『やさしい光の中へ』

水由岐水礼

文字の大きさ
11 / 17

11

しおりを挟む

   【7】

 ……説明なんてできるはずがない。
 正義は困ってしまった。
 まさか……本当のことを言うわけにもいかない。
 ──吸血鬼になるか、ならないか。
 その結論がどうしても出せなくて……。
〝……吸血鬼になる決心がつかなくて〟
 そんなことを口にすれば、それそこ本当に不審人物だ。
 だからといって、このまま無言を通すのも無理だろう。
 ただの興味本位、自分の好奇心を満たすためだけの質問。それとは違う。
 夏子さんは、野次馬根性で訊ねてきているわけじゃない。
 彼女はじっと正義を見つめている。答えを待っている。
「…………」
「…………」
 時間稼ぎをするつもりで、正義は手に持った肉まんを口に運んだ。
 ……美味しかった。
 少し冷めかけてはいたけれど、それはまだ温かかった。
 その温かさに、心の中で張り詰めていたものが少しだけ弛む。
 そのせいか、腹の虫が大きな音を立てた。
 夏子さんが、くすりと笑う。
 ……空腹感。
 たったひと口の肉まんが、人としての基本的な感覚を呼び起こしてくれた。
 それが、食欲という名の欲求へと変わる。
 ゆっくりと、時間を掛けて食べるつもりだったのに……。
 空腹感とその美味しさに、正義はあっという間に肉まんを食べ終わってしまっていた。
 ろくに時間稼ぎにはならなかった。
 けれど、既にその必要はなくなっていた。
 正義は話す気になっていた。
 もちろん、すべてをそのまま話すつもりはないけれど……。
 ……夏子さんに話を聞いてもらいたい。
 なぜか、そういう気持ちになっていた。
「どこか……遠いところへ行きたいと思ってね……」
 正義はゆっくりと語り始める。
「誰も僕のことなんて知らない。まったく見も知らぬ場所……そんなところに行こうかなって……」
 まるで……詩でも朗読するように。
 どこか歌うように優しく……。
 正義は静かに言葉を紡いでいく。
「そこで、ひっそりと生きようと……。なのに……どうしても決心がつかなくて。とても行きたいのに、行けないんだ……」
「…………」
 口を挟むことなく、夏子さんは、正義の独白めいた言葉に黙って耳を傾けている。
「なんでだろう……僕には何の枷もないのに。恋人もいなければ……親友って呼べるような奴もいない……。なのに、どうして踏み出せないんだろう……」
 言葉を紡いでいるうちに、いつしか、正義の手は膝の上で固く握られていた。
 喧嘩をする時でさえ、そんなに強くは握らないだろう。それくらい、両方の拳は固くなっていた。
「……誰もいない。僕がいなくなったからって、悲しむ人間なんていないのに。両親も、兄弟姉妹も……僕には家族もいないから……。誰も……」
「ちょっと待ってください!」
 そこでやっと、夏子さんが口を挟む。
「家族がいないって、いるじゃないですか」
「えっ……」
「妹さん。先輩には、とっても可愛い妹さんがいるじゃないですか」
 わずかに怒りを滲ませた口調で、夏子さんが言った。
「ああ……あの娘は違うんだよ。麻理亜は知り合いの子で、ちょっと事情があってね……頼まれて少し預かっているだけなんだ」
 そんなでたらめが、自分でも驚くくらいすんなりと口から出た。
 言い終えたとたん、いったい何に対してなのか、心に小さな痛みを覚えた。
 けれど。その痛みを無視し、続ける。
「だから、違うんだ。……僕には家族はいないんだ。恋人も親友も……僕が遠くへ行ってしまったところで、誰も悲しむ人間はいないんだよ。……僕には枷がないんだよ」
 ただそこにあるだけの存在……。
 そんなものが消えたって……誰も困らない。
 それでも、いなくなれば……少しは違和感を感じてくれる人はいるかもしれない。
 だけど、誰も……探そうとまではしないだろう。
 ……自分はそんな存在だ。
 いや。それはある意味、存在していないとも言えるのかもしれない……。
「そんな僕が消えたって……」
 ……消えてしまったって。
 誰も、自分を責めたりはしないはずだ。
「僕には枷がないから、遠くに行ったって……。自由にどこにでも、行けるはずなのに……どうしても決心がつかなくて……」
「それって……」
 夏子さんの声が再び、正義の独白もどきを遮る。
「まるで、自殺みたい……」
「へっ……」
 自殺、じさつ……。漢字二文字、ひらがななら三文字。
 突然登場したその単語に、正義の握られた拳が弛む。
「いま先輩が話していることって……まるで自殺のことみたいですよ」
 心配げな眼差しが正義を見つめる。
「まさか、先輩……本当に、自殺しようとか思っているんじゃないですよね?」
 ……自殺。……そうなのか? 
 そんなこと、思ってもみなかった。
 吸血鬼になるということは……そういうことなのか。
 吸血鬼になれば、自分はもう人間じゃなくなる。たとえ、同じ「高梨正義」の名前を持っていても……人間とはいえない。
 ……人間じゃなくなる。
〝吸血鬼になれば、人としての悩みや苦しみからは解放されるよ〟
 麻理亜は「解放」という言葉を使った。
 けれど、夏子さんは「自殺」みたいだと言う。
 そういうことなのか……。解放は、同時に自分の死、自殺でもあるから。だから、自分は……躊躇っているのか。
 それを無意識の内に感じとっていたから……決心ができなかったんだろうか。
 ……わからない。
 ……自殺するつもりなんてない。
 吸血鬼になること、それは一種の「逃げ」だとは思うけど……。
 決して、自分を「殺す」つもりなんてなかった……。
 だけど……夏子さんは「自殺」という言葉を使った。
 僕の話を聞いて……。
 自殺みたい、と表現した……。
 いったい、僕は……。
 正義は、ますます分からなくなってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

【完結】6人目の娘として生まれました。目立たない伯爵令嬢なのに、なぜかイケメン公爵が離れない

朝日みらい
恋愛
エリーナは、伯爵家の6人目の娘として生まれましたが、幸せではありませんでした。彼女は両親からも兄姉からも無視されていました。それに才能も兄姉と比べると特に特別なところがなかったのです。そんな孤独な彼女の前に現れたのが、公爵家のヴィクトールでした。彼女のそばに支えて励ましてくれるのです。エリーナはヴィクトールに何かとほめられながら、自分の力を信じて幸せをつかむ物語です。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

処理中です...