【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷 むぎ

文字の大きさ
70 / 100
第三章

第七十話 花の街

しおりを挟む
朝靄の中、丘をゆっくりと降りる。
灌木や繁みの影に身を潜め、一歩ごとに慎重に進んだ。
近づくほどに心臓は早鐘を打ち、背中を冷たい汗が伝う。

街を囲む塀はところどころ破れ、矢が突き刺さったまま。
侵攻の爪痕が生々しく残っていた。

けれど――その時、懐かしい花の香りが鼻先をかすめた。

街の誇りでもある“花の街”――“パルミールに咲く花”という呼び名。
それを象徴する街道の両脇に見渡す限り広がる、街の名の由来でもある“フィオーレ”の花畑が、雑草ひとつなく整えられている。

明らかに、人の手が入っている。

(……花が生きてる。いや、誰かが手入れしてる……!)

私はしゃがんだまま、そっと姉の手を握った。
姉の潤んだ瞳がこちらを見返し、力強く頷く。

(やっぱり――姉さんも同じことを考えてる!)

街の門へと視線を移す。
門は半ば壊れ、倒れたまま。
開かれたその向こうに、門衛の姿はない。

――いや、それどころか。
門の周囲からは人の気配がまるで感じられなかった。

これまで、魔族に支配された数多くの街を見てきた。
けれど、こんな街は初めてだった。
どの街にも、人か亜人兵の姿や、生活の気配が必ずあったからだ。

エリアスが低く言った。

「街の中を確認しよう。生存者を確認の後、魔族がいるなら排除。
 すぐに第一師団が進駐し、街の安全を確保する」

短い指示のあと、仲間たちに目配せし、全員が静かに頷く。
風がわずかに流れ、ふわりと届くフィオーレの花の香り。
懐かしい香りに、胸の奥で何かが弾ける。

母の笑顔、父の背中、兄が呼ぶ声――遠い日々の影が脳裏をかすめた。

私たちは正門を避け、草を踏みしめながら、
塀の一角――大きく崩れた部分へと身を寄せて進む。
朝靄の中、風の音すら息を潜めたように、静まり返っていた。

***

私たちは裏道を抜け、中央通りに出た。
中央広場のほど近く、建物の影から様子を伺った。

妙なことに気づく。
途中で見かけた家々は、扉こそ固く閉ざされているものの、
窓には灯りがともっている――なのに、人の気配がまったくない。

朝だというのに、朝餉の匂いも、竈の煙も、焼きたてのパンの香りもしない。
街の“呼吸”がすっぽりと抜け落ち、
ただ、花の香りだけが漂っていた。

(確かに、人は“いる”。
 この整った街が、誰の手も入らずに保たれるはずがない……)

期待に胸は高鳴ったまま。
けれど、中央広場もまた――がらんとしていた。
やはり、人の気配はない。

噴水は枯れ、池の濁った水面が陽光を鈍く反射している。
けれど、フィオーレを訪れる旅人を最初に出迎える、
あの噴水のまわりの花壇だけは、美しく咲き誇っていた。

――ここも、しっかりと手入れされている。
この街は、きっと“生きてる”……!

私は姉と視線を交わし、そっと頷き合う。

その瞬間――視界の端に、動く影。
花壇へ静かに歩み寄る、小さな少女の後ろ姿が見えた。

ごくり、と喉が鳴った。

年のころは十歳ほどだろうか。
薄汚れたワンピースに、金の髪は色を失い、ぼさぼさのまま。
長く洗っていないのか、光を受けても鈍く沈んで見える。

ぎこちない足取りで花壇へと歩み寄り、
そこに置かれた小さなスコップを手に取ると――
何の迷いもなく、花壇の手入れを始めた。

土を掘る音が、静まり返った広場にかすかに響く。
あまりに日常的で、あまりに場違いなその音が、
逆に胸の奥をざわつかせた。

(……人だ。生きてる……!)

心臓がどくん、と大きく跳ねた。
指先が冷え、息を吸うのも忘れる。

けれど同時に、背筋を冷たい何かがなぞっていった。
この街には“何か”が違う――そんな直感が、喉の奥を締めつける。

「僕が行こう」

エリアスが低く言った。

「いえ、わたしが行きますわ」

姉がそれを制するように静かに立ち上がる。

その一瞬、フィーネの低い声が風に混じった。
その声音は、既に何かを知っているかのような調べ。

「油断はするな」

その声に、空気がぴんと張りつめる。

「何かあれば、すぐに行く」

エリアスは剣の柄に手をかけ、
バルドは盾を引き寄せ、
フィーネは背の矢羽に指を添えた。
私も白杖を強く握り締める。
手のひらが汗で滑るのに、力を緩めることができなかった。

姉はゆっくりと歩み出し、
花壇にしゃがむ少女へと近づいていく。
二人の影が、朝のまだ薄暗い光の中で重なった。

息をするのが怖い。
もし音を立てたら、すべてが壊れてしまいそうで――。

少女は振り向かない。
姉は膝を折り、そっと声を掛けた。

「こんにちは。……少し、お話をしたいのだけれど」

その声は、まるで風の音を壊さぬような柔らかさだった。

少女は――ゆっくりと振り向いた。



その顔を見た瞬間、呼吸が止まった。

白く濁った瞳。焦点が合っていない。
頬の皮膚はところどころ剥がれ、血の気のない唇がわずかに開いている。
口元から乾ききった血が、細い筋のように首筋を伝っていた。

(……あ……)

喉が凍りつく。
頭の奥が、きいんと鳴った。
思考が止まり、体が動かない。

風が吹いた。
そのたった一陣の風で――少女の髪が揺れ、
首の後ろから黒ずんだ糸のような何かが――ぶらりと垂れた。

それが、剥がれた皮膚か、腐りかけた血管か――わからない。
ただ、そこから立ちのぼる微かな腐臭が、
花の香りと混じって鼻を刺した。

(……死霊……!)

理解より先に、体が震えた。
叫びたくても喉が閉じて声が出ない。

少女は――ゆらり、と首を傾けた。
ぎこちない動作。骨が軋むような音。
唇が震え、乾いた音を立てる。

「……お……か……え……り……」

その瞬間、世界が崩れた。

姉が目を見開き、後ずさる。
聖衣の裾が風に舞い、光の中で花びらが散った。

「っ――今行く!」

エリアスの声が鋭く響き、彼は剣を抜くと同時に駆けだした。
バルドが盾を低く構えて突進し、フィーネは弓を引き絞りながら、低く呟いた。

「やはり……そういうことか。ヴェルネの罠だ!」

その声には、もはや驚きもなかった。
まるで――最初から知っていた人の声。

少女の口元が、にやりと裂けた。
唇の端が耳元まで裂け、乾いた血がぱきぱきと剥がれる。
その口から、かすれた声が漏れた。

「……ひめさま……どうして……きて……くれなかったの……?」

かくん、と少女の死霊は首を傾げた。

瞬間、腐臭が風に乗り、広場を満たす。
花壇の花々がひとつ、またひとつと萎れていく。

姉が息を呑み、震える唇から言葉が零れた。

「……そんな……まさか……」

その声は、まるで祈りのように儚く空へと消えた。

朝靄の煙る広場の空気が、音もなく――死んだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~

いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。 地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。 「――もう、草とだけ暮らせればいい」 絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。 やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる―― 「あなたの薬に、国を救ってほしい」 導かれるように再び王都へと向かうレイナ。 医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。 薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える―― これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。 ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

婚約破棄された公爵令嬢は冤罪で地下牢へ、前世の記憶を思い出したので、スキル引きこもりを使って王子たちに復讐します!

山田 バルス
ファンタジー
王宮大広間は春の祝宴で黄金色に輝き、各地の貴族たちの笑い声と音楽で満ちていた。しかしその中心で、空気を切り裂くように響いたのは、第1王子アルベルトの声だった。 「ローゼ・フォン・エルンスト! おまえとの婚約は、今日をもって破棄する!」 周囲の視線が一斉にローゼに注がれ、彼女は凍りついた。「……は?」唇からもれる言葉は震え、理解できないまま広間のざわめきが広がっていく。幼い頃から王子の隣で育ち、未来の王妃として教育を受けてきたローゼ――その誇り高き公爵令嬢が、今まさに公開の場で突き放されたのだ。 アルベルトは勝ち誇る笑みを浮かべ、隣に立つ淡いピンク髪の少女ミーアを差し置き、「おれはこの天使を選ぶ」と宣言した。ミーアは目を潤ませ、か細い声で応じる。取り巻きの貴族たちも次々にローゼの罪を指摘し、アーサーやマッスルといった証人が証言を加えることで、非難の声は広間を震わせた。 ローゼは必死に抗う。「わたしは何もしていない……」だが、王子の視線と群衆の圧力の前に言葉は届かない。アルベルトは公然と彼女を罪人扱いし、地下牢への収監を命じる。近衛兵に両腕を拘束され、引きずられるローゼ。広間には王子を讃える喝采と、哀れむ視線だけが残った。 その孤立無援の絶望の中で、ローゼの胸にかすかな光がともる。それは前世の記憶――ブラック企業で心身をすり減らし、引きこもりとなった過去の記憶だった。地下牢という絶望的な空間が、彼女の心に小さな希望を芽生えさせる。 そして――スキル《引きこもり》が発動する兆しを見せた。絶望の牢獄は、ローゼにとって新たな力を得る場となる。《マイルーム》が呼び出され、誰にも侵入されない自分だけの聖域が生まれる。泣き崩れる心に、未来への決意が灯る。ここから、ローゼの再起と逆転の物語が始まるのだった。

悪役令嬢に転生したと気付いたら、咄嗟に婚約者の記憶を失くしたフリをしてしまった。

ねーさん
恋愛
 あ、私、悪役令嬢だ。  クリスティナは婚約者であるアレクシス王子に近付くフローラを階段から落とそうとして、誤って自分が落ちてしまう。  気を失ったクリスティナの頭に前世で読んだ小説のストーリーが甦る。自分がその小説の悪役令嬢に転生したと気付いたクリスティナは、目が覚めた時「貴方は誰?」と咄嗟に記憶を失くしたフリをしてしまって──…

婚約破棄、承りました!悪役令嬢は面倒なので認めます。

パリパリかぷちーの
恋愛
「ミイーシヤ! 貴様との婚約を破棄する!」 王城の夜会で、バカ王子アレクセイから婚約破棄を突きつけられた公爵令嬢ミイーシヤ。 周囲は彼女が泣き崩れると思ったが――彼女は「承知いたしました(ガッツポーズ)」と即答!

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

悪役令嬢は調理場に左遷されましたが、激ウマご飯で氷の魔公爵様を餌付けしてしまったようです~「もう離さない」って、胃袋の話ですか?~

咲月ねむと
恋愛
「君のような地味な女は、王太子妃にふさわしくない。辺境の『魔公爵』のもとへ嫁げ!」 卒業パーティーで婚約破棄を突きつけられた悪役令嬢レティシア。 しかし、前世で日本人調理師だった彼女にとって、堅苦しい王妃教育から解放されることはご褒美でしかなかった。 ​「これで好きな料理が作れる!」 ウキウキで辺境へ向かった彼女を待っていたのは、荒れ果てた別邸と「氷の魔公爵」と恐れられるジルベール公爵。 冷酷無慈悲と噂される彼だったが――その正体は、ただの「極度の偏食家で、常に空腹で不機嫌なだけ」だった!? ​レティシアが作る『肉汁溢れるハンバーグ』『とろとろオムライス』『伝説のプリン』に公爵の胃袋は即陥落。 「君の料理なしでは生きられない」 「一生そばにいてくれ」 と求愛されるが、色気より食い気のレティシアは「最高の就職先ゲット!」と勘違いして……? ​一方、レティシアを追放した王太子たちは、王宮の食事が不味くなりすぎて絶望の淵に。今さら「戻ってきてくれ」と言われても、もう遅いです! ​美味しいご飯で幸せを掴む、空腹厳禁の異世界クッキング・ファンタジー!

処理中です...