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第三部 命花の呪い 編
二章 呪いを解くために 01
しおりを挟む結局、その後も結衣はアレクの傍にいた。
アレクが執務をしている間、ハンカチに刺繍をして暇を潰している。
本で時間をつぶそうにも、結衣はリヴィドール国の文字が読めない。そもそも読めたとしても、犬以外の勉強は好きではないので、きっと読書を選んでいなかっただろう。
(どうせなら飾り紐の続きを編みたいんだけど、アレクには内緒だしね)
考え事をしながら、チクチクと木綿の白いハンカチに針を通す。
白いハンカチには、下絵が描かれている。ドラゴンの絵で、なかなか複雑だ。
子どもが刺繍を練習するためのものらしいが、刺繍なんてしたことのない結衣には、絵に合わせて糸を通すだけで集中力がいる。だが続けていれば慣れた。
(半年の約束もあるし、今、渡すのは気が引けるわ……)
それとも、アレクが死ぬかもしれないのだから、渡しておくべきなのだろうか。
暗い考えが這いよってきて、結衣は慌てて頭から追い出した。
(皆、呪いを解く方法を調べてくれてるし、まだ決まったわけじゃない。希望を持とう、大丈夫よ)
そう思っても、つい窓の外を見てしまう。
ソラに会って相談したいのだが、相変わらずソラのもとを神官が出入りしているらしいから、今行っては邪魔になりそうだ。
悶々としている結衣に対し、当事者のアレクはいつも通り落ち着いている。
部屋にはかりかりとペンが紙の上を走る音や、書類を読んでいるのか紙をめくる音が聞こえていた。昨晩、アレクを心配しすぎて眠れなかったこともあり、その音がまるで子守り歌のようで、結衣はうつらうつらと船をこいでいた。
「ユイ、危ないですよ」
「へ?」
アレクの声に、結衣は何のことかと目を瞬き、手元を見て驚く。思いもよらぬ場所に針を指していた。ちょうど左手の親指から一センチずれた辺りだ。
危うく針で思い切り指を刺していたところである。
ゾッとした結衣は、刺繍セットをローテーブルに置き、針を針山に刺す。眠気が去るまではやめておいた方が無難そうだ。
「そろそろ夕食にしましょうか」
アレクが席を立ち、応接セットの方へ歩いてくる。結衣は頷いて、ぺこりと頭を下げる。
「はい。……すみません、仕事してる人の横で眠そうにして」
「構いませんよ、昨晩は眠れなかったんでしょう?」
アレクはそう言って、結衣の目元に指で軽く触れた。白い手袋のなめらかな感触が、結衣の目の隈を軽くなぞる。
「ええ」
結衣は肯定を返しつつ、そっとアレクから距離を取る。
「あの、なんか急に、距離感が近くないですか?」
気のせいかなと思ったが、アレクは肩をすくめて問う。
「迷惑ですか?」
「えっ、いや、そうじゃないですけど……」
本当に距離感が縮まっていると知り、結衣は戸惑う。そもそも日本人はパーソナルスペースが広いから、親しい人間でも近付かれすぎるとなんだか落ち着かない。
「一週間後に死ぬのだとしたら、ユイとしたいことがたくさんあるなあと思いまして」
「したいこと……」
結衣にはそれがとても大事なことに思えて、重々しく呟いた。
だが、改めてアレクと二人で何かしたいことがあるかと考えてみると、思いつかない。
「他にどんなものがあるんですか?」
わくわくとアレクに問いかける。すると逆に問い返される。
「ユイはありませんか?」
「食事にお茶に、デートが一般的でしょうけど……別に何でもいいですよ。アレクといるだけで、何でも特別に感じるので」
結衣があっけらかんと答えると、アレクは照れたように笑う。
「そうですね、私も似たようなものですが、もっと話をしたいです」
「話ですか? いいですよ、楽しそうですね」
アレクの穏やかな話しぶりを聞いていると、結衣もずっと話していたくなるので、前のめりで頷いた。
「まずは夕食にしながらでどうでしょうか?」
「ええ、そうしましょう。呪いに何が効くか分かりませんけど、体力をつけておかないと」
食堂に行こうと誘われたので、連れだって執務室を出た。
「ユイは犬が好きなんですよね?」
ゆっくりと食事をしながら、アレクが訊いた。
広々とした食堂には、長いテーブルが置かれている。その端の席について、結衣はステーキを切り分けていた。
「ええ、はい」
頷いたものの、内心、部屋の様子に圧倒されている。
頭上にはシャンデリアが下がり、壁には女神やドラゴンの絵が描かれていた。部屋の隅には楽師がいて、バイオリンのようなものを弾いている。
(演奏を聞きながら食事ってすごい贅沢)
そわそわと三人の楽師を見ていると、アレクは結衣が何を気にしているのかすぐに分かったようだった。
「彼らのことが気になりますか? 私は普段はあまり楽師を付けないんですが、オスカーが、私がリラックス出来るようにと気を回したようです」
「落ち着いた雰囲気ですよね、確かに……」
穏やかな曲調には癒されると結衣は頷いた。
「たまにはいいですよね。私は、普段はつい騎士団仕込みで、急いで食べてしまうもので、こうした時間は息抜きになります」
温和な空気を纏っているので忘れそうになるが、アレクは騎士団上がりの王なのだった。分かっていても、結衣には非戦闘員にしか見えないので、不思議な感じがする。
「そういえば今って、アスラ国とは停戦中なんですか?」
前回から来た時から三ヶ月近く経っているので、どうなのだろう。
「停戦期間は終わっていますが、アスラ国は静けさを保っていますね。恐らく、アクアレイト国での戦で消耗して、立て直している最中でしょう。私どもはあちらが攻めてくれば対処しますが、こちらからは何もしないので、静観しています」
「停戦中じゃないんだ……」
宮廷舞踏会なんてしているので、安全な期間なのかと思っていた結衣は驚いた。
(まあでも、魔族って停戦中も協定を破って攻めてくるような人達だし、安全ってわけでもないか)
リヴィドールの人達が落ち着いているのは、いつものことだからなんだろう。
「しかし、今回の呪いの件といい、あちらでも何かが起きていそうですね」
「……内紛?」
「分かりませんが、充分にありえます。アスラ国は一夫多妻制なので、王には何人もの妃がいるんですよ。今の王には十人の息子がいて、現在の王太子は五男ですからね。ごたごたがあってもおかしくはありません」
「王太子って長男がなるんじゃないんですね」
勉強が好きではない結衣でも、王位継承の順位が、生まれた順番からの国が多いのは知っている。
「イシュドーラの前の王太子は長男でしたが、私の父が重傷を負いながらも討ち取りました。その後、どうしてかイシュドーラが繰り上がりましたが……そもそもあの国は、強い者が王になるので、私にも次に誰が王になるかは分かりません」
「国内でもあんな感じなんですね、魔族って……」
「はは、まれに王に戦を仕掛けて、玉座を勝ち取る者もいます。人間側の国でしたら大問題ですが、あちらは勝った者が正当な権威を持つので、気にしないようです」
そんな国で王太子の地位を勝ち取ったのか、あの男……と、結衣はイシュドーラを思い浮かべてゾッとした。
「ある意味、実力主義の社会なんですね」
「そうですね、気概と能力さえあれば、上の地位に行けるという点では、良い国だと思う人もいるでしょう。まあ、いつ背中から刺されるか分からないので、私は御免ですが」
「私も嫌です、怖いですよ!」
想像するだけでおっかない。
青ざめる結衣を見て、まずい話題だと思ったのか、アレクは咳払いをして話を変える。
「ええと、そうでした。犬がお好きなのかと聞いたんでしたね」
「あ、そうですね」
自分の好きなものの話になったので、結衣はぱっと表情を明るくする。
「私、犬が大好きなんです。可愛いんですよ、構ってーって寄ってこられると、もう撫でまくりますよね」
犬の話になると、勝手に顔が緩んだ。
「私も家では犬を飼っていて、もうおばあちゃん犬なんですけど、今でも可愛いですよ。家族ですしね。そういえば、ここにも犬はいるとは聞いてますけど、見かけませんよね」
「リヴィドールでは狩猟犬や牧羊犬として飼っているので、城の目につく所にはおりませんよ。身近なところだと、飼育しているドラゴンの餌を採りに行く際に連れていくくらいでしょうか」
「ああ、だから狩猟犬……」
納得する結衣に、アレクは説明を続ける。
「外には野良ドラゴンがいることもありますから、犬に危険を教えてもらうんです。人間より気付きやすいですからね」
「なるほど」
確かにこの世界にはドラゴンが普通にうろついているのだ、身を守るために動物を使うのは自然に思える。
「ですがユイの話を聞いていると、愛玩目的のようですね」
「それもありますけど、家族なんですよ。ニールムとアレクみたいな感じです」
「ああ、そういうことですか」
「私の世界にはドラゴンはいないので、犬が一匹いると、番犬にもなって防犯にもなるんですよ」
空き巣が犬に餌付けしてしまうと、番犬としての効果はないのだけどと内心で考えながら、結衣はそう言った。
「防犯……ですか。魔法で罠を張ったりは?」
「魔法もないので」
「ああ、そうでした……。大変ですね」
とても心配そうにアレクは言うが、結衣にとってはそれが普通だ。
「あはは、まあでも、一番の防犯は、近所付き合いをしておくことなんで、こちらともあまり変わらないんじゃないかな」
「そうですね、見かけない人がいれば警戒しますから」
アレクは頷いて、結衣に問う。
「狩猟犬の小屋に、今度、ご案内しましょうか? 興味があるのでしたら、オスカーに話を通しておきますよ」
「見てみたいです! あ、でも、先にソラに会いたいんですよね」
「食後に行ってみましょうか? 無事ならどうして顔を見せに来ないのかと叱られそうですから」
「確かにすねそうですね」
体は大きくなったが、まだまだ子どもっぽいソラを思い浮かべ、結衣はふふっと笑ってしまった。
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