亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Main story ¦ リシェル

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 ゆるゆると力の抜けた両手から、ルシウスが短剣をそっと奪い取る。ついさっきまで、私の命を終わらせようとしていたそれを。まるで、危険でも何でもないもののように。私は彼のその行動を、肌から伝わる感覚だけで知る。ルシウスの瞳から、目を逸らすことが出来なくて。やさしい眼差しをただただ受け止め、そして、縋り付くように彼を見つめる。妖しく光っていた短剣も、あんなにも魅力的だった死すらも、すっかり忘れてしまったみたいに。

「……どうして、ここにいるの」

 王国にたった三人しかいない“大魔法師”の、その数少ないひとりであるルシウスが、多忙な日々を送っていることは知っている。彼にしか扱えない魔法や、彼にしか解けない魔法陣や呪文もあるからだ。難しい任務や、王家などからの依頼には、大魔法師の誰かが必ず就くことになっていて、そういうのは往々にして、私たちには想像も出来ないほど大変なものであるらしいので、ひと月どころか数ヶ月戻ってこないということも珍しくない。

 つい数週間前も、彼は隣国の小さな村から、手紙を送ってくれていた。たった数行の、短い手紙ではあったけれど。それでも彼は定期的に、手紙を送ってくれるのだ。王国にいようが、どこか遠い国にいようが、その時々の忙しさなどまるで関係なく。内容はいつもシンプルで、他愛のないものしか綴られていない。天気のことだとか、食事のことだとか、その時いる国の文化だとか。

 そして、細く流れるような筆跡でそれらをしたためられた文章の最初は、決まって“親愛なるリシェル”で始まる。今も昔も。私が“リシェル”を捨て、“オリヴィア”として生き始めてもからも、ずっと。彼は未だに私のことを、昔と変わらずに「リシェル」と呼んでくれる。アルベルトも両親も、もう長いこと口にしていないその名前を。ルシウスだけが、ずっと、ずっと。まるでそれが大切な言葉ででもあるみたいに。声にも筆跡にも、穏やかな熱を滲ませて。

「なんとなく」

 言葉を探すように一拍の間をおき、ルシウスは小さく笑う。私の双眸を、真っ直ぐに見つめて。奪い取った短剣を片手に握り締めたまま。

「なんとなく、君を抱き締めたくなったから」

 全く以て予想外の台詞に、私は呆然とし、そして思わず吹き出した。そのまま
くすくすと笑い、笑いながらどんどんと涙が込み上げてきて、唇も声もぐっしょりと濡れる。遂にはしゃくりあげてしまい、私は子どものように情けなく声を漏らして泣きじゃくりながら、その場に力なく崩折れた。
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