『やさしい光の中へ』

水由岐水礼

文字の大きさ
1 / 17

01

しおりを挟む

   【1】

 ……暑い。
 深夜のコンビニの店内は、暖房の吐き出す人工的な熱気に満ちていた。
 それは快適を遥かに通り越し、不快指数の上限を極めたような暑さだった。
 ブルゾンの下、重ね着をした衣服の下で、全身の汗腺が不快感を訴え続けている。
 けれど。正義の前に立つギャル風の店員は、涼しげに手を動かしている。
 かなり明るめの、ほとんどオレンジに近いような、ライトブラウンの長い髪。形の良い唇に塗られたリップの色は、こちらは文句なしにオレンジカラーだった。
 自分を包む不快な暑さと目の前の少女を彩る鮮やかな色彩に、あたかも今が夏であるかのような錯覚を覚えてしまう。
 正義は心の中で秘かに、ギャル風店員に「夏子さん」なんていう、なんとも安直なあだ名を与えた。
 レジカウンターに置かれた買い物カゴの中から、500ミリリットルの牛乳パックが消える。
 ──ピッ。
 100円。
 バーコードが読み込まれ、レジスターに商品の値段が表示される。
 続けて、ミネラルウォーターのペットボトルがカゴから消えた。
 ──ピッ。ピッ。ピッ。ピッ。
 手際よく次々と品物が消えていき、ポテトチップスの大袋がなくなると、カゴの中が淋しくなってしまった。
 残っているのは、鮭おにぎりが2つにミックスサンドだけ。
 ──どん!
 突然、脇から真っ赤なペットボトルがカゴの中に飛び込んでくる。
 なっ……なんだ!?
 驚きを整理する間もなく、第2撃、2本目のペットボトルがカゴを強襲する。
 第2撃はミックスサンドに直撃していた。
 ミックスサンドは、ペットボトルの下敷きになってしまっている。
「あ、ああっ……」
 その憐れな光景に、正義の口から思わず情けない声が漏れる。
 ただただ呆気にとられるばかり。
 そんな正義の耳に、
「お兄ちゃん、それも一緒にお願いね」
 と、どこか甘く幼く響く声がひょいと飛び込んでくる。
 その声に振り向くと、赤いランドセルを背負った見知らぬ少女が、正義の隣で微笑んでいた。
 無邪気な笑顔……。そこからは何の邪気も感じられない。
 その表情が、より正義を困惑させる。
「可愛い妹さんですね」
 正義の戸惑いも知らず、「夏子さん」は彼と少女を見比べて優しげに微笑む。
 ………………。
 そして……。
 季節外れもいいところ、小さな向日葵のイラストが爪に描かれた指が、2本のトマトジュースを取り上げた。
 ──ピッ。


 コンビニの外は一転、まさしく冬だった。
 ひどく寒かった。
 肩より少し長めの髪が、寒風にはらはらと揺れている。
 誘蛾灯の下、青くペイントされたベンチに座る少女。その少し大きめの瞳が、正義を見上げている。
 おそらく、小学校の高学年、5年生か6年生だろう。
 道路を挟んでコンビニの向かい、小さな児童公園で、正義は正体不明の少女と向かい合っていた。
 確かに器量の良い女の子だった。
 可愛い、と。コンビニ店員の夏子さんが言った通り、その短い響きが目の前の少女にはよく似合っている。
 大人の階段を上り始めたばかり、今はまだ幼くて可憐な印象が強い。けれど、整った顔立ちが、その奥に潜んでいるであろう未開花の美貌を容易に想像させてくれる。
 可愛いから、美しく綺麗へ。
 あと5、6年……それくらいの時が経てば、モデルかアイドルか、少女はきっと評判の美少女に成長することは間違いないだろう。
 そんな愚にもつかない事を、芸能スカウトマンのように正義は思った。
 目の前の少女が可愛いことは否定しない。
 けれど……。だれだ……?
〝可愛い妹さんですね〟
 ……違う。少女は妹なんかじゃない。
 この世に生を享けてから20年あまり。正義はただの一度も、誰かの「お兄ちゃん」だった経験なんてない。
 妹どころか、弟も、兄も姉も……。正義には兄弟なんていない。
 兄弟姉妹なんて、正義には最も縁遠いものの一つだった。
 そして、これからも、そのことに変わりはないだろう……。


 それにしても……寒くはないんだろうか。
 正義は、少女の格好に思う。
 この寒風の中、少女はノースリーブのワンピース1枚という出立ちだった。
 見ているこちらの方が、凍えてしまいそうな気分になってくる。
 暦の上では立春を過ぎているとはいえ、今はまだ2月、如月なのだ。冬の寒さは厳しさを誇っている。今朝は雪だって降っていた……。
 なのに、少女はワンピース一枚で、平然としている。身体を震わせることもなく、まるで寒さなど感じていないかのように。
 ただ静かに。一言の声も出さず、正義の顔を見上げている。
 自分を見つめる二つの瞳。それが、なぜか正義を誘う。何へと誘うのか、それは分からないけれど。強く、とても強く……。
 このままだと、どこか得体の知れない処へ吸い込まれてしまいそうだった。
 ……真っすぐな漆黒の呪縛。
 強く……真っすぐな縛めの眼差し。
 けれど……。


 ……違う。強さじゃない。
 正義は気づく。いま、自分を縛めているものは強さなんかじゃない。反対だ。
 強さなんかじゃなくて、まったく逆のモノ。少女の瞳の奥に隠された……儚さだ、と。
 少女の持つ儚さ。自分が惹かれたものは、それなんだ。
 なぜか、ほっとした。
 ……縛めが解(ほど)けていく。
 正義の口から、静かに白い吐息が零れた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

あやかしたちのとまりぎの日常

彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。 勿論店の店主や店員もまた人ではない。 そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...