亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

文字の大きさ
14 / 50
Main story ¦ リシェル

14

しおりを挟む
 言葉はなくとも、明らかに拒絶の空気を漂わせている彼に、でも私は臆することなく近付いた。眉を顰めるルシウスのことなどまるで気にせず、彼の隣に――拳三つ分くらいの距離をあけて――腰を降ろし、抱えていた紙袋の中からオレンジをひとつ取り出して、ずいっと無言で差し出した私は、さながら“奇妙で図々しい子ども”だったことだろう。でも、私はそれで構わなかった。出会ったばかりの男の子に嫌われたところで、何だというのだろう。

 差し出したオレンジと私の顔を交互に見ながら、ルシウスは眉根をますます寄せ、怪訝な顔をしていた。「馬鹿にするな」とでも、もしかしたら言いたかったのかもしれない。貴族の娘だと一目で分かるような格好をした私は、あの時の彼には、多分敵だったのだろうから。ルシウスの身につけていた服は、明らかに質素過ぎる粗悪なものだった。袖口の糸がほつれたシャツ、破れ目を繕ったらしい跡のあるズボン。慈善活動に熱心だった母の言葉を借りるなら、彼は正に“恵まれない子ども”の側だった。実際ルシウスは貧民街の出身で、両親の顔を知らないまま育ち、近くの孤児院で生活をしていた。もちろん私がそれを知ったのは、もう少し関係が深まった後でのことだったけれど。

 私は宙ぶらりんみたいになったオレンジを引っ込め、脇目も振らずにそれを剥いた。掌も指も爪の間もべとべとにしながら。母や姉がそれを見たら、きっと呆れ返ったことだろう。貴族の娘らしくしなさい、と、母は叱ったに違いない。
 けれどそこには母も姉もおらず、黙々とオレンジを剥く私と、雑木林を睨むように眺める少年しかいないのだから、何も問題はない、と思った。司祭も礼拝者も、小鳥も犬も猫もいない、たったふたりだけの静かな場所。その異様な空気を、でも私は嫌だとは思わなかった。寧ろ、何故かとても落ち着く、と思ったものだ。

 不器用に剥いたオレンジの半分を差し出すと、ルシウスはまた眉間に深い皺を寄せ、今度は私と目を合わそうともしなかった。まるでここに私など存在していないかのように。意識の外側に、全て追い遣って。
 それでも手を引っ込めようとしない私に、彼はやがて深々と溜息を吐き出して、やれやれと言いたげに肩を竦めた。明らかに戯けと分かる調子で。しかしそれは、呆れでも諦めでもなかった。冷たい怒りの滲んだ、侮蔑。彼はそれを、少しも隠そうとはしなかった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

働きませんわ。それでも王妃になります

鷹 綾
恋愛
「私は働きませんわ」 そう宣言して、王太子から婚約破棄された公爵令嬢エルフィーナ。 社交もしない。慈善もしない。政務にも口を出さない。 “怠け者令嬢”と陰で囁かれる彼女を、王太子アレクシスは「王妃に相応しくない」と切り捨てた。 ――だが彼は知らなかった。 彼女が動かないからこそ、王家は自力で立つことを覚えたのだということを。 エルフィーナは何もしない。 ただ保証を更新せず、支援を継続せず、静かに席を外すだけ。 その結果―― 王家は自らの足で立つことを強いられ、王太子は“誰の力にも頼らない王”へと変わっていく。 やがて外圧が王国を揺らしたとき、彼は気づく。 支配でも依存でもなく、並んで立てる存在が誰だったのかを。 「君と並びたい」 差し出されたのは、甘い救済ではない。 対等という選択。 それでも彼女の答えは変わらない。 「私は働きませんわ」 働かない。 支配しない。 けれど、逃げもしない。 これは―― 働かないまま王妃になる、公爵令嬢の静かなざまあ恋愛譚。 優雅で、合理的で、そしてどこまでも強い。 “何もしない”という最強の選択が、王国を変えていく。

平民の方が好きと言われた私は、あなたを愛することをやめました

天宮有
恋愛
公爵令嬢の私ルーナは、婚約者ラドン王子に「お前より平民の方が好きだ」と言われてしまう。 平民を新しい婚約者にするため、ラドン王子は私から婚約破棄を言い渡して欲しいようだ。 家族もラドン王子の酷さから納得して、言うとおり私の方から婚約を破棄した。 愛することをやめた結果、ラドン王子は後悔することとなる。

貴方が選んだのは全てを捧げて貴方を愛した私ではありませんでした

ましゅぺちーの
恋愛
王国の名門公爵家の出身であるエレンは幼い頃から婚約者候補である第一王子殿下に全てを捧げて生きてきた。 彼を数々の悪意から守り、彼の敵を排除した。それも全ては愛する彼のため。 しかし、王太子となった彼が最終的には選んだのはエレンではない平民の女だった。 悲しみに暮れたエレンだったが、家族や幼馴染の公爵令息に支えられて元気を取り戻していく。 その一方エレンを捨てた王太子は着々と破滅への道を進んでいた・・・

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません

藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は 愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。 夫が愛人を持つことも、 その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。 けれど―― 跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。 その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。 私は悟ったのだ。 この家では、息子を守れないと。 元々、実家との間には 「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。 ならば話は簡単だ。 役目を終えた私は、離縁を選ぶ。 息子と共に、この家を去るだけ。 後悔しているようですが―― もう、私の知るところではありません。

あの日々に戻りたくない!自称聖女の義妹に夫と娘を奪われた妃は、死に戻り聖女の力で復讐を果たす

青の雀
恋愛
公爵令嬢スカーレット・ロッテンマイヤーには、前世の記憶がある。 幼いときに政略で結ばれたジェミニ王国の第1王子ロベルトと20歳の時に結婚した。 スカーレットには、7歳年下の義妹リリアーヌがいるが、なぜかリリアーヌは、ロッテンマイヤー家に来た時から聖女様を名乗っている。 ロッテンマイヤーは、代々異能を輩出している家柄で、元は王族 物語は、前世、夫に殺されたところから始まる。

氷の貴婦人

恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。 呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。 感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。 毒の強めなお話で、大人向けテイストです。

熱烈な恋がしたいなら、勝手にしてください。私は、堅実に生きさせてもらいますので。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるアルネアには、婚約者がいた。 しかし、ある日その彼から婚約破棄を告げられてしまう。なんでも、アルネアの妹と婚約したいらしいのだ。 「熱烈な恋がしたいなら、勝手にしてください」 身勝手な恋愛をする二人に対して、アルネアは呆れていた。 堅実に生きたい彼女にとって、二人の行いは信じられないものだったのである。 数日後、アルネアの元にある知らせが届いた。 妹と元婚約者の間で、何か事件が起こったらしいのだ。

処理中です...