水神様に溺愛されたら、死に戻り巫女になりました。――たとえ何度あなたを忘れても、私はきっとまた恋をします。

第一部 ユイ編 第一章

第四話 救いを求めて

私は必死で水をかき、小舟へ向かって進んだ。

助けて。お願い。
ここにいる。私は、生きてる。
早く――誰か。

焼け付く喉から声を吐き出そうとした、そのとき。
小舟の人影がこちらへ身を乗り出した。

（気付いてくれた！　これで……助かる！）

胸が熱くなり、思わず水面で笑みがこぼれた。

次の瞬間――小舟から叫びが飛んできた。

「巫女様が上がってきたぞ！」
「……重しが外れたのか！？」
「見ろ！　笑ってる……化け物……？」

驚愕。恐怖。怒気。
それらがまじり合った、鋭い声。

え？ と呟いた瞬間、
何かが飛んできて、私の頭を打ち抜いた。

鈍い衝撃。
痛みより先に、世界がふらりと傾く。

暗闇が裂け、その隙間から冷たい影が落ちてくる。

沈んでいく意識の向こう。
あの懐かしい声が、耳の奥でまた囁いた。

――また、おいで。

そして、

ぽちゃん。

冷たい水が、また全身を包んだ。

やっと空気を吸えたのに。
やっと生きられたのに。

まただ。
また――だ。

＊＊＊

けれど、もう知っている。
重りは外れる。

死んで、目覚めて、外して――浮かぶ。
その手順を、身体がもう条件反射で覚えてしまった。

私はまた帯へ手を伸ばし、
皮膚を裂きながら鉄の塊を蹴り落とす。

水面へ。
光へ。

苦しさも痛みもあった。
けれど、今度こそ。

さっきのは何かの間違い。
今度はきっと大丈夫。
ちゃんと声を上げれば、私だってわかってもらえる。

水面を割る。
肺いっぱいに空気を吸い込む。
喉が焼けても――生きている。

「――助けてぇえええ！！」

喉が勝手に張り裂けた。
痛くても叫ばずにはいられない。
誰でもいい。どうか、私を助けて。

前より余裕があった私は、水面から顔を高く上げ、
周囲を見渡しながら必死に叫んだ。

岸辺。小さな島。
ここは大きな湖――。

そして、あの小舟。
そこに何人もの人影が並んでいた。

私は喉を裂きながら叫び続ける。

「お願い、私よ！　助けてぇえええ！！」

彼らは皆、固まっていた。
目を見開き、口を半開きにしたまま――動かない。

（どうして？　こんなに叫んでるのに……
　私だってわかるはずなのに、どうして誰も動かないの？）

その中に、見覚えのある少女がいた。

泣いていた彼女の顔が、ぼんやりと記憶の断片と重なる。
“お姉ちゃん”と呼んだ、あの必死な声。
裾をつかんで「大好き」と笑っていた、あの小さな手。

――私の妹。

その隣には、泣き腫らした中年の男女。
父と母。

「……お、お前……」

誰かが震える声でつぶやくと、小舟がざわめいた。

「まさか、巫女様が戻ってきたのか」
「そんなはずがない……」
「戻っちゃいけないんだ！」

祈るように手を合わせていた者たちが、
今度は一斉に私を指差し、罵声を浴びせかけた。

「どうしてだ！　重しが外れたんだ！？」
「巫女様を捧げなければ、村は守ってもらえない！」
「水神様への冒涜だ！」
「掟だ……！」
「沈めろ！　沈めなきゃ！！」

（巫女を捧げる？　水神への……冒涜？）

理解が追いつく前に、また石が飛んできて額に当たる。
生ぬるい血が頬を伝う。

また……なの？

どうして――
私は沈まなきゃいけないの？

痛みよりも、胸の奥の衝撃の方が深かった。
ただ、生きたいだけなのに。
家に、帰りたいだけなのに。

次々に石が飛んでくる。
水に浮かぶ身体は痛みに震え、
徐々に沈んでいく。

それでも私は、見た。

最後の最後、水面ぎりぎりの景色を。

――父と母。

いつも誕生日を祝ってくれた、笑顔の二人。
今、その目は真っ赤に腫れ、涙でぐちゃぐちゃになっていた。

母は身を乗り出し、「ユイ！」と叫びながら、
届かない手を必死に伸ばしている。

そして――一瞬。

父が、石を投げた誰かに掴みかかり、
何かを必死に叫んでいるのが見えた。

その瞬間、私は理解した。

ああ――
救わないんじゃない。
救ってはいけないんだ。

掟が。
村が。
恐怖が。
――私の命より重い。

石が、次々に飛んでくる。

最後に見えたのは、
あり得ないほど大きな石の影。

ぐしゃり。

世界が、赤い闇へ沈んだ。