【完結】姉は聖女? ええ、でも私は白魔導士なので支援するぐらいしか取り柄がありません。

猫屋敷むぎ

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第三章 魔王決戦編

第九十五話 光

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私にはもう、摘まんだ果実しか見えない。
何も考えられず、ただ凝視した。
艶やかな表面の“模様”が――蠢いた。

それは“手”だった。
内側から皮に押しつけられた、小さな“手”。
無数の“手”が押しては消え、また浮かんでは消えていく。

これが、嘆いている“魂”……?

でも、これを食べれば――姉さんを、みんなを救える。
こんな私でも、役に立てる。

ごくり――喉が鳴った。
音が、冷たい空気に吸い込まれていく。
それでも心は、凍った湖のように静まり返っていた。
怖くはなかった。

――姉さん、みんな……ごめんなさい。そして――さよなら。

私は目を閉じ、唇にそっと果実を寄せた――。



刹那――淀んだ視界の端で、誰かが“動いた”。

椅子の脚が床を擦る音。
衣の裾がはためく音。
そのわずかな風の気配さえ、夢の外から差し込む現実の証のようだった。

次の瞬間――。

――ばちん!!

世界が、一瞬、真っ白に弾けた。

頬を裂く痛みと熱が走る。
視界の端で光が砕け、反射的に指先が跳ねる。
耳の奥で鈍い音が何度も反響した。

空気が戻る。
色が、音が、痛みが――一気に押し寄せてくる。

肺が、痛いほど空気を取り戻していく。
水中から引き上げられたみたいで、胸の奥が焼けついた。
口の中に鉄の味が広がり、その生臭さで“今”が戻ったと分かった。

じんじんとする頬を思わず押さえる。
理解が追いつかない。

頬を打った手が、目の前で震えていた――姉の手だった。

――姉が、私をぶった……?

そんなはずない。
生まれてから一度だって、姉は私に手を上げたことなんてない。
いつも優しく微笑んで、私を受け止めてくれる人なのに。
そんな姉が――今、私を叩いた。

叩かれた頬よりも、胸の奥のほうが痛い。
けれど――その痛みの奥に、「生きている」感覚があった。

だって、私は……姉さんのために、今――。

空気が喉の奥でつっかえたまま、息ができない。
時間だけが、私を置いて進んでいく。

「セレナ!!」

鋭い声が落ちた。
その響きに、空気が震える。

「こんなの……こんなの、絶対に許さないから!!」

その声には、祈りも聖句もなかった。
ただ――一人の姉が、妹を取り戻すために叫んだ、生身の声。

こんなに怒った姉さんを、私は見たことがない。

「だめだ! 君は私の光だ!」

フィーネの声が重なった。
音ではない。胸の奥に届く二人の声――それだけで心臓が跳ねる。

フィーネの手が私の腕を痛いほど強く握る。
痛い。でも――あたたかい。
その温度が、冷え切っていた身体の奥まで染み込んでいく。

(ああ――世界が、戻ってくる)

胸の奥で、ぱきん、と何かが割れた。
そこから光が滲み出すように、心がほどけていく。

冷たく固まっていた心の底が、かすかに音を立てて溶けていく。

目の前で、青い炎がゆらりと揺れた。
さっきまで魔王の支配の象徴だった光。
けれど今は――祈りでも奇跡でもない。

これは――人の怒りと愛で燃える、“人間の火”?

その火が、私の瞳に映り込む。
頬の痛みはまだ残る。

でも、もう怖くない。

今、私は――もう一度、“自分”を取り戻したんだ。

姉が私を見つめている。
眉を寄せ、唇を震わせて。

姉さんはどうして、そんな顔を――。

でも――その瞳に灯るのは、優しい光だった。
姉の頬をひと粒の涙が伝う。

それは、ただの“姉”としての涙。

胸の奥が、あたたかく震えた。
目尻が熱い。とめどなく熱いものが零れだす。

手から果実がぽろりと落ち、フィーネの手が離れた。

私は――嗚咽と共に大好きな姉に縋りついた。

「……お姉ちゃん――!」

あったかい。
姉の手が優しく髪を撫でてくれる。

私は思った。

――ああ、やっぱり。
姉さんは、私の姉さんだ――。



その瞬間、空気が――ふっと、冷えた。

「……あらまあ……」

甘い声が、ほんの半拍だけ止まる。

「……素敵な姉妹愛ですこと……。
 けれど――困りましたわね。
 セレナさんなら、わたくしの“お友達”になってくださると思いましたのに……」

一瞬の沈黙。
ヴェルネの笑みが、ふっと消える。
長いまつ毛が、一度だけ、ふるりと揺れた。

青炎がゆらりと揺れ、気配の密度がわずかに変わる。

――世界から、あの甘い毒はもう消えていた。
それでも、胸の奥にわずかな残り香が漂っていた。

けれど――。

(でも……私は、いてもいなくても大して変わらない。
 私が食べるのが、一番のはず……)

そんなふうに思いかけた、そのとき――。

「セレナは、僕たちの“要”だ!」
「俺も支えられてばかりだ……礼も言わず、すまん」

エリアス!? それにバルドまで!?

(……そんな言葉、向けられたこと、一度だって――)

思わず息を呑む。喉の奥が焼けるように熱い。
胸の奥で、つま先をひゅっと引き上げられるみたいに、何かが動く。

――エリアスの指示は、いつも簡潔だった。
『セレナ、適切な支援を』――それだけ。
私は“ついで”みたいな存在だと思っていた。

バルドだって、私にどんな支援をしてほしいかなんて、
一度も言わなかったし――。

……でも、待って。

私が何か言うと、みんな黙って動いてた。

それって――。

(みんな、最初から私の指示を“前提”に動いていた……?)

そんなはず、ない。

だって私は、いつも姉さんの横にいて、ただの“支援職”で――。
いてもいなくても、大して変わらないって、ずっとそう思い込んでいたのに……。

胸の奥で、きゅう、と細い線が震え、そこから小さな熱が滲み出した。

涙で滲む視界の中、ふと見上げると――
姉も、フィーネも、静かに頷いてくれていた。

(……わたし、ちゃんと……役に立ってたんだ……)

胸の奥に、あたたかい息がふっと流れ込んだ気がした。

その瞬間。

私の中で、小さな灯りが――
力強く、確かに、灯った。

青い炎――蒼灯の揺らめきとなり、その光を包むように広がっていく。
それはもう誰のものでもない――。

“私自身の光”として。

――そして、胸の奥で静かに思う。

(私は、ここにいる。
 ちゃんと、みんなと一緒に――)

***

広間に、けだるげな声が響いた。

熱が――一瞬にして消えた。

「――興ざめだわ」

その言葉が、氷を沈めたように静かに落ちた。
空気がひやりと震え、青炎がわずかに明滅する。

思わずヴェルネの姿を探す。

――一瞬のことだった。
気づけば、玉座にいた。

白い脚を組み、片肘に頬を預ける。
さっきまで目の前にいたはずなのに、まるで最初からそこにいたかのように。

青い炎が彼女の輪郭を滲ませる。
グラスを軽く傾け、真紅の液体を喉奥へ流し込む。
グラスの底を見つめたまま、ゆるやかに唇を歪めた。

「――それで?」

冷ややかな笑みが広間をなぞる。

「誰が――“食べますの”?」

その言葉が落ちた瞬間、空気が石のように固まった。
沈黙が、地に沈んだ。
広間全体が棺のように静まり返る。

蒼灯だけが、まるで息づくように揺れていた。

椅子がきしむ音。
エリアスは剣の柄に手をかけ、腰を浮かす。
バルドは大盾をわずかに寄せ、身をかがめた。
椅子に戻った姉も聖杖を握り締め、フィーネも僅かに半身になる。

――一触即発。

「――ねえ、動いちゃだめだよ?
 巨人さんたちのこと、忘れちゃったのかな?」

メルヴィスが、楽しげに指をひらひら。
紅い瞳に青い火が映る。

「ねえ、姉さん?
 僕、もう飽きちゃったよ。
 “ぷちぷち”しちゃってもいい?」

(そんな! “ぷちぷち”なんて――!)

「だーめ」

ヴェルネは甘い声で制した。

「まだ“プレゼント”の最中ですもの。幻はそのままにして」

横顔だけで弟をたしなめ、細い指先で空気をそっと撫でる。

「……ねえ、皆さま?
 このまま誰も“魔果”を口にしないと――
 『子どもを人質に取られている』と思い込んでる巨人さんたちが可哀そうですわ。
 メルヴィスの幻でも抑えきれないかもしれませんわよ?」

メルヴィスが肩をすくめ、ヴェルネは艶やかに微笑む。

「条件は変わらないわ。
 けれど――もう待てませんの」

エリアスの喉が鳴り、バルドの盾がわずかに床を擦る。
姉の袖口がかすかに震えた。

次の瞬間、フィーネがすっと立ち上がった。
その横顔には、迷いがひとつもない。

「……私が、適任だろう」

心臓がびくりと跳ねる。
空気が薄くなったみたいに、声が出ない。

「フィーネ!」
「弓使い殿!」
「フィーネさん!?」
「……えっ!?」

四人の声が重なった。
思わず見上げた私に、フィーネは言った。

「セレナ、気にするな。
 私は――百年前、死ぬべきだった者だ」

静かで、強い声だった。

「だめ! だって……これからは、一緒に未来を見るって……!」

フィーネは前を向いたまま、ただ小さく笑う。

だめだよ……そんな顔、しないで――。

「君たちの未来こそが、私の未来だ」

そのとき、ガルヴァンがかすかに歯を噛みしめ、口を開いた。

「フィーネ……だめだ。俺はもう……」

「……ガルヴァン……」

声が震えていた。
けれど、彼女の口から出た言葉は――。

「決して――あなたのためじゃない」

フィーネの唇がかすかに震えた。

ふたりは、すれ違ってる――。
本当は、フィーネさんは、彼のことを今でも……。

その瞬間――直感だった。
鍵はきっとこの二人……。

どうすれば……二人の想いが通じるの?

その時、たった一つ、方法を思いついた。
それしかない。一か八かだけど――。

ヴェルネは目の前で指を広げ、爪を眺める。

「フィーネ姫? 決まったのならさっさと食べてくださる?」

今、やるしかない!
気づかれませんように!

私は黙したまま指先で魔法陣を描く。

出来るだけ小さく……目立たないように。
青炎のちらつきに紛れて、指先だけで……。

指先が震え、光陣が血の鼓動に合わせて瞬く。
心臓の音が、魔力と一緒に高鳴っていく。

それは祈りでも、攻撃でもない。
ただ“想い”を届けるための魔法。

『感覚強化』――!

フィーネとガルヴァンと私の足元に、淡い光陣が現れる。
空気が、わずかに震えた。

よし! ヴェルネもメルヴィスも気付いてない。
次の瞬間、音と光と香り――あらゆる五感の洪水が襲い掛かった。

ガルヴァンの眉が寄り、フィーネの瞳が揺れる。
一瞬だけ、二人の視線が私に向く。
私は、小さく頷いた。

(よしっ!)

――そのとき。
ヴェルネが、あくびを噛み殺すように、つまらなそうな声を落とした。

「――もう、退屈。早くしてくださらないかしら?
 メルヴィス――。王国軍を半分、潰していいわよ?」

「魔王! 貴様、約束を破る気が!?」

エリアスが叫ぶ。

「約束? ええ、解放するとは申しましたけど……。
 うふふ……ひとりでも“生かせば”――約束は守れますわよ?」

片眉を上げ、当然のように言うヴェルネ。

「くっ!」

まずい……時間がない!

私は小さく呟く。

『お願い、ガルヴァン、フィーネ。
 ちゃんとお互いの気持ちを伝えなきゃ!』

祈るように、指先から魔法陣へ力を注ぐ。
二人の感覚に意識を集中する。

光陣がふっと脈打つ。

――届いて……!
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