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炎の凪唄
ベルニナ・ユル・ビュジエ 17
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「ラクンさん……」
じんわりと広がっていった、心地好くも、温かな熱がーー。
「っ!?」
ぼっ、と燃え上がった。
ラクンさんが、顔を逸らしたから。
ーーさっきまで、全然、大丈夫だったのに。
途端に、素っ裸の姿の自分が、破廉恥に思えてきてしまった。
あの青年が、大きな布を持ってきたことも、一因。
体を隠す手段があるのに、それを選択しなかったら、あたしの意思ということになってしまう。
「……っ」
いそいそと容器から出て、布を体に巻くとーー。
「お嬢っ!」
「え……?」
この声はーー?
聞き覚えのある声に、顔を上げると、果たして、父様の護衛の、巨漢の姿があった。
「ビアンカ?」
ーーどうして、ここに?
「まずは、確認のために、ビアンカさんに来てもらいました」
ビアンカに尋ねようとしたところで、青年が、中途半端に説明する。
ーーやっぱり、この、アルという青年は。
悪辣、というより、意地悪、のようね。
「おっ、ラクン、魔法使いを取り押さえたのか。まぁ、お前さんなら、当然ってとこだな」
裏表のない性格の、ビアンカが、にかっと笑う。
さすがは、元B級の冒険者。
ラクンさんの実力がわかるのね。
「ビアンカさん。力自慢のあなたに、お願いします。こちらの、倒れている女性を、ベルニナさんがいる容器に、入れてください」
「そういや、倒れてる……って、でかっ」
ーーそうね、彼女の、それは、驚くほど、大きいわ。
でも、気持ちはわかるけれど、そこは心に留めておいて欲しかった。
「……ビアンカ。そこは、素直な、お前の良いところだと、俺は思うが。そういうことは、なるべく、心の中だけに、留めておこうな」
たった、これだけのことで。
体が、心臓が、ーー不味い。
ーーラクンさんと、同じことを考えていた。
本当に、それだけのことなのに。
あたしは、不治の病に、罹かってしまったのかもしれない。
「あ、と…、う……?」
あたしの、倍くらいの年齢でありながら、純朴な、女性慣れしていない、ビアンカが、戸惑っていた。
「少しだけ、お待ちください。雑務は、僕に、お任せを」
逆に、こちらは、女性慣れしていそうな青年が、テキパキと、倒れた女性に、解けないように布を巻いていく。
ーーまさか、女とか、ないわよね?
中性的な顔立ち。
若い裸身の異性に、触れても、一切の、感情のブレがない。
あの青年が、もし、女だったら、恋敵にーー。
「ーーーー」
ーー死にたくなってしまった。
どこまで、あたしは、嫉妬深いのよ。
ボルネアとオルタンスの、想い人なのだからーー。
そうよね、あの青年が女なら、二人は、子供が産めないわけだし、彼は、恋敵ではなく、敵ね。
などと、妄想を逞しくしていたら、女性を抱えた、ビアンカが、階段を上がってくる。
「布を巻いたまま、入れても大丈夫ですよ」
それは、助かるけれど。
いまいち、あの青年は、信用が置けない。
「呼吸はできるから、ゆっくりと、足から入れてあげて」
ビアンカは巨漢なので、容器の縁に片足を乗せて、空間を作ってあげる。
「お嬢。旦那たちも来てるっす。これから、俺が、問題ないってことで、呼んでくる」
「あ……」
思い出した。
あのときは、別段、気にしていなかったけれど。
ーー明日は、ビュジエ伯に会いに行くわ!
人猫が、そう言っていた。
てっきり、護衛だけで来ているものだと、思っていたけれど。
ーー父様。
ーー母様。
結局、二人に、知られてしまった。
あたしを心配して。
来てくれたのは、嬉しいのにーー。
「ベルニナ」の内の、「あたし」が育んでしまった、凝りが、あたしを苦しめる。
「アルーーと言ったか。お主、何をするつもりなのだ?」
「イオアニス様。それは、これから起こることを、見ていただければ、わかります」
こんなときでも、青年は、胡散臭い微笑を浮かべながら、はぐらかす。
「アル。大丈夫、なのか?」
ラクンさんの、気遣うような、言葉に。
「問題ありません。装置は、すでに完成しているので、触れれば、装置のほうから、干渉してきます」
彼に対して、少しは、心を開いているのか、青年は、説明を加える。
とはいえ、それは、ラクンさんに対してのもので、あたしや獣種の二人には、ちんぷんかんぷんなものだった。
ーーイオアニスは、理解しているようね。
その上で、今は、静観しているようだった。
ラクンさんが抑え込んでいるから、何もできないはずだけれどーー。
「終わりました」
「ーーは?」
「一つ時ほどで、目を覚ますでしょう」
「え…と、ーービアンカ。彼女を、下で、寝かせてあげて」
「おう! 任されたっす!」
容器の中から、軽々と女性を持ち上げると、宝物のように大事に抱えて、危なげなく階段を下りていく。
それから、女性を横たえると、自分の上着を脱いで、床に敷いて、その上に彼女を寝かせた。
ーーそういえば。
あたしと同年代の使用人に、ビアンカに懸想している、娘がいた。
同じ年頃の使用人は少ないので、あたしのほうから声を掛けて、仲良くなった。
そこで、恋の相談をされてしまった。
母様は、……たぶん、大変なことになってしまうので、父様のほうから、ビアンカに話をしてもらうことにした。
父様は、面倒見も良いので、使用人の娘とも話してくれたようだった。
ーーでも、特に、進展はなかったのよね。
今度は、逃げずに、あたし自身が、あの娘に協力しよう。
そんな風に、思えるようになったのも、ラクンさんにーー。
「ビアンカさん。それでは、皆さんを呼びにいってください。ーーただ、そうですね。使用人と護衛二人は、一応、外で待機させておいたほうが、良いかもしれません」
「そう、だな。旦那に伝えておく」
一瞬。
頭が真っ白になる。
父様と母様のーー「ベルニナ」。
たとえ、ここで本当のことを口にして、拒絶されるのだとしても、ーーもう、目を背けることなんてできない。
ーーこの熱は。
ラクンさんが、くれたもの。
彼が、あれだけ傷ついても、守ってくれた、あたしが。
立ち向かわないなんて、ーー有り得ない。
あたしが弱いままなら。
ラクンさんがしてくれた行為を、貶めてしまうことになる。
そう、弱いままなら、もう、後ろを追い掛けることさえ、できなくなってしまう。
「ラクンさん。イオアニス様を解放してしまって、問題ありませんよ」
青年が、おかしなことを言ったかと思ったら。
「そうか」
「え……?」
あっさりと、イオアニスを解放してしまう、ラクンさん。
……いえいえ、嫉妬なんて、したらいけないわ。
「にゃー」
「わーん」
でも、二人のように、嫉妬した姿を見せるほうが、逆に、好印象かもーーなどと考えている内に、もう、イオアニスは、容器の下まで来ていた。
「…………」
彼も、怪訝そうに周囲を見ていたけれど、一連の行いの真相を知るために、青年と同じく、容器に触れた。
ーー一拍。
「ガアァっ!?」
獣のような叫びを上げた、イオアニスが、容器から離れる。
「なっ、何なのだ!? 何なのだっ、これは!!」
怒りーーのようでは、あるのだけれど。
ーーそれだけじゃないわね。
イオアニスの、それには、悲痛な成分が含まれているようだった。
まるで、人生を懸けて、研究してきたものを、台無しにされてしまったようなーー。
「先程も言いましたが、この装置は、完成しています」
「あー、そういうことか。あまりに高度すぎて、使用するどころか、理解すらできないんだな、イオアニスは」
ーーどういうこと?
「ふっ、ふざけるな! このようなことっ、このようなことがだ! あって、良いはずがない!!」
歯を剥き出しに、涎まで垂らして、駄々っ子のように、イオアニスは、抵抗する。
「ラクン。説明しなさいよ」
「今なら、許してあげる」
座り込んだまま、二人は、ジト目でラクンさんを見る。
ーーでも、その範囲でなら、全力で、やる。
犬人は、そう言ってくれた。
どうやら、彼女たちは、魔法陣がどういうものなのかも知らずに、力を尽くしてくれたようだ。
「あたしからも、お願いします。全力でやってくれた、二人のためにも、説明してあげてください」
二人と目が合ったので、軽く頭を下げると、にっこりと笑ってくれる。
「そうですね、ラクンさん、お願いします」
今は、ラクンさんの代わりに、魔法を使っているらしい、青年が、後押しすると。
何故か、困ったような顔をしたまま、ラクンさんが説明を始める。
「イオアニス。第五段階、と言ったら、何のことかわかるか?」
「何を言っている。ヘルマンは、第三段階ーー」
「それは、初期の著作での記述だな。後に、ヘルマンは、第五段階まで見通した」
ーーさすがラクンさん、知っていたのね。
そう思って、益々好感を抱いた、あたしは、彼の、続く言葉を聞いて、ーー震撼した。
あたしでも、そうだったのだから、イオアニスは。
冥界の神に抱かれるような、底なしの恐怖に、襲われたに違いない。
「第二段階。完成間近だった、この装置を、第五段階まで、完成させた。つまり、ーーこの装置は、完成品ということだ。どうせ、あとでわかることだから、今、言ってやる。ーーイオアニス。完成品はな、お前に千年の寿命があったとしても、完成させられないものだ。お前には、理解も、操作もできない。そんなものがな、今、お前の目の前に、こうして、存在している」
「あ……、あ……ぁ」
理解した、イオアニスは、体を、がくがくと震わせながら崩れ落ちて、膝を突いた。
瞬きするのも忘れて、容器ーー装置を凝視していた。
魔を極めたいと、生涯を懸けた、研究。
そこに。
まるで、片手間にやったかのように、簡単に、研究の結果を、差し出されてしまった。
ーー先を越されたわけじゃない。
もう、答えに辿り着いた者がいた。
千年後に、見るはずだった、景色を見た者が、すでに存在していた。
誰かが歩いたあとを、鈍重に、這いずっていただけ。
無意味に、藻掻いていたーーだけ。
ーー嫌いだった、好きになれなかった、イオアニスだけれど。
才能というのは、本当に、残酷。
「神才」ですら、役不足のラクンさんは、もしかしたら、四英雄に匹敵するほどの、「英雄」なのかもしれない。
ーー遠い。
こんなに近くにいるのに。
あたしと、彼との距離が、遥かな空の向こうまで、離れてしまう。
「先程、アル君から聞いて驚いたが、問題は、なくなったようだな」
父様と母様、侍るように家令が。
その後ろに、ビアンカとワーグナーがいる。
ラクンさんの説明を聞いたらしく、父様も母様も、安堵の表情を浮かべていた。
「ふっふーん、私が来たからにはね、ベルニナっ、もう大安心よ!」
うん、そうね、とっても不安になってしまったわ。
でも。
少しの時間しか離れていなかったのに、温かくなった。
本当に、あたしは、二人のことが大好きなんだって、わかってしまったから。
ーー「ベルニナ」は、「あたし」と向き合わなければいけない。
「それでは、お聞きします。ベルニナさんの容姿ですが、本来の姿と、現在の姿、どちらに致しますか?」
あたしが決心した、直後に、青年が火種を投げ込んでくる。
「父様。母様。ベルニナは、心から、二人のことを愛しています。ですから、二人が望むのでしたら、あたしは、これからも、ーー『ベルニナ』として生きていきます」
ーー言い切った。
もう、後戻りはできないし、ーーするつもりもない。
この先に、新しい関係が出来上がるのか、壊れるのか、ーーどちらだったとしても、どれだけ苦しかったのだとしても、受け容れる、……受け容れてみせる。
「べ、ベルニナ! それはねーー」
「待つのだ、パラ。私が話す。もし、私の言う事に、納得がいかないのであれば、そのときに、口を挟みなさい」
「ふーんだ。ジャンに、譲ってあげるわ」
唇と、へそを曲げてしまう、母様。
父様は、これまでと変わらない、眼差しで、あたしに語り掛けてくる。
「私たちもだ。これまでも、今も、これからも、ベルニナを愛することに、変わりはない。だからーー、ベルニナの姿でも、昔の姿でも、私たちは、どちらでも構わない」
ーー嬉しかった。
それは、本当のこと。
「……っ!」
……でもっ、でも!
これまで、心の奥底に隠して、ずっと、見て見ぬ振りをしてきたことをーー。
「ベルニナ」にならないといけないと、ずっと、「あたし」を殺してきた。
そうしないと、大好きな二人の、娘ではいられなくなってしまうと。
ーー勇気がなかった。
大好きだからこそ、もっと、ーーそう、もっと早く、打ち明けるべきだった。
それを、こんなところまで、引き摺ってしまった。
ーーラクンさんが見ている前で。
あたしはっ、目を背けることなんてしない!
「でも、父様ーー父様は、『ベルニナ』が欲しかったのではないの? 確かに、『ベルニナ』の姿にしないと、父様と母様の娘には、なれなかったのかもしれない。父様と母様の愛情は、『あたし』ではなくて『ベルニナ』にーー」
「何を言っているのだ、お前は?」
その言葉は、予想外の方向から、飛んできた。
「ーーイオアニス?」
「どうやら、私は、お前を買い被っていたようだ。弟子になど、してやらん」
訳が分からない。
絶望していたかと思ったら、今度は、子供のように、拗ねてしまった。
ーー蹴飛ばしてやろうかしら。
階段を下りようとしたら。
辛そうな、父様の、真情を吐露する姿に、足が止まってしまう。
「すまなかった、ベルニナ。それほどまでに、思い詰めていたことに、気づけなかった。ベルニナにとって、辛い記憶であるからと、逃げておらんで、もっと、向き合うべきだった」
「辛い、……記憶?」
村を、焼かれたこと?
それとも、あたしだけが生き残ったこと?
確かに、それは、思い出したくないことだけれどーー。
「覚えて、いないのか? いいや、そうか、あんな状態だったのだから、そうだったとしても不思議はないのか」
「父様……?」
「そうだな。もっと、向き合い、お互いに心を開くべきだった。ーーベルニナ。私とパラとの出逢いを、覚えているかい?」
「それはーー、……空が赤くて、……ずっと、見ていないと、現実を思い知らされてしまうから……」
「あの村を襲ったのが、二派の、どちらだったのかは、今でもわからない。ただ、その者たちは、鏖殺したと思っただろうし、私たちも、生存者は、いないと思っていた。ーーそれくらい、酷い怪我を負っていたのだ」
「怪我……?」
そういえば。
息もできないくらい、苦しかったような、気がする。
覚えているのは、あの、赤い空だけ。
ただ、それだけをーーそれだけが、鮮明に刻み込まれた。
「火傷だ。顔も、判別できないくらいに、もう、絶対に助からないと、思うくらいにーー。だが、まだ息があった。そのとき、魔法使いからーーイオアニスから、嘗て、支援の要請の話があったことを思い出した。村からも近かったので、藁にも縋る思いで、ベルニナを運び込んだのだ」
「容姿をどうするか聞いたら、同年代の子供の肖像画を見せてきたから、その姿にしてやった」
ーーちょっと、待って。
何だか、混乱してきた。
もしかして、イオアニスはーー。
あたしの、命の恩人なの?
「でも、……でも、『ベルニナ』ではない、『あたし』は、父様と母様の本当のーー」
「ベルニナ! 何言ってるの!」
「母様……?」
「確かに、私たちは、孫だったベルニナが、帰ってきてくれたかと思ったわ! でもねっ、でもねっ! そんなものは、一瞬で吹き飛んだわ!」
「へ……?」
両手を腰に当てて、大威張りの母様の姿に、あたしは、言葉を失ってしまった。
「まぁ、そうだな。孫は、物静かな子供だった。だが、ベルニナは、わんぱくな娘だった。姿は同じでも、同一人物だなどと、とてもではないが、思えなかった。ーー私も、パラも、孫とは違う、一人の娘として、家族として、ベルニナを愛してきた。だからこそ、姿が変わったとしても、私たちとベルニナが、これからも家族であることは変わらない」
「ジャン! 偉いわっ、よく言ったわ!」
「うっ……」
確かに、「ベルニナ」になろうと、「あたし」を抑え込むまで、元気いっぱい、跳ね回っていた。
ーーどうして、忘れていたのだろう。
そんなあたしを、二人は、優しく見守ってくれていた。
結局。
あたし一人で、空回っていただけだったーーと、そこで、もう一つの、疑念に思い至った。
「でも、その……、あたしは、ビュジエ家の娘として、義務を果たそうと思っていたのだけれど。もう、二十歳になるのに、結婚の話がなかったのは、やっぱり、あたしを本当の娘としてーー」
言葉が詰まってしまう。
これは、勇気がなかったからじゃなくて。
結婚していたら、ーー好きでもない人と、結ばれていたら、きっと、ラクンさんと、こんな出逢い方をしていなかった。
彼を好きになることは、きっと、なかった。
「ああ、そうだったな。そのことも話していなかった。ーーベルニナ。ブレニーノ様を覚えているだろう?」
「それは、もちろん。毎年、花を手向けに、来てくださっていたからーー」
ミセル国の国王は、二人の、本当の息子のデュナンという方と、親友の間柄だったと聞いている。
彼は、事故の際、身を挺して国王を護って、ーー父様と母様は、三人の家族を喪ってしまった。
「ブレニーノ様は、今でも、デュナンに救われたことを、感謝してくださっている。そこで、その感謝を示そうと、ーーベルニナを王妃として迎える、或いは、王太子と婚約させる。好きなほうを選んでくれと、言っておられた」
「……は? ……え?」
「高い地位にあることが、幸せだとは限らない。そこで、ベルニナが二十歳になるまでに、恋人を見つけたなら、この話はなかったことにするーーそのようなことを約定したのだ」
「それで、ベルニナさんは、王様と王太子の、どちらが好みなんですか?」
あとで、「魔法の手引書」で、呪いについて調べてやろうと。
青年の顔を見ながら、あたしは、心に固く誓ったのだった。
「ーーーー」
あたしは、答えなければいけない。
今から、ーーそうじゃない。
ずっと家族だったということを、あたしが伝えないといけない。
優しかった、見守っていてくれた、家族にーー。
「父様。母様。ーーあたしにとって、『ベルニナ』は、あたしではない、偽物でした。でも、愚かな娘は、そうではなかったことに、今、やっと気づけました。『ベルニナ』とか『あたし』とか関係なく、あたしは、二人が、大好きなのーー」
「ベルニナ」が偽物だったとしても。
あたしの、本当の姿ではなかったとしても。
ーー人は、生まれてくる場所も、容姿も、選べない。
なら、何によって、決まるのかしら?
記憶にない、覚えていない、ーー本当の家族は。
わからない。
所詮、あたしは、二十年も生きていない、未熟者。
でも、だからって、そんなことが言い訳になるはずがない。
みんなみんな、そんなことなんか関係なく、決断してきたのよ。
ーーそうして、生きているのよ。
未熟者の、あたしが出した、答え。
正しいかどうかなんて、わからない。
ただ、あたしのすべてで、考えて、決めたこと。
それは。
今あるものを、大切にするーーということ。
あのとき、死んでいたはずの、あたしは、「ベルニナ」としての生を与えられた。
二人の、家族になった。
だからーー。
「『ベルニナ』は、あたしだけのものではありません。『ベルニナ』を愛してくれる、二人の『あたし』でもあります。あたしにとって、大切なのは、容姿とかではなく、父様と母様と、家族として、一緒に過ごしてきた、過ごしていける、この瞬間です」
あたしは、容器に、半分、体を沈める。
認めてもらえるかどうか、わからない。
それでも、あたしの精一杯で、ーー選んだ、答え。
「『ベルニナ』は、今ある『あたし』を、壊したくありません。そんなことしなくても、あたしは、ずっと、二人の、本物の娘だったのだから」
すべてを赤裸々に。
あたしは、粘着性の液体に、身を沈めた。
ーー余計なことをしたら、殺すわよ。
装置を操作しようとする、青年を、ギロリと睨んでおく。
「それでは、始めますね。すぐに終わります」
表情一つ、変わらない。
ボルネアとオルタンスの、想い人。
この青年については、何もわからなかった。
というより、知りたくもない。
二人のようにーーそれだけでなく、ラクンさんも、本気で彼に近づこうと思わないのなら、きっと、知らないほうがいい。
そのほうが、幸せ。
勘、みたいなものだけれど、もう、殆ど、確信に近い。
「終わりました」
「はいは~い。じゃあね、ベルニナが着替えるから、野獣以外は、全員外に出てなさ~い!」
母様の号令一下、顔を見合わせた男たちは、通路に向かって歩いていく。
残ろうとした、家令は、母様にお尻を蹴飛ばされて、イオアニスは、ラクンさんに背を押されて、歩き出したところでーー。
護衛の一人が、通路から、駆け込んできたのだった。
な「前回で最後のはずだったのに、風結がまた、やらかしたです」
ベ「到頭、あたしまで、謎空間に呼び出されたわね」
な「やらかしの話をする前に、少し説明するです」
ベ「ラクンさんの、『放出』……」
な「炎竜になったまま、聞いておくです。『放出』は、魔法として発現しない、属性のない、所謂、無属性です。無属性の魔力は、属性に染まった魔力を防ぐ、盾になるです」
ベ「そうなの? でも、ラクンさんは、イオアニスの『風鳴』を、打ち消していたわよ」
な「ラクン殿は、気づいていませんでしたが、通常とは違う効果を発揮したので、アル殿は、大層驚いていたです」
べ「それはーー。ざまあみろ、ね」
な「では、ここからが、風結が書き忘れたことです」
ベ「イオアニスが纏っていた、風のことね」
な「ラクン殿が、風を破れず、吹き飛ばされたときです。アル殿は、『魔雄』と『黒猫』で、浮気者とか言っていましたが、ここでもう一つ、言うことがあったです」
ベ「他に、何かあったかしら?」
な「ベルニナ殿が、一応、言及していたから、致命傷ではないです。ボルネア殿とオルタンス殿の、『魅了』の効果が、イオアニス殿に及んでいなかったのは、『結界』のようなものがあったからだーーと説明しなくては、いけないところだったです」
べ「そんな説明、要るのかしら?」
な「ラクン殿に、敗北を刻みつけるには、必要だったです」
ベ「そうなの? じゃあ、要らないわね」
な「あと、こんな終盤だというのに、まだ、四人も登場するです」
ベ「え? 今から?」
な「たぶん、忘れている方もいるかもです。なので、ここでちょっと触れておいてくれと、風結から頼まれたです」
べ「ふ~ん? 一人目は、ラクンさんの友人?」
な「正確には、友人になれそうだった人、です。三つの団に所属していた、ラクン殿は、一度だけ、そのことに言及しました」
べ「こっちは、二つあって、一つは、一度しか言及されてないわね」
な「マウマウ山で、オルタンス殿が、ミセル国の王都に行ったと、言ったです。ボルネア殿のほうは、ベンズ伯の屋敷で、これまで何度も触れられているので、そこまで重要ではないです」
ベ「あの二人も、大変ね。『飛翔』を磨きながら、あの青年の、使い走りをさせられていたのだから」
な「それどころか、度胸試しのようなもので、とても恥ずかしいことを、やらされていたようです」
べ「恥ずかしい……?」
な「人によっては、何でもないことです。ただ、あの二人にとっては、魂が削られるような、そんな課題だったようです」
べ「と、そうだったわ。あと一人は、諜報部隊の、隊長ね」
な「そうです。ただ、出てこなくても問題ないので、話の流れによっては、陰にずっと潜んだままかもしれないです」
ベ「……ところで、謎空間の割れ目から、半分顔を覗かせた、角の生えた子供なんだけれど」
ひ「…………」
な「百竜。そんなところで、何をしているです?」
べ「あれ? あの子は、『みーちゃん』じゃなかったかしら?」
ひ「大したことではない。風結は、またやらかすであろうから、ここで待機しておるだけだ」
な「僕は、これでも忙しい身です。王様代理で、大変なのだから、面倒を掛けるなです」
べ「竜の皆さん、お疲れ様でした~! できれば、ちゃんと、罅を塞いでいってくださ~い!」
ひ「くっ、我だけ出番がないなどと。ちゃっか竜の地竜でさえ、……やはり、好感度の差か」
な「はいはい。着火竜は、百竜の十八番です。あと、そんなこと言っていると、『異邦人』で、出番が削られるーーというか、ストーフグレフにいる僕の出番のほうが、……風結に、岩を投げてくるです」
じんわりと広がっていった、心地好くも、温かな熱がーー。
「っ!?」
ぼっ、と燃え上がった。
ラクンさんが、顔を逸らしたから。
ーーさっきまで、全然、大丈夫だったのに。
途端に、素っ裸の姿の自分が、破廉恥に思えてきてしまった。
あの青年が、大きな布を持ってきたことも、一因。
体を隠す手段があるのに、それを選択しなかったら、あたしの意思ということになってしまう。
「……っ」
いそいそと容器から出て、布を体に巻くとーー。
「お嬢っ!」
「え……?」
この声はーー?
聞き覚えのある声に、顔を上げると、果たして、父様の護衛の、巨漢の姿があった。
「ビアンカ?」
ーーどうして、ここに?
「まずは、確認のために、ビアンカさんに来てもらいました」
ビアンカに尋ねようとしたところで、青年が、中途半端に説明する。
ーーやっぱり、この、アルという青年は。
悪辣、というより、意地悪、のようね。
「おっ、ラクン、魔法使いを取り押さえたのか。まぁ、お前さんなら、当然ってとこだな」
裏表のない性格の、ビアンカが、にかっと笑う。
さすがは、元B級の冒険者。
ラクンさんの実力がわかるのね。
「ビアンカさん。力自慢のあなたに、お願いします。こちらの、倒れている女性を、ベルニナさんがいる容器に、入れてください」
「そういや、倒れてる……って、でかっ」
ーーそうね、彼女の、それは、驚くほど、大きいわ。
でも、気持ちはわかるけれど、そこは心に留めておいて欲しかった。
「……ビアンカ。そこは、素直な、お前の良いところだと、俺は思うが。そういうことは、なるべく、心の中だけに、留めておこうな」
たった、これだけのことで。
体が、心臓が、ーー不味い。
ーーラクンさんと、同じことを考えていた。
本当に、それだけのことなのに。
あたしは、不治の病に、罹かってしまったのかもしれない。
「あ、と…、う……?」
あたしの、倍くらいの年齢でありながら、純朴な、女性慣れしていない、ビアンカが、戸惑っていた。
「少しだけ、お待ちください。雑務は、僕に、お任せを」
逆に、こちらは、女性慣れしていそうな青年が、テキパキと、倒れた女性に、解けないように布を巻いていく。
ーーまさか、女とか、ないわよね?
中性的な顔立ち。
若い裸身の異性に、触れても、一切の、感情のブレがない。
あの青年が、もし、女だったら、恋敵にーー。
「ーーーー」
ーー死にたくなってしまった。
どこまで、あたしは、嫉妬深いのよ。
ボルネアとオルタンスの、想い人なのだからーー。
そうよね、あの青年が女なら、二人は、子供が産めないわけだし、彼は、恋敵ではなく、敵ね。
などと、妄想を逞しくしていたら、女性を抱えた、ビアンカが、階段を上がってくる。
「布を巻いたまま、入れても大丈夫ですよ」
それは、助かるけれど。
いまいち、あの青年は、信用が置けない。
「呼吸はできるから、ゆっくりと、足から入れてあげて」
ビアンカは巨漢なので、容器の縁に片足を乗せて、空間を作ってあげる。
「お嬢。旦那たちも来てるっす。これから、俺が、問題ないってことで、呼んでくる」
「あ……」
思い出した。
あのときは、別段、気にしていなかったけれど。
ーー明日は、ビュジエ伯に会いに行くわ!
人猫が、そう言っていた。
てっきり、護衛だけで来ているものだと、思っていたけれど。
ーー父様。
ーー母様。
結局、二人に、知られてしまった。
あたしを心配して。
来てくれたのは、嬉しいのにーー。
「ベルニナ」の内の、「あたし」が育んでしまった、凝りが、あたしを苦しめる。
「アルーーと言ったか。お主、何をするつもりなのだ?」
「イオアニス様。それは、これから起こることを、見ていただければ、わかります」
こんなときでも、青年は、胡散臭い微笑を浮かべながら、はぐらかす。
「アル。大丈夫、なのか?」
ラクンさんの、気遣うような、言葉に。
「問題ありません。装置は、すでに完成しているので、触れれば、装置のほうから、干渉してきます」
彼に対して、少しは、心を開いているのか、青年は、説明を加える。
とはいえ、それは、ラクンさんに対してのもので、あたしや獣種の二人には、ちんぷんかんぷんなものだった。
ーーイオアニスは、理解しているようね。
その上で、今は、静観しているようだった。
ラクンさんが抑え込んでいるから、何もできないはずだけれどーー。
「終わりました」
「ーーは?」
「一つ時ほどで、目を覚ますでしょう」
「え…と、ーービアンカ。彼女を、下で、寝かせてあげて」
「おう! 任されたっす!」
容器の中から、軽々と女性を持ち上げると、宝物のように大事に抱えて、危なげなく階段を下りていく。
それから、女性を横たえると、自分の上着を脱いで、床に敷いて、その上に彼女を寝かせた。
ーーそういえば。
あたしと同年代の使用人に、ビアンカに懸想している、娘がいた。
同じ年頃の使用人は少ないので、あたしのほうから声を掛けて、仲良くなった。
そこで、恋の相談をされてしまった。
母様は、……たぶん、大変なことになってしまうので、父様のほうから、ビアンカに話をしてもらうことにした。
父様は、面倒見も良いので、使用人の娘とも話してくれたようだった。
ーーでも、特に、進展はなかったのよね。
今度は、逃げずに、あたし自身が、あの娘に協力しよう。
そんな風に、思えるようになったのも、ラクンさんにーー。
「ビアンカさん。それでは、皆さんを呼びにいってください。ーーただ、そうですね。使用人と護衛二人は、一応、外で待機させておいたほうが、良いかもしれません」
「そう、だな。旦那に伝えておく」
一瞬。
頭が真っ白になる。
父様と母様のーー「ベルニナ」。
たとえ、ここで本当のことを口にして、拒絶されるのだとしても、ーーもう、目を背けることなんてできない。
ーーこの熱は。
ラクンさんが、くれたもの。
彼が、あれだけ傷ついても、守ってくれた、あたしが。
立ち向かわないなんて、ーー有り得ない。
あたしが弱いままなら。
ラクンさんがしてくれた行為を、貶めてしまうことになる。
そう、弱いままなら、もう、後ろを追い掛けることさえ、できなくなってしまう。
「ラクンさん。イオアニス様を解放してしまって、問題ありませんよ」
青年が、おかしなことを言ったかと思ったら。
「そうか」
「え……?」
あっさりと、イオアニスを解放してしまう、ラクンさん。
……いえいえ、嫉妬なんて、したらいけないわ。
「にゃー」
「わーん」
でも、二人のように、嫉妬した姿を見せるほうが、逆に、好印象かもーーなどと考えている内に、もう、イオアニスは、容器の下まで来ていた。
「…………」
彼も、怪訝そうに周囲を見ていたけれど、一連の行いの真相を知るために、青年と同じく、容器に触れた。
ーー一拍。
「ガアァっ!?」
獣のような叫びを上げた、イオアニスが、容器から離れる。
「なっ、何なのだ!? 何なのだっ、これは!!」
怒りーーのようでは、あるのだけれど。
ーーそれだけじゃないわね。
イオアニスの、それには、悲痛な成分が含まれているようだった。
まるで、人生を懸けて、研究してきたものを、台無しにされてしまったようなーー。
「先程も言いましたが、この装置は、完成しています」
「あー、そういうことか。あまりに高度すぎて、使用するどころか、理解すらできないんだな、イオアニスは」
ーーどういうこと?
「ふっ、ふざけるな! このようなことっ、このようなことがだ! あって、良いはずがない!!」
歯を剥き出しに、涎まで垂らして、駄々っ子のように、イオアニスは、抵抗する。
「ラクン。説明しなさいよ」
「今なら、許してあげる」
座り込んだまま、二人は、ジト目でラクンさんを見る。
ーーでも、その範囲でなら、全力で、やる。
犬人は、そう言ってくれた。
どうやら、彼女たちは、魔法陣がどういうものなのかも知らずに、力を尽くしてくれたようだ。
「あたしからも、お願いします。全力でやってくれた、二人のためにも、説明してあげてください」
二人と目が合ったので、軽く頭を下げると、にっこりと笑ってくれる。
「そうですね、ラクンさん、お願いします」
今は、ラクンさんの代わりに、魔法を使っているらしい、青年が、後押しすると。
何故か、困ったような顔をしたまま、ラクンさんが説明を始める。
「イオアニス。第五段階、と言ったら、何のことかわかるか?」
「何を言っている。ヘルマンは、第三段階ーー」
「それは、初期の著作での記述だな。後に、ヘルマンは、第五段階まで見通した」
ーーさすがラクンさん、知っていたのね。
そう思って、益々好感を抱いた、あたしは、彼の、続く言葉を聞いて、ーー震撼した。
あたしでも、そうだったのだから、イオアニスは。
冥界の神に抱かれるような、底なしの恐怖に、襲われたに違いない。
「第二段階。完成間近だった、この装置を、第五段階まで、完成させた。つまり、ーーこの装置は、完成品ということだ。どうせ、あとでわかることだから、今、言ってやる。ーーイオアニス。完成品はな、お前に千年の寿命があったとしても、完成させられないものだ。お前には、理解も、操作もできない。そんなものがな、今、お前の目の前に、こうして、存在している」
「あ……、あ……ぁ」
理解した、イオアニスは、体を、がくがくと震わせながら崩れ落ちて、膝を突いた。
瞬きするのも忘れて、容器ーー装置を凝視していた。
魔を極めたいと、生涯を懸けた、研究。
そこに。
まるで、片手間にやったかのように、簡単に、研究の結果を、差し出されてしまった。
ーー先を越されたわけじゃない。
もう、答えに辿り着いた者がいた。
千年後に、見るはずだった、景色を見た者が、すでに存在していた。
誰かが歩いたあとを、鈍重に、這いずっていただけ。
無意味に、藻掻いていたーーだけ。
ーー嫌いだった、好きになれなかった、イオアニスだけれど。
才能というのは、本当に、残酷。
「神才」ですら、役不足のラクンさんは、もしかしたら、四英雄に匹敵するほどの、「英雄」なのかもしれない。
ーー遠い。
こんなに近くにいるのに。
あたしと、彼との距離が、遥かな空の向こうまで、離れてしまう。
「先程、アル君から聞いて驚いたが、問題は、なくなったようだな」
父様と母様、侍るように家令が。
その後ろに、ビアンカとワーグナーがいる。
ラクンさんの説明を聞いたらしく、父様も母様も、安堵の表情を浮かべていた。
「ふっふーん、私が来たからにはね、ベルニナっ、もう大安心よ!」
うん、そうね、とっても不安になってしまったわ。
でも。
少しの時間しか離れていなかったのに、温かくなった。
本当に、あたしは、二人のことが大好きなんだって、わかってしまったから。
ーー「ベルニナ」は、「あたし」と向き合わなければいけない。
「それでは、お聞きします。ベルニナさんの容姿ですが、本来の姿と、現在の姿、どちらに致しますか?」
あたしが決心した、直後に、青年が火種を投げ込んでくる。
「父様。母様。ベルニナは、心から、二人のことを愛しています。ですから、二人が望むのでしたら、あたしは、これからも、ーー『ベルニナ』として生きていきます」
ーー言い切った。
もう、後戻りはできないし、ーーするつもりもない。
この先に、新しい関係が出来上がるのか、壊れるのか、ーーどちらだったとしても、どれだけ苦しかったのだとしても、受け容れる、……受け容れてみせる。
「べ、ベルニナ! それはねーー」
「待つのだ、パラ。私が話す。もし、私の言う事に、納得がいかないのであれば、そのときに、口を挟みなさい」
「ふーんだ。ジャンに、譲ってあげるわ」
唇と、へそを曲げてしまう、母様。
父様は、これまでと変わらない、眼差しで、あたしに語り掛けてくる。
「私たちもだ。これまでも、今も、これからも、ベルニナを愛することに、変わりはない。だからーー、ベルニナの姿でも、昔の姿でも、私たちは、どちらでも構わない」
ーー嬉しかった。
それは、本当のこと。
「……っ!」
……でもっ、でも!
これまで、心の奥底に隠して、ずっと、見て見ぬ振りをしてきたことをーー。
「ベルニナ」にならないといけないと、ずっと、「あたし」を殺してきた。
そうしないと、大好きな二人の、娘ではいられなくなってしまうと。
ーー勇気がなかった。
大好きだからこそ、もっと、ーーそう、もっと早く、打ち明けるべきだった。
それを、こんなところまで、引き摺ってしまった。
ーーラクンさんが見ている前で。
あたしはっ、目を背けることなんてしない!
「でも、父様ーー父様は、『ベルニナ』が欲しかったのではないの? 確かに、『ベルニナ』の姿にしないと、父様と母様の娘には、なれなかったのかもしれない。父様と母様の愛情は、『あたし』ではなくて『ベルニナ』にーー」
「何を言っているのだ、お前は?」
その言葉は、予想外の方向から、飛んできた。
「ーーイオアニス?」
「どうやら、私は、お前を買い被っていたようだ。弟子になど、してやらん」
訳が分からない。
絶望していたかと思ったら、今度は、子供のように、拗ねてしまった。
ーー蹴飛ばしてやろうかしら。
階段を下りようとしたら。
辛そうな、父様の、真情を吐露する姿に、足が止まってしまう。
「すまなかった、ベルニナ。それほどまでに、思い詰めていたことに、気づけなかった。ベルニナにとって、辛い記憶であるからと、逃げておらんで、もっと、向き合うべきだった」
「辛い、……記憶?」
村を、焼かれたこと?
それとも、あたしだけが生き残ったこと?
確かに、それは、思い出したくないことだけれどーー。
「覚えて、いないのか? いいや、そうか、あんな状態だったのだから、そうだったとしても不思議はないのか」
「父様……?」
「そうだな。もっと、向き合い、お互いに心を開くべきだった。ーーベルニナ。私とパラとの出逢いを、覚えているかい?」
「それはーー、……空が赤くて、……ずっと、見ていないと、現実を思い知らされてしまうから……」
「あの村を襲ったのが、二派の、どちらだったのかは、今でもわからない。ただ、その者たちは、鏖殺したと思っただろうし、私たちも、生存者は、いないと思っていた。ーーそれくらい、酷い怪我を負っていたのだ」
「怪我……?」
そういえば。
息もできないくらい、苦しかったような、気がする。
覚えているのは、あの、赤い空だけ。
ただ、それだけをーーそれだけが、鮮明に刻み込まれた。
「火傷だ。顔も、判別できないくらいに、もう、絶対に助からないと、思うくらいにーー。だが、まだ息があった。そのとき、魔法使いからーーイオアニスから、嘗て、支援の要請の話があったことを思い出した。村からも近かったので、藁にも縋る思いで、ベルニナを運び込んだのだ」
「容姿をどうするか聞いたら、同年代の子供の肖像画を見せてきたから、その姿にしてやった」
ーーちょっと、待って。
何だか、混乱してきた。
もしかして、イオアニスはーー。
あたしの、命の恩人なの?
「でも、……でも、『ベルニナ』ではない、『あたし』は、父様と母様の本当のーー」
「ベルニナ! 何言ってるの!」
「母様……?」
「確かに、私たちは、孫だったベルニナが、帰ってきてくれたかと思ったわ! でもねっ、でもねっ! そんなものは、一瞬で吹き飛んだわ!」
「へ……?」
両手を腰に当てて、大威張りの母様の姿に、あたしは、言葉を失ってしまった。
「まぁ、そうだな。孫は、物静かな子供だった。だが、ベルニナは、わんぱくな娘だった。姿は同じでも、同一人物だなどと、とてもではないが、思えなかった。ーー私も、パラも、孫とは違う、一人の娘として、家族として、ベルニナを愛してきた。だからこそ、姿が変わったとしても、私たちとベルニナが、これからも家族であることは変わらない」
「ジャン! 偉いわっ、よく言ったわ!」
「うっ……」
確かに、「ベルニナ」になろうと、「あたし」を抑え込むまで、元気いっぱい、跳ね回っていた。
ーーどうして、忘れていたのだろう。
そんなあたしを、二人は、優しく見守ってくれていた。
結局。
あたし一人で、空回っていただけだったーーと、そこで、もう一つの、疑念に思い至った。
「でも、その……、あたしは、ビュジエ家の娘として、義務を果たそうと思っていたのだけれど。もう、二十歳になるのに、結婚の話がなかったのは、やっぱり、あたしを本当の娘としてーー」
言葉が詰まってしまう。
これは、勇気がなかったからじゃなくて。
結婚していたら、ーー好きでもない人と、結ばれていたら、きっと、ラクンさんと、こんな出逢い方をしていなかった。
彼を好きになることは、きっと、なかった。
「ああ、そうだったな。そのことも話していなかった。ーーベルニナ。ブレニーノ様を覚えているだろう?」
「それは、もちろん。毎年、花を手向けに、来てくださっていたからーー」
ミセル国の国王は、二人の、本当の息子のデュナンという方と、親友の間柄だったと聞いている。
彼は、事故の際、身を挺して国王を護って、ーー父様と母様は、三人の家族を喪ってしまった。
「ブレニーノ様は、今でも、デュナンに救われたことを、感謝してくださっている。そこで、その感謝を示そうと、ーーベルニナを王妃として迎える、或いは、王太子と婚約させる。好きなほうを選んでくれと、言っておられた」
「……は? ……え?」
「高い地位にあることが、幸せだとは限らない。そこで、ベルニナが二十歳になるまでに、恋人を見つけたなら、この話はなかったことにするーーそのようなことを約定したのだ」
「それで、ベルニナさんは、王様と王太子の、どちらが好みなんですか?」
あとで、「魔法の手引書」で、呪いについて調べてやろうと。
青年の顔を見ながら、あたしは、心に固く誓ったのだった。
「ーーーー」
あたしは、答えなければいけない。
今から、ーーそうじゃない。
ずっと家族だったということを、あたしが伝えないといけない。
優しかった、見守っていてくれた、家族にーー。
「父様。母様。ーーあたしにとって、『ベルニナ』は、あたしではない、偽物でした。でも、愚かな娘は、そうではなかったことに、今、やっと気づけました。『ベルニナ』とか『あたし』とか関係なく、あたしは、二人が、大好きなのーー」
「ベルニナ」が偽物だったとしても。
あたしの、本当の姿ではなかったとしても。
ーー人は、生まれてくる場所も、容姿も、選べない。
なら、何によって、決まるのかしら?
記憶にない、覚えていない、ーー本当の家族は。
わからない。
所詮、あたしは、二十年も生きていない、未熟者。
でも、だからって、そんなことが言い訳になるはずがない。
みんなみんな、そんなことなんか関係なく、決断してきたのよ。
ーーそうして、生きているのよ。
未熟者の、あたしが出した、答え。
正しいかどうかなんて、わからない。
ただ、あたしのすべてで、考えて、決めたこと。
それは。
今あるものを、大切にするーーということ。
あのとき、死んでいたはずの、あたしは、「ベルニナ」としての生を与えられた。
二人の、家族になった。
だからーー。
「『ベルニナ』は、あたしだけのものではありません。『ベルニナ』を愛してくれる、二人の『あたし』でもあります。あたしにとって、大切なのは、容姿とかではなく、父様と母様と、家族として、一緒に過ごしてきた、過ごしていける、この瞬間です」
あたしは、容器に、半分、体を沈める。
認めてもらえるかどうか、わからない。
それでも、あたしの精一杯で、ーー選んだ、答え。
「『ベルニナ』は、今ある『あたし』を、壊したくありません。そんなことしなくても、あたしは、ずっと、二人の、本物の娘だったのだから」
すべてを赤裸々に。
あたしは、粘着性の液体に、身を沈めた。
ーー余計なことをしたら、殺すわよ。
装置を操作しようとする、青年を、ギロリと睨んでおく。
「それでは、始めますね。すぐに終わります」
表情一つ、変わらない。
ボルネアとオルタンスの、想い人。
この青年については、何もわからなかった。
というより、知りたくもない。
二人のようにーーそれだけでなく、ラクンさんも、本気で彼に近づこうと思わないのなら、きっと、知らないほうがいい。
そのほうが、幸せ。
勘、みたいなものだけれど、もう、殆ど、確信に近い。
「終わりました」
「はいは~い。じゃあね、ベルニナが着替えるから、野獣以外は、全員外に出てなさ~い!」
母様の号令一下、顔を見合わせた男たちは、通路に向かって歩いていく。
残ろうとした、家令は、母様にお尻を蹴飛ばされて、イオアニスは、ラクンさんに背を押されて、歩き出したところでーー。
護衛の一人が、通路から、駆け込んできたのだった。
な「前回で最後のはずだったのに、風結がまた、やらかしたです」
ベ「到頭、あたしまで、謎空間に呼び出されたわね」
な「やらかしの話をする前に、少し説明するです」
ベ「ラクンさんの、『放出』……」
な「炎竜になったまま、聞いておくです。『放出』は、魔法として発現しない、属性のない、所謂、無属性です。無属性の魔力は、属性に染まった魔力を防ぐ、盾になるです」
ベ「そうなの? でも、ラクンさんは、イオアニスの『風鳴』を、打ち消していたわよ」
な「ラクン殿は、気づいていませんでしたが、通常とは違う効果を発揮したので、アル殿は、大層驚いていたです」
べ「それはーー。ざまあみろ、ね」
な「では、ここからが、風結が書き忘れたことです」
ベ「イオアニスが纏っていた、風のことね」
な「ラクン殿が、風を破れず、吹き飛ばされたときです。アル殿は、『魔雄』と『黒猫』で、浮気者とか言っていましたが、ここでもう一つ、言うことがあったです」
ベ「他に、何かあったかしら?」
な「ベルニナ殿が、一応、言及していたから、致命傷ではないです。ボルネア殿とオルタンス殿の、『魅了』の効果が、イオアニス殿に及んでいなかったのは、『結界』のようなものがあったからだーーと説明しなくては、いけないところだったです」
べ「そんな説明、要るのかしら?」
な「ラクン殿に、敗北を刻みつけるには、必要だったです」
ベ「そうなの? じゃあ、要らないわね」
な「あと、こんな終盤だというのに、まだ、四人も登場するです」
ベ「え? 今から?」
な「たぶん、忘れている方もいるかもです。なので、ここでちょっと触れておいてくれと、風結から頼まれたです」
べ「ふ~ん? 一人目は、ラクンさんの友人?」
な「正確には、友人になれそうだった人、です。三つの団に所属していた、ラクン殿は、一度だけ、そのことに言及しました」
べ「こっちは、二つあって、一つは、一度しか言及されてないわね」
な「マウマウ山で、オルタンス殿が、ミセル国の王都に行ったと、言ったです。ボルネア殿のほうは、ベンズ伯の屋敷で、これまで何度も触れられているので、そこまで重要ではないです」
ベ「あの二人も、大変ね。『飛翔』を磨きながら、あの青年の、使い走りをさせられていたのだから」
な「それどころか、度胸試しのようなもので、とても恥ずかしいことを、やらされていたようです」
べ「恥ずかしい……?」
な「人によっては、何でもないことです。ただ、あの二人にとっては、魂が削られるような、そんな課題だったようです」
べ「と、そうだったわ。あと一人は、諜報部隊の、隊長ね」
な「そうです。ただ、出てこなくても問題ないので、話の流れによっては、陰にずっと潜んだままかもしれないです」
ベ「……ところで、謎空間の割れ目から、半分顔を覗かせた、角の生えた子供なんだけれど」
ひ「…………」
な「百竜。そんなところで、何をしているです?」
べ「あれ? あの子は、『みーちゃん』じゃなかったかしら?」
ひ「大したことではない。風結は、またやらかすであろうから、ここで待機しておるだけだ」
な「僕は、これでも忙しい身です。王様代理で、大変なのだから、面倒を掛けるなです」
べ「竜の皆さん、お疲れ様でした~! できれば、ちゃんと、罅を塞いでいってくださ~い!」
ひ「くっ、我だけ出番がないなどと。ちゃっか竜の地竜でさえ、……やはり、好感度の差か」
な「はいはい。着火竜は、百竜の十八番です。あと、そんなこと言っていると、『異邦人』で、出番が削られるーーというか、ストーフグレフにいる僕の出番のほうが、……風結に、岩を投げてくるです」
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