモケモノ~」
「のものものものもっのものもけ~」
「けっけけ~もけっけけ~もけ~」

 仕舞った。
 謎舞踊に乗り遅れたフィヨルが、孤立してしまった。
 応援するつもりが逆効果。
 深つ音の、迷子のギザマルのような鳴き声で、フィヨルは説明した。

「踊り場。台の上。光っています」
「ケモ? ……ケモっ!」
「はい、行きましょう。皆で、生きましょう」
「ケモっ、ケモっ」

 ケモが先頭。
 僕とザーツネルが直ぐに追う。
 黄昏ながら、フィヨルも付いてくる。
 踊り場の台の上には、これまでの魔法陣より複雑なーー複雑過ぎてもはや訳が分からなくなっている、子供のお絵描きのような雑然としたものがあった。

「先程、侍従長の執務室に向かうときには、花瓶が置いてあった。僕にも魔法陣が見えているということは、成功報酬?」
「ヴァレイスナ様のことだから、何かあるかもしれないが危険はないだろうな」
「ケモっ、ケモっ」
「うん、一緒にやろう」

 ケモが跳び上がったので、時機タイミングを合わせて一緒に、台の上の魔法陣に両手で触れた。
 刹那。
 魔法陣の光が飛び散ったかと思うと、生き物のように渦巻いてから台の上に収束。
 まるで原初の海のように揺蕩うと、しだいに形作られていく。

「……ケモ」
「うん、綺麗だね。ーーこれは。ああ、そうか、さすがに仕事が早い」

 早い、というか、早過ぎる。
 いや、すでに元となる道具は出来ていたのかもしれない。

「ケモ?」
「そう、これはヴァレイスナが造ってくれた、ケモのナイフだよ」
「ケモ~、ケモっ!」

 もう一度、跳躍してから、ケモは宙に漂っていたナイフを掴み取る。
 ナイフも、ケモの外套と同じく、明るい茶色の鞘。
 茶褐色の細かい細工が施されている。
 嬉しそうに、ナイフを矯めつ眇めつ。
 それからケモは、自身の体をキョロキョロと見回した。

「ちょっとじっとしててね、ケモ」
「ケモ?」

 僕はケモの外套の端を掴んで持ち上げた。
 しゃがんで確認したザーツネルが教えてくれる。

「う~ん? ナイフが仕舞えるようなものは見当たらないな」
「ヴァレイスナの手落ち、もとい角落ちだったら面白いけど。武器ではなく道具として使うから、作らなかったのかもしれない」
「或いは、外套を加工してしまうと魔法の効果が減じてしまう、ということもありそうです」

 先程までの、おどおどとした様子はどこへやら、フィヨルは鋭い面差しで所見を述べた。

「ああ、フィヨルの言うことが、たぶん正解だ」
「ケモ~」
「そ、それではこれで失礼します」
「ってわけで、またな」

 照れ隠しなのか、早足のフィヨルを追って、苦笑いのザーツネルも階段を下っていく。
 ケモが手を振ると、ザーツネルだけでなくフィヨルも小さく手を振り返してくれる。

「背負い袋が出来るまで、僕が預かっておこうか?」
「ケ…モ、ケモ!」
「うん、じゃあ、預かっておくね」

 紐を通す穴ソングホールに、材質のわからない白いリング
 雪のように真っ白な輪を、腰の布袋の紐に近付けると。
 抵抗なく擦り抜けて、手を離すと、きちんとぶら下がっていた。

「変なところで、凄く手が込んでいるね」
「ケモ、ケモ」
「問題がないか確かめる為にも、このままにしてみよう。落ちたら教えてね、ケモ」
「ケモ~」

 これから出掛けるということで、僕は手を差し出した。
 前回は、小指の先っぽだった。
 それが薬指、中指を越えてーー。

「……ケモ」
「行こうか」

 人差し指の、第二関節まで。
 僕とケモは、夜の竜の都に繰り出したのだった。
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