竜の庵の聖語使い

風結

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学園生活

階段と屋上  三日ぶりの会話と「下界」

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 クロウは、階段を二段飛ばしで駆け上がってゆきました。

 「聖活動」のあと。
 ベズに質問をしに行きました。
 本当に。
 彼が綾なす「聖語」の深淵さには驚かされます。

 学園長とベズ。
 彼らがもたらす「聖語」が学園を活気づかせています。
 ディズルとの友誼ゆうぎのこともそうです。
 猜疑と反目の「八創家」。
 学園という土台がなければ成り立つことはなかったでしょう。

「くっ!」

 息が切れるとわかっていても、足はとまってくれません。
 結局、急いできたことがバレないように、扉の前で息を整えることになります。

 呼吸を十回。
 体は平常になりましたが、心のほうはそうはいきません。
 別の意味で心臓がうるさくなります。

 帰ろうと思った矢先、窓の外を見たクロウは見つけてしまったのです。
 何度か見かけるたびに。
 機会を得られないまま、過ぎ去った日々。
 でも、もう逃げられることはありません。
 屋上へと続く階段は、ここだけだからです。

 クロウは、静かに扉を開けます。
 屋上を囲う鉄柵。
 空を見上げている、一人と一獣。
 正確には、獣型の「聖人形ワヤン・クリ」。

 千の色彩に揺れる、夕焼け空。
 春の最中の、息づいた空気。

 扉を開けた音は聞こえていたでしょうに。
 振り返らない、その背中に、クロウは思いを籠めて声をかけました。

「ティノ……」
「用はないから、回れ右をして、そのまま帰ってくれていいよ」

 クロウは。
 泣きたくなりました。

 でも、これは予想範囲内です。
 このときの為に、寝る間を惜しみ、たくさんシミュレーションを行ってきました。
 ティノのほうに用はなくとも、クロウにはあるのです。
 近寄ってくるな、とは言われていないので、めげない彼は柵の前まで歩いてゆきます。

「ティノ。また話をしたいと思っていたのだが、擦れ違って……」
「うん。僕は明確にクロウを避けていたから、話す機会がなくて当然」

 クロウは。
 泣きました。

 でも、これも想定範囲内です。
 それからまた、ギリギリ想定範囲内のことが起きます。

 ティノは半歩、クロウから離れました。
 そして。
 笑顔のまま、残酷な言葉を言い放ちました。

「それ以上近づいたら、『知り合い』から『他人』に降格」

 クロウの心は。
 カラカラに干からびてしまいました。
 もう、涙もでません。

 マルは。
 もう見ていられなくなってしまったのか、ぽふっと両前脚で顔を隠しました。
 それを見て、わずかに残っていた良心が痛んだようで、ティノのほうから話しかけてきました。

「それで、何か用? 用がなかったら、『他人』以下に決定だからね」
「あっ、ああ、ティノに関係することと、ティノに係わってくるかもしれないことを話しておこうと思っていたんだ」

 意想外にも、ティノから話しかけてきてくれたので、豪雨が遣って来たかのようにクロウの心が潤いました。
 事前に、ティノと会った際に困らないように。
 話題を考えておいたのが功を奏しました。

「私には信じられなかったのだが、ティノは最下位だった。そして今日、ある程度、氷解した。ベズ先生が地竜組の生徒たちの前で言ったことなのだが。ーー試験での、記入式の三問目。唯一の正解者がティノだと」
「ああ、あの問題は、普通に答えたら駄目だからね。ソニアも暗号に気を取られて、引っかかったみたいだし」
「それから。今、実戦を行ったとしたら、ティノが一番だとも言っていた」
「ええ……、ベズ先生が?」
「地竜組に入ったからと気を緩めるなーーそのような意図でベズ先生が嘘を言ったと思った生徒が半分。もう半分は、ベズ先生が嘘を言うはずがないから、本当のことだと受け取った」

 当然、クロウはベズに教えを乞いに行った際に、それとなくティノのことを尋ねてみました。

 彼のことが知りたければ直接尋ねなさい。

 二の句が継げぬほど、正論をぶつけられてしまいました。
 適度な優しさと、十倍増しの厳しさ。
 そんなベズは、向上心が旺盛な地竜組では好意的に受け入れられています。

 クロウがもう一つの話を、懸念を伝えようとしたところで。
 ティノのほうから、慮外なことを尋ねられました。

「ーークロウは。今の『聖語』はむずかしい?」
「それは……。『聖語』は、理解はできる。だが、兄たちを見ていると、わかってしまうのだ。私では、届かないのだとーー」

 ーー「努力」。
 どれだけ積み重ねても、二人の兄に追いつくことはできませんでした。

 何かが。
 泥沼で藻掻くかのように纏わりつき、前に進めないのです。
 拳を握り締め、自分の才能の限界に呻吟しんぎんしているとーー。

「クロウが手こずっているのは、から」
「え?」
「簡単すぎて、上手く扱えていない。見ていればわかるよ。僕と違って、クロウには『才能』がある。たぶん、クロウの『才能』が花開くのは、この先の、本当の『聖語』でだと思う。現時点で『才能』を開花させているような人は、この先で苦労するんじゃないかな」

 信じてーーしまいたい言葉でした。
 ティノに答えを求めても、彼はクロウを見ていないので、その横顔からは窺い知ることはできません。

 ティノも一緒に。
 そう思っても、心が動きだしてくれませんでした。
 ディズルが差しだした手。
 握り返した自分。
 今はまだ、ティノに求めるだけの勇気が、クロウにはないのです。

「で。もう一つは何?」
「そ、そうだった、もう一つは、『八創家』の内の三家のことだ」

 ティノに聞かれたので、クロウは考えるのをやめ、もう一つの懸念を語ることにしました。

「ティノは知っているかもしれないが、『八創家』は五家で始まった。その後、三家が加わり、八家となった。あとから加わった三家とはーーヴァン家、クーリゥ家、ゲイム家。加わった当時は、五家と並ぶ力を持っていたのだが、現在では一歩ではなく二歩か三歩、五家に後れを取っている」

 必要なことなので、クロウは「八創家」の内情を明かしました。
 アリス・ランティノールの妹(?)。
 ティノにはすべてを語ってしまいたいのですが、そうもいきません。

 クロウは、「八創家」の「筆頭」である父親から真実を語られました。
 「創始」の「聖語使い」ーーファルワール・ランティノール。
 「創始」とは、「聖語」を創ったということです。

 そう、「八創家」は「聖語」を創るーーその部分には係わっていないのです。
 「発展」ならぬ「八展家」が相応しい。
 父親は、自嘲を含んだ笑みを浮かべながら、そんな冗談を言いました。

 現在の「聖語使い」は、「聖語」を創れない。

 これも父親が言った言葉です。
 そんなことはない、と思ったクロウですが、よくよく考えてみると、父親の言葉は正鵠を射ていました。

 「聖語」とは異なる、同様の体系。
 「聖語使い」たちは、今ある「聖語」に積み重ねてゆくだけで、新しい「力ある言葉」を創った者はいないのです。

 ランティノールを喪った今。
 「聖語使い」の未来に翼を羽搏かせた瞬間、クロウは寒気を覚えました。
 不穏な未来の陰を吹き飛ばすように、クロウは続きを話してゆきます。

「試験で7位だったヴァン家の、フロイが『聖語』での試合を求めてきた」
「えっと、大丈夫? クロウは弱いから、……そうだ! ベズ先生に言って、取りなしてもらえばいいよ」
「……いや、ティノに比べれば弱いかもしれないが。いいや、今はそうではなく。そのベズ先生が試合を許可したのだ」
「え? それ本当?」

 ティノはあからさまに、疑惑の眼差しを向けてきます。
 信用度の違い。
 潤っていた心は、洪水に見舞われてしまいますが、クロウは涙が零れるのを我慢しました。

「試合に勝ったあと、ベズ先生はこう言っていた。『そうせざるを得ない、事情があったのだろう』と」
「え? 勝ったの?」

 ティノは、「疑惑」だけでなく「不審」まで上乗せした眼差しを向けてきます。
 涙の代わりに鼻水が流れそうになったので、クロウは鼻をすすりました。

「先ほど言った通り、三家は今、必死になって劣勢を盛り返そうとしている。フロイが私に戦いを挑んだのも、ヴァン様ーーいや、ヴァン家の事情が絡んでいたのかもしれない」
「それって、僕に何か関係があるの?」

 ティノの、キョトンとした顔。
 可愛い。
 魂が花開いてしまったクロウでしたが、ティノの危機感のなさに。
 しっかりと鼻血がでていないことを確認してから警告を発しました。

「今、言った通り、三家は。自身の一家の為に、強引な手段を用いる可能性がある。ティノもーー、狙われる可能性があるということだ」

 深刻な事態になるかもしれないので、正面から真剣に話したというのに。
 ティノには、まったく届いていませんでした。

「えっと、でも、そのフロイって人、クロウにも負けたんだよね? 他の二家の人も、そのくらいの強さなら、警戒なんて必要ないんじゃないかな?」

 どうしたものでしょう。
 ティノはわかっているようで、わかっていません。
 世の中には、強いだけではどうにもならないことがあるのです。
 弱い人間は、どうすれば強い人間に勝てるか、遥かな過去から考え続けてきました。

「わかった。とりあえず、何か問題があったら、私を頼ってくれ」
「やだ」

 血の涙を流したなら。
 ティノも少しは優しくなってくれるでしょうか。
 普通に涙を流すクロウの肩に飛び移って。
 マルは彼を慰めました。

 話が終わってしまったので、クロウが次の話題を探していると。
 何か気になっていたのか、ティノのほうから話しかけてきました。

「クロウは、僕が居ない場所では、別人みたいだね」
「いや、あれも私、というか、ティノと会ったことで新しい自分に目覚めたというか……。ティノもそこら辺のことを理解してもらえるとーー」

 ティノの様子が気になって、チラリと見てみると。
 ティノは笑顔でした。
 また、笑顔に戻っていました。

 そうです。
 「ベズの話」と「三家の懸念」。
 二つのことを話しているとき以外。
 クロウが来たときから、ティノはずっと同じ笑顔を顔に貼りつけているのです。

 そんな味気ない、でも、クロウにとっては魅力的な笑顔で。
 情け容赦なく彼を断罪してきました。

「僕は男。僕は男。僕は男。はい、復唱」
「ーー僕は男。僕は男。僕は男」

 クロウは正しく「復唱」しました。
 そう、正しかったがゆえに、ティノの心にこびりついていた、なけなしの信頼まで失ってしまいました。

「さて、陽も沈むし、戻ろう。他に話があるのなら、寮に行きながら聞くから」
「……屋上の扉を出た瞬間、全力で走ったりはしないと誓えるだろうか?」

 マルは。
 ティノの魔力を感じ取ったので、両前脚で顔を洗い始めました。
 仔犬の真似も大変です。

 陽は沈んだので、これから一気に暗くなってゆくでしょう。
 クロウを警戒しているのか、ティノは彼の後ろを歩いています。

 渋々、その状態を受け容れたクロウは、階段を下り始めます。
 薄暗い校舎内。
 「感知」を行使しているティノは、暗闇などものともしません。
 「ひかりあか」を使おうか、クロウが迷っていると、階段を上ってくる足音が聞こえました。

 生徒が遣って来たのでしょうか。
 或いは、学園長かベズが校舎内を巡回しているのかもしれません。

 もし生徒なら、二人でいることをどう説明しようか。
 そんなことを考えていたクロウは。
 目を見開き、呼吸をとめました。

「ぃっ!!」

 階段の踊り場。
 姿を現したのは、二十半ばの男でした。

 先ず、音がしました。
 聞き覚えがあります。
 剣を鞘から抜くときの音です。

 剣身を、見たとき。
 が何か理解できませんでした。

 人を殺す、いえ、人も殺せる武器。
 ーー長剣。
 「聖士」ですら、使うのは短剣までです。

 クロウの顔が歪んだのは。
 現実を思い知ったからでした。
 思い知らされたからでした。

「剣を収めてください。ーーそれとも、僕と戦いますか?」

 クロウの前に立つ、ティノ。
 普段と変わらない、気負いのない立ち姿。
 腕に手を当てていますが、「聖語」を刻む様子はありません。

 クロウは反射的に「聖語」を刻もうとしましたが。
 男が剣を捨て、両腕を上げたので、動かそうとした指をとめました。

「すまない。驚かせてしまったようだ。私はこの学園の警備の者だ。敵意はない」
「それはわかりました。でも、校舎内で剣を抜くのはやりすぎです」
「そ、それには反論の言葉もない。ーー言い訳になるが、突然、魔獣が二匹現れたような、剥きだしの何かを感じ取ったので、反射的に剣を抜いてしまった」

 ティノはクロウの肩にいるマルを見ました。

 獣の所為にするな。

 マルの目は冤罪だと訴えかけていました。

「それよりもーー」
「どうかしましたか?」
「同じ男として言わせてもらう。私には事情はわからない。彼女は従者か警護の者なのかもしれないが、護られるだけなのは情けないと思わないのか。せめて……」
「僕は男です」
「な……?」
「僕は男です」
「あ、と、……彼を庇おうとする気持ちはわかるが、嘘を吐かなくてもーー」
「ぼ・く・は・お・と・こ・で・す」
「……本当に?」

 ふんぞり返るティノと、呆然とする男。
 二人の会話がとまりました。

 男の言葉が突き刺さったクロウは。
 階下から上ってくる足音も聞こえていません。

 何もできませんでした。
 ティノに護られるだけ。
 情けない。
 そんな言葉を吐く資格も自分にはないと、クロウは魂を軋ませました。

「モロウ!! 何してる!!」
「いだっ! って、待て、ガロ!」

 階段を上がってきたガロは、モロウを突き飛ばしました。
 ガロはモロウと同周期ですが、冷静そうなモロウと違い、野性味に溢れています。

「ちっ! 学園に魔獣が二匹もいるなんざ、どうなってやがる!?」
「いいからっ、剣を仕舞え! このっ、すっとこどっこいが!」
「あー、えっと、一度、屋上にでましょうか?」

 提案したティノは、了解を得る前にもう歩きだしていました。
 状況を理解していないガロが歩きだすと、溜め息を吐いたモロウがあとを追い、最後にクロウがティノの背中を追いました。

 背中を追う。
 本当にその通りだと、クロウは思いました。
 自分とティノにはどのくらいの差があるのか、彼にはそれすらわかりません。

「クロウ。明かりをお願い」
「あ、ああ、わかった。ーー『ひかりあか』」

 考えに沈みそうになったところで、ティノからのお願い。
 クロウは、ほぼ無意識に「聖語」を刻みました。

 薄闇を退ける、やわらかな明かり。
 クロウは息を呑みました。
 「聖士」とは明確に異なる、モロウとガロの格好。
 一言で言うなら。
 異質ーーでしょうか。

 かわーーなのかどうか、見たことのない鎧に、装備。
 そして、「聖域テト・ラーナ」で必要になるとは思えない、長剣ーー凶器。

「あーと、さっきは驚かせちまって、悪かったな、嬢ちゃん」
「彼は男だ。……そのように自分で言っていた」
「何言ってんだ、モロウ。そんなわけ……」
「いいからっ。話が進まないから、そういうことにしておけ!」

 納得しがたい顔でガロが黙ると、空咳をしたモロウが自己紹介を始めました。

「私はモロウ。この馬鹿は、ガロ。学園に雇われ、警備を担当することになっている。明日、全生徒が集まったときに、学園長が私たちを紹介することになっている」
「もしかして、『下界』の方々ですか……?」

 クロウは、一つの答えに行き着きました。
 同時に。
 底冷えしました。
 「下界」と言った瞬間に。
 ティノが。
 軽蔑の眼差しを向けてきたのです。

 凍りついた頭で、クロウは理解しました。
 「下界」。
 これまで何気なく使っていた言葉。
 でも、本当に彼らが「下界」の人々であったのなら。
 「下の世界」などと言われたら、どう思うでしょう。

「ああっと、すまん! まだ『聖語』には慣れてないんだ。もうちっとだけ、ゆっくり話してくれや」
「その、御二人は、……『聖域』の『外の世界』から遣って来たのかと思って、聞いてみました」

 確かに、モロウとガロの「聖語」はつたないものでした。
 それにガロの物言いからして、二人が「下界」から遣って来たことは確定のようです。
 クロウがゆっくり尋ねると、顔に手をやったモロウは。
 その手でガロを叩いてから、経緯を打ち明けることにしました。

「私たちは、『聖域』の外から来た。外の世界の傭兵がーー戦う人間がどのようなものか、それを教える為に、学園長に雇われた。私たちは『聖域』の人間で、あえてこのような格好をしているーーということになっている。すまないが、君たちも、友人たちにそのように伝えてくれるとありがたい」
「ーー『八創家』が、外から人を受け容れているという話は聞いていました。御二人は、学園長の招聘しょうへいに応じたのですか?」
「そういうことになる。学園長が言うには、私たちが『聖域』に遣って来る、最後の人間だと言っていた」

 説明は終わりです。
 このまま解散でも構わないのですが。
 モロウとガロが「外の世界」の住人であったと知って、クロウは好奇心が抑え切れなくなってしまいました。

 「外の世界」。
 なぜでしょう、これまでさして意識してこなかったその存在が、心を奮わせ熱を宿すのです。

「あの、御二人は、『外の世界』ではどのように過ごされていたのですか?」

 失礼になるかもしれない。
 そも思っていても、とめることができませんでした。
 クロウの質問に、顔を見合わせるモロウとガロ。
 交渉役はモロウなのか、ガロはさっさと彼に委ねてしまいました。

「傭兵、というのは、組織や個人に雇ってもらえなかった、あぶれ者がなる職業なんだ。『聖域』の『聖語使い』が大陸を統治するようになって、昔より増しになった。だが、国によって内情は様々だ。私とガロは貧民街の出身だ。野垂れ死にか盗人か傭兵か、それくらいしか選択肢はなかった。貧民街にいた仲間の五人で、傭兵になった。……だが、三星巡り前に学園長と会ったときには、私たちのリーダーだったバルーも戦死し、二人だけになっていた。ーー十周期、傭兵をやり、私もガロも結婚し、子供もいる。いつ死ぬかわからない。家族ができて、他の職業につきたくても、どうにもならない。特に、魔獣と遭遇してから、強くそう思うようになった」
「魔獣、ですか?」

 つらい過去を述懐じゅっかいするモロウ。
 自分は酷い奴かもしれない。
 そう思いながら、クロウは自覚しました。
 漠然とした不安に包まれていた未来に、光が差したのです。

「依頼があった。『魔獣討伐』、ではなく、『魔獣の生存確認』。私たちは『イオラングリディア僻地』という場所で活動していた。その『僻地』の中央には山脈があって、唯一の通り道が魔獣の領域になっていたんだ」

 「聖語」を解することができないマルは。
 クロウの肩で、のんびりと欠伸をしていました。

「ーー中央で分断。それは、どちらの側でも、影響がありそうです」
「ああ、北と南で、勢力が不均衡になるたびに、魔狼ーーマルカルディルナーディの存在は大きな役割を果たすことになった」

 マルの耳が、ぴくんと動きました。
 あとで教えてあげる。
 ティノの視線を見たマルは、好奇心が抑え切れず尻尾をフリフリしました。

「依頼をしてきたのは南で、北からの侵攻を受けたくない側だ。魔獣の調査など受けたくない依頼だが、立場の弱い傭兵に断る術はない。それに、報酬は良かったから、上位の傭兵20人で依頼に当たった」
「んで、その傭兵隊のリーダーがモロウだったんだ。十周期も傭兵やってたかんな、俺たちがそこらの傭兵たちをまとめてたんだ」
「ふ~。そういうわけで、作戦を考えた。森を、横一列になって進むというものだ。魔獣の領域に魔物はいない。だから、犠牲を最も少なくする手段を採った。魔獣と遭遇した者は、鈴を鳴らす。それを聞いたら、即座に撤退。ただ、依頼には森を通り抜けられるか調べるというものも含まれていたから、くじで左右の端に配置された者は、そのまま北に向かうことになっていた」
「で、だ。運がいいのか悪いのか、俺が左端になっちまった。はぁ、そんでこの馬鹿は、俺の隣になるって言いだしやがった」
「馬鹿に馬鹿と言われると凹むから、言うな」

 一触即発。
 そうではあるのですが、二人の間には剣でも「聖語」でも切れない信頼関係を見て取ることができました。
 二人が剣に手をかけたので、続きが聞きたいクロウはモロウを促すことにしました。

「どうして、モロウさんはガロさんの隣を希望したのですか?」
「傭兵の報酬だけでは、二つの家族の面倒はみれない。それに、……もう仲間を誰も喪いたくなかった。だから、北に向かう際に魔狼と遭遇したなら。マルカルディルナーディと戦うと、傭兵たちに宣言した」
「……まぁ、それ以前の問題だったんだけどな」

 軽い性格。
 そう見えていたガロの面差しが、最前線の、傭兵のそれになりました。
 クロウには理解が及ばない、死線を潜り抜けてきた男は。
 恐怖に、体を震わせていました。

「作戦が決まり、配置につこうと皆が立ち上がったときだった。私たちの向かいに居た傭兵たちが、ーー死を恐れぬ者、と周囲から恐れられていた者たちが、顔を引き攣らせていた」

 モロウもまた、鮮明に刻まれた記憶を呼び覚ましてしまったのか、三度呼吸し、心を落ち着けてから続きを話しました。

「……そこに、居た。動けなかった。何も考えられなかった。即座に逃げるように指示しなければいけないというのに、何もできなかった。……森の中から、マルカルディルナーディが見ていた。いつからそこに居たのか、誰にもわからなかった。そして、いつ去ったのかもわからない。……もう、誰も、森に入ろうとはしなかった。戦う、ーーそんなことを考えた自分を呪った。戦いになどならない、ただ、一方的に虐殺されるだけだ」
「魔狼の顔だけで、俺の身長よりでかかったんだ。領域の外だったから、見逃してもらえたんかね。そんで、依頼を完遂できなかったんでな、モロウの『悪知恵』が発動だ」
「人聞きの悪いことを言うな。ーー魔狼の生存は確認できた。それから、北へ向かおうとした者たちは、マルカルディルナーディに喰い殺されたことにした」

 モロウの話に興奮しながらも、冷静に頭を働かすことができたクロウは、モロウの「悪知恵」を推測し、尋ねました。

「その後、同様の依頼があった際は。依頼を遂行した振り、をすることにしたのですか?」
「はは、さすが『聖域』の学園生さん。わかってしまうか。雇い主は、傭兵のことなど一々覚えていないから、細かいことまで調べたりはしない。だから、『魔獣の調査』の依頼があったら、依頼を完遂したと嘘を吐くことにした。傭兵としての誇りはある。もちろん、そんなことはしたくないが、マルカルディルナーディと直面したとき、……そんなものは打ち砕かれてしまった。傭兵には横のつながりがある。北の傭兵たちにも伝え、了承を得ている。これからも魔獣はずっと、あの森に『』ことになっている」

 モロウは西を、生まれ育った地に顔を向けます。
 僥倖。
 「聖域」に遣って来られた幸運。
 自分たちだけ、故郷をーーあの地を去ったという罪悪感。
 ガロもまた、様々に去来する想いを噛み締めました。

 マルは。
 おかしな目をティノが向けてくるので、我慢出来なくなって彼の肩に移動しました。

「家族は今、学園の職員寮にいる。妻は大変だが、子供はまだ幼いから、これから『聖語』を学ぶことができる。拾い上げてくれた学園長には感謝している。警備の仕事の手は抜かないから、安心してくれ。……それと、最後にもう一度だけ聞きたいのだが、ティノさんはーーティノ君なのか?」

 薄暗いから間違えた。
 そう思って二人を許したティノでしたが、さすがにここまでしつこいとティノだって怒ります。

 でも、村長のようにモロウは冗談を言っているだけです。
 そんな風に勘違いしたティノは。
 熱が籠もりすぎた視線。
 彼が女の子であるかもしれないことに未だ拘泥しているクロウに、非常に優しくない腹パンをしました。

「ひぐっ!?」
「御二人も、腹パン、要りますか?」
「い、いやっ、わかった! 君は男だ! それ以外にありはしない!」
「って、オイオイ、学園生って素でこんな強いんか!? ってか、おい! 大丈夫かっ、生きてるか!?」

 クロウを置き去りに、さっさと階段を下りてゆくティノ。
 うずくまったまま、声もだせないクロウは。
 ベズに続き、モロウとガロにも助けてもらうことになったのでした。
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猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

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