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1.愛されるべき人間
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「タカ、午後の講義が終わったら制作室に行くだろ?」
「あー、僕、今日はバイトなんだよね。苅部は今日も制作?」
「そ。今、いいところなんだよね。講義が無きゃぶっ続けで制作したいくらいだよ」
苅部はもどかしそうに手をじたばたと動かした。苅部竜馬は渉と同じ年齢で彫刻学科を専攻している。なりふり構わず制作にどっぷりつかるタイプで髭も髪の毛も基本的には伸び放題だ。168センチの僕よりも5センチ高い苅部の視線が窓の外に動き、つられて僕も外を見た。
「油絵学科の早瀬と音楽学科の佐倉じゃん」
苅部が呟く。
大学の中央にある中庭は誰でも自由に使用していいことになっている。早瀬はそこに自身の体ほどある高さの大きなキャンパスを持ち込んでアートライブを行っていた。その早瀬の隣で佐倉が音楽を流し、体を揺らしている。
「あ、また早瀬と佐倉が楽しそうなことしてっじゃん。乗り込んじゃおー」
そんな声が聞こえて二人組の女性が中庭に走っていく。そのうち音楽学部の誰かが楽器を弾き始め、そこは見事なライブ空間になっていた。
「さすが早瀬と佐倉。やることが派手だねぇ。じゃ、俺、コンビニ寄るから」
「あぁ、またあとで」
視線を中庭に戻すと早瀬が最後の一筆を大胆なタッチで入れ、音楽に合わせてポーズをとったところだった。
「タカ!!」
早瀬が僕を見つけ大きく手を振って駆けてくる。シルバーに緑色のメッシュが入った奇抜な髪の毛が太陽に照らされて美形な宇宙人のようだと思った。
「どう、俺の絵は順調?」
「早瀬がしょっちゅうヘアスタイルを変えるから僕の絵は毎日迷子だよ」
「ぷぷっ、どんなにヘアスタイル変えてもタカの目にはちゃんと俺が見えてるでしょ」
「どういう意味だよ」
「早瀬!観客を放って主役がいなくなんなよ!!」
早瀬を追って佐倉もやってきた。佐倉は僕を見て、こんにちは、という。僕らは校内ではほとんど話さない。お互いあくまで早瀬の友達、それ以上でもそれ以下でもない。
「あー、今戻るって。タカもどう?」
「僕はやらないよ。僕がそういうの苦手なの知ってるでしょ」
「知ってるよ。また明日な」
笑顔で僕に手を振って戻る早瀬を見て僕もその場を去ろうとしたとき、突然佐倉に腕をつかまれた。
「今日、制作室にいんの?」
「いない」
「なんだ、慰めてやろうと思ったのに」
体中の血液が顔に集まっていくみたいだ。
「いらない」
佐倉はぐっと体を校内に入れると僕の耳に口を寄せた。
「渉、そんな顔すると煽るだけだよ」
ビクッと身体を震わせて佐倉から離れる。
「高橋さん、またねー」
佐倉の声に振り向くことはしなかった。
「・・・疲れた」
大手チェーン店である古本屋でのバイトを終え寮に帰ると、時計は24時半を指していた。この寮は大学から徒歩20分の場所にあり、約30人の寮生が住んでいる。一人部屋で食事付き、水道光熱費込みで家賃7万円。都内にしては破格値段だと思う。トイレとお風呂が共同なのは残念だが、一人の空間が持てるという事は渉にとってはとても大事なことだ。
部屋に荷物を置くとそのまま食堂へと向かう。
この寮の素敵なところは、食事は要らないとの断りが無ければちゃんと夕食と朝食を用意してくれているということだ。食堂の隅に透明の冷蔵ケースがあり、時間が過ぎても食堂に現れない者の食事はこの冷蔵ケースに入れておいてくれるのだ。制作に没頭して食事の時間を忘れても、食いっぱぐれることがないようにという温情らしい。因みに、翌日の午前8時を過ぎると食事は誰が食べてもよいことになり、正午まで残っている食事は撤去される。
「タカ?」
声の方を見るまでもなく、この声の持ち主が僕にはわかった。
「早瀬」
「電気も付けないで何やってんの?」
「ご飯食べようと思って。夜は暗い方がいいんだよ。ここ、街灯の明かりが入ってくるから案外明るいし」
タカらしいね、と言いながら早瀬は僕へ近づいてくると僕の前の席に座った。
「バイト、古本屋だっけ?」
「うん」
「古本屋より居酒屋とかの方がお金は稼げそうだけど」
僕は口の中のハンバーグをかみ砕いて飲み込むと白飯を口に入れ、それを飲み込んでからようやく口を開いた。
「僕の本屋、結構掘り出し物があるんだよ。チェーン店で買取金額表っていうのを元に買い取るから、プレミア買取も販売もないんだ。つまり、専門書があり得ないほど格安で手に入る」
「ぷっ、そういうことかよ。タカって意外とちゃっかりしてるなぁ。俺は安心した!」
早瀬が笑う。早瀬の背後にある街灯の明かりが早瀬の髪の毛を透かして、早瀬が柔らかな光に包まれているかのようだ。
「それ食べないの?」
早瀬が指さしたのは時折出てくるサツマイモのオレンジ煮だ。サツマイモはサツマイモだけで美味しく、僕的にそこにオレンジの酸味は要らない。どうも美味しいとは思えないのだ。
「今、食べるためのエネルギーをためているところ。もう少ししたら、食べる」
「もしかして嫌いなの?」
「オレンジはオレンジで好きだし、サツマイモはサツマイモで好きだけど、その二つを合わせたものが美味しいとは思えない」
「だから食べるエネルギーをためてんの?」
「そう。残すのは作った人のことを考えると気が引ける」
「ぷぷぷぷ、タカってなんか愛されるべき人間だよね」
なんだよそれ、と言った直後にサツマイモを口の中に放り込んだ。早瀬の笑顔の中でなら苦手なものも美味しく食べられそうな気がしたのだ。
「美味しい?くはないか。眉毛がぴくってなったもんね。くくくく。よく頑張りました」
早瀬が僕の頭を撫でる。耳がすっぽりと隠れてしまうくらい伸びた髪の毛が早瀬の手の下で嬉しそうに散らばる。
僕は口先だけの、やめろよ、を一度だけ言った。
早瀬はこうして僕がご飯を食べ終わるまで付き合い、食事を終えると一緒に席を立った。
「早瀬、ありがとな。僕がご飯食べ終わるまで付き合ってくれたんだろ?」
「ん、まぁ、ご飯は一人で食べるより誰かが一緒の方が旨いしなぁ。でも、ゆっくりタカと話したかったし丁度良かったんだよ」
どれ、寝るかな、と言って早瀬は食堂を後にした。
愛されるべき人間か・・・。
僕がどういう目で早瀬を見ているか、僕が君の親友をどう利用しているかを知っても早瀬は同じことを思うのだろうか。
「あー、僕、今日はバイトなんだよね。苅部は今日も制作?」
「そ。今、いいところなんだよね。講義が無きゃぶっ続けで制作したいくらいだよ」
苅部はもどかしそうに手をじたばたと動かした。苅部竜馬は渉と同じ年齢で彫刻学科を専攻している。なりふり構わず制作にどっぷりつかるタイプで髭も髪の毛も基本的には伸び放題だ。168センチの僕よりも5センチ高い苅部の視線が窓の外に動き、つられて僕も外を見た。
「油絵学科の早瀬と音楽学科の佐倉じゃん」
苅部が呟く。
大学の中央にある中庭は誰でも自由に使用していいことになっている。早瀬はそこに自身の体ほどある高さの大きなキャンパスを持ち込んでアートライブを行っていた。その早瀬の隣で佐倉が音楽を流し、体を揺らしている。
「あ、また早瀬と佐倉が楽しそうなことしてっじゃん。乗り込んじゃおー」
そんな声が聞こえて二人組の女性が中庭に走っていく。そのうち音楽学部の誰かが楽器を弾き始め、そこは見事なライブ空間になっていた。
「さすが早瀬と佐倉。やることが派手だねぇ。じゃ、俺、コンビニ寄るから」
「あぁ、またあとで」
視線を中庭に戻すと早瀬が最後の一筆を大胆なタッチで入れ、音楽に合わせてポーズをとったところだった。
「タカ!!」
早瀬が僕を見つけ大きく手を振って駆けてくる。シルバーに緑色のメッシュが入った奇抜な髪の毛が太陽に照らされて美形な宇宙人のようだと思った。
「どう、俺の絵は順調?」
「早瀬がしょっちゅうヘアスタイルを変えるから僕の絵は毎日迷子だよ」
「ぷぷっ、どんなにヘアスタイル変えてもタカの目にはちゃんと俺が見えてるでしょ」
「どういう意味だよ」
「早瀬!観客を放って主役がいなくなんなよ!!」
早瀬を追って佐倉もやってきた。佐倉は僕を見て、こんにちは、という。僕らは校内ではほとんど話さない。お互いあくまで早瀬の友達、それ以上でもそれ以下でもない。
「あー、今戻るって。タカもどう?」
「僕はやらないよ。僕がそういうの苦手なの知ってるでしょ」
「知ってるよ。また明日な」
笑顔で僕に手を振って戻る早瀬を見て僕もその場を去ろうとしたとき、突然佐倉に腕をつかまれた。
「今日、制作室にいんの?」
「いない」
「なんだ、慰めてやろうと思ったのに」
体中の血液が顔に集まっていくみたいだ。
「いらない」
佐倉はぐっと体を校内に入れると僕の耳に口を寄せた。
「渉、そんな顔すると煽るだけだよ」
ビクッと身体を震わせて佐倉から離れる。
「高橋さん、またねー」
佐倉の声に振り向くことはしなかった。
「・・・疲れた」
大手チェーン店である古本屋でのバイトを終え寮に帰ると、時計は24時半を指していた。この寮は大学から徒歩20分の場所にあり、約30人の寮生が住んでいる。一人部屋で食事付き、水道光熱費込みで家賃7万円。都内にしては破格値段だと思う。トイレとお風呂が共同なのは残念だが、一人の空間が持てるという事は渉にとってはとても大事なことだ。
部屋に荷物を置くとそのまま食堂へと向かう。
この寮の素敵なところは、食事は要らないとの断りが無ければちゃんと夕食と朝食を用意してくれているということだ。食堂の隅に透明の冷蔵ケースがあり、時間が過ぎても食堂に現れない者の食事はこの冷蔵ケースに入れておいてくれるのだ。制作に没頭して食事の時間を忘れても、食いっぱぐれることがないようにという温情らしい。因みに、翌日の午前8時を過ぎると食事は誰が食べてもよいことになり、正午まで残っている食事は撤去される。
「タカ?」
声の方を見るまでもなく、この声の持ち主が僕にはわかった。
「早瀬」
「電気も付けないで何やってんの?」
「ご飯食べようと思って。夜は暗い方がいいんだよ。ここ、街灯の明かりが入ってくるから案外明るいし」
タカらしいね、と言いながら早瀬は僕へ近づいてくると僕の前の席に座った。
「バイト、古本屋だっけ?」
「うん」
「古本屋より居酒屋とかの方がお金は稼げそうだけど」
僕は口の中のハンバーグをかみ砕いて飲み込むと白飯を口に入れ、それを飲み込んでからようやく口を開いた。
「僕の本屋、結構掘り出し物があるんだよ。チェーン店で買取金額表っていうのを元に買い取るから、プレミア買取も販売もないんだ。つまり、専門書があり得ないほど格安で手に入る」
「ぷっ、そういうことかよ。タカって意外とちゃっかりしてるなぁ。俺は安心した!」
早瀬が笑う。早瀬の背後にある街灯の明かりが早瀬の髪の毛を透かして、早瀬が柔らかな光に包まれているかのようだ。
「それ食べないの?」
早瀬が指さしたのは時折出てくるサツマイモのオレンジ煮だ。サツマイモはサツマイモだけで美味しく、僕的にそこにオレンジの酸味は要らない。どうも美味しいとは思えないのだ。
「今、食べるためのエネルギーをためているところ。もう少ししたら、食べる」
「もしかして嫌いなの?」
「オレンジはオレンジで好きだし、サツマイモはサツマイモで好きだけど、その二つを合わせたものが美味しいとは思えない」
「だから食べるエネルギーをためてんの?」
「そう。残すのは作った人のことを考えると気が引ける」
「ぷぷぷぷ、タカってなんか愛されるべき人間だよね」
なんだよそれ、と言った直後にサツマイモを口の中に放り込んだ。早瀬の笑顔の中でなら苦手なものも美味しく食べられそうな気がしたのだ。
「美味しい?くはないか。眉毛がぴくってなったもんね。くくくく。よく頑張りました」
早瀬が僕の頭を撫でる。耳がすっぽりと隠れてしまうくらい伸びた髪の毛が早瀬の手の下で嬉しそうに散らばる。
僕は口先だけの、やめろよ、を一度だけ言った。
早瀬はこうして僕がご飯を食べ終わるまで付き合い、食事を終えると一緒に席を立った。
「早瀬、ありがとな。僕がご飯食べ終わるまで付き合ってくれたんだろ?」
「ん、まぁ、ご飯は一人で食べるより誰かが一緒の方が旨いしなぁ。でも、ゆっくりタカと話したかったし丁度良かったんだよ」
どれ、寝るかな、と言って早瀬は食堂を後にした。
愛されるべき人間か・・・。
僕がどういう目で早瀬を見ているか、僕が君の親友をどう利用しているかを知っても早瀬は同じことを思うのだろうか。
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