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第三章
18. 神崎
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15年前、しっとりとした雨の中を神崎祐一郎は歩いていた。先週受けた老化防止の治療は今回も当たり前に成功し、神崎の肉体年齢は27歳で時を止めたままだ。
「祐一郎様、クルップに入らないと風邪をひいてしまいますよ」
秘書の松井が差し出した雨避けクルップを手を振って断り、力強い足取りで歩く。
「ふん、私の免疫力は十分に高めてあるから風邪などひかないよ。5歳から今まで一度もひいたことは無い。たまには熱に浮かされてみたいものだよ」
神崎はため息の混じった息を吐き出した。
神崎グループの息子として生まれ、N+能力が開花した時から神崎の人生には退屈という言葉が刻まれたも同然だった。財力、経済的な地位は申し分なく、容姿は整形でどうにでもなる。幼いころから帝王学を叩きこまれはしたが記憶のN+が開花してからは一度学べば全てが頭の中に収まった。神崎が何者かを知れば男も女も勝手に寄ってくるのだから恋愛ですら呼吸をするのと大差ないことだ。
仕事は順調だ。それもそうだ、古の先祖たちが引いたレールを走っていればこの先も困ることは無い。むしろ2、3度失敗したってやり直せるだけの財力も地位もあるのだ。N+を持たない凡人の兄でも何の問題もなく走らせることが出来る。
「退屈だ……」
何の刺激もない。こんな日々がもう150年は続くのか……、40歳にして神崎は人生を持て余していた。
松井を1時間の条件付きで払った後、神崎は普段行くことも無い寂れた飲み屋に入った。50代の夫婦が経営している下町の居酒屋で、店内は様々な年代の客で賑わっている。神崎はカウンターの隅に座ると店内ではしゃぐ客を眺めた。聞こえてくる話は恋愛だの仕事の愚痴だの、人生の上澄みをすくったようななんの深みのない内容ばかりだ。それでも人々は笑い、怒り、楽しそうにはしゃいでいる。
安酒を口に運びながら神崎は全ての会話をただ聞き流していた。何一つ楽しいと思えない会話の数々。自分とは何が違うのだろうと思う。いや、何もかもが違うのだ。生まれた環境も能力も、考え方も感じ方も。自分はまるで水の中に落とされた金属のようだと思った。そしてここにいる人間たちは絵の具だ。混ざり、色を変え溶け合い何かしらになれるのに、自分は異物のようにここに在るだけだ。
「おにーさん、そんな上等な服着てるのにこんな店に来ちゃって。ここには綺麗なおねーさんもおにーさんもいないよぅ」
ふらっとやってきた酔っ払いを神崎はニコリともせずに見上げた。それでも酔っ払いは上機嫌だ。
「ここにいるのはぁ、うちの母さんよりうるさい店主と、あっちにいるようなやべぇ奴だけ」
酔っ払いの視線に誘導されるまま視線を送ると、神崎と対角にいたその男は酒を煽ってはひたすらテーブルの上で指先を動かしていた。口元が動いているところを見ると何やら呟いているようだ。
あいつら……研究、中止?
口元を読んでいくつかの言葉を聞いていると、唇が『時空マシーン』と呟いた。その瞬間いくつもの情報が頭の中で弾け、神崎は無意識に唇に笑みを浮かべていた。席を立ちあがり男のもとへと歩く。手には汗が滲んでいた。神崎にとってこれは種まきだ。未来へ混沌という種を蒔く。
「その研究、完成させる自信はありますか?」
男はぎらついた目で神崎を見上げた。
「それは愚問というものです」
取調室。テーブルに肘をついた神崎は、15年前に蒔いた種に咲いた花の1つを眺めていた。あの日自分が種を蒔かなければ、猿渡が時空マシーンを完成させなければここにはいなかった人間だ。
「リステアを知っていますか?」
「あぁ、知っている。5年前の事件はなかなか見事だった」
樹の背後で田口の頬がヒクっと動いたことに気が付いたが、神崎の態度が変わることは無い。
「リステアと関わっていますか?」
「君たちはどう思っているの?」
「あなたの研究所にリステアのメンバーが入っていくのを見ました」
「そう、じゃあ隠しても仕方がないね。いくつか武器を渡したよ」
このっ、と田口が神崎へと伸ばした腕を間壁が抑えたが、収まりきらない田口が声を張り上げた。
「貴様、いったいどういうつもりだ。そんなことをしたらどうなるか分かってんのかっ」
「争いが起こるでしょうねぇ。平和はもう終わりだ」
楽しそうに笑う神崎とは反対に樹の心は落ち着いていた。神崎の心がようやくわかった気がしたのだ。
「楽しいですか? もう退屈ではなくなりました?」
「あぁ、愉快だねぇ。平和で平坦、平。老いることのない体に有り余るほどの金、こんな日々がもう100年以上続くと思うと本当にうんざりするよ」
神崎の吐いたうんざりという言葉が壁に反響して部屋に低く響いた。
「くそっ、リステアに渡した武器の数を教えろ」
「どうしましょうかねぇ。私としてはリステアを応援したいんですけどね。だって簡単につぶされては面白くないでしょう?」
くっと唇を噛んだ田口と交代するように樹が口を開いた。
「相手に渡した武器の数、種類、相手の情報をこちらに下さい。そうすればあなたがニュースを観られるよう手配しますよ。混沌とした世界になってもそれを見られないんじゃ、つまらないでしょう?」
「いいですよ。答えはゼロです。ゼロ。私がリステアのメンバーに会ったのは一度だけ、武器が欲しいとは言われましたが武器を手に入れる前に私はここにいますから」
嘘をつくなと田口が凄むと神崎は余裕の笑みを口元に浮かべた。
「嘘かどうかはあなた達の判断に任せますよ」
「そうですか。でも、その情報ではニュースを見せる権利はあげられませんね」
樹がぴしゃりと跳ねのけると神崎は「それは困りますねぇ」と顎に手を当てた。
「ではこんなのはどうでしょう? リステアには耳にN+を新メンバーがいるそうですよ。あぁ、そういえばこちらにも耳にN+を持った捜査官がいるんでしたね」
「それはどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味、ですよ」
「祐一郎様、クルップに入らないと風邪をひいてしまいますよ」
秘書の松井が差し出した雨避けクルップを手を振って断り、力強い足取りで歩く。
「ふん、私の免疫力は十分に高めてあるから風邪などひかないよ。5歳から今まで一度もひいたことは無い。たまには熱に浮かされてみたいものだよ」
神崎はため息の混じった息を吐き出した。
神崎グループの息子として生まれ、N+能力が開花した時から神崎の人生には退屈という言葉が刻まれたも同然だった。財力、経済的な地位は申し分なく、容姿は整形でどうにでもなる。幼いころから帝王学を叩きこまれはしたが記憶のN+が開花してからは一度学べば全てが頭の中に収まった。神崎が何者かを知れば男も女も勝手に寄ってくるのだから恋愛ですら呼吸をするのと大差ないことだ。
仕事は順調だ。それもそうだ、古の先祖たちが引いたレールを走っていればこの先も困ることは無い。むしろ2、3度失敗したってやり直せるだけの財力も地位もあるのだ。N+を持たない凡人の兄でも何の問題もなく走らせることが出来る。
「退屈だ……」
何の刺激もない。こんな日々がもう150年は続くのか……、40歳にして神崎は人生を持て余していた。
松井を1時間の条件付きで払った後、神崎は普段行くことも無い寂れた飲み屋に入った。50代の夫婦が経営している下町の居酒屋で、店内は様々な年代の客で賑わっている。神崎はカウンターの隅に座ると店内ではしゃぐ客を眺めた。聞こえてくる話は恋愛だの仕事の愚痴だの、人生の上澄みをすくったようななんの深みのない内容ばかりだ。それでも人々は笑い、怒り、楽しそうにはしゃいでいる。
安酒を口に運びながら神崎は全ての会話をただ聞き流していた。何一つ楽しいと思えない会話の数々。自分とは何が違うのだろうと思う。いや、何もかもが違うのだ。生まれた環境も能力も、考え方も感じ方も。自分はまるで水の中に落とされた金属のようだと思った。そしてここにいる人間たちは絵の具だ。混ざり、色を変え溶け合い何かしらになれるのに、自分は異物のようにここに在るだけだ。
「おにーさん、そんな上等な服着てるのにこんな店に来ちゃって。ここには綺麗なおねーさんもおにーさんもいないよぅ」
ふらっとやってきた酔っ払いを神崎はニコリともせずに見上げた。それでも酔っ払いは上機嫌だ。
「ここにいるのはぁ、うちの母さんよりうるさい店主と、あっちにいるようなやべぇ奴だけ」
酔っ払いの視線に誘導されるまま視線を送ると、神崎と対角にいたその男は酒を煽ってはひたすらテーブルの上で指先を動かしていた。口元が動いているところを見ると何やら呟いているようだ。
あいつら……研究、中止?
口元を読んでいくつかの言葉を聞いていると、唇が『時空マシーン』と呟いた。その瞬間いくつもの情報が頭の中で弾け、神崎は無意識に唇に笑みを浮かべていた。席を立ちあがり男のもとへと歩く。手には汗が滲んでいた。神崎にとってこれは種まきだ。未来へ混沌という種を蒔く。
「その研究、完成させる自信はありますか?」
男はぎらついた目で神崎を見上げた。
「それは愚問というものです」
取調室。テーブルに肘をついた神崎は、15年前に蒔いた種に咲いた花の1つを眺めていた。あの日自分が種を蒔かなければ、猿渡が時空マシーンを完成させなければここにはいなかった人間だ。
「リステアを知っていますか?」
「あぁ、知っている。5年前の事件はなかなか見事だった」
樹の背後で田口の頬がヒクっと動いたことに気が付いたが、神崎の態度が変わることは無い。
「リステアと関わっていますか?」
「君たちはどう思っているの?」
「あなたの研究所にリステアのメンバーが入っていくのを見ました」
「そう、じゃあ隠しても仕方がないね。いくつか武器を渡したよ」
このっ、と田口が神崎へと伸ばした腕を間壁が抑えたが、収まりきらない田口が声を張り上げた。
「貴様、いったいどういうつもりだ。そんなことをしたらどうなるか分かってんのかっ」
「争いが起こるでしょうねぇ。平和はもう終わりだ」
楽しそうに笑う神崎とは反対に樹の心は落ち着いていた。神崎の心がようやくわかった気がしたのだ。
「楽しいですか? もう退屈ではなくなりました?」
「あぁ、愉快だねぇ。平和で平坦、平。老いることのない体に有り余るほどの金、こんな日々がもう100年以上続くと思うと本当にうんざりするよ」
神崎の吐いたうんざりという言葉が壁に反響して部屋に低く響いた。
「くそっ、リステアに渡した武器の数を教えろ」
「どうしましょうかねぇ。私としてはリステアを応援したいんですけどね。だって簡単につぶされては面白くないでしょう?」
くっと唇を噛んだ田口と交代するように樹が口を開いた。
「相手に渡した武器の数、種類、相手の情報をこちらに下さい。そうすればあなたがニュースを観られるよう手配しますよ。混沌とした世界になってもそれを見られないんじゃ、つまらないでしょう?」
「いいですよ。答えはゼロです。ゼロ。私がリステアのメンバーに会ったのは一度だけ、武器が欲しいとは言われましたが武器を手に入れる前に私はここにいますから」
嘘をつくなと田口が凄むと神崎は余裕の笑みを口元に浮かべた。
「嘘かどうかはあなた達の判断に任せますよ」
「そうですか。でも、その情報ではニュースを見せる権利はあげられませんね」
樹がぴしゃりと跳ねのけると神崎は「それは困りますねぇ」と顎に手を当てた。
「ではこんなのはどうでしょう? リステアには耳にN+を新メンバーがいるそうですよ。あぁ、そういえばこちらにも耳にN+を持った捜査官がいるんでしたね」
「それはどういう意味ですか?」
「言葉通りの意味、ですよ」
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