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003 希望亭への帰還
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司令官の冷ややかな視線に見送られ、私は帝国兵たちの手によって再び連行されていった。広場のあの台座から引きずり下ろされるとき、何人もの兵士が私の身体を押さえつけ、手早く複数の鎖を外す。急に自由になったような錯覚があったが、それは“逃がしてもらえる”という意味では決してない。彼らは私の腕を乱暴に掴み、鎖の代わりにいくつかの革のベルトを身体に巻きつけ、移動しやすいように拘束の形を変えただけだった。
道中、帝国兵の先頭を進む上官とおぼしき男が、あえて振り返りもせずに低い声を私へ向けて投げかける。
「――おまえには、これから帝国への“償い”をしてもらう。手始めに、ここがどういう施設かを知っておくがいい」
人通りの少ない裏通りを抜けると、建物の外壁に汚れた看板がぶらさがっているのが見えた。文字は薄汚れていて読みにくいが、かろうじて「希望亭」という看板だとわかる。かつて白鴉の本拠地であった面影はすでになく、扉からはけばけばしい灯りが漏れていた。外から聞こえてくるのは酒と嘲笑の声が入り混じった、荒んだ空気。私が強引に扉の中へ押しやられると同時に、鼻をつくものは悪酔いした兵士たちの汗と、油の焼けるような臭いだった。
広いバーカウンターといくつかのテーブル席。かつては義勇兵たちが作戦会議や、仲間同士の情報交換を行った場所に違いない。今やここは帝国兵たちの娯楽施設として、彼らの好き放題に使われているのだろう。奥へと続く部屋があるようで、時折下卑た笑いや、耳障りなくぐもった声が漏れてくる。
上官は少し振り返り、私の表情を窺いながら続ける。
「本来ならば、処刑台であの団長と同じ末路をたどってもよかったが……。おまえはまだ“使える”と判断されただけ、幸運だったな。――“白鴉”の副団長アリア・ハートフィールド。ここで何をさせられるかは……わかっているはずだ」
最後の言葉には、明らかに愉悦を滲ませた嘲弄の響きが混じっていた。私はうつむいたまま、小さく息を吐く。すでに“自由”や“誇り”、それどころか“人間らしさ”さえ奪われた自分を自覚しながら、彼の問いかけに答える術もなかった。
代わりに、上官の脇に控えていた、やけに細身で狡猾そうな兵士が、私の頬をひとつ撫でてきて口を開く。
「まずは朝。開店前に店の掃除や準備をするのがおまえの“仕事”だ。床を磨き、客用のグラスを洗う。食事の支度もできるならやれ。兵隊様が好きな料理を作れるようになれば、おまえ自身の評判も上がるだろうよ」
言葉尻だけは“仕事”というが、実際は奴隷も同然の扱いだろう。彼は嫌らしく目を細めながら続ける。
「そのあと開店したら、客である帝国兵の要望に応じて“接客”をする。相手が求めるなら体も差し出せ。丁寧にな。少しでも愛想が悪かったり、おとなしく言うことを聞かなければ……そのツケは高くつくと思え」
傍らの上官がさらりと言い足す。
「それに、昼間は貴族連中や官僚どもが立ち寄ることもある。そいつらの機嫌を損ねれば、ここにはいられない……それどころか、どこへ飛ばされるかもわかったものじゃないぞ」
どこへ“飛ばされる”か――。さらに過酷な監禁施設か、またはもっと悲惨な慰安所かもしれない。何を示唆しているのかはわからないが、どちらにせよろくなことではない。私は痛む右肩を押さえながら小さくうなずいた。あの日から、何もかもが自分の意思とは無関係になってしまったのだから。
「夜になれば、酔った兵士や客がもっと増える。酒の相手が足りなければ、おまえが酌をしろ。体を撫で回されようが、乱暴に扱われようが、笑って応じろ。媚びるしかない、それがおまえの“役目”だ」
見下すような視線を投げかける兵士は、私の腕輪――銀の腕輪をわざとらしく指で叩く。
「ほら、その簡単には外れない腕輪……そんなものもう意味はないさ。だが、もしおまえが“いい子”にしていれば、恩恵くらいはあるかもな」
彼らのあまりに冷酷な口調に、私はかすれそうな声で尋ねた。
「……恩恵、とは……?」
それは、絶望に沈みながらも、もしかすると王女様や仲間を救う一縷の望みが得られるかも知れない、という淡い期待から出た言葉だったのかもしれない。しかし、上官がくつくつと含み笑いをもらす。
「すぐにわかる。おまえが利用価値を示せば、敬意深い客や多少の贅沢くらいは“与えてやれる”だろう。店での身なりだってもう少し見栄えを良くしてもらえるかもな。その際は、あの誇り高い“白鴉”のリーダーが使っていた部屋や調度品を引きずり出して、おまえに見せてやってもいい。もっとも、すべては帝国の許し次第だがな」
“同胞の思い出さえ、見世物にされる”――その悪意に満ちた提案を聞いて、私は胸の奥がじわりと軋むのを感じた。仲間たちの血と汗と誇りが染みついていた品々を、今の私がどういう顔で見るというのか。けれど、それが“これから”の日常である以上、拒むことも抗うことも許されない。
「さあ、部屋へ案内してやれ」
合図とともに、私を取り囲む帝国兵がぞんざいに腕を引っ張る。バーカウンターの奥に通された先は、薄暗い廊下。その先に複数の小部屋が並んでいる。荒い木の扉を一つ開けられると、そこにあったのは最低限の寝台と洗面台、そして古びた椅子とテーブルだけ。まるで見張りの兵士が急場で寝泊まりするための部屋か、あるいは倉庫を改装したような無機質さが漂っていた。
「ここがおまえの部屋だ。掃除も寝起きもすべてここでやれ。途中で逃げようなどという無駄な企みはするなよ――周囲には監視の目がいくらでもあるし、例え逃げたところで収容所に逆戻りだ。再び生きて出られる保証はない」
そう言い放つ兵士の横で、上官が静かに腕を組む。
「おまえは我々の手の中だ。ひと思いに殺してやるより有用だから、生かされている――その意味を忘れるな。日々の客あしらい、酒の世話、そして夜の“奉仕”……それらを怠れば、結局は自分の首を絞めることになるだけだ」
突き刺すような言葉を放つ彼らを前に、私はただ虚ろにうなずくしかなかった。この場所での日常がどうなるのか――容易に想像がついてしまう。その一方で、まだ奥底に残る「もう一度だけ立ち上がれるかもしれない」というかすかな願いすら、帝国兵のあざ笑うような視線と、重苦しい圧力の前で押し殺されていく。
一人、また一人と兵士たちが部屋から出ていき、最後に上官がドアの前で立ち止まった。
「それから……おまえの古い仲間やあの王女を見つけ出すために、今後も聞きたいことが山ほど出てくるはずだ。そのときは協力しろ。さもなくば、その腕輪がどれほど尊い思い出でも手首ごと切り落としてやるし、もっと悲惨な結末を迎えることになるだろう」
心臓がにわかに締めつけられ、銀の腕輪を思わず握り込む。王女様との誓いという最も大切なものが、いともたやすく脅迫の材料にされている現実。応じなければならない、そうしないと、もう守れるものが何もない。自分の“存在意義”さえもまた、簡単に奪われる。私は口をひき結び、声にならない返事を目で示すしかなかった。
上官は満足げに鼻を鳴らし、部屋の扉を乱暴に閉める。鍵が回る音が部屋に重たく響き渡ったあと、廊下から足音が遠ざかっていくのがわかる。押しつぶされるような沈黙が残り、私は乾いた唇を噛みしめながら、安っぽい寝台に腰を下ろした。
(――ここが、これから私の生きる場所)
かつて『白鴉』の集会で聞こえていた仲間同士の熱い決意や、王女様と過ごした静かで満ち足りた時間が、遠い昔の幻のように脳裏をかすめる。けれど、その光ももう二度と戻らないと、頭ではわかっている。
重たい空気のなか、右手首でカシャリと揺れた銀の腕輪だけが、かつての私を嘲笑するかのように鈍く光を放っていた。今となっては護るべきものなのか、捨てられない枷なのかさえ判然としないまま――私はここ、「希望亭」での日常を、生きていくしかなかった。
道中、帝国兵の先頭を進む上官とおぼしき男が、あえて振り返りもせずに低い声を私へ向けて投げかける。
「――おまえには、これから帝国への“償い”をしてもらう。手始めに、ここがどういう施設かを知っておくがいい」
人通りの少ない裏通りを抜けると、建物の外壁に汚れた看板がぶらさがっているのが見えた。文字は薄汚れていて読みにくいが、かろうじて「希望亭」という看板だとわかる。かつて白鴉の本拠地であった面影はすでになく、扉からはけばけばしい灯りが漏れていた。外から聞こえてくるのは酒と嘲笑の声が入り混じった、荒んだ空気。私が強引に扉の中へ押しやられると同時に、鼻をつくものは悪酔いした兵士たちの汗と、油の焼けるような臭いだった。
広いバーカウンターといくつかのテーブル席。かつては義勇兵たちが作戦会議や、仲間同士の情報交換を行った場所に違いない。今やここは帝国兵たちの娯楽施設として、彼らの好き放題に使われているのだろう。奥へと続く部屋があるようで、時折下卑た笑いや、耳障りなくぐもった声が漏れてくる。
上官は少し振り返り、私の表情を窺いながら続ける。
「本来ならば、処刑台であの団長と同じ末路をたどってもよかったが……。おまえはまだ“使える”と判断されただけ、幸運だったな。――“白鴉”の副団長アリア・ハートフィールド。ここで何をさせられるかは……わかっているはずだ」
最後の言葉には、明らかに愉悦を滲ませた嘲弄の響きが混じっていた。私はうつむいたまま、小さく息を吐く。すでに“自由”や“誇り”、それどころか“人間らしさ”さえ奪われた自分を自覚しながら、彼の問いかけに答える術もなかった。
代わりに、上官の脇に控えていた、やけに細身で狡猾そうな兵士が、私の頬をひとつ撫でてきて口を開く。
「まずは朝。開店前に店の掃除や準備をするのがおまえの“仕事”だ。床を磨き、客用のグラスを洗う。食事の支度もできるならやれ。兵隊様が好きな料理を作れるようになれば、おまえ自身の評判も上がるだろうよ」
言葉尻だけは“仕事”というが、実際は奴隷も同然の扱いだろう。彼は嫌らしく目を細めながら続ける。
「そのあと開店したら、客である帝国兵の要望に応じて“接客”をする。相手が求めるなら体も差し出せ。丁寧にな。少しでも愛想が悪かったり、おとなしく言うことを聞かなければ……そのツケは高くつくと思え」
傍らの上官がさらりと言い足す。
「それに、昼間は貴族連中や官僚どもが立ち寄ることもある。そいつらの機嫌を損ねれば、ここにはいられない……それどころか、どこへ飛ばされるかもわかったものじゃないぞ」
どこへ“飛ばされる”か――。さらに過酷な監禁施設か、またはもっと悲惨な慰安所かもしれない。何を示唆しているのかはわからないが、どちらにせよろくなことではない。私は痛む右肩を押さえながら小さくうなずいた。あの日から、何もかもが自分の意思とは無関係になってしまったのだから。
「夜になれば、酔った兵士や客がもっと増える。酒の相手が足りなければ、おまえが酌をしろ。体を撫で回されようが、乱暴に扱われようが、笑って応じろ。媚びるしかない、それがおまえの“役目”だ」
見下すような視線を投げかける兵士は、私の腕輪――銀の腕輪をわざとらしく指で叩く。
「ほら、その簡単には外れない腕輪……そんなものもう意味はないさ。だが、もしおまえが“いい子”にしていれば、恩恵くらいはあるかもな」
彼らのあまりに冷酷な口調に、私はかすれそうな声で尋ねた。
「……恩恵、とは……?」
それは、絶望に沈みながらも、もしかすると王女様や仲間を救う一縷の望みが得られるかも知れない、という淡い期待から出た言葉だったのかもしれない。しかし、上官がくつくつと含み笑いをもらす。
「すぐにわかる。おまえが利用価値を示せば、敬意深い客や多少の贅沢くらいは“与えてやれる”だろう。店での身なりだってもう少し見栄えを良くしてもらえるかもな。その際は、あの誇り高い“白鴉”のリーダーが使っていた部屋や調度品を引きずり出して、おまえに見せてやってもいい。もっとも、すべては帝国の許し次第だがな」
“同胞の思い出さえ、見世物にされる”――その悪意に満ちた提案を聞いて、私は胸の奥がじわりと軋むのを感じた。仲間たちの血と汗と誇りが染みついていた品々を、今の私がどういう顔で見るというのか。けれど、それが“これから”の日常である以上、拒むことも抗うことも許されない。
「さあ、部屋へ案内してやれ」
合図とともに、私を取り囲む帝国兵がぞんざいに腕を引っ張る。バーカウンターの奥に通された先は、薄暗い廊下。その先に複数の小部屋が並んでいる。荒い木の扉を一つ開けられると、そこにあったのは最低限の寝台と洗面台、そして古びた椅子とテーブルだけ。まるで見張りの兵士が急場で寝泊まりするための部屋か、あるいは倉庫を改装したような無機質さが漂っていた。
「ここがおまえの部屋だ。掃除も寝起きもすべてここでやれ。途中で逃げようなどという無駄な企みはするなよ――周囲には監視の目がいくらでもあるし、例え逃げたところで収容所に逆戻りだ。再び生きて出られる保証はない」
そう言い放つ兵士の横で、上官が静かに腕を組む。
「おまえは我々の手の中だ。ひと思いに殺してやるより有用だから、生かされている――その意味を忘れるな。日々の客あしらい、酒の世話、そして夜の“奉仕”……それらを怠れば、結局は自分の首を絞めることになるだけだ」
突き刺すような言葉を放つ彼らを前に、私はただ虚ろにうなずくしかなかった。この場所での日常がどうなるのか――容易に想像がついてしまう。その一方で、まだ奥底に残る「もう一度だけ立ち上がれるかもしれない」というかすかな願いすら、帝国兵のあざ笑うような視線と、重苦しい圧力の前で押し殺されていく。
一人、また一人と兵士たちが部屋から出ていき、最後に上官がドアの前で立ち止まった。
「それから……おまえの古い仲間やあの王女を見つけ出すために、今後も聞きたいことが山ほど出てくるはずだ。そのときは協力しろ。さもなくば、その腕輪がどれほど尊い思い出でも手首ごと切り落としてやるし、もっと悲惨な結末を迎えることになるだろう」
心臓がにわかに締めつけられ、銀の腕輪を思わず握り込む。王女様との誓いという最も大切なものが、いともたやすく脅迫の材料にされている現実。応じなければならない、そうしないと、もう守れるものが何もない。自分の“存在意義”さえもまた、簡単に奪われる。私は口をひき結び、声にならない返事を目で示すしかなかった。
上官は満足げに鼻を鳴らし、部屋の扉を乱暴に閉める。鍵が回る音が部屋に重たく響き渡ったあと、廊下から足音が遠ざかっていくのがわかる。押しつぶされるような沈黙が残り、私は乾いた唇を噛みしめながら、安っぽい寝台に腰を下ろした。
(――ここが、これから私の生きる場所)
かつて『白鴉』の集会で聞こえていた仲間同士の熱い決意や、王女様と過ごした静かで満ち足りた時間が、遠い昔の幻のように脳裏をかすめる。けれど、その光ももう二度と戻らないと、頭ではわかっている。
重たい空気のなか、右手首でカシャリと揺れた銀の腕輪だけが、かつての私を嘲笑するかのように鈍く光を放っていた。今となっては護るべきものなのか、捨てられない枷なのかさえ判然としないまま――私はここ、「希望亭」での日常を、生きていくしかなかった。
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