『やさしい光の中へ』

水由岐水礼

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   【8】

 ……結ばれた手と手。
 夏子さんの言うとおり、第一歩にはなっているだろう。
 だけど。所詮、今はまだ〈おままごと〉みたいなものだ。
 何かが大きく変わったわけじゃない。それは十分に分かっている。
 それでも、嬉しかった。
 たとえ、おままごとであっても。その中にちゃんと、気持ちを見つけられたから……。
 夏子さんは、本気で自分のことを心配してくれていた。
「これで、もう遠くへ行くなんて言いませんよね?」
「ああ……そうだね」
 正義は頷いた。
「本当ですね? もし何も言わずに姿を消したりしたら、私、怒りますからね」
 …………怒る。ああ、そうか……悲しむだけとは限らないんだ。
 夏子さんが怒ると言ってくれたことに、正義は彼女の誠実さを見た気がした。
「いいですか、もう一度言いますよ。黙って消えたりしたら、ダメですからね」
 その言葉が、とても心地好く感じられた。
 そして。……喜んでいる自分がいた。
 もしかしたら、自分は……。
 ……これを待っていたんだろうか。
 吸血鬼への道へと、あれだけ強く惹かれながら、本当は心の奥底では願っていたのかもしれない……。
 誰かが……自分を引き止めてくれるのを。
 絶望しながらも、まだ望んでいた。
 だから……。
(僕は……決心できなかったのかもしれない)
 やっぱり、自分は……笑顔を取り戻したいと思っているのだろう。
「それから……私は枷なんかじゃないですからね」
 夏子さんがにっこり笑って言う。
「…………」
 ……上手い言い方だ。
 これは否定ができない。まさか、目の前の人間を、枷だなんて表現できるわけがない。
 くしゅん!
 夏子さんが、くしゃみをした。
 その拍子に、二人の手が離れる……。
 夏子さんの鼻の頭は、赤みを帯びていた。改めて見ると、彼女はかなり寒そうだった。
 今まで握っていた彼女の右手だけでなく、左手もむき出しのまま。夏子さんの手は、手袋で守られていたりはしない。
 ……冷たくないはずがない。
 そんなことにも、気を配れなかったなんて。
 つくづく自分の馬鹿さ加減が身に染みる。
「あ……ごめん、寒かったよね」
 正義は謝った。
 ……こんな自分のために。
「……本当にごめん。僕はもう大丈夫だから、もう遠くへ行くなんて言わないから。だから、僕のことはもういいから、君は家に帰りなよ。風邪を引くといけないから……」
 そんな正義の言葉に、「良かった」と夏子さんは嬉しそうに微笑む。
「ホントに大丈夫そうですね。まだそんな余裕があるのなら、先輩は大丈夫ですよ」
「えっ……余裕?」
「だって、ちゃんと私のことを気に掛けてくれているじゃないですか。人って本当にどうしようもない時は、そんな余裕なんて無いものですよ。ひたすら自分のことばかりで、他人のことなんて……」
 ……ほっとした。
 夏子さんの紡ぐ言葉に、心の中で強ばっていたものが、また弛んでいくようだった。
 なにか、声に出して紡がれる言葉の強さを、正義は知ったような気がした。
「だから、安心してください。先輩はまだまだ大丈夫です。私が保証します!」
 夏子さんがもう一度、力強く言ってくれた。
 そんなことを、わざわざ人に保証してもらう。そんな自分をひどく情けなく思いつつも、正義はそれを幸せなことだと感じていた。
 そして。
(これなら……大丈夫)
 自分はもう、本当に大丈夫だろうと思った……。


 けれど……。
 ……正義は思い出した。
 もう一人……。自分に「保証」をくれた相手は、もう一人いた。
 自分のことを「優しい人」だと言ってくれた、少女。
 正義に向けて、何度も「優しい」を繰り返してくれた女の子……。
 ……麻理亜。
 彼女はどうして……。
 正義は、赤いランドセルを背負った女の子のことを思った。
 ……吸血鬼、ヴァンパイア。
 自分のことばかりで、今まで気づけなかったけれど。
 そうだ……麻理亜は吸血鬼だった。
 彼女はどうして、吸血鬼になったんだろう……。
 ……解放。人としての悩みや苦しみからの解放。
 吸血鬼になることを、そう表現した麻理亜……。
 いったい、彼女に何があったのだろう?
 まだ、ランドセルを背負っている年頃だというのに……。
 麻理亜は、すでに人の生を捨てている……。
 何か、よほどのことがあったに違いない。
 彼女自身がそう表現した、「解放」への道を歩みたくなるような、何か。
 彼女は、どんな思いや感情を抱えていたのか。
 無邪気な笑顔の裏側に、麻理亜は何かを隠している……。
 ……今度は自分の番だ。
 正義は思う。
 自分みたいに頼りない奴が話を聞いてやったって、正直どうなるとも思えない。
 自分自身のことすら、持て余しているのだ。
 心に大きな欠落を抱え、一人ではまともに気持ちの整理もつけられない。そんな不安定な、半人前の人間にできることなんて……たかが知れているだろう。
 おそらく、本当にただ話を聞いてやるだけのことしかできないだろう。
 自分では、麻理亜の救いにはなってやれないと思う。
 それでも……。
 今度は自分が……。
(僕が……麻理亜の話を聞いてやる番だ)
 ちゃんと聞いてやらなければいけない。
 いいや、聞いてやりたいと思った。
 せめて、話くらいは聞いてやりたい。
 これまで、本当に自分のことばかりだったから……。
 そんな自分勝手な奴に、麻理亜は心からの言葉をたくさんくれた。
 今度は、僕が。自分にできる範囲のことで、なんとか彼女の役に立ちたい。
 ……麻理亜の助けになってやりたかった。
 もしかすると、それはただ自己満足と呼ばれるものかもしれないけれど……。
 でも。たとえ、そうであっても。
 このまま、出て行かせてはいけない……。
 何もせず、何も聞かず……。
〝やっぱり、独りは淋しいもの〟
 そう言った小さな女の子を、暗い夜の寒空の下、行かせてはいけない。
 ……独りで行かせていいはずがない。
 正義はそう強く思った。
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