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砂糖事件
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街道を歩きながら大広場ーー竜の胃袋へ。
胃袋というだけあって、数多くの出店が並んでいる。
ここにある地下水路を管轄する施設に、最も大きな物品を届けてから商店街に。
通常の商店は、店仕舞いの時間帯だったが、幸い、ケモの背負い袋の材料を手に入れることが出来た。
商店街の商会長に書類を渡して、ケモの初仕事は終獣。
「ケモ~」
「たくさんのお菓子を売っているのは、竜の喉元の通りだね。そこから翠緑宮に戻れるよ。ああ、背骨の手前の歓楽街には行っちゃ駄目だよ。子供にはまだ早いからね」
飴を貰ったケモは、きちんと頭を下げて笑顔の花を咲かせた。
好好爺の商会長は、笑顔で見送ってくれる。
「今度は、最後まで噛まないようにね」
「ケモっ」
最初の地下水路の施設でも飴を貰ったのだが、半分くらい舐めたところでケモは飴を噛んでしまった。
別にそれはそれで問題ないと思うのだが、ケモにとっては忽せに出来ないことだったようだ。
頑張って噛まないように舐めている真剣な姿に、申し訳ないが笑みが零れてしまう。
竜の喉元に向かうまで、街道沿いの景色を楽しみながら歩いていく。
獣の本能だろうか。
何度も噛みそうになる度に、口に力を入れて、一生懸命なムズムズな顔。
もうすぐ目的地なので、もう一度、確認する。
ファスファールから渡されたもので、残った二枚の紙。
一枚は物品の届け先が書かれたもので、返す必要はないだろうから、ケモのお絵描き用にしよう。
そして、もう一枚。
紙を僕たちに渡したということは、この問題を解決できると期待したからだろうか。
いや、それはないだろう。
解決に至る為の情報でも手に入れてくれれば万々歳ーーといったところ。
報酬は魅力的だが、僕にとってはケモと一緒に過ごす時間のほうが比べ物にならないくらい大切だ。
それとなく店主たちに探りを入れる程度に留めておこう。
指針を決定してから、僕は二枚の紙を仕舞った。
それから。
残金を、確かめる。
ーー大丈夫。
お菓子三つくらいなら、ケモに買ってあげられる。
安堵すると、ケモの足が止まった。
何事かと見てみると、獣生を儚むような表情のケモが黄昏ていた。
「ケモ……」
「はは、でも進歩したね。小さくなるまで噛まずにいられたし、今度は飲み込まずにいられるように頑張ろう」
「ケモ~っ」
僕の言葉は、半分しか届いていなかった。
ケモの鼻は、漂ってくる匂いを追尾。
僕の人差し指を引っ張って、一番近くのお店に吶喊。
「一通り見て回ってから、何を食べるか決めたほうがいいんじゃないかな?」
「ケモ~、ケモ~」
駄目だ。
聞こえていない。
獣にも尻尾にも、先ずは周囲の確認。
竜の胃袋は乱雑で活気にあふれていたが、竜の喉元は人の流れがはっきりとしていた。
喉元の近くで働いている人が、帰りに寄っていく場所。
人通りが途切れたら店仕舞いなのだろう。
「ケモ……、ケモっ!?」
店先で目を輝かせるケモに気を良くしたのか、初老の店主はケモの目の前で生地に餡を詰めた。
見事な手捌きで、まるで魔法を使ったかのように一息に完成させてしまう。
職人芸とも言える手並みに、ケモは大喜び。
最後に、砂糖の塊のようなものを塗して、完獣。
「出来立ての物を二つ、お願いする」
さすが商売人、心得ている。
実際には違うが、ケモの為に作ってくれたお菓子。
それを買わなかったら、僕が悪者になってしまうーーということはないが、罪悪感が生じる。
やられた感はあるが、これもお出掛けでの醍醐味だろう。
「ケ…ケモ~」
「美味しいのはわかったから、もう少し、ゆっくり食べようね」
無我夢獣で頬張るケモ。
幸福で満杯のケモの想いが伝わってきたので、僕も食べてみるとーー。
「いやぁ、ほんと、子供はいいねぇ。素直に喜んでくれるから、大好きだよ。兄ちゃんには甘過ぎたようだけどねぇ」
「甘さが、直接……来る。これは、砂糖を使い過ぎな気がする」
「まぁね、子供向けに作ってるからねぇ」
残りをケモに上げてもいいのだが、ケモが美味しく食べているのだから、水竜に邪魔させることもない。
一個だけなら問題ないと、じっくりと味わって食べる。
「ふっふっふっ、坊ちゃん! うちのほーが美味ぇぞ! 食わなきゃ後悔するぜ!」
「聞き捨てならないねぇ。誰のが誰のより美味しいって?」
競合店なのか、店主たちがバチバチと炎竜雷竜。
威勢のいいほうの店主は、老けて見えるがまだ若い。
見た目は似たようなお菓子だが、隣の店は生地を焼いているようだ。
両店を比べていたら、指が引っ張られた。
「……ケモっ」
「うん、次はこっちのを食べよう」
僕は勘違いをしていたようだ。
ーーケモが最初のお店で食べたのは。
決めていたから、勇気を振り絞ったから。
人差し指の下。
中指、薬指、小指の三本を掴んでいる。
僕との距離を詰める、切っ掛けが欲しかったのだろう。
他の店を見て回る余裕なんて、ケモにはなかった。
ゆっくりでいい、というのは、僕の願望だったのかもしれない。
ケモは自身の透明に色彩を足したがっている。
僕も。
ケモに応えなければ、いや、応えたい。
「ふっふっふっ、どうでぇ! うちのほーが美味しく食べてくれてるぜ!」
「可哀想にねぇ。あんた、どうやら頭だけじゃなくて、目まで悪くなっちまったようだねぇ」
火花を散らし過ぎて、その内、仔炎竜が遣って来そうだ。
いや、この時間だと、みーはもう寝ているかもしれないから、遣って来るなら百竜だろうか。
「ケモ、ケモ~」
「どっちも同じくらい美味しいと言っている」
そして、どっちも同じくらい甘い。
二個目はつらいーーと口に詰め込むと。
ぎゅっと、また骨が折れそうだったので、魔力を纏おうと思ったが我慢我慢。
ケモの勇気。
重なる、掌。
包み込むような、温かさ。
境目がなくなったような、安心感。
言葉にし辛い、こんな、狂おしい感覚は初めてだった。
触れているだけで、他に何もいらない、幸せ。
忘れていただけかもしれない。
手を繋ぐ、たったそれだけのことがーー。
「ケモ、ケモ」
「え? 味が違った?」
「ケモ~、ケモ~」
「味じゃなくて、ーー甘み?」
「ん? どうしたんだい?」
「何かあったのかねぇ?」
ケモの言葉は伝わっていないようだが、店主たちは違和感を抱いていない。
ケモのことは、人間の子供に見えているようだし、ここは自然に振る舞ったほうがいいだろう。
「先程、侍従次長から……」
「じっ、侍従長……だと!?」
「い、いや、まっ、待ちねぇ! 侍従長じゃなくて『侍従長の花嫁』のほうさねぇ!」
周囲を見ると、目を逸らされた。
まだ人通りはあるのに、慌てて店仕舞いを始める店主たち。
「ケモ?」
「たぶん、だけど。リシェが態とやっているんだと思う」
確かにリシェは不気味で恐ろしく、性格も歪んで捻じ曲がっているが、ここまで嫌われるのはーー当然のことだ。
そう納得してしまいたくなるが、恐らく違うのだろう。
マホマールがみーに厳しく接するように。
コウの為に、リシェは自身の役割に徹しているのだろう。
獣にも竜にも、リシェのことを臭わせたのは失敗だった。
「捜査の手伝いをお願いされただけで、侍従次長と話したのはさっきが初めてだ」
「ケモ? ケモ!」
リシェとは何度も会っているが、それは言わない。
その旨をケモに伝えると、速攻で納得してくれた。
ここまでケモに苦手意識を持たれているリシェに、獣の爪の先っぽくらい同情した。
「そ……、そうなんだぜ?」
「し……、心臓に悪いねぇ。……ん、おや、捜査ってなんだい?」
老店主が気付いてくれたので、一から説明する手間が省けた。
捜査、という言葉に警戒心を抱かれる前に話してしまおう。
「言い忘れていた、というか、言う必要がなかったから言わなかったが、僕は冒険者だ。商売をしているのなら、あなた方も知っているかもしれないが、今、砂糖の粗悪品が出回っている」
「そーいやぁ、噂で聞いたことが?」
「なんだい、耳まで耄碌したのかねぇ。商人組合から通知があったさね。コープパスラ産以外のものが流通してるようだねぇ」
「ほーほーほー? で、何が問題なんだ?」
老店主には聞きたくないのか、僕に尋ねてきた。
若店主のほうは望み薄だが、老店主は有益な情報を持っているかもしれないので、僕の見解を語ることにする。
「先ず、正しく理解してもらう為に、コープパスラ産の砂糖について話す必要がある。コープパスラの砂糖は、大陸のどこでも同じ値段で買えるんだ」
「おや、そうなのかい?」
「で、りぐれってナンチャラって、何なんだぜ?」
「ケモ?」
若店主の疑問を無視して話を進めたいが、若店主は一発で臍を曲げそうなので、回り道をするのが無難だろう。
あと、心象を悪くしない為に、ケモを利用させてもらうことを、ケモに認めてもらう。
「ケモ、ケモ!」
「ああ、ケモは知らなかったのか。リグレッテシェルナというのは、幻想種の竜が在るーー僕たちが居る大陸の名称で、雷竜リグレッテシェルナが由来となっているんだ」
「ケモ~」
「へー、そーなんか」
ケモは舞踊だけでなく演技も上手くなってきたようだ。
若店主と一緒に、頻りに頷いていた。
「でもよ、俺も商売してっからわかっけどよ、そりゃおかしいぜ。そんなんじゃ、コープパスラ国は大損じゃんか」
また話を邪魔されるかと思ったが。
腐っても竜ーーと言っては失礼だが、話の問題点に気付いてくれた。
「コープパスラ国は西方にある。西方から最も遠い東域と同じ値段というのは、明らかにおかしい」
「それが成立してるってことは、西方が一番多く負担してるってことさね?」
「はい。とはいえ、流通に掛かる費用などは、商人ならいざ知らず、客にはわからない。安価で公平に砂糖を供給する、その仕組みを作り上げたコープパスラ国の意図はわからないが、付け入る隙はあるということだ」
「確かにねぇ。本当なら、西は安くて東は高い。東の負担を西がしてるってなると、砂糖さえ手に入れられるなら、差額で利益になるってことかい」
「ケモ?」
「ん? んん、ん~??」
老店主は、この問題の核心に迫る。
ケモと若店主は付いてこられなかったが、ここは最後まで話してしまったほうがいいだろう。
「そう、そこで問題となるのが、砂糖が粗悪品だということ。恐らく、コープパスラ産の砂糖に、代用品か何かを混ぜて販売している。味、というか甘みは変わらないようだが、長期間摂取すると健康を害するそうだ。特に、幼い子供ほど、影響が強い」
「はぁっ、何だってぇ!?」
「ふが~っ! って、あっ、ちょっと待ってるんだぜ!」
「ケモっ!?」
幼い子供ーーに言及した瞬間、店主たちの目の色が変わった。
ケモが二人の大声に驚いて僕の後ろに隠れると、何かに気付いたらしい若店主が店の奥に走っていった。
何やらガタガタと、荒っぽい音がすると、すぐさま戻ってきた。
「坊ちゃんっ、味が変みてぇなこと言ってたよな! 確かめてみるんだぜ!」
若店主は大きな袋を抱えていた。
袋の中には、大量の砂糖。
店主たちが砂糖を口に含んだので、差し出されたケモの掌の、肉球の部分に砂糖をサラサラと落としてから僕も味わう。
「ん、ん~? いつもと同じ、だぜ?」
「喉元の皆は、城外地から来たのさね。喉元の商会長が一括で仕入れてる……はずだけどねぇ」
老店主の顔が曇る。
商会長とは、知り合い以上の、懇意にしている間柄なのだろう。
「んっん~? 調べてもらうんだぜ……って、誰に? フィア様?」
「ケモ……」
ケモの顔まで曇ってしまった。
甘みが異なっていることがわかっても、本物と偽物の区別は出来ないようだ。
僕の味覚では、二つの砂糖の違いはわからないが、どちらが粗悪品かは判断できる。
それはもう圧倒的なまでに、竜ほどわかる。
マホマールがケモにあげたお菓子は既製品だったが、ケモとみーが「半分こ」で食べたお菓子は、ヴァレイスナが手ずから作った品だ。
完璧という名の具現ーーと言ったら言い過ぎだが、些細な過ちすら戮する、あの氷竜が粗悪品の砂糖など使うはずがない。
さて、どうしたものか。
証言、状況証拠であろうと、ヴァレイスナの名を出せば信じてもらえるだろう。
粗悪品の砂糖だとわかった以上、使用禁止の上で回収する必要がある。
だが大事にしてしまうと犯人、或いは共犯者や関係者を取り逃がしてしまうことになり兼ねない。
「追跡調査ーーいや、リシェに伝えたほうが……あ」
「ケモ?」
判断に迷って顔を上げると。
視界の上に。
「ーーケモ。呼んでくれるかな」
「ケモっ!」
一瞬、迷ったが、ケモに伝えた。
獣と竜。
優れた二つの感覚が揃えば、不審者が居ても逃すことはないだろう。
「ケ~~モ~~っっ!!」
獣の咆哮。
突然、呼び掛けたので、通行人や店仕舞い中の店主たちの耳目を集めてしまう。
仕舞った。
店仕舞いが完獣するまで待っていれば良かった。
いや、そうなると飛び去っていってしまうから、せめて空中で待機をーー。
「さーう、そらからからから、からまわりなみーちゃんさんじょーなのだー」
「ケモ~、ケモ~」
手遅れだった。
竜が回転ーー空回り(?)しながら落ちてくる。
みーの透き通った声が響き渡った瞬間、竜の民の輝く笑顔の真っ只中に炎の気配が満ちる。
「何だぜ! みー様!?」
「いらっしゃるのかい!?」
近所迷惑な大歓声。
逆に冷静になってしまった僕は、状況を分析。
仔竜なので通常の竜に比べれば小さいが、それでもあのまま落ちてくれば周囲に被害を与えてしまう。
直前で「人化」してくれるとは思うが、みーの信頼度はラカールラカ以下なので、ケモにお願いする。
「ケモ! みーに『人化』してから降下するように伝えて!」
「ケモ? ケモ~!」
ケモの必死な掛け声は、みーに届いたようで、商店街の光の領域に入る前に「人化」。
「わーう、みーちゃんばくぅだんっっ……」
そして。
そのまま頭から、もとい角から落っこちた。
「ケ…ケモ……」
ーー静かだった。
幸い、爆発はしなかった。
爆弾、ではなく、爆誕と言うつもりだったのだろう。
みーの二本の角が石畳にめり込んでいる。
痛みなのか驚きなのか、或いは両方なのか、目を真ん丸にしたまま、みーは逆立ち状態で動かなかった。
「暗闇から光の中に突っ込んできたので、目測を誤ったのだろう」
「ケモっ、ケモっ」
みーに近寄って、仔炎竜を心配するケモ。
心配しているのは勿論、ケモだけではなく、店主たちや通行人がワラワラと遣って来る。
勢いよく落ちたので、さすがに竜でも痛かったのか、みーの顔がクシャっとなる。
「やうやうやうやうやうっ、みーちゃ……」
「お菓子を二つ、みーに食べてもらう。ケモ、革袋から残りのお金を取ってもらえるかな」
「ケモ!」
みーと竜の民が騒ぎ出す、というか収拾が付かなくなる前に、こちらから誘導する。
人間の手よりも細く、丸まった手。
指を器用に使って紐を解くと、ケモは革袋を逆さにして残りの銅貨を取り出した。
最後の、お金。
僕とケモの、三個目のお菓子の分だったが、みーに譲らないといけない。
周囲から憐憫の目を向けられたので、言い訳をしておく。
「このあと、報酬を受け取る予定なので、そんな目で貧乏冒険者を見ないで欲しい」
「……みーちゃん、りゆーもなくおかしっこしたらだめなのだー。こーとやくそくしたんだぞー」
「ケモ~、ケモ?」
銅貨を店主たちに渡そうとして、固まってしまうケモ。
ケモが振り返って僕を見ると、みーだけでなく、竜の民の視線も僕に集まってくる。
事ここに至ったのであれば、仕方がない。
他の店主たちも捜査に巻き込んでしまおう。
「みー。今、僕とケモは、粗悪品の砂糖について調べている。だから、お菓子を食べてもらって、竜の舌で味見をして欲しい」
「ケモっ、ケモっ」
「ほーう、よくわからないけどよくわかったのだー。りゅーのおくちはだいかんげー?」
竜にも角にも、納得してくれたらしいみーだが。
体を左右に振っても石畳にめり込んだ角は抜けなかった。
僕は、みーに近付かないほうがいいだろう。
がたいがいい店主が居たので、頼もうかと思ったら。
「……ケモっ!」
ケモがみーの背中を押したーーというか、突き飛ばした。
勿論、態とではなく、勇気を出して実行した結果。
僕以外で、誰かに触れるのは初めてだったので、弱気を吹き飛ばす勢いが必要だったのだろう。
「けもけも、もけもけーなのだー」
器用に体を捻って、みーは危な気なく足から着地。
みーと子供が戯れている。
そんな風に見えているようで、竜の民の眼差しに険しいものは見当たらない。
「さぁ~、みー様 うちの自慢の一品! 食ってくれだぜ!」
「待ちねぇ! この砂糖が粗悪品の可能性があるってなら、みー様には食べさせるわけにはいかないねぇ」
「ケモ、ケモ」
「竜には毒が効かない、らしいから、毒見役には最適、かもしれない」
そのまま説明すると問題があるので、ケモの言葉を薄めて伝える。
とはいえ、それだけでは決定打にならないので、ケモにお願いする。
僕の想いがケモに伝わって。
ケモはみーに伝えて(?)くれる。
「ケモ、ケモ、ケモノ」
「りゅーのおなかはじゅんびかんりゅー。みーちゃん、たべちゃだめなのだー?」
しょぼん、となるみー。
竜の民には効果覿面だった。
「竜のぽんぽんは強いぽんぽんよ! みー様のぽんぽんはお菓子を求めていらっしゃるわ!!」
「危険は……ないらしいし、食べていただこうじゃないか! みー様に哀し気な顔なんて似合わない!」
「くぅ~、みー様の哀しい気持ちが伝わりて、我の魂まで罅割れようぞ!」
少しおかしな発言が交じっていたので見てみると、遊牧民の恰好をしている者が居た。
喉元に居るということは、竜地の風竜に帰る途中で立ち寄ったのだろう。
「みーちゃん、たべたべしてもいーのだー?」
おねだ竜。
学習したのか、以前より上手くなっていた。
いや、上手くなっている、というより、より真剣度が増した、と言うべきか。
この仔炎竜の上目遣いに耐えられるのは、竜の国広しといえどもマホマールくらいだろう。
当然、二人の店主は獣より速く陥落した。
「食って! 食ってくれだぜっ、みー様!!」
「わ、わしはもうっ、みー様の笑顔が見たくて我慢出来んさね! おあがんなせぇ!」
「まーう、いただきますーなのだー」
みーが喉元に居るとの、噂が口伝えに広まったのか、後から後から人が遣って来る。
警戒心がまったく見受けられない。
ここまで竜を受け容れてしまっている竜の民の姿に、危機感に似た、よくわからない感情が溢れてくる。
みーがお菓子を頬張って笑顔になると、まるで気温が上がったかのように雰囲気が柔らかくなった。
「おいしーけどー、なんかいつもとちがうんだぞー?」
クンクンと、「におい」を嗅いでから、みーは最後の欠片を口に抛り込んだ。
「くっ、やっぱりか、だぜ!」
「喉元の商店街の、沽券に係わることだからねぇ。調べる必要があるさね」
「くーう、くんくんっ、んくんくっ、どっちなのだーどっちなのだー?」
半ば覚悟が決まっていたとはいえ、竜の判定に怒りを募らせる店主たち。
そんな店主たちを他所に、「におい」を辿るみー。
「ケモケモっ、ケモケモっ」
ケモも何かを感じたのか、みーと一緒に鼻をヒクヒクさせる。
一獣と一竜の言行に、ざわついていた周囲の人々の注目が集まるとーー。
「だーう、りゅーのおはなとおめめはいっとーしょー!」
「ケモっ、ケモ!」
どうしてここに、リシェは居ないのだろう。
僕が遣らないといけないようだ。
みーのやる気を殺ぐのは本意ではないので、さっさと遣ってしまうことにした。
「竜のお鼻が感知した! 即座に道を空けられたし!!」
僕が通りの先に、大仰に手を振り下ろすと、ポカンとした顔の竜の民たち。
しかし、それは織り込み済み。
炎も華やぐ、やる気満々のみーを見て。
慌てた人々は「道を空ける」という、誘導しておいた行動を取ってくれる。
「粗悪品の砂糖を売り捌く、悪者発見! 言語道断にて、みー突、炎竜解放!!」
こういうのは、中途半端が一番よくない。
みーが通り抜けられるだけの空間が出来たので、聞こえるように大きな声でみーの突撃を告げる。
「ひのたまみーちゃん、はっしゃーなのだー!」
「ひぃっ!?」
炎を纏った仔炎竜が自身に向かってきていると、確信した男が悲鳴を上げた。
どうやら間違いないようだ。
悪者発見ーーという僕の言葉に、男だけが反応していた。
「ケモっ、ケモっ」
「そうだね。僕たちも行かないと」
ケモが手を繋いできたので、この一件の始末を付ける為に、人々の輪を抜ける。
みーが男を捕まえるのと、人々がみーを追って動き出したのは、同時だった。
みーなら大丈夫だろうが、商人然とした男は武器を忍ばせているかもしれない。
近付かないように、竜の民を制止しようとしたところでーー。
「……ケモ」
静かに。
透明が弾けた。
視界が捻じ曲がる。
「ケ…モ…」
ケモが見たもの。
振り返った僕は見ていなかったのに、一瞬で理解する。
ゆっくりと。
複数の、重なるような世界で。
音もなく倒れていくみー。
繰り返す。
凝縮し、何千、何万と重なって響き合う。
反復。
男を取り押さえたみー、と、暴れる男の肘が当たって倒れるみー。
心の底まで、魂の底まで。
仲間がーー。
「ケェエモォオーーっっ!!」
わからない。
怒りなのか、哀しみなのか、ただただ、純粋な衝動。
歯を剥き出しに、淀んだ両眼に、強過ぎる輝き。
今が夜で良かった。
人々は、ケモの力の一端しか見えていない。
「ケェェモォォーーっっ!!」
「は…ひ…」
逃げようとした男の、体だけでなく心を透明で縛り上げる。
……どうして僕は、こんなにも弱いのだろう。
情けなさで涙が出そうになるが、そんな悠長なことをしている暇はない。
僕に出来る、出来たことは。
「ケモっっ、ケェモっっ、ケ~モ~っっ!!」
自身ではどうにもならない。
苦し気に身を捩るケモ。
ケモから、痛いほど伝わってくる。
溢れ出した衝動を。
僕は、受け容れることしか出来ない。
「っ……」
声は出ない。
所詮は人の身。
ケモの魔力で染め上がる。
音すら弾け飛び、境目を失う。
壊れたことがわかる。
残り、わずか。
きっと、僕はもう、駄目なのだろう。
「……っ」
ーー不思議だ。
心にあるのは、恐怖ではなく、謝罪の気持ち。
透明に同化してしまえば。
ケモの一部になれる。
……哀しまないで欲しい。
僕はケモと、ずっと一緒に居る。
僕が居なくなっても。
シロップも、ギル様も。
ワーシュも、コルクスも、エルムスも、ホーエルも。
みんなみんな、一緒に居てくれる。
大丈夫。
ぜんぶ、もらっていくから。
ケモの哀しみも。
ケモの痛みも。
透明な輝きも。
ぜんぶ、置いていくから。
歩き出したケモの。
優しいケモの。
拾っていく未来の。
大丈夫、ケモーー……
ケモの横顔。
感覚はないけど、手は繋いだまま。
腰辺りに、破滅的な、全身が蝕まれるような衝撃。
体が、魂が、解けていくような感触。
ああ、そうか、これで……。
僕は……ケモと一緒になる……。
「ケェ……」
「ケモっっっ!!!」
「モ……?」
……声が、聞こえた。
みーの声だが、みーが発した言葉ではない。
「ーーケモ。みーは大丈夫だ。魔力を鎮めよ」
「……ケモ?」
魔力の残滓。
それだけで、周囲の人々は立っているのが、やっと。
良かった。
ケモの魔力の殆どは、僕が受け容れることが出来たようだ。
「見よ。手を、魂を繋ぎし、強く支えてくれた絆のことを」
「ケ…モ?」
僕がまだ、ケモの隣に居られることの理由はわからない。
ケモに心配を掛けてはいけない。
呼吸しているかどうかもわからない。
心臓の鼓動も感じられない。
それでも。
僕は笑顔で、ケモに有りっ丈の想いを伝える。
「……ケモ。僕は大丈夫だよ。それに、ケモも、大丈夫」
「……ケモ」
やっと、ケモの顔を見られた。
そう思って緩んだ途端に、百竜に叱責されてしまった。
「まったく、人というは。心配を掛けぬことが、正しいこととは限らぬ。辛いのなら、無理であるなら、紡ぎし者に、そのままを見せてやるが良い」
百竜は、酷い竜だ。
そんなことを言われてしまったら。
「ケモっ!?」
吊っていた糸が切れた人形のように、崩れ落ちる。
仰向けになったかと思ったが、違った。
座っている。
その理由は、胸の温かさ。
ケモが僕の胸に顔を埋めている。
ああ、駄目なのに。
「ありがとう、ケモ」
ケモの背中に手を。
初めて、僕のほうから触れた。
「お、おい、あれって……?」
「そういや、使い魔を使う冒険者がいるとか噂になってたな」
どうやらケモの外套に施された、ヴァレイスナの魔法は解けてしまったようだ。
ケモの正体に気付いた竜の民の、ざわめきが届く。
体は言うことを聞いてくれないが、言葉だけは口から出てくれる。
長くは持ちそうにないが、ケモを守るのは僕の役目だ。
しかし、それも百竜に出し抜かれる。
火付け役が、そのまま炎を薙ぎ払う。
「皆、みーは大丈夫だ。みーを心配してくれたこと、我からも感謝しよう」
男を引き摺ってきた百竜は、みーを彷彿とさせる、にんまり笑顔。
炎笑を向けられた竜の民は、瞬時に燃え上がった。
「いえいえいえいえっ、みー様の窮地に駆け付けるのは、竜の民として当然のことです!」
「ああっ、百竜様! 凛々し慈愛が鉄火てか過ぎるわ!?」
「我の魂は竜王様に捧ぐ! 永久の忠誠っ、お受け取り下され!!」
更なる近所迷惑が発生。
そして、遊牧民以外にも、おかしな手合いが増殖。
以前から思っていたことだが、竜と係わることで、良くも悪くも多少、人の道を踏み外してしまうものなのかもしれない。
百竜は炎を喰らうかのように、竜の民の熱気を制御。
竜の微笑みを振り撒くと、視線をケモに。
それから、引き摺ってきた男に炎眼を向けた。
「っ……」
「其方の魂に、突き刺さったであろう。みーが、友が傷付けられしことによる、怒りと、哀しみ。否、怒りでも哀しみでもなく、誰もが持ちよう、単純であるが故の、ーー純粋なものだ。あれを向けられ、何も感じぬようなら、其方を氷に引き渡そう」
本当に突き刺さったのは、百竜の言葉だったようだ。
炎を直視できなかった男は、百竜によって作られた自身の影を、苦悶と共に見下ろす。
「皆の者、騒がせた。騒動は仕舞にて、『結界』を……」
「ちょっと待つんだぜ!」
「百竜様! お待ちくだせぇ!」
喧騒を他所に、胸が一杯のケモ。
意識が薄れていくのを感じながら、ケモに届くようにと。
僕が見ているものを、精一杯に伝える。
振り返ったケモはーー。
「ケモ……、ケモ!?」
「持ってけ泥棒! また寄ってくんな!」
「次はちゃんとした砂糖で作るからねぇ!」
若店主と老店主が抛ったお菓子を、おっかなびっくり受け留めて。
「……ケモ~」
「っ……」
「……っ」
ケモの笑顔に。
店主たちが衝撃を受けたところで、見届けた百竜が「結界」をーー。
「……ぬ」
「……ケモ」
「結界」が張られたので、もう外の声は届かない。
僕と同様に、ケモも呆れていたので、はっきりと言葉にすることにした。
「みーより下手くそ」
「……皮肉を言うでない」
「皮肉ではなく、ただの事実」
「ケモ、ケモ」
「ぅぐ……」
目測を誤ったのか、百竜は「結界」で店主を含めた五人を、弾き飛ばしてしまった。
幸い、怪我はないようだ。
それどころか、炎竜から祝福を享けたかのように、皆の顔には笑顔が。
「主のような意地悪だと、その内、おかしな二つ名でも付こう。ーー眠っておれ」
主ーーリシェと似ていることが、百竜の内側でどのような変化があったのか。
竜が近付いてきて、僕の額を人差し指で押した。
「嬉しいけど、今、それは困る」
体に力は入らない。
後ろは石畳。
人間は転んで死ぬこともある。
後頭部を強打することを覚悟すると。
ケモが僕の胸から離れて。
「ケモっ!」
頭の後ろに、優しい感触。
ケモにお礼を言いたいけど、それより早く意識が遠退いていく。
「ケ~モ~っ」
「うっ……」
笑いが込み上げそうになるが、我慢我慢。
ケモに責められて、タジタジの炎竜を見ながら、僕は意識を手放したのだった。
胃袋というだけあって、数多くの出店が並んでいる。
ここにある地下水路を管轄する施設に、最も大きな物品を届けてから商店街に。
通常の商店は、店仕舞いの時間帯だったが、幸い、ケモの背負い袋の材料を手に入れることが出来た。
商店街の商会長に書類を渡して、ケモの初仕事は終獣。
「ケモ~」
「たくさんのお菓子を売っているのは、竜の喉元の通りだね。そこから翠緑宮に戻れるよ。ああ、背骨の手前の歓楽街には行っちゃ駄目だよ。子供にはまだ早いからね」
飴を貰ったケモは、きちんと頭を下げて笑顔の花を咲かせた。
好好爺の商会長は、笑顔で見送ってくれる。
「今度は、最後まで噛まないようにね」
「ケモっ」
最初の地下水路の施設でも飴を貰ったのだが、半分くらい舐めたところでケモは飴を噛んでしまった。
別にそれはそれで問題ないと思うのだが、ケモにとっては忽せに出来ないことだったようだ。
頑張って噛まないように舐めている真剣な姿に、申し訳ないが笑みが零れてしまう。
竜の喉元に向かうまで、街道沿いの景色を楽しみながら歩いていく。
獣の本能だろうか。
何度も噛みそうになる度に、口に力を入れて、一生懸命なムズムズな顔。
もうすぐ目的地なので、もう一度、確認する。
ファスファールから渡されたもので、残った二枚の紙。
一枚は物品の届け先が書かれたもので、返す必要はないだろうから、ケモのお絵描き用にしよう。
そして、もう一枚。
紙を僕たちに渡したということは、この問題を解決できると期待したからだろうか。
いや、それはないだろう。
解決に至る為の情報でも手に入れてくれれば万々歳ーーといったところ。
報酬は魅力的だが、僕にとってはケモと一緒に過ごす時間のほうが比べ物にならないくらい大切だ。
それとなく店主たちに探りを入れる程度に留めておこう。
指針を決定してから、僕は二枚の紙を仕舞った。
それから。
残金を、確かめる。
ーー大丈夫。
お菓子三つくらいなら、ケモに買ってあげられる。
安堵すると、ケモの足が止まった。
何事かと見てみると、獣生を儚むような表情のケモが黄昏ていた。
「ケモ……」
「はは、でも進歩したね。小さくなるまで噛まずにいられたし、今度は飲み込まずにいられるように頑張ろう」
「ケモ~っ」
僕の言葉は、半分しか届いていなかった。
ケモの鼻は、漂ってくる匂いを追尾。
僕の人差し指を引っ張って、一番近くのお店に吶喊。
「一通り見て回ってから、何を食べるか決めたほうがいいんじゃないかな?」
「ケモ~、ケモ~」
駄目だ。
聞こえていない。
獣にも尻尾にも、先ずは周囲の確認。
竜の胃袋は乱雑で活気にあふれていたが、竜の喉元は人の流れがはっきりとしていた。
喉元の近くで働いている人が、帰りに寄っていく場所。
人通りが途切れたら店仕舞いなのだろう。
「ケモ……、ケモっ!?」
店先で目を輝かせるケモに気を良くしたのか、初老の店主はケモの目の前で生地に餡を詰めた。
見事な手捌きで、まるで魔法を使ったかのように一息に完成させてしまう。
職人芸とも言える手並みに、ケモは大喜び。
最後に、砂糖の塊のようなものを塗して、完獣。
「出来立ての物を二つ、お願いする」
さすが商売人、心得ている。
実際には違うが、ケモの為に作ってくれたお菓子。
それを買わなかったら、僕が悪者になってしまうーーということはないが、罪悪感が生じる。
やられた感はあるが、これもお出掛けでの醍醐味だろう。
「ケ…ケモ~」
「美味しいのはわかったから、もう少し、ゆっくり食べようね」
無我夢獣で頬張るケモ。
幸福で満杯のケモの想いが伝わってきたので、僕も食べてみるとーー。
「いやぁ、ほんと、子供はいいねぇ。素直に喜んでくれるから、大好きだよ。兄ちゃんには甘過ぎたようだけどねぇ」
「甘さが、直接……来る。これは、砂糖を使い過ぎな気がする」
「まぁね、子供向けに作ってるからねぇ」
残りをケモに上げてもいいのだが、ケモが美味しく食べているのだから、水竜に邪魔させることもない。
一個だけなら問題ないと、じっくりと味わって食べる。
「ふっふっふっ、坊ちゃん! うちのほーが美味ぇぞ! 食わなきゃ後悔するぜ!」
「聞き捨てならないねぇ。誰のが誰のより美味しいって?」
競合店なのか、店主たちがバチバチと炎竜雷竜。
威勢のいいほうの店主は、老けて見えるがまだ若い。
見た目は似たようなお菓子だが、隣の店は生地を焼いているようだ。
両店を比べていたら、指が引っ張られた。
「……ケモっ」
「うん、次はこっちのを食べよう」
僕は勘違いをしていたようだ。
ーーケモが最初のお店で食べたのは。
決めていたから、勇気を振り絞ったから。
人差し指の下。
中指、薬指、小指の三本を掴んでいる。
僕との距離を詰める、切っ掛けが欲しかったのだろう。
他の店を見て回る余裕なんて、ケモにはなかった。
ゆっくりでいい、というのは、僕の願望だったのかもしれない。
ケモは自身の透明に色彩を足したがっている。
僕も。
ケモに応えなければ、いや、応えたい。
「ふっふっふっ、どうでぇ! うちのほーが美味しく食べてくれてるぜ!」
「可哀想にねぇ。あんた、どうやら頭だけじゃなくて、目まで悪くなっちまったようだねぇ」
火花を散らし過ぎて、その内、仔炎竜が遣って来そうだ。
いや、この時間だと、みーはもう寝ているかもしれないから、遣って来るなら百竜だろうか。
「ケモ、ケモ~」
「どっちも同じくらい美味しいと言っている」
そして、どっちも同じくらい甘い。
二個目はつらいーーと口に詰め込むと。
ぎゅっと、また骨が折れそうだったので、魔力を纏おうと思ったが我慢我慢。
ケモの勇気。
重なる、掌。
包み込むような、温かさ。
境目がなくなったような、安心感。
言葉にし辛い、こんな、狂おしい感覚は初めてだった。
触れているだけで、他に何もいらない、幸せ。
忘れていただけかもしれない。
手を繋ぐ、たったそれだけのことがーー。
「ケモ、ケモ」
「え? 味が違った?」
「ケモ~、ケモ~」
「味じゃなくて、ーー甘み?」
「ん? どうしたんだい?」
「何かあったのかねぇ?」
ケモの言葉は伝わっていないようだが、店主たちは違和感を抱いていない。
ケモのことは、人間の子供に見えているようだし、ここは自然に振る舞ったほうがいいだろう。
「先程、侍従次長から……」
「じっ、侍従長……だと!?」
「い、いや、まっ、待ちねぇ! 侍従長じゃなくて『侍従長の花嫁』のほうさねぇ!」
周囲を見ると、目を逸らされた。
まだ人通りはあるのに、慌てて店仕舞いを始める店主たち。
「ケモ?」
「たぶん、だけど。リシェが態とやっているんだと思う」
確かにリシェは不気味で恐ろしく、性格も歪んで捻じ曲がっているが、ここまで嫌われるのはーー当然のことだ。
そう納得してしまいたくなるが、恐らく違うのだろう。
マホマールがみーに厳しく接するように。
コウの為に、リシェは自身の役割に徹しているのだろう。
獣にも竜にも、リシェのことを臭わせたのは失敗だった。
「捜査の手伝いをお願いされただけで、侍従次長と話したのはさっきが初めてだ」
「ケモ? ケモ!」
リシェとは何度も会っているが、それは言わない。
その旨をケモに伝えると、速攻で納得してくれた。
ここまでケモに苦手意識を持たれているリシェに、獣の爪の先っぽくらい同情した。
「そ……、そうなんだぜ?」
「し……、心臓に悪いねぇ。……ん、おや、捜査ってなんだい?」
老店主が気付いてくれたので、一から説明する手間が省けた。
捜査、という言葉に警戒心を抱かれる前に話してしまおう。
「言い忘れていた、というか、言う必要がなかったから言わなかったが、僕は冒険者だ。商売をしているのなら、あなた方も知っているかもしれないが、今、砂糖の粗悪品が出回っている」
「そーいやぁ、噂で聞いたことが?」
「なんだい、耳まで耄碌したのかねぇ。商人組合から通知があったさね。コープパスラ産以外のものが流通してるようだねぇ」
「ほーほーほー? で、何が問題なんだ?」
老店主には聞きたくないのか、僕に尋ねてきた。
若店主のほうは望み薄だが、老店主は有益な情報を持っているかもしれないので、僕の見解を語ることにする。
「先ず、正しく理解してもらう為に、コープパスラ産の砂糖について話す必要がある。コープパスラの砂糖は、大陸のどこでも同じ値段で買えるんだ」
「おや、そうなのかい?」
「で、りぐれってナンチャラって、何なんだぜ?」
「ケモ?」
若店主の疑問を無視して話を進めたいが、若店主は一発で臍を曲げそうなので、回り道をするのが無難だろう。
あと、心象を悪くしない為に、ケモを利用させてもらうことを、ケモに認めてもらう。
「ケモ、ケモ!」
「ああ、ケモは知らなかったのか。リグレッテシェルナというのは、幻想種の竜が在るーー僕たちが居る大陸の名称で、雷竜リグレッテシェルナが由来となっているんだ」
「ケモ~」
「へー、そーなんか」
ケモは舞踊だけでなく演技も上手くなってきたようだ。
若店主と一緒に、頻りに頷いていた。
「でもよ、俺も商売してっからわかっけどよ、そりゃおかしいぜ。そんなんじゃ、コープパスラ国は大損じゃんか」
また話を邪魔されるかと思ったが。
腐っても竜ーーと言っては失礼だが、話の問題点に気付いてくれた。
「コープパスラ国は西方にある。西方から最も遠い東域と同じ値段というのは、明らかにおかしい」
「それが成立してるってことは、西方が一番多く負担してるってことさね?」
「はい。とはいえ、流通に掛かる費用などは、商人ならいざ知らず、客にはわからない。安価で公平に砂糖を供給する、その仕組みを作り上げたコープパスラ国の意図はわからないが、付け入る隙はあるということだ」
「確かにねぇ。本当なら、西は安くて東は高い。東の負担を西がしてるってなると、砂糖さえ手に入れられるなら、差額で利益になるってことかい」
「ケモ?」
「ん? んん、ん~??」
老店主は、この問題の核心に迫る。
ケモと若店主は付いてこられなかったが、ここは最後まで話してしまったほうがいいだろう。
「そう、そこで問題となるのが、砂糖が粗悪品だということ。恐らく、コープパスラ産の砂糖に、代用品か何かを混ぜて販売している。味、というか甘みは変わらないようだが、長期間摂取すると健康を害するそうだ。特に、幼い子供ほど、影響が強い」
「はぁっ、何だってぇ!?」
「ふが~っ! って、あっ、ちょっと待ってるんだぜ!」
「ケモっ!?」
幼い子供ーーに言及した瞬間、店主たちの目の色が変わった。
ケモが二人の大声に驚いて僕の後ろに隠れると、何かに気付いたらしい若店主が店の奥に走っていった。
何やらガタガタと、荒っぽい音がすると、すぐさま戻ってきた。
「坊ちゃんっ、味が変みてぇなこと言ってたよな! 確かめてみるんだぜ!」
若店主は大きな袋を抱えていた。
袋の中には、大量の砂糖。
店主たちが砂糖を口に含んだので、差し出されたケモの掌の、肉球の部分に砂糖をサラサラと落としてから僕も味わう。
「ん、ん~? いつもと同じ、だぜ?」
「喉元の皆は、城外地から来たのさね。喉元の商会長が一括で仕入れてる……はずだけどねぇ」
老店主の顔が曇る。
商会長とは、知り合い以上の、懇意にしている間柄なのだろう。
「んっん~? 調べてもらうんだぜ……って、誰に? フィア様?」
「ケモ……」
ケモの顔まで曇ってしまった。
甘みが異なっていることがわかっても、本物と偽物の区別は出来ないようだ。
僕の味覚では、二つの砂糖の違いはわからないが、どちらが粗悪品かは判断できる。
それはもう圧倒的なまでに、竜ほどわかる。
マホマールがケモにあげたお菓子は既製品だったが、ケモとみーが「半分こ」で食べたお菓子は、ヴァレイスナが手ずから作った品だ。
完璧という名の具現ーーと言ったら言い過ぎだが、些細な過ちすら戮する、あの氷竜が粗悪品の砂糖など使うはずがない。
さて、どうしたものか。
証言、状況証拠であろうと、ヴァレイスナの名を出せば信じてもらえるだろう。
粗悪品の砂糖だとわかった以上、使用禁止の上で回収する必要がある。
だが大事にしてしまうと犯人、或いは共犯者や関係者を取り逃がしてしまうことになり兼ねない。
「追跡調査ーーいや、リシェに伝えたほうが……あ」
「ケモ?」
判断に迷って顔を上げると。
視界の上に。
「ーーケモ。呼んでくれるかな」
「ケモっ!」
一瞬、迷ったが、ケモに伝えた。
獣と竜。
優れた二つの感覚が揃えば、不審者が居ても逃すことはないだろう。
「ケ~~モ~~っっ!!」
獣の咆哮。
突然、呼び掛けたので、通行人や店仕舞い中の店主たちの耳目を集めてしまう。
仕舞った。
店仕舞いが完獣するまで待っていれば良かった。
いや、そうなると飛び去っていってしまうから、せめて空中で待機をーー。
「さーう、そらからからから、からまわりなみーちゃんさんじょーなのだー」
「ケモ~、ケモ~」
手遅れだった。
竜が回転ーー空回り(?)しながら落ちてくる。
みーの透き通った声が響き渡った瞬間、竜の民の輝く笑顔の真っ只中に炎の気配が満ちる。
「何だぜ! みー様!?」
「いらっしゃるのかい!?」
近所迷惑な大歓声。
逆に冷静になってしまった僕は、状況を分析。
仔竜なので通常の竜に比べれば小さいが、それでもあのまま落ちてくれば周囲に被害を与えてしまう。
直前で「人化」してくれるとは思うが、みーの信頼度はラカールラカ以下なので、ケモにお願いする。
「ケモ! みーに『人化』してから降下するように伝えて!」
「ケモ? ケモ~!」
ケモの必死な掛け声は、みーに届いたようで、商店街の光の領域に入る前に「人化」。
「わーう、みーちゃんばくぅだんっっ……」
そして。
そのまま頭から、もとい角から落っこちた。
「ケ…ケモ……」
ーー静かだった。
幸い、爆発はしなかった。
爆弾、ではなく、爆誕と言うつもりだったのだろう。
みーの二本の角が石畳にめり込んでいる。
痛みなのか驚きなのか、或いは両方なのか、目を真ん丸にしたまま、みーは逆立ち状態で動かなかった。
「暗闇から光の中に突っ込んできたので、目測を誤ったのだろう」
「ケモっ、ケモっ」
みーに近寄って、仔炎竜を心配するケモ。
心配しているのは勿論、ケモだけではなく、店主たちや通行人がワラワラと遣って来る。
勢いよく落ちたので、さすがに竜でも痛かったのか、みーの顔がクシャっとなる。
「やうやうやうやうやうっ、みーちゃ……」
「お菓子を二つ、みーに食べてもらう。ケモ、革袋から残りのお金を取ってもらえるかな」
「ケモ!」
みーと竜の民が騒ぎ出す、というか収拾が付かなくなる前に、こちらから誘導する。
人間の手よりも細く、丸まった手。
指を器用に使って紐を解くと、ケモは革袋を逆さにして残りの銅貨を取り出した。
最後の、お金。
僕とケモの、三個目のお菓子の分だったが、みーに譲らないといけない。
周囲から憐憫の目を向けられたので、言い訳をしておく。
「このあと、報酬を受け取る予定なので、そんな目で貧乏冒険者を見ないで欲しい」
「……みーちゃん、りゆーもなくおかしっこしたらだめなのだー。こーとやくそくしたんだぞー」
「ケモ~、ケモ?」
銅貨を店主たちに渡そうとして、固まってしまうケモ。
ケモが振り返って僕を見ると、みーだけでなく、竜の民の視線も僕に集まってくる。
事ここに至ったのであれば、仕方がない。
他の店主たちも捜査に巻き込んでしまおう。
「みー。今、僕とケモは、粗悪品の砂糖について調べている。だから、お菓子を食べてもらって、竜の舌で味見をして欲しい」
「ケモっ、ケモっ」
「ほーう、よくわからないけどよくわかったのだー。りゅーのおくちはだいかんげー?」
竜にも角にも、納得してくれたらしいみーだが。
体を左右に振っても石畳にめり込んだ角は抜けなかった。
僕は、みーに近付かないほうがいいだろう。
がたいがいい店主が居たので、頼もうかと思ったら。
「……ケモっ!」
ケモがみーの背中を押したーーというか、突き飛ばした。
勿論、態とではなく、勇気を出して実行した結果。
僕以外で、誰かに触れるのは初めてだったので、弱気を吹き飛ばす勢いが必要だったのだろう。
「けもけも、もけもけーなのだー」
器用に体を捻って、みーは危な気なく足から着地。
みーと子供が戯れている。
そんな風に見えているようで、竜の民の眼差しに険しいものは見当たらない。
「さぁ~、みー様 うちの自慢の一品! 食ってくれだぜ!」
「待ちねぇ! この砂糖が粗悪品の可能性があるってなら、みー様には食べさせるわけにはいかないねぇ」
「ケモ、ケモ」
「竜には毒が効かない、らしいから、毒見役には最適、かもしれない」
そのまま説明すると問題があるので、ケモの言葉を薄めて伝える。
とはいえ、それだけでは決定打にならないので、ケモにお願いする。
僕の想いがケモに伝わって。
ケモはみーに伝えて(?)くれる。
「ケモ、ケモ、ケモノ」
「りゅーのおなかはじゅんびかんりゅー。みーちゃん、たべちゃだめなのだー?」
しょぼん、となるみー。
竜の民には効果覿面だった。
「竜のぽんぽんは強いぽんぽんよ! みー様のぽんぽんはお菓子を求めていらっしゃるわ!!」
「危険は……ないらしいし、食べていただこうじゃないか! みー様に哀し気な顔なんて似合わない!」
「くぅ~、みー様の哀しい気持ちが伝わりて、我の魂まで罅割れようぞ!」
少しおかしな発言が交じっていたので見てみると、遊牧民の恰好をしている者が居た。
喉元に居るということは、竜地の風竜に帰る途中で立ち寄ったのだろう。
「みーちゃん、たべたべしてもいーのだー?」
おねだ竜。
学習したのか、以前より上手くなっていた。
いや、上手くなっている、というより、より真剣度が増した、と言うべきか。
この仔炎竜の上目遣いに耐えられるのは、竜の国広しといえどもマホマールくらいだろう。
当然、二人の店主は獣より速く陥落した。
「食って! 食ってくれだぜっ、みー様!!」
「わ、わしはもうっ、みー様の笑顔が見たくて我慢出来んさね! おあがんなせぇ!」
「まーう、いただきますーなのだー」
みーが喉元に居るとの、噂が口伝えに広まったのか、後から後から人が遣って来る。
警戒心がまったく見受けられない。
ここまで竜を受け容れてしまっている竜の民の姿に、危機感に似た、よくわからない感情が溢れてくる。
みーがお菓子を頬張って笑顔になると、まるで気温が上がったかのように雰囲気が柔らかくなった。
「おいしーけどー、なんかいつもとちがうんだぞー?」
クンクンと、「におい」を嗅いでから、みーは最後の欠片を口に抛り込んだ。
「くっ、やっぱりか、だぜ!」
「喉元の商店街の、沽券に係わることだからねぇ。調べる必要があるさね」
「くーう、くんくんっ、んくんくっ、どっちなのだーどっちなのだー?」
半ば覚悟が決まっていたとはいえ、竜の判定に怒りを募らせる店主たち。
そんな店主たちを他所に、「におい」を辿るみー。
「ケモケモっ、ケモケモっ」
ケモも何かを感じたのか、みーと一緒に鼻をヒクヒクさせる。
一獣と一竜の言行に、ざわついていた周囲の人々の注目が集まるとーー。
「だーう、りゅーのおはなとおめめはいっとーしょー!」
「ケモっ、ケモ!」
どうしてここに、リシェは居ないのだろう。
僕が遣らないといけないようだ。
みーのやる気を殺ぐのは本意ではないので、さっさと遣ってしまうことにした。
「竜のお鼻が感知した! 即座に道を空けられたし!!」
僕が通りの先に、大仰に手を振り下ろすと、ポカンとした顔の竜の民たち。
しかし、それは織り込み済み。
炎も華やぐ、やる気満々のみーを見て。
慌てた人々は「道を空ける」という、誘導しておいた行動を取ってくれる。
「粗悪品の砂糖を売り捌く、悪者発見! 言語道断にて、みー突、炎竜解放!!」
こういうのは、中途半端が一番よくない。
みーが通り抜けられるだけの空間が出来たので、聞こえるように大きな声でみーの突撃を告げる。
「ひのたまみーちゃん、はっしゃーなのだー!」
「ひぃっ!?」
炎を纏った仔炎竜が自身に向かってきていると、確信した男が悲鳴を上げた。
どうやら間違いないようだ。
悪者発見ーーという僕の言葉に、男だけが反応していた。
「ケモっ、ケモっ」
「そうだね。僕たちも行かないと」
ケモが手を繋いできたので、この一件の始末を付ける為に、人々の輪を抜ける。
みーが男を捕まえるのと、人々がみーを追って動き出したのは、同時だった。
みーなら大丈夫だろうが、商人然とした男は武器を忍ばせているかもしれない。
近付かないように、竜の民を制止しようとしたところでーー。
「……ケモ」
静かに。
透明が弾けた。
視界が捻じ曲がる。
「ケ…モ…」
ケモが見たもの。
振り返った僕は見ていなかったのに、一瞬で理解する。
ゆっくりと。
複数の、重なるような世界で。
音もなく倒れていくみー。
繰り返す。
凝縮し、何千、何万と重なって響き合う。
反復。
男を取り押さえたみー、と、暴れる男の肘が当たって倒れるみー。
心の底まで、魂の底まで。
仲間がーー。
「ケェエモォオーーっっ!!」
わからない。
怒りなのか、哀しみなのか、ただただ、純粋な衝動。
歯を剥き出しに、淀んだ両眼に、強過ぎる輝き。
今が夜で良かった。
人々は、ケモの力の一端しか見えていない。
「ケェェモォォーーっっ!!」
「は…ひ…」
逃げようとした男の、体だけでなく心を透明で縛り上げる。
……どうして僕は、こんなにも弱いのだろう。
情けなさで涙が出そうになるが、そんな悠長なことをしている暇はない。
僕に出来る、出来たことは。
「ケモっっ、ケェモっっ、ケ~モ~っっ!!」
自身ではどうにもならない。
苦し気に身を捩るケモ。
ケモから、痛いほど伝わってくる。
溢れ出した衝動を。
僕は、受け容れることしか出来ない。
「っ……」
声は出ない。
所詮は人の身。
ケモの魔力で染め上がる。
音すら弾け飛び、境目を失う。
壊れたことがわかる。
残り、わずか。
きっと、僕はもう、駄目なのだろう。
「……っ」
ーー不思議だ。
心にあるのは、恐怖ではなく、謝罪の気持ち。
透明に同化してしまえば。
ケモの一部になれる。
……哀しまないで欲しい。
僕はケモと、ずっと一緒に居る。
僕が居なくなっても。
シロップも、ギル様も。
ワーシュも、コルクスも、エルムスも、ホーエルも。
みんなみんな、一緒に居てくれる。
大丈夫。
ぜんぶ、もらっていくから。
ケモの哀しみも。
ケモの痛みも。
透明な輝きも。
ぜんぶ、置いていくから。
歩き出したケモの。
優しいケモの。
拾っていく未来の。
大丈夫、ケモーー……
ケモの横顔。
感覚はないけど、手は繋いだまま。
腰辺りに、破滅的な、全身が蝕まれるような衝撃。
体が、魂が、解けていくような感触。
ああ、そうか、これで……。
僕は……ケモと一緒になる……。
「ケェ……」
「ケモっっっ!!!」
「モ……?」
……声が、聞こえた。
みーの声だが、みーが発した言葉ではない。
「ーーケモ。みーは大丈夫だ。魔力を鎮めよ」
「……ケモ?」
魔力の残滓。
それだけで、周囲の人々は立っているのが、やっと。
良かった。
ケモの魔力の殆どは、僕が受け容れることが出来たようだ。
「見よ。手を、魂を繋ぎし、強く支えてくれた絆のことを」
「ケ…モ?」
僕がまだ、ケモの隣に居られることの理由はわからない。
ケモに心配を掛けてはいけない。
呼吸しているかどうかもわからない。
心臓の鼓動も感じられない。
それでも。
僕は笑顔で、ケモに有りっ丈の想いを伝える。
「……ケモ。僕は大丈夫だよ。それに、ケモも、大丈夫」
「……ケモ」
やっと、ケモの顔を見られた。
そう思って緩んだ途端に、百竜に叱責されてしまった。
「まったく、人というは。心配を掛けぬことが、正しいこととは限らぬ。辛いのなら、無理であるなら、紡ぎし者に、そのままを見せてやるが良い」
百竜は、酷い竜だ。
そんなことを言われてしまったら。
「ケモっ!?」
吊っていた糸が切れた人形のように、崩れ落ちる。
仰向けになったかと思ったが、違った。
座っている。
その理由は、胸の温かさ。
ケモが僕の胸に顔を埋めている。
ああ、駄目なのに。
「ありがとう、ケモ」
ケモの背中に手を。
初めて、僕のほうから触れた。
「お、おい、あれって……?」
「そういや、使い魔を使う冒険者がいるとか噂になってたな」
どうやらケモの外套に施された、ヴァレイスナの魔法は解けてしまったようだ。
ケモの正体に気付いた竜の民の、ざわめきが届く。
体は言うことを聞いてくれないが、言葉だけは口から出てくれる。
長くは持ちそうにないが、ケモを守るのは僕の役目だ。
しかし、それも百竜に出し抜かれる。
火付け役が、そのまま炎を薙ぎ払う。
「皆、みーは大丈夫だ。みーを心配してくれたこと、我からも感謝しよう」
男を引き摺ってきた百竜は、みーを彷彿とさせる、にんまり笑顔。
炎笑を向けられた竜の民は、瞬時に燃え上がった。
「いえいえいえいえっ、みー様の窮地に駆け付けるのは、竜の民として当然のことです!」
「ああっ、百竜様! 凛々し慈愛が鉄火てか過ぎるわ!?」
「我の魂は竜王様に捧ぐ! 永久の忠誠っ、お受け取り下され!!」
更なる近所迷惑が発生。
そして、遊牧民以外にも、おかしな手合いが増殖。
以前から思っていたことだが、竜と係わることで、良くも悪くも多少、人の道を踏み外してしまうものなのかもしれない。
百竜は炎を喰らうかのように、竜の民の熱気を制御。
竜の微笑みを振り撒くと、視線をケモに。
それから、引き摺ってきた男に炎眼を向けた。
「っ……」
「其方の魂に、突き刺さったであろう。みーが、友が傷付けられしことによる、怒りと、哀しみ。否、怒りでも哀しみでもなく、誰もが持ちよう、単純であるが故の、ーー純粋なものだ。あれを向けられ、何も感じぬようなら、其方を氷に引き渡そう」
本当に突き刺さったのは、百竜の言葉だったようだ。
炎を直視できなかった男は、百竜によって作られた自身の影を、苦悶と共に見下ろす。
「皆の者、騒がせた。騒動は仕舞にて、『結界』を……」
「ちょっと待つんだぜ!」
「百竜様! お待ちくだせぇ!」
喧騒を他所に、胸が一杯のケモ。
意識が薄れていくのを感じながら、ケモに届くようにと。
僕が見ているものを、精一杯に伝える。
振り返ったケモはーー。
「ケモ……、ケモ!?」
「持ってけ泥棒! また寄ってくんな!」
「次はちゃんとした砂糖で作るからねぇ!」
若店主と老店主が抛ったお菓子を、おっかなびっくり受け留めて。
「……ケモ~」
「っ……」
「……っ」
ケモの笑顔に。
店主たちが衝撃を受けたところで、見届けた百竜が「結界」をーー。
「……ぬ」
「……ケモ」
「結界」が張られたので、もう外の声は届かない。
僕と同様に、ケモも呆れていたので、はっきりと言葉にすることにした。
「みーより下手くそ」
「……皮肉を言うでない」
「皮肉ではなく、ただの事実」
「ケモ、ケモ」
「ぅぐ……」
目測を誤ったのか、百竜は「結界」で店主を含めた五人を、弾き飛ばしてしまった。
幸い、怪我はないようだ。
それどころか、炎竜から祝福を享けたかのように、皆の顔には笑顔が。
「主のような意地悪だと、その内、おかしな二つ名でも付こう。ーー眠っておれ」
主ーーリシェと似ていることが、百竜の内側でどのような変化があったのか。
竜が近付いてきて、僕の額を人差し指で押した。
「嬉しいけど、今、それは困る」
体に力は入らない。
後ろは石畳。
人間は転んで死ぬこともある。
後頭部を強打することを覚悟すると。
ケモが僕の胸から離れて。
「ケモっ!」
頭の後ろに、優しい感触。
ケモにお礼を言いたいけど、それより早く意識が遠退いていく。
「ケ~モ~っ」
「うっ……」
笑いが込み上げそうになるが、我慢我慢。
ケモに責められて、タジタジの炎竜を見ながら、僕は意識を手放したのだった。
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手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
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