『やさしい光の中へ』

水由岐水礼

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「ねえ、先輩……」
 夏子さんが静かに呼びかけてきた。
「はっきり言わせてもらえれば、先輩は自分勝手だと思いますよ」
「…………」
「誰もいないって、それって、先輩が勝手にそう思っているだけじゃないんですか。どうして、誰もいないって言い切れるんですか?」
「それは、本当に誰もいないからだよ」
 正義は即答した。
「だから……どうして、そうなるんですか」
 夏子さんは、呆れたようにため息を吐く。
「そんなの、先輩が一人でそう思っているだけのことでしょう。勝手な決めつけです」
「決めつけなんかじゃないよ。言っただろう、僕には家族も親友も、誰もいないって……」
 いないものは……いないのだ。
 それは誰よりも、本人が一番よく分かっている。
「……まあ、本人が言うんなら、それは事実としましょう。だけど、だからって、おかしいですよ。どうしてそれが、『悲しむ人がいない』ってことと、そんなに簡単に結びついてしまうんですか? 先輩が気づいていないだけで……あなたのことを見ていてくれる人が、いるかもしれないじゃないですか」
「…………」
「もしかしたら、先輩に好意を抱いてくれている人だって、いるかもしれないですよ。ううん、絶対にいると思うな。先輩って、すごくカッコいいから」
 夏子さんが微笑んで言う。
 ただ、すぐに慌てたように付け加える。
「……あっ。でもだからって、違いますよ! 私が先輩に恋してる、とかってことじゃないですからね。そこは誤解しないでくださいね」
「ああ……うん」
 ここは返事をしておいた方がいいと思い、正義は頷いた。
 それを見届けて、夏子さんの方も「はい、よろしい」という感じで頷き返す。
 そして、正義がお説教と感じているものが再開される。
「それに、枷……それって何ですか? 違うでしょう、先輩。枷だなんて、絶対に間違ってますよ! そんな表現は絶対にダメです!」
 どうやら、夏子さんは語り出すと熱くなるタイプらしい。
 力を入れて訴えてくる彼女に、正義は訊ねる。
「だったら、なんて言えばいいんだい?」
「そんなの決まってるじゃないですか! 絆です! 枷なんかじゃくなくて、絆。これ以外に何があるっていうんですか」
「……絆」
「そうです、絆です」
 なるほど……絆か。確かに……枷なんかじゃないな……。
 なんだ……とっても簡単な表現じゃないか。
 こんな単語一つ出てこないなんて……。
 たった漢字一文字の、表現の違い。
 けれど、それだけでは済まされないだろう。
 人との繋がりを、「枷」と表現してしまう自分……。
 その辺からしても……まともじゃない。
 やっぱり、自分には大きく欠けているものがあるようだ。
 ……自分の心の中にある、大きな空洞。空ろ……。
 正義は、それを垣間見たような気がした。
 その空洞は、これからもっと広く大きくなっていくことだろう。
 このままだと、いずれ、自分はそれに飲み込まれてしまうかもしれない。
 ……絆。枷ではなく……絆。
 認識が一つ変わったところで、他に何かが変わるわけでもない……。
 ……何も良くはならない。
 いや、却って悪くなった……。
 また一つ、自分の欠落に気づかされてしまった。
 絆……人と自分を結びつけるもの。
 それは、人として大切な土台の一つだと思う。
 それが……ない。どこを探しても、自分の周りには絆なんてない。
 あるのはただ……。
 店長とバイト。教授と学生。
 そんな無味乾燥な人間関係だけ……。
 そして。隣に座る少女とも。
 コンビニの店員と客……。
 と、それだけの関係だ。
 ……繋がってはいる。
 けれど、結ばれてはいない。
 どれもこれも、なんとも弱々しくて。
 どこまでも淡く、希薄……。
 いつでも簡単に、切れてしまう。
 待つほどの時間もかけず……自然消滅だってできてしまうだろう。
 薄っぺらな繋がり。絆なんて呼べるものじゃない。
 ……欠落している。
(僕には……たった一つの絆もない)
 やはり、自分は人としては失格のようだ。
 たとえ、それが自殺行為に等しいものだとしても……。
 自分には、吸血鬼の方が……。
 正義の心は、暗い闇の世界へと向かおうとする。……落ちていこうとする。
 けれど、「先輩!」と夏子さんが正義を呼ぶ。その声が正義を引き止めた。


「大丈夫ですか、先輩! しっかりしてください!」
 ……自分に掛けられた声。
 どこか切羽詰まったような響き。
 それが、正義を元の場所へと引き戻す。
 周りの景色が回復していく。
 夏子さんの姿が、しっかりと像を結ぶ。
「……よかった」
 夏子さんがほっと息を吐いた。
「びっくりするじゃないですか、いきなりトリップなんてしないでくださいよ」
「……トリップ?」
「ええ、そうですよ。人と話している時に、どこかへ行っちゃうなんて失礼ですよ。でもまあ、そこまで自分の世界に籠もれちゃうなんて……それはそれで、凄いと言えば凄いですけど」
「…………」
 また悪い癖が出てしまったらしい。
 考え込むあまり、自分は夏子さんを思いっきり、ほったらかしにしてしまったようだ。
「ごめん」
 正義は謝った。
「どうせ、今度は『自分には絆がない』とかって、落ち込んでいたんでしょう。で、結局また、悲しんでくれる人がいないとか……。でも、さっきも言ったように、そんなのは勝手な決めつけですよ」
「…………」
「……って言ったって、先輩は納得してくれそうにはないですよね……」
「うん、悪いけど……できないと思う」
 申し訳なさそうに、けれど正直に正義は答えた。
「……そうですよね。わかりました……じゃあ、こうしましょう! 私が先輩と絆を結んであげます!」
「へっ……」
 ……絆を結んであげます、って。
 いったい、何を言い出すのか。
「だって、先輩。いくら口で言ったって、分かってくれないんでしょう? だったら、そうするしかないじゃないですか」
 ……どういう理屈だ、それは。
 筋が通っているようで、何も通ってない。
 無茶苦茶を通り越し、滑稽ですらある。
「……ということで、握手です」
 言って、夏子さんは正義の方へ手を差し出した。
 5本の指の先。今夜も、そこには季節外れの向日葵が咲いていた。
 正義は、差し出された手と夏子さんの顔の間で、視線を行き来させた。
「これが……絆を結ぶこと? こんなことで絆が結べるっていうのかい?」
「いいえ、ダメでしょうね。絆を結ぶって、そんな簡単なことじゃないですよ」
 夏子さんはあっさりと否定した。
「だけど、そのスタートラインには立てると思いますよ。絆を築いていくための、第一歩。それには十分だと思いませんか?」
「絆を、築くための……第一歩」
 ……絆を築く。そうだよな……そんなの当たり前のことだよな。
 リボンとリボンみたいに、簡単に絆なんてものが結べるはずがない。
 それなりの時間を掛けて……。
 ……築いていく。
「ねえ、先輩。怖がっていたら、絆なんてどこからも生まれてきませんよ」
 手を差し出したまま、夏子さんは言う。
「絆を手に入れたいのなら、自分の方からも、しっかりと前へ踏み出さないと……。逃げてちゃダメですよ」
「…………」
 ……怖がっている。
 そうなのか、僕は怖がっているのか?
 吸血鬼になるか、ならないか。そんなことを悩む以前に、自分は既に……逃げていたんだろうか。
 求めながらも、逃げていた……。
 正義は手を広げ、自分の掌を見た。
 掌の真ん中に黒子のある右手は、小刻みに震えていた。
 それは、たぶん……寒さのせいだけではないだろう。
 心なしか、自分の鼓動が速くなっているような気もする。
 なにか……落ち着かなかった。
 きっと、そういうことなんだろう。
 ……それが答えなんだろう。
(……前へ)
 しっかりと……。
 正義は、夏子さんの方へと手を出した。
 そして……。
「よろしく」
 自分から夏子さんの手を握った。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 夏子さんが微笑み、彼女の手にも力がこもった。
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