37 / 50
Side story ¦ ルシウス
06
しおりを挟む
妻を失ったアルベルトの憔悴ぶりは言うまでもなかったが、それはリシェルもまた同じことだった。アルベルトや両親の前では、疲労も悲しみも、何もかも隠そうと取り繕っていた彼女だが、ぎりぎりのところで踏ん張っているに過ぎないのは、誰の目にも明らかだった。少なくとも、俺の目には。
大切な娘を亡くして自室に引き籠もりがちになった母親。そんな彼女を気遣い、常に寄り添う父親。独りぼっちの食事が多くなった、と、屋敷の使用人に聞いてから、俺はなるべく頻繁に彼女のもとを訪ねるようにした。徹夜をして仕事を片付けたり、短いスケジュールの間に無理矢理用事を詰め込んだりして。どうにか時間を捻出し、俺は足繁く彼女の顔を見に通った。同僚や部下からは呆れられ、今や「君は俺の専属だろう?」などとのたまう王太子には苦笑を漏らされもしたけれど。周りがどう思おうと、俺は一切気にしなかった。そもそも周りのことなど関係がない。リシェルさえ支えられれば、他のことはもうどうでも良かった。
食事はなるべくふたりでした。時には彼女の好物を持ち込み、それをふたりでつつきながら星を眺めたりもした。下らない話をしたり、カードゲームやチェスをしたり。しかしそうしている最中も、彼女はどこか上の空だった。身体も意識も現実にあるのに、心だけがここにないような、ぼんやりとした紫色の瞳。姉を亡くした悲しみだけでなく、アルベルトが日々壊れてゆくのにひどく胸を痛めていることは、知っていた。そのせいだと分かれば分かるほど、遣る瀬無さばかりが募る。結局あの男か、と。何でもかんでもあの男なのか、と。
それでも、彼女を支える決意が揺らぐことは、決してなかった。「君はまるで騎士のようだね」と、いつだったか殿下に言われたことがある。姫に忠誠を誓う従順な騎士だ、と。今どき珍しいもんだ、とも。反論をしなかったのは、返す言葉を見つけられなかったからだ。何を言ったところでこの人には真意を見抜かれるのだろう、と分かっていたから。
酒を飲まないリシェルの為に、任務で赴いた国々で珍しい茶葉を見つけると、それを買って手紙と共に送り届けたり、或いは久々の休暇を使って遊びに連れ出すこともした。昔のように草原を駆け回るようなことはしなかったけれど。マーケットの露店で串焼きを買ったり、果物を頬張ったり、人気のない場所でぼんやりと時間を過ごしたり。アルベルトや両親の絶望に呑み込まれてしまわないよう、彼らから少しでもリシェルを切り離してやりたかった。遠いところまで。
そんな俺に、彼女は何も求めなかった。時折切なく微笑んで、かと思えばハッと我に返ったように、満面の笑みを浮かべる。気遣いの含まれた、空元気を装った造り物の笑顔。そんなもので俺を騙せるなどとは、彼女は少しも思ってはいなかっただろう。言葉はなくとも、互いにそう通じ合えるだけの繋がりが俺たちの間にあることを、俺もリシェルも十分に分かっていたのだから。
大切な娘を亡くして自室に引き籠もりがちになった母親。そんな彼女を気遣い、常に寄り添う父親。独りぼっちの食事が多くなった、と、屋敷の使用人に聞いてから、俺はなるべく頻繁に彼女のもとを訪ねるようにした。徹夜をして仕事を片付けたり、短いスケジュールの間に無理矢理用事を詰め込んだりして。どうにか時間を捻出し、俺は足繁く彼女の顔を見に通った。同僚や部下からは呆れられ、今や「君は俺の専属だろう?」などとのたまう王太子には苦笑を漏らされもしたけれど。周りがどう思おうと、俺は一切気にしなかった。そもそも周りのことなど関係がない。リシェルさえ支えられれば、他のことはもうどうでも良かった。
食事はなるべくふたりでした。時には彼女の好物を持ち込み、それをふたりでつつきながら星を眺めたりもした。下らない話をしたり、カードゲームやチェスをしたり。しかしそうしている最中も、彼女はどこか上の空だった。身体も意識も現実にあるのに、心だけがここにないような、ぼんやりとした紫色の瞳。姉を亡くした悲しみだけでなく、アルベルトが日々壊れてゆくのにひどく胸を痛めていることは、知っていた。そのせいだと分かれば分かるほど、遣る瀬無さばかりが募る。結局あの男か、と。何でもかんでもあの男なのか、と。
それでも、彼女を支える決意が揺らぐことは、決してなかった。「君はまるで騎士のようだね」と、いつだったか殿下に言われたことがある。姫に忠誠を誓う従順な騎士だ、と。今どき珍しいもんだ、とも。反論をしなかったのは、返す言葉を見つけられなかったからだ。何を言ったところでこの人には真意を見抜かれるのだろう、と分かっていたから。
酒を飲まないリシェルの為に、任務で赴いた国々で珍しい茶葉を見つけると、それを買って手紙と共に送り届けたり、或いは久々の休暇を使って遊びに連れ出すこともした。昔のように草原を駆け回るようなことはしなかったけれど。マーケットの露店で串焼きを買ったり、果物を頬張ったり、人気のない場所でぼんやりと時間を過ごしたり。アルベルトや両親の絶望に呑み込まれてしまわないよう、彼らから少しでもリシェルを切り離してやりたかった。遠いところまで。
そんな俺に、彼女は何も求めなかった。時折切なく微笑んで、かと思えばハッと我に返ったように、満面の笑みを浮かべる。気遣いの含まれた、空元気を装った造り物の笑顔。そんなもので俺を騙せるなどとは、彼女は少しも思ってはいなかっただろう。言葉はなくとも、互いにそう通じ合えるだけの繋がりが俺たちの間にあることを、俺もリシェルも十分に分かっていたのだから。
69
あなたにおすすめの小説
氷の貴婦人
羊
恋愛
ソフィは幸せな結婚を目の前に控えていた。弾んでいた心を打ち砕かれたのは、結婚相手のアトレーと姉がベッドに居る姿を見た時だった。
呆然としたまま結婚式の日を迎え、その日から彼女の心は壊れていく。
感情が麻痺してしまい、すべてがかすみ越しの出来事に思える。そして、あんなに好きだったアトレーを見ると吐き気をもよおすようになった。
毒の強めなお話で、大人向けテイストです。
結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。
雨野六月(旧アカウント)
恋愛
「俺には愛する人がいるんだ。両親がどうしてもというので仕方なく君と結婚したが、君を愛することはできないし、床を交わす気にもなれない。どうか了承してほしい」
結婚式の晩、新妻クロエが夫ロバートから要求されたのは、お飾りの妻になることだった。
「君さえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまる」と諭されて、クロエはそれを受け入れる。そして――
あなたの言うことが、すべて正しかったです
Mag_Mel
恋愛
「私に愛されるなどと勘違いしないでもらいたい。なにせ君は……そうだな。在庫処分間近の見切り品、というやつなのだから」
名ばかりの政略結婚の初夜、リディアは夫ナーシェン・トラヴィスにそう言い放たれた。しかも彼が愛しているのは、まだ十一歳の少女。彼女が成人する五年後には離縁するつもりだと、当然のように言い放たれる。
絶望と屈辱の中、病に倒れたことをきっかけにリディアは目を覚ます。放漫経営で傾いたトラヴィス商会の惨状を知り、持ち前の商才で立て直しに挑んだのだ。執事長ベネディクトの力を借りた彼女はやがて商会を支える柱となる。
そして、運命の五年後。
リディアに離縁を突きつけられたナーシェンは――かつて自らが吐いた「見切り品」という言葉に相応しい、哀れな姿となっていた。
*小説家になろうでも投稿中です
私も貴方を愛さない〜今更愛していたと言われても困ります
せいめ
恋愛
『小説年間アクセスランキング2023』で10位をいただきました。
読んでくださった方々に心から感謝しております。ありがとうございました。
「私は君を愛することはないだろう。
しかし、この結婚は王命だ。不本意だが、君とは白い結婚にはできない。貴族の義務として今宵は君を抱く。
これを終えたら君は領地で好きに生活すればいい」
結婚初夜、旦那様は私に冷たく言い放つ。
この人は何を言っているのかしら?
そんなことは言われなくても分かっている。
私は誰かを愛することも、愛されることも許されないのだから。
私も貴方を愛さない……
侯爵令嬢だった私は、ある日、記憶喪失になっていた。
そんな私に冷たい家族。その中で唯一優しくしてくれる義理の妹。
記憶喪失の自分に何があったのかよく分からないまま私は王命で婚約者を決められ、強引に結婚させられることになってしまった。
この結婚に何の希望も持ってはいけないことは知っている。
それに、婚約期間から冷たかった旦那様に私は何の期待もしていない。
そんな私は初夜を迎えることになる。
その初夜の後、私の運命が大きく動き出すことも知らずに……
よくある記憶喪失の話です。
誤字脱字、申し訳ありません。
ご都合主義です。
貴方なんて大嫌い
ララ愛
恋愛
婚約をして5年目でそろそろ結婚の準備の予定だったのに貴方は最近どこかの令嬢と
いつも一緒で私の存在はなんだろう・・・2人はむつまじく愛し合っているとみんなが言っている
それなら私はもういいです・・・貴方なんて大嫌い
私のことは愛さなくても結構です
ありがとうございました。さようなら
恋愛
サブリナは、聖騎士ジークムントからの婚約の打診の手紙をもらって有頂天になった。
一緒になって喜ぶ父親の姿を見た瞬間に前世の記憶が蘇った。
彼女は、自分が本の世界の中に生まれ変わったことに気がついた。
サブリナは、ジークムントと愛のない結婚をした後に、彼の愛する聖女アルネを嫉妬心の末に殺害しようとする。
いわゆる悪女だった。
サブリナは、ジークムントに首を切り落とされて、彼女の家族は全員死刑となった。
全ての記憶を思い出した後、サブリナは熱を出して寝込んでしまった。
そして、サブリナの妹クラリスが代打としてジークムントの婚約者になってしまう。
主役は、いわゆる悪役の妹です
私は貴方を許さない
白湯子
恋愛
甘やかされて育ってきたエリザベータは皇太子殿下を見た瞬間、前世の記憶を思い出す。無実の罪を着させられ、最期には断頭台で処刑されたことを。
前世の記憶に酷く混乱するも、優しい義弟に支えられ今世では自分のために生きようとするが…。
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる