此処は讃岐の国の麺処あやかし屋〜幽霊と呼ばれた末娘と牛鬼の倅〜

蓮恭

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40. 宣戦布告

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 翌日、同じ屋敷に居ながらも初日以降は一切顔を合わせなかった椿が、わざわざ美桜を尋ねてきた。

「椿姉さん、一体どうしたの?」

 椿は美桜をわざわざ弥兵衛や百合のいる場所から呼び出し、人気のない廊下まで連れ出す。

 きっと弥兵衛や百合に聞かれたくない話なのだろうとは検討がついていたものの、椿の口から語られた事は美桜の予想を大幅に超えたものだった。

「私が百合姉さんにこき使われている間、美桜は随分といい暮らしをしていたようね。前は骸骨みたいに痩せ細っていたのに、今じゃあすっかり元気そうじゃないの」
「え……っ」
「それに、私見たんだから」

 椿はニヤリと笑った口元に手を当て、声を小さくして言う。

「昨晩美桜が庭に男を連れ込んでいるのを」

 あの時周囲には誰も居ないと思っていたのに、姉に遠夜との逢瀬を見られていたのだと知った美桜は、恥ずかしさで顔から火が出るところだった。

「連れ込むだなんて……」
「だって随分と親しげにしていたじゃない。美桜はおととさんの世話をしていたはずなのに、いつのまにあんな人をたらし込んだの」

 椿はいつも妹の美桜を見下している。

 百合とも美桜とも折り合いが悪く、特に美桜に対しては幼い頃からずっと嫌悪感に近い感情すら抱いていた。
 故に、美桜が自分よりも恵まれている事があると許せない。
 
「あの方は……倒れたおととさんを預かってくださっていたうどん屋の方よ」
「へえ……うどん屋の。あんな人が居ると知っていたら、おととさんの所へは私が行ったのに」

 美桜には椿の言いたい事が分からない。

 確かに昨晩は庄屋の屋敷の敷地に遠夜が忍び込んだような形になった。
 はじめはその事を咎められるのだとばかり思っていたのに、どうやら風向きが違っているようだ。

「椿姉さん、一体何が言いたいの?」

 この時の美桜の声には珍しく棘が含まれていて、椿は一瞬驚いたように目を見開いたものの、すぐに口元に弧を描いて余裕を見せる。

「あの人、名前は何て言うの?」
「……遠夜さん」

 元来素直な美桜は椿の問いを無視する訳にもいかず、けれども無意識の抵抗からかごく小さな声で答えた。
 
「ふうん。遠夜さんと言うのね。それで、また遠夜さんは此処へ来るの?」
「どうして椿姉さんがそんな事を聞くの?」

 どうにも嫌な予感がする。

 これまで美桜は椿に反抗らしい反抗をした事が無かったし、たとえどんなにひどい仕打ちをされても受け入れて来た。
 けれども遠夜の事を執拗に尋ねてくる椿に対して、美桜は明らかな苛立ちを覚えたのだった。

「馬鹿ね。何を勘違いしてるのか知らないけど、おととさんが遠夜さんに世話になったのに、娘の私が感謝の一つも伝えないなんて薄情じゃない。直接ご挨拶して感謝を伝えようと思っただけよ」

 前回を覚えていないくらい久しぶりに、椿が美桜に笑いかける。
 多くの人から美しいと誉めそやされる椿の微笑みは、妹の美桜から見ても非常に魅力的に見えた。

 これまでの事を考えれば、遠夜に感謝を述べたいという椿に他意があるのは火を見るより明らかである。

「ねぇ! 黙っていないで返事をしなさいよ!」

 せっかく人気の無い所へ呼び出したのも忘れて声を上げた椿は、段々と不機嫌さを隠さなくなっていた。
 
 どうしたら良いかと美桜が考えあぐねているうちに、キッと目を吊り上げていた椿の顔が、唐突に勝ち誇ったような表情に変わった。

「ああ、なるほど。分かったわ」

 椿は敢えてゆっくりとした口調で話す事で、さも今しがた思い付き、やっと腑に落ちたとでも言うように振る舞う。

 吊り目がちな瞳をふっと細め、椿の花のような赤い紅を引いた口角をクイと持ち上げる椿は、他人から自身を見た時に一番美しく見える表情がどういうものか、というのをよく知っている。

「美桜は遠夜さんが美しい私を見て目移りしないか心配なんでしょう? だから私に会わせたくないんだわ。ほんっと、アンタって何て卑しい心の持ち主なのかしら」
「そんな……椿姉さん……っ、私はそんな事は……」

 思っていない……といえば嘘になる。

 確かに美桜は眉目秀麗の男を好む椿が、端正な顔立ちの遠夜を放っておくとは思えないと考えていたからだ。

 正直者の美桜は、思った事を隠せない。ぐっと押し黙ってしまった美桜を見て、椿は楽しそうに笑い声を上げる。
 
「山奥で、しかも人外ばかりがお客のお店でしょう。人間の女っけのない場所で過ごしていた遠夜さんは、出来損ないのアンタでもよく見えた事でしょうね」

 自分の中に渦巻く黒い感情に戸惑い、どうしたら良いか分からずに気持ちを持て余している美桜は、椿の言葉になかなか反論出来ないでいた。

 そうしてやっと口に出来た言葉は、やっぱり遠夜に椿を近付けたくないという思いが含まれたものになってしまう。

「でも、椿姉さんにはシンさんという人がいるんじゃ……」

 椿は遠夜をどうこうしようなどと口に出してはいない。けれども美桜は胸がざわついて仕方がないのだ。

「あら、美桜ったら。シンさんの事知ってたのね」
「前に一度見かけたわ」
「そうだったかしら」

 普段はあまり仲が良いとは言えないが、椿は血の繋がった実の姉だ。
 むやみやたらと嫉妬するなんていけないと良心は訴えかけてくるも、美桜の心は落ち着かない。
 
「でもねぇ、シンさんはいつまで経っても私を貰ってくれないし。それに遠夜さんの方が顔が良いんだもの。この際遠夜さんに鞍替えしようかしら」
「そんな……」
「なぁに? 駄目とは言わせないわよ。だってそれを決めるのは美桜じゃないもの。誰を好きになるかは遠夜さんの自由だわ」

 それは明らかに椿の詭弁であったが、恋愛に疎い美桜は椿の言う事は確かに正しいと思えてしまったのだ。

「そうでしょ? 美桜。ふふ……別にアンタが教えてくれなくても構わないわ。やり方は色々とあるもの」

 そう言い残して椿は去って行く。軽やかな足取りの後ろ姿を、美桜は黙って見送るしか出来なかった。
 
 美桜はこんな時にもはっきりと気持ちを口に出来ない自分に心底嫌気がさしてしまうが、姉妹の長年の関係性というのは、何もしなければそう簡単に変わるものではない。

 遠夜の時のように、美桜が椿との関係性や心持ちを腹の底から変えたいと思わなければならないのだ。
 自分の不甲斐なさに視界が歪む。美桜はふらりとしながらも何とかその場を後にした。

 

 

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