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第三十一話 エピローグ――婚約破棄に祝砲を
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再び静けさを取り戻した聖堂。
自然と人々の注目は、魔族の脅威から王国を救った英雄二人に集まっていた。
そんな中、リシェルは目を伏せたまま、仮面を脱いだクラウス――エリックへと言葉を紡ぐ。
「クラウス……いえ、エリック……。
ずっと前からそういうこと、でしたのね。
でも……だったら先に仰ってくださらないと、困りますわ」
睫毛がふるり、と揺れた。
微笑むその瞳に、滲むのは涙か、それとも砲の残光か。
「……五年。ずっと、あなたが誰なのか知らずに、それでも想ってきたわたくしが、
どれだけ滑稽に見えたことでしょう……」
リシェルは目を上げると、静かにエリックを見つめ、
――ふっと微笑んだ。
それは、全てを、ただ一人頼りにしていた執事さえも失った――
ひとりの少女の微笑みだった。
リシェルは、そっと息を整える。
「では、貴方のお役目も、これで終わりということですわね?」
それは最後の確認だった。
その声は凛とした令嬢そのものだったが、その肩は少女のように震えていた。
エリックは、一瞬だけ目を伏せると、
小さく息を吸い込み――
真っ直ぐに彼女の前に進み出る。
「……いいえ。私の役目は、まだ終わっていません」
目を見開いたリシェルの前に、燕尾服の裾をふぁさりと広げて跪くと、
目を上げて静かに、彼女の手をとる。
「リシェル・クレイモア嬢。
私は、貴女にかつて一つ、誓いました」
「……?」
「“一生、お仕えする”と。
その誓いは、今でも変わっておりません」
リシェルの瞳が揺れる。
「けれど……もう、お仕えするだけでは足りないのです」
彼は、彼女にだけ聞こえるほどの小さな声で、続けた。
――一拍置き、ゆっくりと息を整えるように、一瞬、視線を落とした。
「ですから……」
エリックは、黒燕尾のポケットから、金色の何かを取り出した。
そのつまんだ指先に光るのは、かつてリシェルが珍しく気に入った簡素な指輪だった。
エリックはそっと彼女の手を取る。
それは光の粒をまとって、リシェルのほっそりとした指に静かに滑り込んだ。
触れたその一拍で、時間も呼吸も、すべてが指先に集まっていく――。
――あたたかい。
指輪を通して彼のぬくもりが流れ込んだ。
あたたかな感情が指先からじわじわと胸の奥まで広がっていく。
彼の睫毛が上がり、わたくしを真っ直ぐに見上げた。
心臓の音がうるさくて、瞬きをするのも忘れてしまいそう。
そして、彼の唇が待ち望んでいた言葉をなぞった。
「――僕と、結婚してください」
誰よりも誠実な声。
息が詰まった。
その言葉が、耳から、喉から、胸の奥にまで落ちてくる。
ほんの数秒のはずなのに、世界の時間が何倍にも引き伸ばされたようだった。
満ちるのは、深く、美しく、そして――祝福に満ちた沈黙。
何かが呼んでいる、そんな気がして足元に目をやると――
銀の仮面が、その役目を終えたかのように、微かに輝いていた。
わたくしはそっと彼の顔に手を伸ばした。
初めて触れるその素顔を確かめながら――穏やかで、少し不器用なその瞳に、つい見とれてしまう。
そのとき――ふいに、まるで引力に引かれたように。
彼に顔を寄せ、ほんの少しだけ、唇を重ねた。
触れるか触れないかほどの、淡くて、けれど確かなキス。
それは、五年の想いと、悲しい別れを超えて届いた、はじまりの証。
彼の瞳に浮かんだのは、これまでも何度か仮面越しに見た、あの驚いたときの色。
その奥に、わたくしがまだ知らない温度が揺れている――そんな気がした。
エリック殿下――いえ、これまでも、これからも、わたくしだけの執事様。
わたくしだって驚いてますのよ?
――そんな顔されると、もっと驚かせたくなってしまうじゃない。
気付けば、わたくしは跳ねるように彼の胸に飛び込んだ。
慌てて立ち上がる彼にしがみついたまま、勢いで一回転――
視界がふわっと回って、そのまま彼の胸に頬を寄せる。
彼はそっと腕に力を込め、わたくしをやさしく抱き寄せた。
「順番、間違えてしまいましたかしら?」
彼は目を細めると、一歩下がり、胸に手を当てて優雅に一礼した。
「いいえ、お嬢様。たとえ間違っても、あなたの隣には私がおります。これまでも、これからも」
その瞬間、ふわりと滅魔砲の砲身が金の紋様を淡く輝かせた。
まるで、この瞬間を待っていたかのように。
……聖堂の外へ――扉から空へと向けて。
静かに、たった一度だけ――用意されていたかのように、祝砲が撃ち上がった。
衝撃音が胸の奥に響き、まるでわたくしの心と共鳴するように身体中を震わせた。
わたくしは震える手で彼の手を握った。
頬を熱いものが伝い、こぼれ落ちた雫が握った手をあたたかく濡らす。
それは、長い歳月の果てにようやく辿り着いた温もり――二度と失いたくない温もりだった。
喉の奥が熱い。胸の内側で、何かが「コトン」と音を立てて定位置に収まる。
――ぽろり、と言葉が零れる。
「……はい。――喜んで」
そう囁いた途端、自分でも驚くくらい胸が軽くなった。
思わず笑顔が零れ――
ふたりで声を上げて笑った。
見守るアメリアも、参列者も、皆笑い出す。
二人の間に言葉はもういらない――
(あなたを愛しています)
(君を愛してる)
次の瞬間――
滅魔砲の轟きに応えるように、聖堂の外で待機していた礼砲が次々と打ち上げられ、
聖なる光が蒼穹を裂くように連なって走る。
白い鳥たちが、金の光の中を羽ばたき、聖堂の鐘が、奇跡を告げるように鳴り響く。
その音は空気を震わせ、胸の奥で波紋のように広がっていく。
空の彼方、神々すらも目を細めて見守っている――そんな気がした。
それは戦の終わりではなく、
ふたりの愛の始まりを告げる、ささやかな贈り物。
魔族との戦いは、まだ始まったばかり。
けれど、万雷の拍手の中、このときだけは――
わたくしの胸の内に、祝砲の音だけが、いつまでも鳴り響いていた。
祝砲――それは、いま始まるふたりの物語を照らす、永遠の祝福。
……Fin.
自然と人々の注目は、魔族の脅威から王国を救った英雄二人に集まっていた。
そんな中、リシェルは目を伏せたまま、仮面を脱いだクラウス――エリックへと言葉を紡ぐ。
「クラウス……いえ、エリック……。
ずっと前からそういうこと、でしたのね。
でも……だったら先に仰ってくださらないと、困りますわ」
睫毛がふるり、と揺れた。
微笑むその瞳に、滲むのは涙か、それとも砲の残光か。
「……五年。ずっと、あなたが誰なのか知らずに、それでも想ってきたわたくしが、
どれだけ滑稽に見えたことでしょう……」
リシェルは目を上げると、静かにエリックを見つめ、
――ふっと微笑んだ。
それは、全てを、ただ一人頼りにしていた執事さえも失った――
ひとりの少女の微笑みだった。
リシェルは、そっと息を整える。
「では、貴方のお役目も、これで終わりということですわね?」
それは最後の確認だった。
その声は凛とした令嬢そのものだったが、その肩は少女のように震えていた。
エリックは、一瞬だけ目を伏せると、
小さく息を吸い込み――
真っ直ぐに彼女の前に進み出る。
「……いいえ。私の役目は、まだ終わっていません」
目を見開いたリシェルの前に、燕尾服の裾をふぁさりと広げて跪くと、
目を上げて静かに、彼女の手をとる。
「リシェル・クレイモア嬢。
私は、貴女にかつて一つ、誓いました」
「……?」
「“一生、お仕えする”と。
その誓いは、今でも変わっておりません」
リシェルの瞳が揺れる。
「けれど……もう、お仕えするだけでは足りないのです」
彼は、彼女にだけ聞こえるほどの小さな声で、続けた。
――一拍置き、ゆっくりと息を整えるように、一瞬、視線を落とした。
「ですから……」
エリックは、黒燕尾のポケットから、金色の何かを取り出した。
そのつまんだ指先に光るのは、かつてリシェルが珍しく気に入った簡素な指輪だった。
エリックはそっと彼女の手を取る。
それは光の粒をまとって、リシェルのほっそりとした指に静かに滑り込んだ。
触れたその一拍で、時間も呼吸も、すべてが指先に集まっていく――。
――あたたかい。
指輪を通して彼のぬくもりが流れ込んだ。
あたたかな感情が指先からじわじわと胸の奥まで広がっていく。
彼の睫毛が上がり、わたくしを真っ直ぐに見上げた。
心臓の音がうるさくて、瞬きをするのも忘れてしまいそう。
そして、彼の唇が待ち望んでいた言葉をなぞった。
「――僕と、結婚してください」
誰よりも誠実な声。
息が詰まった。
その言葉が、耳から、喉から、胸の奥にまで落ちてくる。
ほんの数秒のはずなのに、世界の時間が何倍にも引き伸ばされたようだった。
満ちるのは、深く、美しく、そして――祝福に満ちた沈黙。
何かが呼んでいる、そんな気がして足元に目をやると――
銀の仮面が、その役目を終えたかのように、微かに輝いていた。
わたくしはそっと彼の顔に手を伸ばした。
初めて触れるその素顔を確かめながら――穏やかで、少し不器用なその瞳に、つい見とれてしまう。
そのとき――ふいに、まるで引力に引かれたように。
彼に顔を寄せ、ほんの少しだけ、唇を重ねた。
触れるか触れないかほどの、淡くて、けれど確かなキス。
それは、五年の想いと、悲しい別れを超えて届いた、はじまりの証。
彼の瞳に浮かんだのは、これまでも何度か仮面越しに見た、あの驚いたときの色。
その奥に、わたくしがまだ知らない温度が揺れている――そんな気がした。
エリック殿下――いえ、これまでも、これからも、わたくしだけの執事様。
わたくしだって驚いてますのよ?
――そんな顔されると、もっと驚かせたくなってしまうじゃない。
気付けば、わたくしは跳ねるように彼の胸に飛び込んだ。
慌てて立ち上がる彼にしがみついたまま、勢いで一回転――
視界がふわっと回って、そのまま彼の胸に頬を寄せる。
彼はそっと腕に力を込め、わたくしをやさしく抱き寄せた。
「順番、間違えてしまいましたかしら?」
彼は目を細めると、一歩下がり、胸に手を当てて優雅に一礼した。
「いいえ、お嬢様。たとえ間違っても、あなたの隣には私がおります。これまでも、これからも」
その瞬間、ふわりと滅魔砲の砲身が金の紋様を淡く輝かせた。
まるで、この瞬間を待っていたかのように。
……聖堂の外へ――扉から空へと向けて。
静かに、たった一度だけ――用意されていたかのように、祝砲が撃ち上がった。
衝撃音が胸の奥に響き、まるでわたくしの心と共鳴するように身体中を震わせた。
わたくしは震える手で彼の手を握った。
頬を熱いものが伝い、こぼれ落ちた雫が握った手をあたたかく濡らす。
それは、長い歳月の果てにようやく辿り着いた温もり――二度と失いたくない温もりだった。
喉の奥が熱い。胸の内側で、何かが「コトン」と音を立てて定位置に収まる。
――ぽろり、と言葉が零れる。
「……はい。――喜んで」
そう囁いた途端、自分でも驚くくらい胸が軽くなった。
思わず笑顔が零れ――
ふたりで声を上げて笑った。
見守るアメリアも、参列者も、皆笑い出す。
二人の間に言葉はもういらない――
(あなたを愛しています)
(君を愛してる)
次の瞬間――
滅魔砲の轟きに応えるように、聖堂の外で待機していた礼砲が次々と打ち上げられ、
聖なる光が蒼穹を裂くように連なって走る。
白い鳥たちが、金の光の中を羽ばたき、聖堂の鐘が、奇跡を告げるように鳴り響く。
その音は空気を震わせ、胸の奥で波紋のように広がっていく。
空の彼方、神々すらも目を細めて見守っている――そんな気がした。
それは戦の終わりではなく、
ふたりの愛の始まりを告げる、ささやかな贈り物。
魔族との戦いは、まだ始まったばかり。
けれど、万雷の拍手の中、このときだけは――
わたくしの胸の内に、祝砲の音だけが、いつまでも鳴り響いていた。
祝砲――それは、いま始まるふたりの物語を照らす、永遠の祝福。
……Fin.
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