水神様に溺愛されたら、死に戻り巫女になりました。――たとえ何度あなたを忘れても、私はきっとまた恋をします。

猫屋敷 むぎ

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第一部 ユイ編 第一章 

第六話 わたしを食べて

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風が吹く。
水面を渡る風の音に混じって、彼の声が届いた。

「僕かい? 僕は水神だよ。愛しい人」

水面を揺らすことさえ惜しむみたいに、静かな呼びかけ。
彼の深い水のような瞳は、静かに揺れていた。

「さっき、君が舞台に現れたときは……正直、僕も驚いてしまったよ」

静かで、どこか寂しげな声だった。

(さっき……? わたしには、ずっと前の出来事みたいなのに。
 それに……愛しい人って……)

その言葉になぜだか、胸の奥がきゅっとした。
でも、それよりも、今は聞きたいことがある。

「どうして……わたしは死ねないんですか。
 何度でも、生き返ってしまうのは、なぜなんですか?」

掠れた声だったけれど、彼には届いていた。
ゆっくりと、私を見つめ返してくれる。

「それは、ユイ。君が僕が選んだ“本物の巫女”だからだよ。
 “本物の巫女”は死なない。
 他の“仮初の巫女”とは、違うからね」

その声音には、祝福とも呪いともつかない響きが滲んでいた。

「わたしが……本物の……巫女?」

彼の瞳は、深い湖の底のようだった。
その中に映る私の顔は、嬉しいのか戸惑っているのか、わからなかった。

その言葉を繰り返しながら、私は彼を見つめた。
きっとそれは、ただの称号でも、儀式の役割でもない。
彼にとって、“わたし”だけがそうなのだと、
言葉よりも、その瞳がそう教えてくれた気がした。

「……水神様が、そう呼んでくださるなら、それでいい」

彼は、悲しそうに微笑んだ。

「君との時間は、僕にとって、大切なものだった。
 君だけがいつも僕を畏れず、まるで一人の人間のように愛してくれたんだ。
 だから、僕は君を“本物の巫女”に選んだんだよ」

その言葉とともに、固く凍りついていたはずの記憶が、
春の雪解けみたいに音もなく溶け、あふれ出す。

私の胸は想い出で満たされ、懐かしい光景が次々に蘇った。

湖畔での偶然の出会い。
たわいもない話をして、時に笑って、時に黙って。

ふらりと湖を訪れれば、そこにいる不思議な人。

花冠を作って頭にのせあったり、光る貝殻を集めたり。
夕陽が沈むのを、並んで静かに眺めたり。

そんな逢瀬を何度も重ねるうちに、想いは募っていった。

わたしは、きっと村の誰かと結婚して、
子どもを産んで、老いて死んでいく。
そんな人生なんだろうなって、ずっと思ってた。

でも、あなたに出会ってしまった。

名前も、何をしているのかも知らないのに。
それでも、わたしは――
戻れなくなってしまったんだ。

あなたに、恋をしてしまったから。

そして、あの日。
妹が“巫女”に選ばれ、私が身代わりを申し出た、あの日。

心がどこかに行ったみたいに、ぼんやりと湖畔を訪れた。
彼に、もう一度だけ会いたくて。

すると、彼はそこにいた。
変わらず、静かに、私を待っていた。

私は、ただ会いたかっただけなのに――
彼はふいに、私を抱きしめ、口づけた。

柔らかくて、少しだけ冷たい唇。
胸が跳ねて、どうしていいかわからなくて、でも、なぜか満たされて。

何も言えなかった。
お別れの言葉さえ。

あれが、私の最初で最後の口づけ。
そして、きっと――最初で最後の恋。

――でも、その彼が水神様だったなんて。

そうだ。
私は、あのとき確かに恋をしていた。
たとえ、相手が誰であっても。

思い出すたび、胸の奥がじんわりと痛む。
生まれて初めての、あの淡くて、愛おしい気持ち。

「わたし、あなたにお別れも言えてなかった……」

でも、そこで言葉は止まった。

お別れなんて、言えるだろうか。
だって、彼は水神様で。
わたしは、生贄。

何を言えばいいのか、わからなかった。
それでも、胸の奥は温かくて、そして痛かった。

彼は静かに言った。

「記憶がすべて戻ったんだね。
 君は“本物の巫女”だから、死んでも戻る。
 でも、本来なら、死に戻れば記憶は失われるはずだった。
 きっと――お別れを言いたい、あまりにも強いその想いが、記憶を手繰り寄せたんだ」

「だから、もしそれを言ったら、君はもう、今の君には戻れなくなる。
 記憶も、痛みも、全てを失くして――次に目覚めても、何も残らない。
 それでも、いいのかい?」

その問いに、私は小さく、けれどはっきりと頷いた。

そうだ。もう、いいんだ。

私は、生きたいと願って、何度も死んで、ここまで来た。
けれど、この人に会えたのなら――それでいい。

胸の奥に、もう答えは浮かんでいた。

それに、もし私が拒めば、次は妹が……。

「一つだけわがままを聞いてくれますか?
 もう、生贄の儀式をやめてください。それが叶うなら……」

答えは決まっていた。

私は、自分の瞳が熱く、潤んでいくのを感じながら、
喉の奥から、かすれた声を絞り出した。

この一言で、すべてが終わる――。

震える唇で、それでも確かに――
私はその言葉を口にした。

「――わたしを……食べて」
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