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第十五話 街角にて。主従のひととき
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翌日。
王都は雲ひとつない青空に包まれていた。
石畳の街道に木漏れ日が踊り、街路樹の葉が初夏の風にさらさらと揺れている。
「本当に、お出かけされても良かったのですか?」
馬車の中、クラウスが傍らで問いかける。
「ええ。……ずっと屋敷の中ばかりでは、気が滅入ってしまいますもの」
リシェルは帽子を軽く押さえ、窓の外に目を細めた。
陽光が反射する色とりどりの屋根、広場に向かう人々のにぎわい――そこに確かに、“日常”があった。
けれど、彼女の笑顔にはまだ薄氷のような脆さが残っていた。
それでも――前を向こうとする意志が、その目には確かに宿っていた。
二人を乗せた馬車は、王都の中心街へと滑るように進む。
やがて中央広場近くで止まり、クラウスが扉を開ける。
「……お足元にお気をつけて」
丁寧に差し出されたその手を、リシェルはふっと笑みを浮かべながら取る。
スカートの裾がふわりと揺れ、日の光が金の髪に柔らかくきらめいた。
道ゆく人々が、その優雅な立ち姿に目を奪われる。
黒燕尾の男がさりげなく日傘を差し出し、貴族の娘が涼やかに礼を返し――
宮廷画の一節のように、場面がぴたりと収まる。
「少しだけ、お付き合いを。新しい書き物机が見たいのです」
「かしこまりました、お嬢様」
目的の家具店まで、街路を気ままに歩く。
雑貨店の窓には絵皿や刺繍、宝飾店のガラス越しには、銀や琥珀の光が並んでいた。
そんな中、リシェルの視線がふと、ある店先に吸い寄せられる。
「あら、可愛らしい……」
陳列棚にずらりと並んでいたのは、指先ほどの小さなティーセットや、花束を抱えた猫のミニチュア人形たち。
思わず足を止めたリシェルの横顔を、クラウスがちらりと見やる。
「……お好きでしたか?」
「ええ。子どもの頃、父が旅先からこういう小物を持ち帰ってくれたものでしたわ」
少し懐かしむように、笑う。
「この猫……わたくしに似ていません?」
リシェルが手に取ったのは、どこかすました顔で、小さな本を読んでいる猫の人形だった。
その表情を覗き込むように見たクラウスは、静かに口元を綻ばせる。
「……似ておられます。そのすまし顔も、読書に夢中なところも」
「まあ……少しは褒め言葉として受け取っても、よくって?」
「もちろんでございます。愛らしくて――少し意地っ張りなところも、含めて」
「……っ。そういうことを、さらりと言うのは反則ですわ」
リシェルは小さく咳払いをして視線を逸らしながら、それでも口元には微笑が浮かんでいた。
猫の人形をそっと包んでもらいながら、彼女はぽつりと呟く。
「――では、この子はわたくしの身代わりとして、机の上に飾りましょうか。
時々、貴方を睨んでもらうために」
「光栄に存じます、お嬢様」
一礼。二人の間に、やわらかな空気が流れた。
――そんなひとときのあと、ふと隣の宝飾店のウィンドウに目が留まる。
リシェルは、繊細な細工が入った小さな金の指輪を見つけて立ち止まる――
店主がそっとガラスを開き、白い手袋でそれを差し出す。
リシェルはその指輪をそっと摘み、光にかざして揺らした。
庶民が恋人に贈るような、質素な品。けれど、そこに宿る手仕事の温もりに、どこか心が惹かれた。
「これは……少し地味かしら?」
ほんの一瞬、言葉を選ぶように視線を落としてから、静かに応えた。
「お嬢様には、落ち着いた品がよく似合います」
「そう? ふふ。クラウス、貴方は本当に何でもよく見ていますのね」
「お嬢様のことなら。……職務でございますから」
「……あら、わたくし以外も含めて、ではありませんこと?
でも今日は……いつもより少し、優しいですわ」
リシェルが指輪を見つめ、小さく微笑んだ――その瞬間。
……遠く、風の音が一度だけ、耳をかすめた。
そして――
「こちらを頂こうかしら……」
リシェルはふと、指輪をもう一度光にかざして、優しく微笑んだ。
「……いつか、このくらいの指輪を誰かから頂ける日が来たら、素敵ですわね」
クラウスは、一瞬だけ言葉を失ったように沈黙した。
その言葉に、クラウスが何か返そうとした、その時――
風が一度、逆立つ。広場の方角で人影が流れた。
一拍の間を置いて、
――鋭い叫び声が上がった。
その声にふたりが同時に振り向いた、その刹那。
リシェルの手から包みがすべり落ちる――。
王都は雲ひとつない青空に包まれていた。
石畳の街道に木漏れ日が踊り、街路樹の葉が初夏の風にさらさらと揺れている。
「本当に、お出かけされても良かったのですか?」
馬車の中、クラウスが傍らで問いかける。
「ええ。……ずっと屋敷の中ばかりでは、気が滅入ってしまいますもの」
リシェルは帽子を軽く押さえ、窓の外に目を細めた。
陽光が反射する色とりどりの屋根、広場に向かう人々のにぎわい――そこに確かに、“日常”があった。
けれど、彼女の笑顔にはまだ薄氷のような脆さが残っていた。
それでも――前を向こうとする意志が、その目には確かに宿っていた。
二人を乗せた馬車は、王都の中心街へと滑るように進む。
やがて中央広場近くで止まり、クラウスが扉を開ける。
「……お足元にお気をつけて」
丁寧に差し出されたその手を、リシェルはふっと笑みを浮かべながら取る。
スカートの裾がふわりと揺れ、日の光が金の髪に柔らかくきらめいた。
道ゆく人々が、その優雅な立ち姿に目を奪われる。
黒燕尾の男がさりげなく日傘を差し出し、貴族の娘が涼やかに礼を返し――
宮廷画の一節のように、場面がぴたりと収まる。
「少しだけ、お付き合いを。新しい書き物机が見たいのです」
「かしこまりました、お嬢様」
目的の家具店まで、街路を気ままに歩く。
雑貨店の窓には絵皿や刺繍、宝飾店のガラス越しには、銀や琥珀の光が並んでいた。
そんな中、リシェルの視線がふと、ある店先に吸い寄せられる。
「あら、可愛らしい……」
陳列棚にずらりと並んでいたのは、指先ほどの小さなティーセットや、花束を抱えた猫のミニチュア人形たち。
思わず足を止めたリシェルの横顔を、クラウスがちらりと見やる。
「……お好きでしたか?」
「ええ。子どもの頃、父が旅先からこういう小物を持ち帰ってくれたものでしたわ」
少し懐かしむように、笑う。
「この猫……わたくしに似ていません?」
リシェルが手に取ったのは、どこかすました顔で、小さな本を読んでいる猫の人形だった。
その表情を覗き込むように見たクラウスは、静かに口元を綻ばせる。
「……似ておられます。そのすまし顔も、読書に夢中なところも」
「まあ……少しは褒め言葉として受け取っても、よくって?」
「もちろんでございます。愛らしくて――少し意地っ張りなところも、含めて」
「……っ。そういうことを、さらりと言うのは反則ですわ」
リシェルは小さく咳払いをして視線を逸らしながら、それでも口元には微笑が浮かんでいた。
猫の人形をそっと包んでもらいながら、彼女はぽつりと呟く。
「――では、この子はわたくしの身代わりとして、机の上に飾りましょうか。
時々、貴方を睨んでもらうために」
「光栄に存じます、お嬢様」
一礼。二人の間に、やわらかな空気が流れた。
――そんなひとときのあと、ふと隣の宝飾店のウィンドウに目が留まる。
リシェルは、繊細な細工が入った小さな金の指輪を見つけて立ち止まる――
店主がそっとガラスを開き、白い手袋でそれを差し出す。
リシェルはその指輪をそっと摘み、光にかざして揺らした。
庶民が恋人に贈るような、質素な品。けれど、そこに宿る手仕事の温もりに、どこか心が惹かれた。
「これは……少し地味かしら?」
ほんの一瞬、言葉を選ぶように視線を落としてから、静かに応えた。
「お嬢様には、落ち着いた品がよく似合います」
「そう? ふふ。クラウス、貴方は本当に何でもよく見ていますのね」
「お嬢様のことなら。……職務でございますから」
「……あら、わたくし以外も含めて、ではありませんこと?
でも今日は……いつもより少し、優しいですわ」
リシェルが指輪を見つめ、小さく微笑んだ――その瞬間。
……遠く、風の音が一度だけ、耳をかすめた。
そして――
「こちらを頂こうかしら……」
リシェルはふと、指輪をもう一度光にかざして、優しく微笑んだ。
「……いつか、このくらいの指輪を誰かから頂ける日が来たら、素敵ですわね」
クラウスは、一瞬だけ言葉を失ったように沈黙した。
その言葉に、クラウスが何か返そうとした、その時――
風が一度、逆立つ。広場の方角で人影が流れた。
一拍の間を置いて、
――鋭い叫び声が上がった。
その声にふたりが同時に振り向いた、その刹那。
リシェルの手から包みがすべり落ちる――。
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