【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷むぎ

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第二章 討伐軍編

第五十七話 素体狩り

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「――いやぁぁぁぁぁ!!」

甲高い女性の悲鳴が、静寂を切り裂いた。
声は石壁に反響し、やがてひび割れたように途切れる。

金属の軋む音、鎖を引きずる重い足音。
鉄格子の向こう、暗い通路の奥から、一体のオークが女性を引きずりながら前を通り過ぎていった。
引きずる音はやがて遠ざかり――代わりに、凍りつく静けさだけが牢内を支配する。

「……こうやって毎日、誰かが連れていかれるんだ……」

母が震える声でぽつりと言う。
その瞬間、胸の奥で何かが固く音を立てた。

ここには――多くの人が囚われ、あんなふうに順番に、奥へと連れていかれている。
そして――誰も、帰っては来ない。

――やがて、足音が二つ。
一つはオークではない。

鉄格子の向こうに現れたのは、一匹のオークと――一人の男だった。

「ザハルトさま――こぢらの牢でぐ」

その名が響いた瞬間、空気の温度がわずかに下がった。

(ザハルト……様!?)

その男は背が高く、若々しい顔つきに純白のローブをまとっていた。
まるで神官や司祭のような静謐な佇まい。
けれど――瞳は血のように赤い――魔族だ。

一歩ごとに、ぞくりとする静けさと威厳を運んでくる。
オークの耳は伏せられ、服従の意思を示している。

一目でわかった。明らかに、ただの魔族ではない。
外見は、まるで神に仕える聖職者のよう。だが、纏う空気が異質すぎる。
血と薬品が混じったような匂いがわずかに漂い、近づくだけで鳥肌が立つ。
その存在は、まるで偽りの光で隠された“瘴気の核”そのものだった。

姉の肩が小さく震え、瞳が見開かれる。
まるで、”聖女”の光が、穢れに触れたかのように。
フィーネの耳はフードの中で、ぴくりと動いた。

(この男が――きっと魔将だ!)

ザハルトと呼ばれた魔族は、牢の中の私たちをざっと見渡し、満足げに微笑んだ。

「……ふむ。……この牢は、良い素体が揃っていますね」

その言葉は、まるで豊作を喜ぶ司祭のよう。

(“素体”……っ! ”人さらい”は、その”素体”狩り!?)

意味はわからなくても、その響きに背筋が凍る。

視線は氷の刃のように冷たく刺さる。
全てを見透かすような瞳に吸い寄せられ、必死に目を逸らす。
その視線が最も長く止まったのは――やはり姉。

(……バレた……?)

ひとりでに肩が震え、握った手に汗がにじむ。

永遠にも思える沈黙――。

だがザハルトは、口角をわずかに上げただけ。
吐き気を催すほどの、不気味な余裕。

「今日は子どもが一人必要です。では――」

空気が、一瞬にして張り詰めた。
私は思わず拳を握りしめ、祈るように心の中で叫ぶ。

(私を……! 私を連れていけ……!)

子ども――私とアランのどちらか。
心臓が跳ねる。

ザハルトは両手を胸の前で組み、祈るように瞼を伏せた。
そして、まるで祝福を与えるように指先を伸ばす。

だが、ゆっくりと伸ばされた指が示したのは――アランだった。

「……君にしよう。匂いが似ているからね」

ザハルトの声は微笑むようで、その目は底のない穴のように冷たい。

「だめ――!! ……この子、この子は連れて行かないで!」

母親の悲鳴。伸ばした手は空を切る。
オークがアランの腕を乱暴に掴んだからだ。

(……待って、お願い、まだだめ)

喉の奥まで出かかった声を、私は噛み殺した。
叫べばむしろ危険――わかっているのに、腰が浮きそうになる。

ガチャリ、ガチャリ――。
床石から鎖が引かれる乾いた振動。
鉄の輪がぎりぎりと鳴り、引きずられるたびに音が響く。

(やっぱりだめだ! 助けなきゃ、今すぐ!)

――やつに有効な魔法は? 杖はないから威力は落ちる。
魔将クラスなら『浄化』は足止めにもならないし、デバフもきっと弾かれる。

なら――姉に『魔力上昇』、そして聖なる大弓で……!
だめだ、前衛がいないし、フィーネも弓で援護できない。

この五人だけで逃げる?
いや、ここで騒げば奇襲にならないし、警戒が強まればエリアスやバルドまで危険に晒す。

――やるなら斃すしかない。

息が止まったまま、思考が高速でぐるぐると巡る。

答えが出ないまま、そっと私のローブが引かれた――姉だ。
はっと顔を上げる。

姉はまっすぐ私を見つめ、小さく首を振る。

(……姉さん! でも……!)

そのとき、方法が一つだけ浮かぶ。

(――私が行く!)

私は真剣な眼差しで姉をみつめ、姉の手をそっと外す。
姉が息を呑み、僅かに唇が開く。
そして、立ち上がろうとした――その瞬間。

アランが振り返り、私を見た。
その瞳には、恐怖よりも強い決意が宿っていた。

(……必ず……助けに来てくれるんだろ?)

(……うん。必ず!)

言葉はない。けれど確かに通じ合った。

アランはぐっと歯を食いしばり、頷く。
その姿が、胸に焼きつく。

「行ぐぞ!」

「――アラン!」

母の叫びだけが残り、少年の小さな背中は暗い廊下の向こうへ消えた。
残るのは、床に刻まれた鎖の跡と、かすかな鉄の匂いだけ。

一人通路に佇むザハルトは、顎に手を当て、私たちをじっと見つめていた。
死線を浴びただけで寒気がする瞳。
姿だけは神に仕える者。
けれど、その目には、神の光は一切届いていないようだった。
姉だけは、その刺すような視線を微動だにせず見返す。

「……これは、楽しみですね」

小さく、不気味な一言を残し、暗闇に輝く真っ白なローブを揺らして男は音もなく立ち去った。
牢の中に、重く冷たい沈黙が落ちる。

(……絶対に、助け出す。こんな連中の好きにはさせない)

胸の奥で、静かに――だが確かな怒りの炎が燃え上がった。



沈黙が落ちたそのとき――
隣に座る姉のローブの裾が、わずかに揺れた。
布の下から、ちらりと金属の光。

(……小さなナイフと……鍵開けの道具……!)

姉と目が合う。
それは少年が残した――希望だった。

返ってきたのは、いつもの穏やかな微笑ではない。
静かな、決意の光。

***

夜の砦は、しんと静まり返っていた。
牢の中、私たちは鉄格子越しに廊下の巡回の様子をじっと窺う。
二体のオークが松明を手に、のしのしと通路を歩き回っていた。

足音が遠ざかり、角を曲がる――その一瞬が、唯一の“隙”。

姉とフィーネが目で合図を交わす。
そのわずかな仕草が、これまで何度も死線を越えてきた仲間の合図のように見えた。

私たちはさきほど短い話し合いを持ち、
エリアスとバルドの到着を待たずに救出に向かう判断をしていた。
アランもミリアも、あの女性も――一刻を争うかもしれない。

私は静かに立ち上がり、母親の方へ振り返る。

「……任せて」

小さな声に、母親は唇を震わせながらも力強くうなずく。
震える指先が、ほんの一瞬、私の袖をつまんで離れた。

巡回の足音が完全に遠のいた瞬間、姉が鉄格子に手を当て、フィーネが鍵開けの道具を取り出す。
カチリ――小さな音とともに、牢の扉が開かれた。

一歩踏み出すと、足首を誰かに掴まれているような錯覚。思わず手でさする。
足枷は、細工が施された鍵穴を回し、すでに外してあった。

(……消えない……)

それでも――冷たい鉄の感触は、皮膚の奥に焼きついたままだった。

肌が廊下の夜気に触れる。
静かに扉を閉め、私たちは身を低くして牢を抜け、音もなく闇に溶け込んだ。

「……行きましょう」

姉の小さな声。私は深く息を吸い、瞼を閉じる。

(間に合わなきゃ。行こう!)

巡る魔力を研ぎ澄ませ、意識を沈めた。

『――感覚強化』

世界が鮮明に立ち上がる。
湿った石壁、滴る水音、遠くの靴音、カビの匂い……
そして何より、砦の奥から漂う――どす黒い魔力の塊。
肌が粟立つ、あの異様な気配。

(……つかんだ)

私は目を見開き、二人に合図を送る。

研ぎ澄まされた感覚の中で、気配が揺らいだ。
あの男が――笑った気がした。

第二の魔将・ザハルト。
あの魔族は、私たちを“素体”と呼んだ。
その言葉の意味は、まだわからない。だが、わからなくてもいい。

何を企んでいようと、必ず取り返す。
囚われた人たちも、アランもミリアも――そして、全てを止める。

(絶対に……終わらせてみせる)

闇の底で、私は静かに拳を握った。
決意を胸に、冷たい闇の中へと音もなく溶け込んだ――。
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