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第2章 席替えは運命(妄想)
第5話 妄想の攻めが増殖していく
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廊下の角でぶつかる。
その瞬間、相手の手が伸びて、腕を引かれて――壁際。
息がかかる距離で、低い声が落ちる。
『前、見て歩けよ』
(はい、王道)
次に来るのは、たぶんこうだ。
『……悪い。怪我してない?』
(強めに出てからの、優しさ。はいはい。ずるい)
脳内が勝手にテンプレを並べはじめて、俺は口を閉じた。
息を短く吐いて、視線を落とす。顔に出すな。
――そう思いながら廊下の角を曲がったところで。
「……っ」
現実の誰かと、本当にぶつかりそうになった。
反射で足を止めた俺の肩先を、すれすれで避ける影がある。
同時に、手が伸びてきて、俺の肘のあたりを軽く押さえた。
「危ない」
落ち着いた声。近いのに、うるさくない。
顔を上げなくても分かった。神崎だ。
神崎怜央は、目立つ人間がよくやる“勢い”がない。
近いのに雑じゃない。触れたのは必要な一瞬だけで、すぐ離れる。
「……ごめん」
俺が小さく言うと、神崎は一拍置いて頷いた。
「大丈夫」
それだけ。
それなのに、なぜか心臓が落ち着かない。
(……ハイスペって、こういうことか)
同じことをしても、騒がしくならない。
余計な言葉で場を取らない。なのに、印象だけは残る。
すぐ後ろから、柔らかい声がした。
「朝倉くん」
小鳥遊くんが近づいてきて、俺の顔をのぞく。
「今、ぶつかった? 大丈夫?」
「大丈夫。……ありがとう」
小鳥遊くんは俺が平気だと分かると、神崎のほうにも会釈した。
「神崎くんも、大丈夫?」
「大丈夫」
神崎の返事は短い。
それで会話が終わるはずなのに、小鳥遊くんが少しだけ笑う。
「神崎くん、反射神経すごいね」
「普通」
普通、と言って終わらせる。
その“普通”がすでに普通じゃない。
俺は、口元がゆるみそうになるのを必死で押さえた。
(今のは、怜央×透のテンプレが始まる角度だったのに)
――始まらない。現実だから。
俺がぶつかりそうになっただけで終わる。そういうものだ。
それでも脳内は勝手に続けたがる。
小鳥遊くんが「大丈夫?」って覗き込むの、受けの顔。
神崎がそれを見て、静かに目を細めるの、攻めの顔。
(やめろ。顔に出る)
俺は視線を壁の掲示物に逃がした。
新入生歓迎のポスターが並んでいて、部活勧誘の文字がやたら踊っている。
そこへ、少し離れた場所から視線を感じた。
相沢朔だ。
こっちに向かって歩いてきていたところを、止めた――みたいに見えた。
表情は変わらないのに、目だけが硬い。ほんの一瞬。
俺と目が合う前に、朔は視線をずらした。
ずらすまでが、妙に遅い。
(……ん?)
理由を探しかけて、やめる。
探したところで、いつも通りの結論しか出ない。
朔は世話焼きで、俺が雑で、朔が気づく。
それだけ。
次の授業のために教室へ戻る流れになって、神崎が先に歩き出した。
小鳥遊くんが俺の横に並ぶ。
「朝倉くん、ほんとに大丈夫? 顔、ちょっとびっくりしてた」
「……してない」
「してたよ」
軽く言われて、俺は返す言葉に困る。
小鳥遊くんは、こういうところが鋭い。
教室に入ると、担任が教卓の上を整えていた。
出席簿、プリント、教科書。慌ただしい。
「はい、配る。前から回して」
担任が言うと、神崎が自然に立ち上がり、前列の束を持った。
自分の分だけ取って終わり、じゃなくて、当たり前みたいに手伝う。
神崎が俺の机の前に束を置く。
「朝倉、後ろ回して」
「……うん」
俺は受け取って、後ろに回す。
それだけなのに、教室の視線がちょっと寄るのが分かって、胃がきゅっとなる。
(目立ちたくないのに)
神崎が動くと、周りが動く。
そこに名前を呼ばれると、俺まで巻き込まれる。
小鳥遊くんが小声で言った。
「朝倉くん、神崎くんって、自然に仕切るね」
「……そうだね」
俺が小さく答えた瞬間、隣の通路側から、気配がすっと近づいた。
「伊織」
朔だ。
呼び方だけはいつも通りで、そこだけで少し落ち着く。
「そのプリント、折れてる」
「え」
言われて見ると、束の端がぐしゃっとなっていた。
俺が気づかないまま持ったせいだ。朔が指先で角を整えて、きれいに揃える。
「……ありがとう」
「うん」
短い返事。
いつも通り――のはずなのに、朔の声が少し硬い気がした。
ちょうどその時、神崎が朔のほうへ視線を向けた。
「相沢、助かる」
神崎の言い方は平坦で、余計な色がない。
むしろ礼儀正しい。
なのに朔の返事は、一拍置いてから落ちた。
「……うん」
短い。
硬い。
(……朔、神崎が苦手?)
そう考えた瞬間、頭の中の別の声が勝手に口を挟む。
(嫉妬?)
俺は即座に否定した。
(違う。違うって。朔は世話焼き。俺が雑。そういう関係)
そう言い聞かせているのに、朔の“硬さ”が気になってしまうのが厄介だった。
放課後。
教室の空気がほどけて、みんなが一斉に動き出す。
小鳥遊くんが俺の机の横に来て、いつもの柔らかい声を落とした。
「朝倉くん、一緒に帰る?」
「……うん、たぶん」
たぶん、と言いながら、断っていない自分に内心で突っ込む。
そこへ、神崎が通路を通りながら言った。
「朝倉、気をつけろよ。さっきみたいなの」
「……うん」
神崎はそれだけ言って、あっさり去る。
引き際がうまい。余韻だけ残すみたいに。
俺が鞄を持ったところで、朔が来た。
「伊織」
「……なに」
「帰るぞ」
いつもと同じ言葉。
でも今日は、早い。近い。決めてる感じがする。
小鳥遊くんが「じゃ、またね。朝倉くん」と笑って手を振る。
俺は小さく会釈した。
廊下に出たあと、朔はしばらく黙って歩いた。
その沈黙が、いつもより長い。
家の角が見えたあたりで、朔が前を向いたまま言った。
「……最近、楽しそうだな」
胸の奥が小さく跳ねる。
理由は分からない。分からないから、俺は柔らかく返した。
「……まあね。慣れてきたし」
朔は「そっか」とだけ言う。
それ以上、何も聞かない。
聞かないのに、沈黙の“間”だけが残る。
俺はその間をごまかすみたいに、足元を見て歩いた。
妄想の攻めが増殖していく。
増殖して、困るのは――たぶん、俺だけだ。
その瞬間、相手の手が伸びて、腕を引かれて――壁際。
息がかかる距離で、低い声が落ちる。
『前、見て歩けよ』
(はい、王道)
次に来るのは、たぶんこうだ。
『……悪い。怪我してない?』
(強めに出てからの、優しさ。はいはい。ずるい)
脳内が勝手にテンプレを並べはじめて、俺は口を閉じた。
息を短く吐いて、視線を落とす。顔に出すな。
――そう思いながら廊下の角を曲がったところで。
「……っ」
現実の誰かと、本当にぶつかりそうになった。
反射で足を止めた俺の肩先を、すれすれで避ける影がある。
同時に、手が伸びてきて、俺の肘のあたりを軽く押さえた。
「危ない」
落ち着いた声。近いのに、うるさくない。
顔を上げなくても分かった。神崎だ。
神崎怜央は、目立つ人間がよくやる“勢い”がない。
近いのに雑じゃない。触れたのは必要な一瞬だけで、すぐ離れる。
「……ごめん」
俺が小さく言うと、神崎は一拍置いて頷いた。
「大丈夫」
それだけ。
それなのに、なぜか心臓が落ち着かない。
(……ハイスペって、こういうことか)
同じことをしても、騒がしくならない。
余計な言葉で場を取らない。なのに、印象だけは残る。
すぐ後ろから、柔らかい声がした。
「朝倉くん」
小鳥遊くんが近づいてきて、俺の顔をのぞく。
「今、ぶつかった? 大丈夫?」
「大丈夫。……ありがとう」
小鳥遊くんは俺が平気だと分かると、神崎のほうにも会釈した。
「神崎くんも、大丈夫?」
「大丈夫」
神崎の返事は短い。
それで会話が終わるはずなのに、小鳥遊くんが少しだけ笑う。
「神崎くん、反射神経すごいね」
「普通」
普通、と言って終わらせる。
その“普通”がすでに普通じゃない。
俺は、口元がゆるみそうになるのを必死で押さえた。
(今のは、怜央×透のテンプレが始まる角度だったのに)
――始まらない。現実だから。
俺がぶつかりそうになっただけで終わる。そういうものだ。
それでも脳内は勝手に続けたがる。
小鳥遊くんが「大丈夫?」って覗き込むの、受けの顔。
神崎がそれを見て、静かに目を細めるの、攻めの顔。
(やめろ。顔に出る)
俺は視線を壁の掲示物に逃がした。
新入生歓迎のポスターが並んでいて、部活勧誘の文字がやたら踊っている。
そこへ、少し離れた場所から視線を感じた。
相沢朔だ。
こっちに向かって歩いてきていたところを、止めた――みたいに見えた。
表情は変わらないのに、目だけが硬い。ほんの一瞬。
俺と目が合う前に、朔は視線をずらした。
ずらすまでが、妙に遅い。
(……ん?)
理由を探しかけて、やめる。
探したところで、いつも通りの結論しか出ない。
朔は世話焼きで、俺が雑で、朔が気づく。
それだけ。
次の授業のために教室へ戻る流れになって、神崎が先に歩き出した。
小鳥遊くんが俺の横に並ぶ。
「朝倉くん、ほんとに大丈夫? 顔、ちょっとびっくりしてた」
「……してない」
「してたよ」
軽く言われて、俺は返す言葉に困る。
小鳥遊くんは、こういうところが鋭い。
教室に入ると、担任が教卓の上を整えていた。
出席簿、プリント、教科書。慌ただしい。
「はい、配る。前から回して」
担任が言うと、神崎が自然に立ち上がり、前列の束を持った。
自分の分だけ取って終わり、じゃなくて、当たり前みたいに手伝う。
神崎が俺の机の前に束を置く。
「朝倉、後ろ回して」
「……うん」
俺は受け取って、後ろに回す。
それだけなのに、教室の視線がちょっと寄るのが分かって、胃がきゅっとなる。
(目立ちたくないのに)
神崎が動くと、周りが動く。
そこに名前を呼ばれると、俺まで巻き込まれる。
小鳥遊くんが小声で言った。
「朝倉くん、神崎くんって、自然に仕切るね」
「……そうだね」
俺が小さく答えた瞬間、隣の通路側から、気配がすっと近づいた。
「伊織」
朔だ。
呼び方だけはいつも通りで、そこだけで少し落ち着く。
「そのプリント、折れてる」
「え」
言われて見ると、束の端がぐしゃっとなっていた。
俺が気づかないまま持ったせいだ。朔が指先で角を整えて、きれいに揃える。
「……ありがとう」
「うん」
短い返事。
いつも通り――のはずなのに、朔の声が少し硬い気がした。
ちょうどその時、神崎が朔のほうへ視線を向けた。
「相沢、助かる」
神崎の言い方は平坦で、余計な色がない。
むしろ礼儀正しい。
なのに朔の返事は、一拍置いてから落ちた。
「……うん」
短い。
硬い。
(……朔、神崎が苦手?)
そう考えた瞬間、頭の中の別の声が勝手に口を挟む。
(嫉妬?)
俺は即座に否定した。
(違う。違うって。朔は世話焼き。俺が雑。そういう関係)
そう言い聞かせているのに、朔の“硬さ”が気になってしまうのが厄介だった。
放課後。
教室の空気がほどけて、みんなが一斉に動き出す。
小鳥遊くんが俺の机の横に来て、いつもの柔らかい声を落とした。
「朝倉くん、一緒に帰る?」
「……うん、たぶん」
たぶん、と言いながら、断っていない自分に内心で突っ込む。
そこへ、神崎が通路を通りながら言った。
「朝倉、気をつけろよ。さっきみたいなの」
「……うん」
神崎はそれだけ言って、あっさり去る。
引き際がうまい。余韻だけ残すみたいに。
俺が鞄を持ったところで、朔が来た。
「伊織」
「……なに」
「帰るぞ」
いつもと同じ言葉。
でも今日は、早い。近い。決めてる感じがする。
小鳥遊くんが「じゃ、またね。朝倉くん」と笑って手を振る。
俺は小さく会釈した。
廊下に出たあと、朔はしばらく黙って歩いた。
その沈黙が、いつもより長い。
家の角が見えたあたりで、朔が前を向いたまま言った。
「……最近、楽しそうだな」
胸の奥が小さく跳ねる。
理由は分からない。分からないから、俺は柔らかく返した。
「……まあね。慣れてきたし」
朔は「そっか」とだけ言う。
それ以上、何も聞かない。
聞かないのに、沈黙の“間”だけが残る。
俺はその間をごまかすみたいに、足元を見て歩いた。
妄想の攻めが増殖していく。
増殖して、困るのは――たぶん、俺だけだ。
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