9 / 53
9. 麺処あやかし屋
しおりを挟む「おい、大丈夫か? そんな真っ白な顔をして。気を失うなよ」
「は……はい。ありがとう……ございます」
あの後、庄屋の屋敷には人間の言葉を喋る大きな猪が三頭も現れた。そのうち一頭の猪はとある山の主だと名乗り、弥兵衛が居る店の常連なのだと美桜に話す。
そうしてそれぞれが美桜と少ない荷物を背中に乗せると、凄い速さで集落を駆け抜けて行く。
あんまり動きが速いからか、不思議と猪達が走る姿は村人達の目に一切止まらないようで、皆一様にまるでつむじ風が起きたかのような反応を見せるのだった。
「こうして駆ける我らの姿は人には見えぬ。こんなに大きな図体の猪が現れれば、すぐに大騒ぎになるからな」
「不思議です」
「我らはこれまでもずっと、人のそばに居たのだよ。ただ姿が見えぬだけで」
美桜はその不思議な光景を目の当たりにしてそれはそれは驚いたが、それよりも気を抜けば猪の背から振り落とされるのでは無いかと気が気でない。
「さあ、そろそろ到着だ」
「ご親切に、ありがとうございました」
やっと青峰山の中程まで来た所で、猪は駆ける速度を緩める。集落を出てからここまで、美桜の体感としてはほんの僅かな時間に感じられたが、人間の足ならば数日かかるところだ。
「それにしても、お前はあまりに軽いな。もっと肥えなければ弥兵衛の世話どころか、元気な子を産む事も出来んぞ」
「子……?」
山の主の言葉に美桜が短く聞き返すと、荷物を背に乗せていた他の猪達が慌てた様子で口を挟む。
「ぬ、主様! それは……!」
「秘密です……っ!」
急な山の斜面をもろともせず、図体の大きな猪達がドタドタと慌てふためく姿に美桜が目を見開いていると、山の主は「そ、そうだったか」と口ごもってしまう。
「まあ将来はどうなるか、誰にも分からん事だ。いつか誰かの子を宿した時に、その痩せ細った身体では持つまい……という意味だ。母となるには健康な身体が必要だろう。これからは美味いうどんをたくさん食べ、よぉく肥えるがいいさ」
「将来……ですか」
「ああ! ほらほら、あそこに見えるだろう。あれが麺処あやかし屋だ」
そう言われた美桜が進行方向へと目を凝らして見ると、こんな深い山の中とは思えないほど立派な店構えをしたうどん屋が現れた。
どうやら店の奥は住まいになっているらしく、少しだけ山を切り開いて作られた平地に建てられている。
「饂飩……」
美桜の前には『饂飩』と書かれた看板が軒下に吊るされている。
文字が書かれた長方形の板には細長い紙が何本も吊るされ、見ただけで麺類の店だと分かるようになっていた。
これまで美桜はうどん屋のうどんを食べた事が無い。もちろん集落にうどん屋など無かったし、美桜は町へ出た事が無いので、うどんと言えば家で弥兵衛が打った物や近所の家々でご馳走してもらう物しか知らないのだ。
どうやら話に聞くうどん屋とはこういった物らしいというのが分かると、美桜は途端に嬉しくなった。
狭い世界しか知らなかった美桜にとって、今日のような新しい体験は非常に刺激的に感じられるのだ。
そして生まれて初めて目にしたうどん屋は、美桜の目には雪景色のようにキラキラと輝いて見えた。
外まで漂って来る出汁の良い匂いも、いつも食べているうどんの出汁と同じはずなのに、平らな美桜の腹に強い空腹感をもたらす。
「では入ろうか」
ぼーっとその場に立ち尽くしていた美桜が山の主の声に振り向くと、そこには見慣れぬ三人の男が立っていた。
顔と身体に赤色の染料で独特の模様を描き、猪の毛皮らしい物を腰回りに纏った男達は、どうやら先程まで巨大な猪の姿だった物怪が人の形に化けたものらしい。
「あれでは店に入るのに大き過ぎる。このあやかし屋に足を踏み入れるには、いくつかの決まり事があるのさ」
山の主は三人のうち一際逞しい胸を拳でドンと叩いてから、美桜を店内に入るよう促した。
山奥にあるこの店は大変繁盛しているようで、引き戸の向こうからは賑やかな声が行き交っている。
「こんにちは」
遠慮がちに声を掛けながら引き戸に手をやり、そろそろと右に寄せると、引き戸はガラガラと小気味良い音を立てて軽やかに開いた。
するとより一層強いいりこ出汁の香りが鼻をつき、ムワッとした温かな湯気が美桜の頬を撫でる。それがとても心地良い。
ところが先程までとても賑やかだった店内が、美桜と猪達が現れた途端にシンと静まり返る。
客は全員入り口の引き戸の方へと顔を向け、時が止まったかのように動かない。しかも、うどんを啜っていた者はその姿勢のままで固まった。
彼らの中には人間に良く似た者も居れば、明らかに異形の者も居る。
確かにここは様々なあやかし達が集う店のようだ。
「いらっしゃいませ」
どうしたものかと美桜が山の主を見上げた時、店の奥から若い男のゆったりとした声がした。
0
あなたにおすすめの小説
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
★第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる