此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭

文字の大きさ
7 / 53

7. 白髭の翁の正体

しおりを挟む

「失礼いたします」

 こういう時、どうしたら良いかなど教えて貰っていなかった。来客があったとしても、美桜は裏方の仕事ばかり命じられていたし、正しい作法など学んでいない。

「おお、美桜さん。来たか。入りなさい」
「はい」

 嫁である百合に対しても優しいという庄屋の声は、その妹で使用人である美桜に対しても穏やかだった。

 障子の向こうに誰が居るのか分からなかったが、どうやら庄屋と客だけでは無いらしいというのが、多くの気配で感じ取れる。

 水の上を水鳥が静かに進むかのように、血の気を無くした手を掛けた障子は、するするとなめらかに開いた。

「お呼びでしょうか」

 部屋に入るなり畳に手を付きこうべを垂れた美桜は、緊張から声が震えてしまったのを恥じて、なかなか視線を上げられないでいる。
 先程チラリと映った視界には、庄屋夫妻と息子、そして百合の姿もあったように思う。
 客が座る床の方まではよく見えなかった。

「顔をお上げ」
「はい」

 庄屋の声掛けにそろそろと視線を上げると、やはり座敷には庄屋夫妻と息子夫婦が揃っている。
 
 そして立派な掛け軸や壺が飾られた床の間の前には、見るからに相当な歳だろうと思われる翁が一人座っていた。眉毛も顎髭も真っ白で、どちらもかなり長い。
 
「椿さんはまだ見つからないのか?」
「申し訳ございません。ただ今マツさんが懸命に探しております」
「ふむ。どうしようか、百合? このお方をあまり長く待たせる訳にもいくまい」

 庄屋がこれ程までに気を遣う相手という事は、もしかするとこの翁はどこかの武家の御隠居かも知れない。そう考えた美桜はマツが探す椿が、一刻も早くこの場所へ来るようにと心の底から祈っていた。

「不出来な妹が失礼をしまして、申し訳ございません。椿には私から後で話しておきます。このままどうかお話の続きをお願いいたします」

 庄屋の問いに対して心底申し訳なさそうな百合が美しい仕草で頭を下げると、庄屋は困ったような表情で口元に笑みを浮かべ、頷く。

「……という事です。多忙なあなた様をお待たせするのも申し訳ない。どうかこのまま百合と美桜さんに、先程の話をしていただけませんか」
「まあワシは一向に構わんが。それなら続きを話すとしよう」

 真っ白な着物を身に付けた翁は、顎髭を手で摩りながら笑った。皺だらけだが優しげなその面持ちに美桜はほんの少しホッとしたけれど、それでもシャンと背筋を伸ばし耳を澄ませる。

「実はのぅ、お前達の父親である弥兵衛はとある場所で床に臥せっておるんじゃ。そう、あれはもう三月くらい前になるか」
「おととさんが⁉︎」

 思わず大きな声を上げてしまった美桜に気を悪くした様子を見せる事なく、翁はうんうんと頷いて見せた。百合が小さな声で窘めると、美桜は無意識に浮かせていた尻を下ろす。

「そうじゃ。そこでこの所になってやっとこさ口が聞けるようになっての。まだ身体は到底まともに動ける状態では無いんじゃが、どうしても娘に会いたいと言うておる」
「おととさんは病気なのですか?」

 美桜はすっかり言葉を失って、顔色が悪い。反対にいつもと変わらず冷静な様子の百合が尋ねると、翁は髭を弄びながらこくりと頷いた。

「倒れてから、片手片足が上手く動かせん。幸いにもだいぶ口は聞けるようになったが、はじめはそれも出来なんだ」
「そうですか。それではあなた様か、またはどなたかが、おととさんのお世話をしてくださったのですね。ありがとうございます」
「礼には及ばん。暇な奴らが多いのでな、順番こに面倒を見とる。すぐに死んでもおかしく無い状態だったというのに、娘が心配で死に損なったと言うておったわい」

 カッ、カッ、カッ、カッ! と喉の奥から笑い声を上げる翁は、じっと黙って話を聞いていた庄屋の方を見る。
 翁と目が合った庄屋はわずかに口元を緩ませると、ゆっくり瞬きをしながら頷いた。

「そこでな、ワシは娘を探して弥兵衛に聞いた村へと向かったが、家はもぬけの殻。その辺におる野良仕事をしていた男に聞いてみれば、姉妹は寛太郎の家におると言う。これは何かの縁じゃと思ってのぅ」

 ここにいる人間で美桜以外の者は、寛太郎というのが庄屋の名前であると知っている。家長の名前を軽々しく呼び捨てるこの翁は、相当な立場の者だという事だ。
 美桜だけは未だ事態が飲み込めずに、困惑した表情を浮かべた。

「百合、美桜さん、このお方は代々この家を守ってくださっているありがたいお方で、産土神うぶすながみ様だよ。ここにおいでになったのは数十年ぶりで、思えば寛司も会った事は無いな」

 美桜も百合も、庄屋の言葉で目の前の翁が産土神だと知って、畳に額を擦り付けるほどの勢いで頭を下げた。
 すると産土神は眉間に皺を寄せ、ひらひらと手を振りながら「やめてくれ」と言う。
 
「ワシは歳ばっかり取った、ただの老いぼれじゃよ。それよりも百合に美桜、お前達には頼みがあってのぅ。うーん、しかしのぉ……これはなかなか……難しい頼みでな」
「私達姉妹に頼みとは……一体何でしょうか?」

 珍しく動揺を隠せない様子の百合が尋ねると、産土神は皺だらけの顔をなお一層くしゃりとさせて笑った。


 五体の自由が効かない父親の面倒を三月の間も看てもらったのだから、それ相応の対価を求められるのでは無いかと不安になる。
 難しい頼みと言うくらいだ。それが姉妹に払えられる物ならば良いが、そうでなければどうなるのだろうか、と。

「百合はこの家に嫁いでおるし、今は腹に子がおるから無理じゃろう。その代わり二番目の椿か、三番目の美桜を弥兵衛の所へ来させてくれんか」

 産土神の意外な言葉に、美桜は驚いて声を上げてしまいそうになる。子を宿している事は知らなかった。
 
 けれどそれよりも先に、廊下と部屋を隔てる障子が破裂したような音を立てて勢い良く開かれたので、そこに居た皆が自然とそちらに顔を向けたのだった。

「美桜を行かせてください!」
 


 
しおりを挟む
感想 10

あなたにおすすめの小説

皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜

菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。 まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。 なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに! この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。

おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜

瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。 大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。 そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。 ★第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。

烏の王と宵の花嫁

水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。 唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。 その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。 ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。 死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。 ※初出2024年7月

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました

しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、 「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。 ――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。 試験会場を間違え、隣の建物で行われていた 特級厨師試験に合格してしまったのだ。 気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの “超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。 一方、学院首席で一級魔法使いとなった ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに―― 「なんで料理で一番になってるのよ!?  あの女、魔法より料理の方が強くない!?」 すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、 天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。 そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、 少しずつ距離を縮めていく。 魔法で国を守る最強魔術師。 料理で国を救う特級厨師。 ――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、 ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。 すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚! 笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

処理中です...