赤ちゃん竜のお世話係に任命されました

草野瀬津璃

文字の大きさ
53 / 89
第三部 命花の呪い 編

 二章 呪いを解くために 01

しおりを挟む
 

 結局、その後も結衣はアレクの傍にいた。
 アレクが執務をしている間、ハンカチに刺繍をして暇を潰している。
 本で時間をつぶそうにも、結衣はリヴィドール国の文字が読めない。そもそも読めたとしても、犬以外の勉強は好きではないので、きっと読書を選んでいなかっただろう。

(どうせなら飾り紐の続きを編みたいんだけど、アレクには内緒だしね)

 考え事をしながら、チクチクと木綿の白いハンカチに針を通す。
 白いハンカチには、下絵が描かれている。ドラゴンの絵で、なかなか複雑だ。
 子どもが刺繍を練習するためのものらしいが、刺繍なんてしたことのない結衣には、絵に合わせて糸を通すだけで集中力がいる。だが続けていれば慣れた。

(半年の約束もあるし、今、渡すのは気が引けるわ……)

 それとも、アレクが死ぬかもしれないのだから、渡しておくべきなのだろうか。
 暗い考えが這いよってきて、結衣は慌てて頭から追い出した。

(皆、呪いを解く方法を調べてくれてるし、まだ決まったわけじゃない。希望を持とう、大丈夫よ)

 そう思っても、つい窓の外を見てしまう。
 ソラに会って相談したいのだが、相変わらずソラのもとを神官が出入りしているらしいから、今行っては邪魔になりそうだ。
 悶々としている結衣に対し、当事者のアレクはいつも通り落ち着いている。
 部屋にはかりかりとペンが紙の上を走る音や、書類を読んでいるのか紙をめくる音が聞こえていた。昨晩、アレクを心配しすぎて眠れなかったこともあり、その音がまるで子守り歌のようで、結衣はうつらうつらと船をこいでいた。

「ユイ、危ないですよ」
「へ?」

 アレクの声に、結衣は何のことかと目を瞬き、手元を見て驚く。思いもよらぬ場所に針を指していた。ちょうど左手の親指から一センチずれた辺りだ。
 危うく針で思い切り指を刺していたところである。
 ゾッとした結衣は、刺繍セットをローテーブルに置き、針を針山に刺す。眠気が去るまではやめておいた方が無難そうだ。

「そろそろ夕食にしましょうか」

 アレクが席を立ち、応接セットの方へ歩いてくる。結衣は頷いて、ぺこりと頭を下げる。

「はい。……すみません、仕事してる人の横で眠そうにして」
「構いませんよ、昨晩は眠れなかったんでしょう?」

 アレクはそう言って、結衣の目元に指で軽く触れた。白い手袋のなめらかな感触が、結衣の目の隈を軽くなぞる。

「ええ」

 結衣は肯定を返しつつ、そっとアレクから距離を取る。

「あの、なんか急に、距離感が近くないですか?」

 気のせいかなと思ったが、アレクは肩をすくめて問う。

「迷惑ですか?」
「えっ、いや、そうじゃないですけど……」

 本当に距離感が縮まっていると知り、結衣は戸惑う。そもそも日本人はパーソナルスペースが広いから、親しい人間でも近付かれすぎるとなんだか落ち着かない。

「一週間後に死ぬのだとしたら、ユイとしたいことがたくさんあるなあと思いまして」
「したいこと……」

 結衣にはそれがとても大事なことに思えて、重々しく呟いた。
 だが、改めてアレクと二人で何かしたいことがあるかと考えてみると、思いつかない。

「他にどんなものがあるんですか?」

 わくわくとアレクに問いかける。すると逆に問い返される。

「ユイはありませんか?」
「食事にお茶に、デートが一般的でしょうけど……別に何でもいいですよ。アレクといるだけで、何でも特別に感じるので」

 結衣があっけらかんと答えると、アレクは照れたように笑う。

「そうですね、私も似たようなものですが、もっと話をしたいです」
「話ですか? いいですよ、楽しそうですね」

 アレクの穏やかな話しぶりを聞いていると、結衣もずっと話していたくなるので、前のめりで頷いた。

「まずは夕食にしながらでどうでしょうか?」
「ええ、そうしましょう。呪いに何が効くか分かりませんけど、体力をつけておかないと」

 食堂に行こうと誘われたので、連れだって執務室を出た。



「ユイは犬が好きなんですよね?」

 ゆっくりと食事をしながら、アレクが訊いた。
 広々とした食堂には、長いテーブルが置かれている。その端の席について、結衣はステーキを切り分けていた。

「ええ、はい」

 頷いたものの、内心、部屋の様子に圧倒されている。
 頭上にはシャンデリアが下がり、壁には女神やドラゴンの絵が描かれていた。部屋の隅には楽師がいて、バイオリンのようなものを弾いている。

(演奏を聞きながら食事ってすごい贅沢)

 そわそわと三人の楽師を見ていると、アレクは結衣が何を気にしているのかすぐに分かったようだった。

「彼らのことが気になりますか? 私は普段はあまり楽師を付けないんですが、オスカーが、私がリラックス出来るようにと気を回したようです」
「落ち着いた雰囲気ですよね、確かに……」

 穏やかな曲調には癒されると結衣は頷いた。

「たまにはいいですよね。私は、普段はつい騎士団仕込みで、急いで食べてしまうもので、こうした時間は息抜きになります」

 温和な空気を纏っているので忘れそうになるが、アレクは騎士団上がりの王なのだった。分かっていても、結衣には非戦闘員にしか見えないので、不思議な感じがする。

「そういえば今って、アスラ国とは停戦中なんですか?」

 前回から来た時から三ヶ月近く経っているので、どうなのだろう。

「停戦期間は終わっていますが、アスラ国は静けさを保っていますね。恐らく、アクアレイト国での戦で消耗して、立て直している最中でしょう。私どもはあちらが攻めてくれば対処しますが、こちらからは何もしないので、静観しています」
「停戦中じゃないんだ……」

 宮廷舞踏会なんてしているので、安全な期間なのかと思っていた結衣は驚いた。

(まあでも、魔族って停戦中も協定を破って攻めてくるような人達だし、安全ってわけでもないか)

 リヴィドールの人達が落ち着いているのは、いつものことだからなんだろう。

「しかし、今回の呪いの件といい、あちらでも何かが起きていそうですね」
「……内紛?」
「分かりませんが、充分にありえます。アスラ国は一夫多妻制なので、王には何人もの妃がいるんですよ。今の王には十人の息子がいて、現在の王太子は五男ですからね。ごたごたがあってもおかしくはありません」
「王太子って長男がなるんじゃないんですね」

 勉強が好きではない結衣でも、王位継承の順位が、生まれた順番からの国が多いのは知っている。

「イシュドーラの前の王太子は長男でしたが、私の父が重傷を負いながらも討ち取りました。その後、どうしてかイシュドーラが繰り上がりましたが……そもそもあの国は、強い者が王になるので、私にも次に誰が王になるかは分かりません」

「国内でもあんな感じなんですね、魔族って……」
「はは、まれに王に戦を仕掛けて、玉座を勝ち取る者もいます。人間側の国でしたら大問題ですが、あちらは勝った者が正当な権威を持つので、気にしないようです」

 そんな国で王太子の地位を勝ち取ったのか、あの男……と、結衣はイシュドーラを思い浮かべてゾッとした。

「ある意味、実力主義の社会なんですね」
「そうですね、気概と能力さえあれば、上の地位に行けるという点では、良い国だと思う人もいるでしょう。まあ、いつ背中から刺されるか分からないので、私は御免ですが」
「私も嫌です、怖いですよ!」

 想像するだけでおっかない。
 青ざめる結衣を見て、まずい話題だと思ったのか、アレクは咳払いをして話を変える。

「ええと、そうでした。犬がお好きなのかと聞いたんでしたね」
「あ、そうですね」

 自分の好きなものの話になったので、結衣はぱっと表情を明るくする。

「私、犬が大好きなんです。可愛いんですよ、構ってーって寄ってこられると、もう撫でまくりますよね」

 犬の話になると、勝手に顔が緩んだ。

「私も家では犬を飼っていて、もうおばあちゃん犬なんですけど、今でも可愛いですよ。家族ですしね。そういえば、ここにも犬はいるとは聞いてますけど、見かけませんよね」
「リヴィドールでは狩猟犬や牧羊犬として飼っているので、城の目につく所にはおりませんよ。身近なところだと、飼育しているドラゴンの餌を採りに行く際に連れていくくらいでしょうか」
「ああ、だから狩猟犬……」

 納得する結衣に、アレクは説明を続ける。

「外には野良ドラゴンがいることもありますから、犬に危険を教えてもらうんです。人間より気付きやすいですからね」
「なるほど」

 確かにこの世界にはドラゴンが普通にうろついているのだ、身を守るために動物を使うのは自然に思える。

「ですがユイの話を聞いていると、愛玩目的のようですね」
「それもありますけど、家族なんですよ。ニールムとアレクみたいな感じです」
「ああ、そういうことですか」
「私の世界にはドラゴンはいないので、犬が一匹いると、番犬にもなって防犯にもなるんですよ」

 空き巣が犬に餌付けしてしまうと、番犬としての効果はないのだけどと内心で考えながら、結衣はそう言った。

「防犯……ですか。魔法で罠を張ったりは?」
「魔法もないので」
「ああ、そうでした……。大変ですね」

 とても心配そうにアレクは言うが、結衣にとってはそれが普通だ。

「あはは、まあでも、一番の防犯は、近所付き合いをしておくことなんで、こちらともあまり変わらないんじゃないかな」
「そうですね、見かけない人がいれば警戒しますから」

 アレクは頷いて、結衣に問う。

「狩猟犬の小屋に、今度、ご案内しましょうか? 興味があるのでしたら、オスカーに話を通しておきますよ」
「見てみたいです! あ、でも、先にソラに会いたいんですよね」
「食後に行ってみましょうか? 無事ならどうして顔を見せに来ないのかと叱られそうですから」
「確かにすねそうですね」

 体は大きくなったが、まだまだ子どもっぽいソラを思い浮かべ、結衣はふふっと笑ってしまった。

しおりを挟む
感想 20

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

身代わりで呪いの公爵に嫁ぎましたが、聖女の力で浄化したら離縁どころか国一番の溺愛妻になりました〜実家が泣きついてももう遅い〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能は、死神の生贄にでもなっていろ」 魔力なしの無能と蔑まれ、家族に虐げられてきた伯爵令嬢レティシア。 彼女に命じられたのは、近づく者すべてを病ませるという『呪いの公爵』アレクシスへの身代わり結婚だった。 鉄格子の馬車で運ばれ、たどり着いたのは瘴気に満ちた死の城。 恐ろしい怪物のような男に殺される――。 そう覚悟していたレティシアだったが、目の前の光景に絶望よりも先に別の感情が湧き上がる。 (な、何これ……汚すぎるわ! 雑巾とブラシはどこ!?) 実は、彼女が「無能」と言われていたのは、その力が『洗浄』と『浄化』に特化した特殊な聖女の魔力だったから。 レティシアが掃除をすれば、呪いの瘴気は消え去り、枯れた大地には花が咲き、不気味だった公爵城はまたたく間にピカピカの聖域に塗り替えられていく。 さらには、呪いで苦しんでいたアレクシスの素顔は、見惚れるほどの美青年で――。 「レティシア、君は一体何者なんだ……? 体が、こんなに軽いのは初めてだ」 冷酷だったはずの公爵様から、まさかの執着と溺愛。 さらには、呪いが解けたことで領地は国一番の豊かさを取り戻していく。 一方で、レティシアを捨てた実家は、彼女の『浄化』を失ったことで災厄に見舞われ、今さら「戻ってきてくれ」と泣きついてくるが……。 「私は今、お城の掃除と旦那様のお世話で忙しいんです。お引き取りくださいませ」 これは、掃除を愛する薄幸令嬢が、その愛と魔力で死神公爵を救い、最高に幸せな居場所を手に入れるまでのお話。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

断罪後のモブ令息、誰にも気づかれずに出奔する

まる
ファンタジー
断罪後のモブ令息が誰にも気づかれないよう出奔して幸せを探す話

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。