38 / 53
38. 百合の不安
しおりを挟む百合の息子は庄屋によって司郎と名付けられていた。
弥兵衛は初孫の司郎可愛いさに、片時も離れたくないようだ。
座敷の畳に座り片腕だけで器用に抱く事を覚えると、近くで百合と美桜がお互いの近況を話し合っているのもそっちのけで司郎をあやしている。
百合はそんな弥兵衛の方をチラリと見て、司郎がご機嫌である事を確認すると、再び美桜の方へと視線を戻したのだった。
母になった百合の横顔は慈愛に満ちているようで、以前にも増して美しい。
「それじゃあ美桜は、いつか遠夜さんと祝言をあげるの? すぐというわけではないのよね?」
今は美桜が麺処あやかし屋について、それに牛鬼の倅である遠夜と恋仲になった事を話し終えたところだった。
「祝言だなんて! とてもそんな事までは考えていなかったわ」
改めて口にされた「祝言」という言葉に頬を染める美桜に対し、百合は真面目な顔を崩さない。
「でもいつかはそうするものでしょう。けれども遠夜さんのような半妖の存在に、祝言だなんて概念はあるのかしら」
「それは……分からないけれど、牛鬼と楓さんが夫婦になったのだから、私達も望めばいつかは夫婦になる事が出来るとは思うの」
百合はいつまでも子どもだと思っていた末っ子の美桜が一人前に恋愛を知ったのを嬉しく思う反面、その相手がこの辺りでは悪名高い牛鬼の倅だという事に戸惑っていた。
牛鬼の過去については美桜からかいつまんで説明を受けたものの、人とは異なる存在……半妖が相手だという事に、どうしたって得体の知れない不安が付き纏うのだ。
「美桜、本当に遠夜さんでいいの? とても良い人だというのは分かるけれど……不安はないの?」
そう尋ねておきながら、百合の方が余程不安そうな表情になっている。
美桜は自分を思う百合の心配ももっともだと思って、湧き上がる恥じらいを捨てて自分の素直な気持ちを口にした。
「不安はないわ。私は遠夜さんがいいの。あの人以外の他の人を選ぶ事なんか、絶対に考えられない」
長年一緒に過ごして来た百合も、美桜がこんなにも強い眼差しで言葉を紡ぐのを見た事がない。
姉妹の中で誰よりも病弱で華奢で、生まれ持った優しさも相まってどこか危うい儚さを持ち合わせていた美桜。
それが今や姉達のように健康な身体となっただけでなく、これまでの美桜にはどこか足らなかった、しなやかな強さや自信のようなものを感じさせる。
「そう。決心は固いのね」
「心配をかけてごめんなさい。小さい頃からずっと、いつも私を心配してくれる百合姉さんの気持ちは、本当にありがたいわ」
そう口にして心から幸せそうに笑った美桜を見て、百合はやっと険しい表情を緩めた。
「当然よ、美桜は大切な妹だもの。でも、もう美桜には遠夜さんがいるのだから、少しくらい私が手を離しても大丈夫ね」
「うん。ありがとう」
はにかみつつも大きく頷く美桜を見て、百合は再び視線を我が子の方へと向ける。
「あと私が心配なのは、椿よ」
百合によれば椿は相変わらずらしい。
近頃は朝早く出掛けて男と逢引きしている姿を度々人に見られているというのだから、この家の嫁である百合にしてみれば頭が痛い問題であった。
「椿の相手のシンさんという人は、かなり自堕落な生活を送っていて、暫くは椿を嫁に貰うつもりは無いそうよ」
「まぁ。そうなの?」
「ええ。椿の方はその気だけれど、相手の方はなかなか重い腰を上げないみたい」
心底困り果てたというように百合は眉尻を下げ、溜め息を吐きつつ軽く肩をすくめる。
「それと、おととさんの事も……」
庄屋の家に嫁に来た百合は、気軽に弥兵衛の住む家に行く事も出来ない。赤子が居たら尚更だろう。
かといって椿も恋仲のシンと離れて隣の集落に住む弥兵衛と暮らすというのは考え難い上に、これまでの様子から、とても家事をするとは思えない。
長女である百合の心配は尽きなかった。
そんな心配を知ってか知らずか、先程と変わらずしっかりと片腕に司郎を抱いている弥兵衛は、飽きる事なくまだ目もよく見えていない赤子に延々と話しかけている。
「ん? 司郎、暑いのか? 眉間にプツプツと汗をかいて」
「おととさん、暑いようなら障子を開けましょうか?」
百合が声を掛ける。けれども弥兵衛は、自分で出来るから構わないと答えた。
「でも、大丈夫かしら……」
百合と美桜が見守る中、弥兵衛は一度司郎を畳に寝かせて自ら立ちあがろうとする。
健康であったならすぐに出来る動作も、身体に麻痺が残った今の弥兵衛には難しい。
「やっぱり手伝いましょうか?」
立ち上がり、美桜と百合は揃って弥兵衛に近付いた。
「いいや、構わねぇ。家に帰ったら一人で何でもしなきゃならねぇからな」
「そう……」
弥兵衛に向かって差し出した手を、百合は行く場を失って引っ込めた。
とはいえ、ずっとそばにいた美桜と違って、百合は未だ身体が不自由そうな父親の様子を見慣れていない。
弥兵衛のおぼつかない動きにハラハラして、つい手助けをしたくなってしまうのも仕方がない事だろう。
「まぁ見てろ」
動く方の手足で身体を支え、弥兵衛は不自由な片足を引き摺りながら姿勢を起こす。あらかじめ用意してもらっていた踏み台に手を掛け、じわじわと立ち上がっていく。
「おととさん、頑張って……」
百合は思わず口にしていた。隣で美桜も固唾を飲んで見守っている。
「よ……っと」
弥兵衛は踏ん張りで顔を真っ赤にしながらも、麻痺が残っている方の足も使いつつ、とうとう一人で立ち上がる事が出来たのだった。
「はぁ……はぁ。こんな事も前に比べりゃ一苦労だが、これから色々考えて工夫していけば、おら一人でも暮らしていけるさ。なぁ!」
胸を叩き、歯を見せて笑う昔と変わらない父親の笑顔は、娘二人の心を強く揺さぶった。
百合が嫁ぎ、美桜も遠夜の元へと帰って行く。椿は自由に生きるだろう。
弥兵衛はそんな娘達の幸せの邪魔を決してするまいとして、自分は大丈夫だと見得を切ったのだ。
弥兵衛が開けた障子から、涼しい風が舞い込んでくる。
「いいか、おらは大丈夫だ。いざとなったら新しく出来た友が大勢いるし、呼び付けたら飛んで来てくれるとさ。だから百合、お前もこれからは司郎とこの家の心配だけしとけ」
中風を患う前よりも一回り程身体が小さくなった弥兵衛だが、亡くなった妻の分もと娘達に惜しみなく向けられる愛情は変わらない。
美桜と百合の頬に、揃ってツウと一筋光るものがあった。
0
あなたにおすすめの小説
皇太后(おかあ)様におまかせ!〜皇帝陛下の純愛探し〜
菰野るり
キャラ文芸
皇帝陛下はお年頃。
まわりは縁談を持ってくるが、どんな美人にもなびかない。
なんでも、3年前に一度だけ出逢った忘れられない女性がいるのだとか。手がかりはなし。そんな中、皇太后は自ら街に出て息子の嫁探しをすることに!
この物語の皇太后の名は雲泪(ユンレイ)、皇帝の名は堯舜(ヤオシュン)です。つまり【後宮物語〜身代わり宮女は皇帝陛下に溺愛されます⁉︎〜】の続編です。しかし、こちらから読んでも楽しめます‼︎どちらから読んでも違う感覚で楽しめる⁉︎こちらはポジティブなラブコメです。
おにぎり屋さんの裏稼業 〜お祓い請け賜わります〜
瀬崎由美
キャラ文芸
高校2年生の八神美琴は、幼い頃に両親を亡くしてからは祖母の真知子と、親戚のツバキと一緒に暮らしている。
大学通りにある屋敷の片隅で営んでいるオニギリ屋さん『おにひめ』は、気まぐれの営業ながらも学生達に人気のお店だ。でも、真知子の本業は人ならざるものを対処するお祓い屋。霊やあやかしにまつわる相談に訪れて来る人が後を絶たない。
そんなある日、祓いの仕事から戻って来た真知子が家の中で倒れてしまう。加齢による力の限界を感じた祖母から、美琴は祓いの力の継承を受ける。と、美琴はこれまで視えなかったモノが視えるようになり……。
★第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞をいただきました。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる