めぐる風の星唄

風結

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炎の凪唄

ベルニナ・ユル・ビュジエ 9

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 こんなときだというのに、思い出してしまう。
 ーー美しい、透明いろ
 あの場で、炎が色づく、魔の極限で。
 炎がーー魔力が見えるようになったから、気づけた。
 穏やかで、澄んでいて、ーー狂おしいほどに、凪いでいた。
 言葉通りの、茫然自失なんて、生まれて初めて。
「駄目よ、駄目……」
 頭から、離れてくれない。
 四英雄の、壮大な、煌びやかな軍勢の行進に比べれば、取るに足らない、たった一人の男が、心に住み着いてこびりついてしまった。
 ーー急がなければいけないのに。
 諦めて、もう一度ーー。
「引き返せない。引き返さない。手に入れる。手に入れないなんて、有り得ない。邪魔はさせない。邪魔をするなんて、許せるはずがない」
 消えないのなら、覆い隠すことにした。
「大丈夫。あたしは、大丈夫。ーーと、またなのね」
 小さな落とし穴を回避する。
 手を突いて、四つ足で歩けばいい。
 ここまで、二つの落とし穴に、同時に嵌まっていない。
 格好さえ気にしなければ、問題ない。
「誰も追ってこないなんて、明らかにおかしいわね」
 今度は、床が割れる。
 大きな落とし穴だけれど。
 壁に触れて、軌道を変える必要はないみたいね。
 そのままでは、体を貫く、円錐。
「何で、こんなに、ぬるい罠なのかしら?」
 土なのか、鉄なのか、材質のわからない、尖った先端の手前に着地して、身を屈める。
 落ちないように、先端の部分をつかんで見回すと、落とし穴の突き当たりに、突起物がある。
「あそこから、登れってことね」
 這い上がって、進むと、今度は、壁から槍が飛び出してくる。
 でも、一本だけ。
 速度もないので、一歩踏み出して躱す。
 もう一本、飛び出してきたので、しゃがむ。
「…………」
 直線の、洞窟。
 一枚岩モノリスの、破砕された扉から中に入ってから、ずっと。
 前方には、真っ直ぐの道が果てなく続いていて、振り返れば、同じように、真っ直ぐの道。
「これは、引き返しても、ここから出られそうにないわね」
 一枚岩の大きさからして、最深部であってもおかしくないのに。
 果てが、ないかもしれない道が、ずっと続いている。
 ーー気がくけれど、ここで慌てては駄目よ。
 小さな石を拾って、投げる。
 小石は、真っ直ぐに飛んでいって、地面に落ちる。
「魔法の研究をしていたときに見たけれど、道は、本当に真っ直ぐのようね」
 直線のように見えて、実は、曲がっている。
 そんな魔法の記述があった。
 その場合、同じ場所をぐるぐると回っていることになるのだけれど。
「石は、真っ直ぐに飛んだし、道が曲がっていると、体の片方に負担が掛かる、とも書かれていたけれど、こんな距離ではわからないし」
 記憶を探っていると、もう一つ、浮かび上がってくる。
「物語で、力自慢の斧使いが、壁を打ち破っていたけれどーー」
 壁を軽く叩いてみて、あたしには無理だと諦める。
「侵入者を、罠で止めるつもりはないということかしら?」
 旅立った直後のあたしなら、これらの罠を回避できなかった。
 自分自身を乗り越えるとか、そういうこと?
「う~ん?」
 どうも、しっくりとこない。
 このまま進むのは、きっと、悪手。
 なら、この罠、延いては、魔雄ハビヒ・ツブルクについて考えるのが、良手というところかしら。
「ネーラさん……」
 ……今は、ふあふあな兎さんのことを思い出している場合ではなくて。
 必要なのは、アンリさんの言葉。
 彼は、魔雄について、こう述懐していた。
 ーー油断のならない人物。
 ーー一筋縄ではいかない、御方。
 ネーラさんは、魔雄を絶賛。
 アンリさんが、偉人だと言ったのも、間違いない。
 その上で、魔雄という人物は、かなり癖の強い人物であるような気がする。
 あたしは、周囲を見渡す。
 光源もないのに、何故か通路は、昼間のように明るい。
 ーー物語の中の、妖精のような、悪戯好きな印象。
「でも、不思議と、心の中で他人を笑っているーーなんて、そんな暗いものは、感じない」
 あたしは、前を見る。
 壁を見て、地面を見て、上部も見る。
 何もないので、振り返って、壁を、地面を、最後に上をーー。
「えー?」
 あたしの、一歩後ろ、その上部が、どこが出口だか示すかのように、正方形に刻まれていた。
 正方形を見上げながら、一歩下がると。
 いったいどうやっているのか見当もつかないけれど、正方形が、あたしを追い掛けるように、移動してくる。
「これが、魔雄ハビヒ・ツブルクーーということかしら」
 そう、入った瞬間に、すでに出口が用意されていた。
 ーー自分の背中は見ることができない。
 そんな風にも言われるけれど、何だか、がっくりときてしまった。
「魔雄の、してやったりの笑顔が、見えるようね」
 偽魔雄の魔法ーー「英雄たちの行進ヒロイックマーチャー」の南の門から出てきた、魔雄の顔を思い出そうとしてーー。
「……あたしの、馬鹿っ」
 浮かび掛けた魔雄の顔が、偽魔雄の顔にすり替わってしまう。
 ーー偽物、なのよね?
 あたしと同年代に見えた、あの男は、魔法使いには見えなかった。
 二枚目、という感じじゃないけれど、結構あたしの好み……。
「……そうね、今はーー」
 ーー恋愛。
 今のあたしからは、一番縁遠いことを考えてしまって、ーー心が冷えた。
 あたし自身の命が懸かっているというのに。
 浮ついてしまった、自分が、許せなくなってくる。
「ーーっ!」
 すべてを振り切るように駆け出して、落ちている槍を拾う。
 柄の真ん中に、ロープを結びつけて、見上げる。
 変わらず、あたしの一歩後ろに正方形があったので、石突きで叩いてみると、あなが開いた。
「ズレるとか、持ち上がるのではなくて、消えてしまうなんて、……さすが魔雄ね」
 魔法ーーなんでしょうけれど、もう、別の技術じゃないかと思えてくる。
 ーーでも、まだよ。
 ここは、通過点でしかない。
 あたしは、孔に向かって、槍を投げ入れる。
「上手くいったわね」
 ロープを引っ張って、体重をかけてみても、槍の柄は軋まない。
 九百年くらい、劣化していないのだから、魔法で強化されているのかもしれない。
「ふっ、ふっ、ふっ!」
 ーー半年間。
 体を鍛えておいて、良かった。
 活発だった、子供の頃ならまだしも、「ベルニナ」になろうとしていた、あたしなら、登ることは敵わなかった。
「……もう、訳が分からないわ」
 這い上がると、洞窟の中だった。
 通路は、瓜二つ。
 でも、違うことが二つある。
 一枚岩の入り口があった方向は、行き止まりになっていて、反対側から、ーー風が吹いてくる。
 まずは、状況確認!
 風の向こうには、光が蟠っている。
「一枚岩の、……上?」
 洞窟の中が明るかったから、一望することができた。
 陽光に照らされる、広大な岩肌。
「っ!」
 あたしの内側で、幾つもの情報が錯綜するけれど、まずは全力で目的の場所まで向かう。
 ーー邪魔を、しないの?
 一枚岩の上にある、巨大な、磨き上げられた、黒い石。
 山から見下ろしたときには、こんなものなかったのに。
 それに、一枚岩の入り口から、ずっと平らな道だったのに、こんな高所にいるなんて。
 でも、そんなものは後回し。
 魔雄の仕業と、切り捨てて、あたしよりも先に到着していた、三人を凝視する。
 彼らは、黒石には興味がないとばかりに、離れた場所にいる。
 人猫セドゥヌムと、人犬カレンーーいえ、犬人ウンターかしら。
 偽魔雄と一緒にいた、獣種二人が、背中合わせで座り込んでいる。
 肉体的な疲労というよりも、魔力不足による疲弊のように見える。
 ーーそして、もう一人。
 人種アオスタの、青年ーーだけれど。
 一枚岩の入り口では、偽魔雄の弟子みたいな感じで、お調子者のような軽薄さがあった。
「……っ!?」
 あたしは、青年を睨みつけることで、薙ぎ払った。
 ーー恐怖?
 違う。
 もっと、純然たるものに、あたしの心が悲鳴を上げた。
 青年の目は、あたしを見ていなかった。
 それだけじゃない。
 説明なんてできないけれど、そんな生易しいものじゃない。
 わからない。
 でも、はっきりとわかったことが、一つだけある。
 この青年を、敵に回すのだけは、絶対に、駄目。
「あなた、凄いわね。あの罠を抜けてきたのに、平然としているなんて」
「え……?」
 青年に気を取られて、人猫から話し掛けられたことに、気づくのが遅れた。
「えっと……、あたしのほうの罠は、子供の、お遊びみたいなものだったけれど」
 仕舞った!
 普通に話し掛けられたので、普通に返してしまった。
 あたしの言葉に、何故か凹んでいる、人猫と犬人の女性。
「……?」
 獣種二人は、起き上がる素振りを見せず、青年は、その場から動こうとしていない。
 ーーこの人たち、何なのかしら?
 一応、彼らを警戒しながら、黒石に視線を向ける。
「ーー古代期の、文字?」
 表面に刻まれた文字列は、文章ではなく、母音とーー、これは、暗号か何かなのかしら?
「魔法を学んだ期間は、どのくらいでしょうか?」
「あ、え……、ーー半年です」
「そうですか」
 ーーな、何?
 青年に質問されて、素直に答えてしまった。
 しかも、何故か敬語で。
 彼は、もう、あたしを見ていない。
 そして、さっきまでと同じように、完全に、人種あたしから興味を失っている。
「思っていたよりも、早かったですね」
 青年が、そう言った瞬間に、突如、洞窟の入り口ーーではなく、出口が出現する。
 たくさんの足音が聞こえてきて、ーーあたしは、歯を食い縛った。
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