2 / 17
02
しおりを挟む*
「ほら」
2本の真っ赤なペットボトル。トマトジュースを、少女の方へ差し出す。
「えっ……いいの?」
怒りの言葉か、文句の一つでも飛んでくるものと想像していたのだろう。
正義の行動に驚いたらしく、少女の瞳が少しだけ大きくなった。
何を今更……。態とらしい、そう思ったものの、正義はそれを口に出すことはしなかった。
代わりに、「ああ、いいよ」とお人好しのお兄さんになって頷く。
「あげるよ」
持って帰ったとしても、どうせこんなものは飲まない。理由は簡単、正義はトマトが苦手なのだ。
だからといって、捨てるのも勿体ない。
だったら、真っ赤なペットボトルの行き先は少女の許しかないだろう。
それに。遅ればせながら、正義は自分の置かれた状況の危うさに気づいていた。
時は、冬の真夜中……。
場所は、人気のない淋しい公園……。
その片隅のベンチに腰掛けている、ランドセルを背負った少女……。
そして、ブルゾン姿の男……。
今、この公園にいるのは自分たち二人だけだった。
……良くない。
あらぬ誤解を受けてしまうには、絶好のシチュエーションだろう。
少女の行動次第では、不名誉な汚名を着せられて犯罪者にされかねない。
心の奥で警鐘が鳴り響いている。
たった2本のトマトジュースのために、警察に捕まったりするのなんて御免だ。
ここはジュースを大人しく献上して、さっさとお引き取り願うべきだろう。それが得策だ。正義はそう判断を下していた。
「でも。もう二度と、こんなことはするんじゃないよ。いいね?」
しかし。しっかりと注意だけはしておく。
「はーい!」
素直な返事が返ってくる。
「ありがとう、お兄ちゃん!」
元気良く礼を言うと、少女は正義の手からペットボトルを受け取った。
そして。すぐさまキャップを捻り、赤い液体を喉に流し込み始めた。
ラッパ飲みでゴクゴクと。
よほど喉が渇いていたんだろうか。それとも、大好物なのか。恐ろしいほどのスピードで、トマトジュースが減っていく。
「おいおい……。そんなに慌てて飲まなくても……」
……まるで自棄っぱちのように。愛らしい女の子が、真っ赤な液体を猛スピードでラッパ飲みする図。
それには、どこか怖さを感じさせるものがあった。人間離れしたものを感じてしまう。
たちまちの内に、ペットボトルは空になってしまった。
1リットル近くあったのに……。トマト嫌いの正義は、少女の見事な飲みっぷりに、少しばかり気分が悪くなってしまった。
気分を変えようと、空を仰ぐ。
夜空に星の輝きはなかった。
相変わらず、冷え込みが厳しい。底冷えのする寒さに、明日は雪かもしれないな、と勝手に明日の天気予報をしてしまう。
視線を落とすと、腕時計の針は午前1時すぎを指していた。
ランドセルを背負った女の子が、一人で出歩いていて良い時間じゃない。
この娘をちゃんと家に帰さないと……。
……犯罪者扱いはされたくない。
でも……。さすがに、少女をこのまま一人で家に帰すのは気が咎めた。
やっぱり、送り届けるべきなんだろうな……。
「さあ、行くよ」
面倒なことになったな、と思いつつも、正義はお人好しを続けることにする。
「行くって、どこへ?」
と、返ってきたのは無邪気な言葉。
「…………」
「ねえ、どこ行くの?」
無邪気そのものの不思議顔で、少女は訊いてきた。
どこ、って……。ホントにこの娘は……。
「そんなの、君の家に決まってるだろ。君の家だよ、君の家。ほら、途中まで送っていってあげるから」
言いながら、正義は情けなくなっていた。
ジュースを買ってあげて、家まで送ってあげる。これじゃあ、まるで……。小学校の教師たちが言うところの、知らないおじさん。「声を掛けられても、絶対に一緒についていっちゃダメな」のパターンじゃないか。
「嫌だよ」
少女が言う。
「えっ……」
「だって、あたし……帰る家なんてないもの」
……なんだよそれは。
正義はため息をこぼす。
「あのね、君……」
言いかけて、閃く。
……あ。もしかして、家出?
この娘は家出少女なのか……。
と、正義はそこにたどり着く。
けれど。
正義の心を読んだかのように、
「あたし、家出少女なんかじゃないよ」
少女は告げた。
口を大きくポカンと「あ」の形に開けたまま、正義は彼女に掛けるべき言葉を探す。
しかし、彼が言葉を見つけるよりも早く、少女の方が口を開いた。
「ねえ、泊めてよ」
──お兄ちゃんのところに泊めてよ。
な……。絶句。固まる正義。
そんな彼に、少女はさらに追い打ちをかける。
「ねっ、いいでしょう? 泊めてくれたら、あたし……お兄ちゃんの言うこと、何でもきいてあげるから」
………………。空白。
数瞬、正義の思考は停止した。
落ち着きを取り戻すのに、少し時間が掛かってしまった。
いったい……何を言い出すんだ、この娘は。
自分がいま口にした言葉に含まれる危うさに、気づいているんだろうか。
10年前や20年前ならいざ知らず、新世紀を迎え数年、援助交際なんて言葉にも、珍しさや衝撃が失われた今の時代。そんな言葉を軽々しく口にすることは、少なからず危険を伴うことだというのに……。
それとも……。
……頭が痛い。
正義は眉間を指で押さえた。本当は、頭を抱え込みたいくらいの気分だったけれど。
少女を見る。彼女はただ無邪気に微笑んでいた。どう見ても、それは純粋な子供の笑みだった。
「……いいよ」
正義は言う。
「えっ、いいの! 泊めてくれるの!」
「違う、そうじゃなくて! 何もしてくれなくていいから、馬鹿なことを言ってないで早く家に帰りなさい」
もうこれ以上、この娘に付き合うのはご勘弁だ。ものすごく疲れる。御免こうむる。
お人好しのお兄さんは、もう止めだ。
「そんなぁ……。だって本当にあたし、帰る家なんてないんだもの」
ホントだよ、嘘じゃないよ。
まだ言うか、この娘は……。
──もう知ったこっちゃない!
少女に背を向け、正義は公園の出口へと歩みを進めた。
「ねえ、お願いお兄ちゃん!」
その後を、妙に切羽詰まった声が追う。
が、正義は無視する。
しかし、少女も諦めない。
「ねえ、お願いだから! このままこんな所にいたら、あたし、ハイになっちゃうよ!」
正義の歩みは止まらない。
「あたし、ハイになっちゃうよ……」
少女はもう一度繰り返した。今度は泣きそうな声で。
……えっ。その時。
ハイって、もしかして……。
何故か。正義の頭の中で、ごく自然に一つの変換がなされた。
「……灰、だって」
思わず足を止めて、振り返る。
「……うん。だって、あたしは吸血鬼なんだもの。太陽の光なんて浴びたら、あっという間だよ。あたし……灰になっちゃうよ」
すがるような瞳が、正義を見つめる。
太陽の陽射しを浴びることは、吸血にとって消滅を意味する。
少女は確かに脅えているようだった。
正義は言葉を失った。
あははは……吸血鬼……。
……んな、馬鹿な。
そんな見え透いた、嘘……。どころか、嘘と呼ぶこともできないほどの、でたらめ……。
けれど、目の前の表情は真剣そのものだった。それを嘘やでたらめと呼ぶには、心苦しいくらいに。
まさか……。でも、吸血鬼だなんて。そんなこと、信じられるわけがない。
……人を馬鹿にしすぎている。
けれど……トマトジュース。確か、マンガか何かで、吸血鬼が血の代わりに、赤いジュースを飲んでなかったっけ。
だけど、そんなもの、所詮はフィクションの中での話だ。
でも、だけど……。
……助けを求める声。頼りない響き。
胸元には、正義のあげた真っ赤なペットボトル。少女は、それをとても大事そうに抱えている。
華奢な肩が小刻みに震えている。
漆黒の双眸が儚げに揺れていた。
我知らず、身体が勝手に動いていた。
正義は少女の許へと引き返していた。
着ていたブルゾンを脱ぎ、震える小さな肩に掛けてやる。
その時、少女と目が合った。
「名前は?」
またもや、勝手に口が訊ねていた。
少女の顔に笑みが広がる。
「……麻理亜」
──ま・り・あ。
およそ、吸血鬼には似つかわしくない。
けれど、目の前の少女には似合うと思った。
真っ赤な唇から零れ三つの音は、合わせると聖母様と同じ響きを持っていた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
レオナルド先生創世記
ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~
馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」
入社した会社の社長に
息子と結婚するように言われて
「ま、なぶくん……」
指示された家で出迎えてくれたのは
ずっとずっと好きだった初恋相手だった。
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
ちょっぴり照れ屋な新人保険師
鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno-
×
俺様なイケメン副社長
遊佐 学 -Manabu Yusa-
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
「これからよろくね、ちとせ」
ずっと人生を諦めてたちとせにとって
これは好きな人と幸せになれる
大大大チャンス到来!
「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」
この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。
「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」
自分の立場しか考えてなくて
いつだってそこに愛はないんだと
覚悟して臨んだ結婚生活
「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」
「あいつと仲良くするのはやめろ」
「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」
好きじゃないって言うくせに
いつだって、強引で、惑わせてくる。
「かわいい、ちとせ」
溺れる日はすぐそこかもしれない
◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌
俺様なイケメン副社長と
そんな彼がずっとすきなウブな女の子
愛が本物になる日は……
あやかしたちのとまりぎの日常
彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。
勿論店の店主や店員もまた人ではない。
そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる