水神様に溺愛されたら、死に戻り巫女になりました。――たとえ何度あなたを忘れても、私はきっとまた恋をします。

猫屋敷 むぎ

文字の大きさ
8 / 12
第一部 ユイ編 第一章 

第七話 さようなら、愛しい人

しおりを挟む
私の言葉に、彼の目がわずかに見開かれた。
けれど、すぐに静かな色に戻る。

「――君の願いを叶えよう、愛しい人。本当に、いいんだね?」

「うん。もう、いいの。わたし、すべてを思い出したから」

彼の声も、表情も、そしてあのときの口づけも。
それらが確かに、私の中にあると、信じられる。

それだけで、もう十分だった。

「……そうか」

彼は、ぽつりと呟いた。
その声には、どこか満たされたような、けれど二度と届かぬものを嘆くような響きがあった。
そして、静かに約束してくれた。

「それなら、僕からも一つ約束しよう。
 君の想いは、僕の中で永遠に生きると」

水神は、少しだけ寂しそうに微笑んで、静かに口を開いた。

「……苦しい思いをさせて済まなかった。
 本当は、最初から君を助けたかった。
 けれど、捧げられた聖女に、僕は直接手を差し伸べることができない。
 それが、この湖と村の契約で……僕の役目だからね」

水神の瞳が、ほんのわずかに悲しみに滲んだ気がした。

「でも、君は何度でも戻ってきた。
 記憶を手繰り寄せて、僕に会いに来てくれた。
 だから、やっと……こうして君の願いを、叶えることができるんだ」

その言葉とともに、彼の姿が揺らめいた。
池の周りを巡るように風が吹き抜け、やがて――

彼は、巨大な龍へと姿を変えた。

水面に浮かぶ、うねる龍の身体。
きらめく鱗。大きな口と、並んだ牙。

――その巨大な影が水面を渡るとき、ほんの一瞬だけ、
あの日わたしを抱きしめた青年の面影が、その瞳の奥に揺れた。

けれど、不思議と怖くなかった。

その瞳だけは、あの青年と同じように、優しかったから。

――恐ろしいはずなのに、胸の奥はなぜか静かだった。

(もう、怖くない。……ひと思いに)

でも、ほんの少しだけ。
もう一度だけ、あの光の中で、父と母と、妹と、笑いたかったな……。

それに――ずっと思っていたけど、言えなかった言葉。

叶わないって、わかってる。
でも、どうしてだろう。なぜだろう。

――つい口をついて言ってしまった。

「わたし、あなたと、たくさんの子供に囲まれて、一緒に年を取る。
 そんな夢を見てたんだよ?」

その瞬間、この人と生きていたかった――
その気持ちが溢れそうになる。

水神は、そこでふいに動きを止めた。
その巨大な瞳に、言葉では表せないほどの驚きが、静かに波紋のように広がる。

「……そのような願い、君から聞いたのは……初めてだ」

少しだけ、静かに間を置き、

「……それは、素敵な考えだ。
 うん。その願いも、聞き届けよう」

「え……?」

「僕は、約束は守る。だから――」

水神は、寂しそうに、でもどこか嬉しそうな目をして言った。

「――さようなら、愛しい人よ」

私は、静かに瞼を閉じた。
膝をつき、祈るように胸の前で手を組む。

ひと粒の涙が、頬を伝った。
これで報われる。そう思うと、不思議と穏やかな気持ちになった。

死は、もう怖くない。
むしろ、これで終われるなら。
愛する人の手で終われるなら、幸せだとさえ思えた。

最後に浮かんだのは。

湖畔での口づけのあと、はにかんだように微笑んだ、あの人の顔。

そう、それはあなた。
今、大切な約束をしてくれた、大きな、大きな水神様。

あの一瞬は、私にとって――永遠だったの。
だから、私のこと……忘れないでね……。

……忘れるものか――そう彼が言ってくれた気がして。

睫毛が微かに震えて、胸の奥がじんと熱くなる。

愛してる。
こんなにも、あなたが愛しい。

愛してます、私の水神様。

そう、胸の内で何度も繰り返しながら。
私は、静かに、祈るように言葉を紡いだ。

「……さようなら、愛しい人……」

龍の口が、ゆっくりと開かれた。
その巨大な顎が、私を包み込むように近づく。

暗闇が、迫る。
その気配はひんやりと冷たくて、真冬の夜風にさらされるようだった。

でも、不思議と、それは優しい闇だった。
まるで、愛する人の胸の中に沈んでいくように。

身体が、池の水ごと、暗闇に飲み込まれていく。
優しく、けれど、容赦なく。

そして、すべてが、黒に染まった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...