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第十五章
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「アーネスティ、どうした? 顔色が…」
カーライルが声を掛けると、アーネスティは唇を一度きゅっとかんでから、浅くなった息を整えた。
「カーライル、最近オージュルヌの奥地では、小さな地滑りが続いてるのよ」
オージュルヌで地方の視察を担当しているアーネスティは、実際自分で、その事実を目にしていた。
「原因がわからなかった。わたしが三か月も長の館に戻れずにいたのは、地滑りが起きた村の避難を手伝っていたから」
カーライルは、アーネスティと一緒に住んでいながら、ここ数年の間は、わざと彼女の仕事の話を聞かないようにしていた。仕事の話を聞くということは、アーネスティとハーヴィーの話を聞くことであり、その事実を受け止めることを避けていたからだ。
「おれが、さっき見たところでは、完全に崩落しているのは東端だけだった。西側は見ることができなかったけど、南と北にはまだ山脈があった」
「飛空艇で、西側に回って確認できないの?」
ハーレがもう一度自分の手元に紙を取り戻した。紙の空いているスペースに何やらものすごいスピードで計算式を書き始める。
「トーヤ、エンジンの試運転時のときに取った、回転数と燃料消費量の控えはある」
「もちろん! ちょっと待って」
トーヤが手元に持っていた帳面をさっとめくるとハーレに差し出した。
それを見たハーレは笑みを浮かべて受け取った。
「助かる」
そうひとこと返すと、猛然とまた計算を始めた。
「一旦、あの地平線の位置まで出て、そこから西側に迂回するとなると、ざっと十七回は燃料の給油が必要になるな。現在の飛空艇のもつ飛行距離だと現実的じゃない」
皆の重苦しい溜息で倉庫のなかがいっぱいになる。その中でリーヤひとりがきょとんとした顔をしていた。
「タシタカから、飛べばいいんじゃない?」
リーヤの言葉に、そこにいた全員が顔を見合わせた。
「そうか、そうだよ。リーヤ、頭いいよな!」
カーライルは、思わずリーヤを抱き上げてくるくる回った。
「もう、カーライル兄ちゃん、わたし、もう子どもじゃないんだから、降ろしてよ!」
「ははは。悪かったよ」
「機体はアスガネ工房のものを使おう、エンジンはリュドミナ先生が設計されたこの機体のものを外して。機体の組み上げは、ハーレ商会の整備施設をつかえばいい」
ハーレがそう言って立ち上がると、みながそれぞれにうなづいた。
「操縦士はどうする? アスガネ工房の機体なら、トーヤか」
カーライルがそう聞くと、ハーレが頭を振った。
「さっき機体の話を聞いたが、食堂の椅子を操縦席に押し込んだなんてありえない。操縦席もこの機体から取り外して、持っていこう。もちろん、操縦士はきみだ、カーライル」
「それでいいよ、カーライル兄ちゃん。おれ、リュドミナ先生について、もっとエンジンのことに集中したい」
「そうか、わかった」
話が決まると、みなの動きは早かった。今の機体から必要な部品を外し、木箱に詰めていく。トーヤもリーヤも本当に手際がいい。
カーライルが隣で作業をしているハーレを見ると、その手もすでに機械油で黒ずんでいた。解体されていく機体を見ている目は少し寂しそうだ。
「解体するの、ちょっともったいないよな?」
「学生時代、夢中になって作った機体だからな。だが、もう時代遅れだ。それに、このままタシタカに運ぶのは現実的じゃない」
自分の感情もあっさり斬り捨てることができるのは、ハーレの強さだ。
「卒業するときに飛べないように細工したって聞いたぜ」
「どんなに優れたエンジンがあったとしても、羽で揚力を生み出せなければ、離陸はできないから。見た目だけを真似したところで、空には上がれない」
「そうなんだ…」
「なんだ? この羽の形状を父さんに教えたのは、おまえだろ、カーライル?」
「気付いてた?」
「ああ。父さんから、何度も聞かされてたからな」
「トーヤとリーヤは知らなかったみたいだけど?」
「わたしが怪我をしてから、父さんは変わってしまった…」
ハーレが父親の代わりに操縦席に座るようになったのは、今のトーヤと同じ年の頃からだった。身が軽いほうが、飛空艇にかかる負担は少ない。その上、ハーレの操縦技術はあっという間にキールのそれを抜き、自在に飛空艇を操るようになっていた。
あるとき、天候の不良をおして、試験飛行をしていたとき、突風にあおられ墜落した。ハーレの顔には大きな傷痕が残り、右目は失明した。
それでもハーレは飛空艇に乗りたいと主張したが、キールはもう二度と、娘を飛空艇に載せることはなかった。ハーレが帝都にある皇立大学へ留学したのも、それがきっかけだった。
アスガネ工房で飛空艇に乗れないのであれば、自分で飛空艇を作るしかないと思ったからだ。
「ハーレが乗ってもいいんだぜ…」
「実はな、左の視力も随分落ちている。日常生活には、それほど支障はないが、飛空艇で外を確認しながら計器を見るのは、もう難しい」
「あんた、それで、タシタカの実験飛行に出たのか」
「そうだ。おまえが断ったからな」
「まだ、根にもってんのか?」
「持ってないさ。どちらにしろ、あの実験をトシノムの前で成功させるわけにはいかなかったからな」
「わざとだったんだな」
「トシノムは帝都の一部の勢力と繋がっていた。内戦でごたごたしていると、きな臭い話を軍のやつらとしていたのを知っていたからな」
「そんなことに使おうとしていたのか…」
ハーレとカーライルが、手を休めて話をしている間にも出発の準備は着々と進み、翌日の朝には、タシタカに向けて出発することが決まった。
カーライルが声を掛けると、アーネスティは唇を一度きゅっとかんでから、浅くなった息を整えた。
「カーライル、最近オージュルヌの奥地では、小さな地滑りが続いてるのよ」
オージュルヌで地方の視察を担当しているアーネスティは、実際自分で、その事実を目にしていた。
「原因がわからなかった。わたしが三か月も長の館に戻れずにいたのは、地滑りが起きた村の避難を手伝っていたから」
カーライルは、アーネスティと一緒に住んでいながら、ここ数年の間は、わざと彼女の仕事の話を聞かないようにしていた。仕事の話を聞くということは、アーネスティとハーヴィーの話を聞くことであり、その事実を受け止めることを避けていたからだ。
「おれが、さっき見たところでは、完全に崩落しているのは東端だけだった。西側は見ることができなかったけど、南と北にはまだ山脈があった」
「飛空艇で、西側に回って確認できないの?」
ハーレがもう一度自分の手元に紙を取り戻した。紙の空いているスペースに何やらものすごいスピードで計算式を書き始める。
「トーヤ、エンジンの試運転時のときに取った、回転数と燃料消費量の控えはある」
「もちろん! ちょっと待って」
トーヤが手元に持っていた帳面をさっとめくるとハーレに差し出した。
それを見たハーレは笑みを浮かべて受け取った。
「助かる」
そうひとこと返すと、猛然とまた計算を始めた。
「一旦、あの地平線の位置まで出て、そこから西側に迂回するとなると、ざっと十七回は燃料の給油が必要になるな。現在の飛空艇のもつ飛行距離だと現実的じゃない」
皆の重苦しい溜息で倉庫のなかがいっぱいになる。その中でリーヤひとりがきょとんとした顔をしていた。
「タシタカから、飛べばいいんじゃない?」
リーヤの言葉に、そこにいた全員が顔を見合わせた。
「そうか、そうだよ。リーヤ、頭いいよな!」
カーライルは、思わずリーヤを抱き上げてくるくる回った。
「もう、カーライル兄ちゃん、わたし、もう子どもじゃないんだから、降ろしてよ!」
「ははは。悪かったよ」
「機体はアスガネ工房のものを使おう、エンジンはリュドミナ先生が設計されたこの機体のものを外して。機体の組み上げは、ハーレ商会の整備施設をつかえばいい」
ハーレがそう言って立ち上がると、みながそれぞれにうなづいた。
「操縦士はどうする? アスガネ工房の機体なら、トーヤか」
カーライルがそう聞くと、ハーレが頭を振った。
「さっき機体の話を聞いたが、食堂の椅子を操縦席に押し込んだなんてありえない。操縦席もこの機体から取り外して、持っていこう。もちろん、操縦士はきみだ、カーライル」
「それでいいよ、カーライル兄ちゃん。おれ、リュドミナ先生について、もっとエンジンのことに集中したい」
「そうか、わかった」
話が決まると、みなの動きは早かった。今の機体から必要な部品を外し、木箱に詰めていく。トーヤもリーヤも本当に手際がいい。
カーライルが隣で作業をしているハーレを見ると、その手もすでに機械油で黒ずんでいた。解体されていく機体を見ている目は少し寂しそうだ。
「解体するの、ちょっともったいないよな?」
「学生時代、夢中になって作った機体だからな。だが、もう時代遅れだ。それに、このままタシタカに運ぶのは現実的じゃない」
自分の感情もあっさり斬り捨てることができるのは、ハーレの強さだ。
「卒業するときに飛べないように細工したって聞いたぜ」
「どんなに優れたエンジンがあったとしても、羽で揚力を生み出せなければ、離陸はできないから。見た目だけを真似したところで、空には上がれない」
「そうなんだ…」
「なんだ? この羽の形状を父さんに教えたのは、おまえだろ、カーライル?」
「気付いてた?」
「ああ。父さんから、何度も聞かされてたからな」
「トーヤとリーヤは知らなかったみたいだけど?」
「わたしが怪我をしてから、父さんは変わってしまった…」
ハーレが父親の代わりに操縦席に座るようになったのは、今のトーヤと同じ年の頃からだった。身が軽いほうが、飛空艇にかかる負担は少ない。その上、ハーレの操縦技術はあっという間にキールのそれを抜き、自在に飛空艇を操るようになっていた。
あるとき、天候の不良をおして、試験飛行をしていたとき、突風にあおられ墜落した。ハーレの顔には大きな傷痕が残り、右目は失明した。
それでもハーレは飛空艇に乗りたいと主張したが、キールはもう二度と、娘を飛空艇に載せることはなかった。ハーレが帝都にある皇立大学へ留学したのも、それがきっかけだった。
アスガネ工房で飛空艇に乗れないのであれば、自分で飛空艇を作るしかないと思ったからだ。
「ハーレが乗ってもいいんだぜ…」
「実はな、左の視力も随分落ちている。日常生活には、それほど支障はないが、飛空艇で外を確認しながら計器を見るのは、もう難しい」
「あんた、それで、タシタカの実験飛行に出たのか」
「そうだ。おまえが断ったからな」
「まだ、根にもってんのか?」
「持ってないさ。どちらにしろ、あの実験をトシノムの前で成功させるわけにはいかなかったからな」
「わざとだったんだな」
「トシノムは帝都の一部の勢力と繋がっていた。内戦でごたごたしていると、きな臭い話を軍のやつらとしていたのを知っていたからな」
「そんなことに使おうとしていたのか…」
ハーレとカーライルが、手を休めて話をしている間にも出発の準備は着々と進み、翌日の朝には、タシタカに向けて出発することが決まった。
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