めぐる風の星唄

風結

文字の大きさ
7 / 49
炎の凪唄

絶雄の娘

しおりを挟む
 先程は、見ているようで、見ていなかったのかもしれない。
 白髪に隠れるように、渇いた質感の、白磁の角が二本、額の上から生えていた。
 竜人マーニュほど、り出していないあぎとには、石すら噛み砕きそうな鋭い牙。
 手の甲や首など、露出した箇所に、鱗が見える。
 竜種の威厳に、息苦しさを覚え、絶雄から一旦、視線を剥ぐ。
 部屋の右奥には、奥へと続く扉。
 その横に、無造作に長剣が立て掛けられていた。
 ーー甘い、匂い。
 宝剣に奪われそうになった視線を、絶雄に戻した。
 香水の匂い。
 兎人メソルチーナの、ネーラが使っていた香水に似た匂いだが、こちらのほうが高級品のようだ。
 偏見かもしれないが、絶雄が体臭を気にするとは思えない。
「さて、ハビヒよ。そろそろ話してくれないか」
 俺はまだ、半信半疑なのだが、絶雄は、アルが「魔雄ハビヒ・ツブルク」であることを確信しているようだ。
 あの、おかしな奇声ーー笑い声が決め手になったようだが、わけがわからない。
 まさか、普段から、あんな風に笑っていたわけではないだろう。
「カステルとラクンさん。二人とも、わからないことがあるでしょうから、『ラクル・アル・ファリア』と『ハビヒ・ツブルク』について、話していきましょう」
 アルが、俺を見る。
 何が目的かはわからないが、絶雄よりも多く、俺の理解のために時間をいてくれるようだ。
「十八年と、ちょっと前。僕は、『ラクル・アル・ファリア』として、生を享けました。ファリア家に、子爵家に生まれた、アル。アルについて、特に語ることはありません。そこそこに優秀な、明るい子供でした。野心家の父は、陰謀に巻き込まれ、母を道連れに処刑されました。訃報を聞いた、その日の夜。突如、『ハビヒ・ツブルク』の記憶が入り込んできたのです」
「記憶ーーと言ったが、そんな生易しものではないだろう? それだけで、わしが知っているハビヒにはならん」
 絶雄の言う通りだ。
 記憶を得ただけで、魔雄になれるはずがない。
 「魔雄」と同等の、魔力量と才能を「アル」がそなえていないと、宝の持ち腐れになる。
「ええ、カステルの推測の通りです。あの日の夜、『アル』は、『ハビヒ・ツブルク』として、生を享けました。『アル』の記憶は持たないまま、千と三年前に、魔王を倒す二十三年前に、生まれ落ちたのです。そうして、『ハビヒ・ツブルク』として、百十三年の生を全うすることになります」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、アル。今、頭の中を整理するから……」
「はい。どうぞ、ごゆっくり」
 楽しんでいる、アル。
 あえて、わかり易いように説明しなかったのかもしれない。
 一旦、頭を空っぽにし、情報を整理する。
 ーーつまり、十歳のアルは、そこから千と三年前の過去に遡り、魔雄としての人生を歩んだ。
 有り得ない、という考えは捨てる。
 実際に、起こり得ないことが起こっているのなら、常識は邪魔になる。
 アルは、記憶、と言った。
 過去に、戻ったのではないのかもしれない。
 明晰夢なのか、現実感を伴った幻なのか、十歳のときに体験したのだろう。
 過去か現在か。
 それは、そこまで重要ではない気がする。
 すでに起こってしまったのだから。
 本当の問題は、別にある。
「『ハビヒ・ツブルク』として天寿を全うしたあと、今度は、『ハビヒ・ツブルク』の記憶を持ったまま、あの日の夜の、十歳の『アル』として、そこにいました。本当に、一瞬の出来事でした。『アル』として十年。そこから『ハビヒ・ツブルク』として百十三年。僕は、『アル』であるはずなのに、『ハビヒ・ツブルク』の人生のほうが濃厚だったので、『ハビヒ・ツブルク』が『アル』として生まれ変わったような気がしています」
 十年と、百十三年。
 優秀な、明るい少年と、英雄として生きた、魔雄。
 『アル』という少年は、『ハビヒ・ツブルク』に塗り潰されてしまったのかもしれない。
 ーー『アル』の記憶を持った、『ハビヒ・ツブルク』。
 それが、正解に一番近いのかもしれない。
「アルでもわからないことは、俺にもわからない。ーー問題なのは。その夢か現実なのか判然としないものを経験したあと、アルは、魔雄の魔力と才能を受け継ぐ、というより、享け継ぐ、のほうが良いか? アルにはなかった力を、手に入れたということだな」
「そう、問題は、そこです。そして、この事と関連しているかもしれない事柄を、カステルにてた、もう一通の手紙に、懸念として記しておきました」
「ぐぅ……」
「そのことは、あとで追及するとして、ハビヒ・ツブルクのことを語りましょう」
 竜種の生殺しならぬ竜種が生殺し。
 ーーあくどさが青天井。
 魔王を倒すために、世界を味方につけた、魔雄の手練手管が垣間見える。
「後年、四英雄は、それぞれに誤解やら曲解やらを、ふんだんにされてきました。さて、ラクンさん。魔雄について、知っていることを教えてください」
 まさか、魔雄本人(?)から、そんなことを聞かれることになるとは、夢にも思っていなかった。
人種アオスタの、守護神。大聖人。魔法の番人。アオスタの誇り。アオスタの良心。魔雄ハビヒ・ツブルクが、四英雄の一人だったお陰で、獣種からの迫害はなくなった。魔雄の活躍で、弱小種という汚名を撥ねつけ、地位を確立することができた。ーー他にも幾らでも、伝説となった英雄への賛辞が尽きないことは、言をたない」
「そうなるとは思っていましたが、随分と脚色されたものです」
 アルは、カステルを一瞥する。
 事実を知っていたはずの絶雄は、これらの賛辞を、魔雄への崇拝を放置した。
「アオスタの、希望となっていたのだ。それを奪うなど、できるものか。彼らには、立ち直ってもらう必要があった。古代期の混乱を、再び現出させるようなことは、防がねばならなかった」
 仲間としての、王としての、決断。
 様々な葛藤があったことだろう。
「というわけで、ラクンさんには。人種の代表として事実を知ってもらい、ぶった切られてもらおうと思います」
「やめてくれ」
 俺は、素直な気持ちを吐露とろした。
「はい。ラクンさんから了承を得られましたので、始めるとしましょう」
「今は、ラクン、と呼んでおこうか。ーーラクンよ。これからハビヒが語るのは、過去のこと。過ぎ去った出来事だ。お主は、感受性が豊かなようだから、必要以上に重く受け止めるな」
 やはり、ノウ、というファミリーネームでバレていたようだ。
 だが、今は、そんなことはどうでも良い。
 絶雄の言葉を、一字一句、胸に刻み込む。
「戦災孤児だったのか、親に売られたのか。記憶からも、資料からも、辿ることはできません。僕は、三歳くらいのときに、『箱』に投げ入れられました」
「ーー『箱』?」
「僕は、そう呼んでいました。正確には、そんな心象イメージを持っていました。森の中、四方を壁で囲まれていました。百と四歩、百と七歩、九十八歩、百と一歩だったので、だいたい正方形ですね。『箱』には、三十人くらいの、僕と同い年くらいの、アオスタの子供が入れられていました。二日に一回、二人の子供が連れて行かれ、不定期に、減った分の子供が補充されました。これは目安で、変動するときもありました」
 明らかに、おかしな状況。
 碌でもないと、予見できてしまう。
 俺は、アルが語るのを、本気で止めなかった。
 最後まで耳を塞がないのが、最低限の礼儀だ。
「餌は、与えられませんでした。死ぬ前に、或いは死にそうな子供は、優先的に連れて行かれたので、必要なかったのでしょうね。連れて行かれたら不味いーーと、僕は、本能的に悟りました。生きるために、連れて行かれないために、すべてのことをやりました。味覚がおかしくなったのも、これが原因でしょうね。栄養が偏っていたでしょうから、それもあるでしょうが。ーー僕は、嘘が嫌いですので、隠さずに、はっきりとは言いません。『箱』の中にあったものは、すべて、食べ物の、候補でした。土、植物、虫、それからーー」
 嘘は言わない、が、すべてを言わない。
 嘘吐きな、アルが選んだ、手段。
 「箱」の中にあったもの。
 生きるのに、最も理に適った、食糧源。
 俺は、全身に入りそうになった力を、精神力を総動員し、緩めた。
「ただ、生きるだけに、汲々とした時間も過ぎて、到頭、大人にしまうことになります。大人は、いつも昼にやってくるのに、その日は、例外的に、夜でした。ーーやってきた彼らは、おかしなことに気づきます。松明たいまつの明かりの先に、有り得ない子供がいたからです。彼らは、目を疑ったことでしょう。そこには、大き過ぎる、子供がいたのです。『箱』に入れられてから、五年ほど経っていたでしょうから、僕は、八歳くらいになっていたのです」
 想像もできない。
 何かを、言うこともできない。
 俺では、圧倒的に足りない。
 アルに届く言葉を、俺は、持っていない。
「僕は、連れて行かれました。恐怖もありましたが、やっと終わってくれると、安堵もありました。ーーもしかしたら、ラクンさんは、『箱』に子供を入れていたのは、獣種かと思っているかもしれませんが、違います。僕たちを連れて行った、大人も、その先にいた者たちも、アオスタでした」
 獣種の可能性。
 それは、考慮していなかった。
 獣種は、人種を奴隷にすることはあるが、それだけだ。
 獣としての本能なのか、人種のような、弄ぶようなことは、ほとんどない。
「僕たちは、奴隷以下でした。奴隷は、働き、その対価として、食事を与えられます。僕たちは、働かず、食事も与えられませんでした。連れて行かれた先で、やっと、氷解ひょうかいしました。僕たちは、餌、だったのです。言葉通りの、餌。魔獣の、餌でした。ーーおのれの強さのみを頼りとする傾向のある獣種と異なり、人種は、自分より強い者を服従させたり、檻に閉じ込めて観賞したりといったことを行います」
 悪癖ーーという言葉で片づけられない、人種の行い。
 恐らくは、人種の弱さが、根源にある。
 ーー人種の代表。
 そんなことを、アルが言うから。
 無意識に、背中が丸まってしまった。
 しかし、膝に手を突き、視線だけはアルに固定する。
「檻の中に、入れられました。魔獣が、いました。『箱』の中で、生き抜いていた、僕。そんな珍種に、檻の外のアオスタは、盛り上がっていました。ーーこのときの、僕の気持ちを、正確に言い表すのは、難しい。透明なーー何かでした。目に映るものが、理解できませんでした。哀しかったのかもしれません。もしかしたら、怒りのようなものも、あったのかもしれません。……ただ、消えてしまえば良いと、思いました。何もなくなってしまうのが、一番良いことなのだと、僕は、目を閉じました。ーーというわけで、三人みなとの出逢いまでを、カステル、お願いします」
「わしら三人は、その頃、冒険者として活動していた。魔法か、兵器か。アオスタが、獣種を倒すべく、何かを開発している疑惑があると、調べてくるのが依頼だった。ーーくだんの、その街に到着したときだった。全力で防いだ。わしらが全力でやらねばならぬほどの、魔法ーーというよりは、魔力を用いた、何らかの現象だった。始めは、アオスタが開発した兵器かと思ったが、何もなくなってしまった、塩のような乾いた大地にいたのは、一人のアオスタの子供だった」
「後に知ったことですが、その街には、一万人ほどの、人種がいたそうです。全員、僕が殺しました。さて、大虐殺ですが、あとで世界を救ったので、許してもらえるでしょうか。ーーそこら辺は、個人の判断に任せます。さてさて、そんな魔力暴走の中心にいたので、僕は、ぼろぼろでした。発現した魔力に、無理やり生かされている状況でした。そこで、三人みんなと出逢わなければ、遠くない内に、僕も消えてしまっていたでしょう」
「恥ずかしいことにな、二対一だった。後顧の憂いをなくそうとする、わしと、子供を助けようとする、ヌーテとサッソ。何かあったときは、多数決で決めていたから、わしも渋々と二人に従った。ーー何故か、ハビヒは、わしになついたので、二人の嫉妬が痛かった」
 爆雄と剣雄の嫉妬だけに、物理的にも痛かったのかもしれない。
「三人でも、僕を元通りにするには、時間が掛かりました。そこで、先程の、カステルがハビヒぼくであると、確信した、笑い声です。どうです、カステル? 結構、上手かったでしょう」
「まあな。現実には、もっとかすれていたが、そこまで再現するのは無理だろう。喉が、体の内までやられていたからな。どんな笑い声とて、笑えるようになるまで体が、何より、心が回復してくれたと、わしらは嬉しかった。ハビヒが回復したあと、どこかのアオスタの、まともな居住地にでも託そうかと思ったのだが、またもや二対一だった。ハビヒを気に入った、ヌーテとサッソが、何より魔法の才能を惜しんだヌーテが、強硬に反対した」
「ヌーテの判断は、間違っていませんでした。いえ、間違っていたなどと、そんなことをさせるわけにはいきません。魔王を倒すには、四人、必要でした。誰か一人、欠けていても、魔王は倒せませんでした」
「わしらは、英雄になんぞ、なりたくはなかった。人知れず、四人で魔王を倒す算段だった。だが、魔王を倒すには、四人が万全の態勢で臨む必要があった。英雄に、ならざるを得なかった。ーーそこからは、ハビヒの独壇場だ。一年と経たず、世界を熱狂の渦に巻き込んだ」
「ーー魔王は、本当にいたのか?」
 二人が、俺を見る。
 仕舞った。
 絶雄と魔雄に、最前線に立った者に、どれだけ阿呆なことを聞いているのだろう。
 これだけだと、ただの間抜けなので、気になったことを、慌てて言葉を継ぐ。
「魔王は、四英雄全員と、同じくらい強かったんだろう? そんな奴が倒されるんだから、もしかして、魔王は、有り得ないくらいのーーお馬鹿さんだったのか?」
「ぶふっ、が…はっはっはっ、くひっ、がっかっかっかっ、そうくるか! 魔王は、お馬鹿さんか! 正にっ、言い得て妙! 後世に、これほどの罵倒を受けようとは、魔王とて想像だにせぬだろう!」
 ツボだったのか、抱腹絶倒という言葉の、格好の見本となる絶雄。
 絶雄が大ダメージを受けて役立たずになったので、軽傷のーー失笑しただけの魔雄を見る。
「ラクンさんの、言う通りですね。僕が魔王だったら、世界なんて簡単に、ぺちょん、で一巻の終わりです。ーーそうですね。ラクンさんは、家畜と会話しようと思いますか?」
「それは……、言葉を掛ける、くらいのことはするかもしれないが」
「ええ、そうでしょう。普通は、会話しようとは思わないものです。相手から言葉が返ってくるなど、思いもしないでしょうから。ーー魔王も、そうだったのだと思います。魔王は、僕たちを、対等な相手とは見做していないようでした。会話に応じてくれなかったので、魔王の目的もわかりません。僕たちに倒されるまで、ずっと、支配領域の奥にいてくれました。僕たちからすれば、賭けでした。魔王が居場所を変えるだけで、僕たちは、その分、消耗してしまい、魔王を倒せなかったのですから」
「それは、もう、四英雄に倒してもらいたいがために、あえてそこにいたという水準レベルだな」
「そう見えますが、そうではなかったようです。途中から、魔王には、焦りが見えましたから。敗色が濃厚となってからは、死に物狂いでしたね。あれらの行動からしても、自身が倒されるのは、意想外だったようです」
 床に転がっていた絶雄が長椅子に戻るのを待ってから、アルは、言葉を継ぐ。
「史上稀に見る、ラクンさんのボケで、話が逸れてしまいましたが。今少し、誤解がないように、僕のことを語っておかないといけません」
 人の素朴な疑問を、よくも悪し様に言ってくれるものだ。
 俺の疑問は、特別なものではない。
 魔王不在説は、後世、幾らでも唱えられてきた。
 それを四英雄に、面と向かって言った、初めての人物きわめつけのおばかさんかもしれないというだけだ。
「話した通りで、僕は、まともな生育環境にありませんでした。ーー言葉は多く用いません。僕を傷つけたのは、人種で、救ってくれたのは、獣種さんにんでした。僕は、アオスタが嫌いになりました。反面、三人みんなは、僕のすべてでした。僕自身よりも、大切でした。晩年になって、アオスタとも交流を持ちましたが、今も、アオスタが汚らわしい存在に見えています。たぶん、アルとしての人生を全うすれば、嫌いではなくなるくらいには、なってくれると思います」
 人種だから、人種を嫌わない。
 そんな保証など、どこにもないというのに。
 アルの言葉を聞くまで、まったく考慮に入れていなかった。
 獣種と、人種。
 その垣根は、思っている以上に、低いのだ。
 俺は、それを知っている、はずだったのに。
「その内、僕のことを、もっと話すことがあるかもしれませんが、今はここまでに。次は、三人のことを話すのですが、その前にーー。カステル、紹介してください」
 アルは、扉に視線を向ける。
「ハビヒなら、気づいて当然か。扉の向こうで、わしらの話を盗み聞きしながら、魔力が揺らいでいたからな」
 先程、見たときには気づけなかったが、扉が少し開いていた。
 ーー甘い匂い、と。
 思い至った、直後に、二人の獣種が部屋に駆け込んでくる。
 人猫セドゥヌム犬人ウンターのーー女だ。
「ハビヒ様!」
 犬人が、アルの左腕にーー俺が座っている反対側の腕に飛びつくと、少し遅れ、人猫が右腕を、ぎゅっと、もう放さないとばかりに、力強く胸に抱え込む。
 まともに考えられたのは、ここまでだった。
「ーーぃっ!?」
 胸が、焼かれた。
 そう思えるほどの、衝動。
 おかしたいと、欲望をぶちまけないと、おかしくなってしまう。
 抑制の利かない、これほどまでに激しい欲情は、初めてだ。
 もう、駄目だ。
 人猫の尻尾が、俺の手に触れた瞬間、弾けさせた。
「がぁっ!!」
 歯が折れるかもしれない。
 それでも、構わずに自分の頬を、何度も、何度でも、両手でぶっ叩く。
 それから足をぶん殴り、動かし、右にあった、一人掛けソファに体を投げ出す。
「それ、ボルネア、オルタンス。駄々洩れになっているぞ、引っ込めんか」
「おいた、をしたので、おしおき、が必要ですね」
 羨ましい。
 未だ衝動はなくならないので、本音が駄々洩れになってしまう。
「ぅにゃ~っ!?」
「ぅわぁん!?」
 尻尾を、ぐにっ、とつかまれ、二人は、鳴き声を上げる。
 獣種は、突発的な出来事だったり、困ったり弱ったりしたときに、古き名残の、獣の性質を表すことがある。
 と、思ったのも、ここまで。
 尻尾を愛でられた所為で、より濃厚な何かが二人から溢れたようで、俺は足を踏み鳴らし、体を左右にガタガタさせながら耐え抜く。
「このっ、アルっ、馬鹿っ、アホっ、ツヴィングリの鍋に飛び込んでこい!!」
「実は、魔雄としての魔力は戻ったのに、味覚は、アルのままなんです。色んな料理を味わえるようになった反面、煮込みツヴィングリを食べられなくなってしまいました」
「それは、良いことではないのか?」
「そこは、難しいですね。何を食べても、ツヴィングリほど美味しくはありません。ただ、三人と一緒に食べられないのなら、ツヴィングリも、そこまで美味しくないのかもしれませんが」
 平然と会話している、絶雄と魔雄。
 アルに叱られたのが効いたのか、或いは、アルに可愛がられ、出し尽くしたのか、俺の内側が、暴れ回っていた衝動が、体に溜まっていた熱が抜けていく。
「アオスタでも、かなりのものだっただろうに、よく我慢したな」
「……ということは、獣種だと、もっと酷いのか? ……あ、いや、……ですか?」
「ハビヒの共連れなら、敬語などいらん。公式な場所なら、言葉に気をつけんと、わし以外の者に殺されるかもしれんがな」
 絶雄が気さくな人柄だったので、気が緩んでいた。
 本来なら、近づくことはおろか、獣国に入ることさえできない。
 今から敬語を使えば、絶雄は、幻滅するだろう。
 そうじゃない。
 俺は、絶雄が感情を害すほどの、相手ではない。
 取るに足らない、一人の、人種の男。
 俺など、泣けてくるほどに、場違いな存在なのだ。
「ハビヒとは、逆だな。赤子の頃から、症状を呈していた。わしが引き取って、娘とした。ボルネア・グランデとオルタンス・グランデ。わし以外の獣種が苦手になったのは、仕方がないことだが。……話している、わしが、楽し気に、嬉しそうに見えたのか、思い出の中の人種ハビヒに、二人は恋してしもうた」
「もう大丈夫ですわ、ハビヒ様! あたしたちが、ずっとおそばにいます!」
「心配いらない! ずっと一緒にいる!」
 やわらかい喋りが人猫ボルネアで、ぶっきらぼうなほうが、犬人オルタンス
 ーー純白の、毛並みの美しい、ボルネア。
 金瞳が妖しさを醸す、美貌の猫種。
 人猫なので、猫人ジッテンよりも、顔立ちが人種に近い。
 オルタンスより背が低いが、より女らしい体つき。
 さすがは、魔雄と呼ばれた男。
 大きな胸を押しつけられているのに、表情一つ、変わっていない。
 ーー茶色と白のまだらの、精悍さを併せ持った、犬種の美人。
 中性的な魅力もある。
 黒瞳には、確固たる決意が漲っている。
 人犬カレンよりも犬寄りの犬人はーー獣人ニヨンは、見慣れていない人種からすると、違和感を生じることがあるが、彼女には、それを感じない。
 オルタンスは、人犬に近い犬人のようだ。
 見た目からでは、人獣シオンと獣人を見分けられないことがある。
 俺の、育ての親とも言える兎人メソルチーナーーネーラから聞いたところによると、骨格や、体の作りが異なっているらしい。
「絶雄様。……嬉しそうだな」
 満面の笑みを浮かべている。
 通常なら、目の前で、二人の愛娘が男にうつつを抜かしているのだから、心の内は煮え滾っていても不思議はない。
 二人の娘と同様に、絶雄からすれば、ハビヒも息子のようなものなのだろう。
 また、それだけではなく。
 絶雄に、娘がいるなどと、聞いたことはない。
 恐らくは、それにまつわる何かが、解消されたからこその笑みなのだろう。
「ははっ、嬉しいに決まっている。心配事の一つが、いいや、二つか? 消えたのだからな。二人には、魔法と、魔力操作を仕込みはしたが、完全に症状を抑え込むには至らなかった。ハビヒなら、二人に適切な対処を教え込むことができるし、何よりーー。これで二人は嫁に行けて、幸せになれる」
「お父様!」
「父上!」
 涙ぐむ、三人。
 感動的な場面なのかもしれないが、俺の心は真っ白だった。
 俺は、邪魔者。
 二人から、そんな気配が、ぷんぷんと漂ってきていた。
 敵というか、嫌悪というか、彼女たちから、尖ったものが向けられている。
 表向き、俺は、存在しないものとして扱われている。
「あとは、アルが、ミュスタイアの王位を継げば、絶雄様は、万々歳だな」
 絶賛除け者中なので、嫌味を言うくらいは許してほしい。
「そうですわ! 戴冠式と併せて、結婚式も行ってしまいましょう!」
「決まった! すぐ決行しよう!」
 見兼ねた絶雄は、左右の人差し指で、空気を弾く。
 それだけで、ボルネアとオルタンスの顔に、突風が吹きつける。
「みゃっ?」
「をんっ?」
 溜め息を吐いた絶雄は、アルのことを俺よりも理解している王様は、残念そうに長椅子に凭れ掛かる。
「そうなってくれたなら、どれだけ良いものか。ハビヒは、わしの頼みを断らない。だから、わしの後を継いでミュスタイアの王になってくれ、などとは口が裂けても言えん」
 などと言いつつ、しっかりと願望を口にする王様。
 無理だとわかっていても、言わずにはいられなかったのだろう。
 そんな、一縷の望みを、絶雄ちちおやの頼みを、魔雄むすこは一刀両断にする。
「これから僕は、ラクンさんと一緒に、『魔雄の遺産』がある場所に向かいます。二人はーーボルネアとオルタンスは、僕たちについてきますか?」
 二人の悪意しっとが、突き刺さるどころか、貫通する。
 ーーそのまま帰ってくるな。
 見送ったが、無駄だった。
 量産体制が整い、尽きることのない悪感情が、俺をめった刺しにする。
「ーーボルネア、オルタンス。心して聞くように。わしらはな、強すぎるのだ。通常の獣種とも、人種とも異なる。規格外なのだ。わしらは、存在しているだけで、周囲に、様々に影響を及ぼしてしまう。それは、子種とて、同じ。子を生せないだけなら、まだ増しで、下手すれば、相手は、耐え切れずに死んでしまう」
「ということは、絶雄と魔雄の相手は、爆雄と剣雄しかいなかったというわけか?」
 この場面で茶々を入れられるのは俺だけだったので、しっかりと役目をこなす。
「っ! まさかまさかっ、ハビヒ様はっ、爆雄サッソ様と仲良しだったのかしら!?」
「っ! そんなそんなっ、父上から剣雄ヌーテ様を寝取っていたなんて!?」
「心配せずとも、僕は、童貞です。アルとしてだけでなく、ハビヒのときもです」
 限界まで膨らんだ風船から、空気が抜けるように大人しくなる二人。
 それから、要らない情報まで付け足してくれる。
「『千恋』との二つ名がある、カステルも、童貞継続年数世界一です」
 過去に、千三百年も生きた存在は伝えられていないから、確かに、世界一だろう。
 不名誉な称号と、思うかもしれないが、そうではない。
 ハビヒが言った、ーー「千恋」。
 剣雄に、生涯、貫き通した愛は、つとに有名である。
 幻想団がミュスタイアに公演に来た際に、必ず上演されるのが、絶雄と剣雄の、愛の物語である。
 大抵は、事実の通りに、悲恋として語られるのだが、そこはそれ、様々なバージョンがある。
 替え玉説から、実は、二人には子供がいた、などなど、多種多様だ。
「わしのことは、どうでも良い。もう一度、言うがな、ボルネアとオルタンスは、今のままでは駄目だ。ハビヒの愛を欲するのなら、ハビヒの許で、これまで以上に研鑽に励み、強くなるのだ。ーーハビヒの子を、産めるようにな」
「はいっ! お父様!」
「父上。しかと、心に刻んだ」
 これも家族の団欒なのだろう。
 どう反応したら良いかわからなかったので、俺は、騒ぎが一段落するまで、肌もごつごつとした暖炉の近くの壁さんと、愛を語らうことにした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

勇者辞めます

緑川
ファンタジー
俺勇者だけど、今日で辞めるわ。幼馴染から手紙も来たし、せっかくなんで懐かしの故郷に必ず帰省します。探さないでください。 追伸、路銀の仕送りは忘れずに。

クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双

四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。 「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。 教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。 友達もなく、未来への希望もない。 そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。 突如として芽生えた“成長システム”。 努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。 筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。 昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。 「なんであいつが……?」 「昨日まで笑いものだったはずだろ!」 周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。 陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。 だが、これはただのサクセスストーリーではない。 嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。 陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。 「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」 かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。 最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。 物語は、まだ始まったばかりだ。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...