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12.無防備な夜
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早瀬の出発まで残り10日。
「タカ、大丈夫か?なんか、変だぞ」
鈍感な苅部にまで心配されるほど、僕はヤバイらしい。
「最近、あんまり眠れなくて」
「すげークマだもんなー。そうだ!いいモノやるよ」
ニヤニヤしながら苅部が僕に渡したのは風俗のチケットだ。「ピンキーヘブン」という文字がいかにも、というピンク色で印刷されている。
「一発抜けばスカッとするって。ぐっすり眠れるよ。自分でするのとは全然違うからな。このチケット使えばなんと50%引き!」
「いいよ、いらない」
「そんなこと言うなって。この俺が見返りもなくプレゼントするって余程だぜ?」
「・・・そんなに僕、ヤバイ?」
「やばい」
返すに返せず、ポケットに入れたまま授業を終えた。
放課後になり制作室に向かうも絵を見つめるばかりで一向に筆が進まない。気付けば2時間が過ぎていた。
だめだ。今日は帰ろう。
校門を出るとチラッと見えた影。一瞬見えたその影が佐倉だと分かってしまうほど僕はどうかしているらしい。僕は殆ど反射的に寮とは反対の方向へ歩き出した。
寮に帰ったところでご飯を食べて寝るいつもの日々だ。どうせ今日も眠れない。歩き疲れれば眠れるかもしれないという一抹の希望もあった。
寮とは反対方向、街の方へと歩き続けて二時間。陽はとっくに沈み、夜の街が活き活きとし始めていた。
「さすがに疲れたな」
コンビニに寄り紙パックのお茶を買うとガードレールに寄り掛かる様にして飲んだ。テンションの高い二人組の女子が通り過ぎる。それを追ってホストの身なりをしたお兄さんが同じようなテンションで話し掛ける。自動販売機の横でしゃがみ込む若いお兄さん。寄り添い歩くカップル。
「何やってるんだろう、僕」
もう帰ろうかと思うのに足が動かないのは、このまま帰ったところで何も変わらないからだ。
そういえば苅部に貰ったチケット、ポケットに入れっぱなしだ。
ポケットの中でクシャクシャになったチケットを取り出して見ると、ピンキーヘブンはこの近くにあるお店らしい。大きな通りを一本抜けて裏通りに入ると、喧騒が遠くなりぬめっとした空気が漂い始めた。沢山のテナントが入るビルの4階に80年代風のデザインでピンキーヘブンと書かれたネオンがあった。
あそこか・・・。と思ったものの行く勇気が持てない。
帰りたくない。現状をどうにかしたい。でも行く勇気もない。
ビルの前をウロウロと歩いたり、立ち止まってビルの入り口を覗いたり、僕の行動は完全な不審者だ。
「お兄さん、店に入る勇気が無いの?」
「え、あ、はい」
「ぷっ。素直だね。いいね、いいね。一緒に行ってあげる。こういうところ、初めてなんでしょ」
「あ、はい」
身長は僕より高い175センチくらい、しっかりとした体つきにシルバーのブレスレットが良く似あう。長めの髪の毛を一本で結んだワイルド系の男だ。屈託なく笑うその笑顔に引っ張られるように階段を下り連れていかれたのは地下のBARだ。
「あ、僕ここじゃな」
「いいから、いいから。何も心配しなくていいよ。一緒に飲もうぜ」
肩を抱かれるようにして店の奥の小さな丸テーブルの席に座った。
「酒はあのバーテンダーに言えば出してくれる。お金はそのつど、一杯ずつ払うんだ。何にする?」
「じゃあ、カシオレを」
「ぷっ、お酒弱いの?」
「はい。あんまり強くなくて」
「おっけー。驕ってやるよ」
間もなくして男がカシオレとビールを持って戻ってきた。
ほら、と渡されたカシオレをお礼を言って受け取る。
「俺、トオル。そっちは?」
「僕は渉です」
オレンジ色の照明を使用した薄暗い店内には2、30人のお客さんがいて、意外と人気のあるお店のようだ。
「いくつ?」
「21歳です。トオルさんは?」
「俺は23」
乾杯を言うわけでもなく、トオルさんが僕のグラスにグラスを合わせると氷がカランと鳴った。
「で、どう?このお店の感想は。初めて入ったんでしょ」
「はい。ん~、お酒が美味しいです。思っていたより飲みやすい」
「だろ。ここ、バーテンダーの腕がいいんだよ。オリジナルカクテルも作って貰えるぜ」
「凄い・・・。でも高そう。僕、あまり持ち合わせがなくて」
「大丈夫だよ。今日は俺の驕り。楽しく飲もうぜ。ほら、ほら、飲んで。次はオリジナルカクテル作って貰おうよ」
「でも・・・いいんですか?」
「今日、スロットで儲けたからね。こんな日は人に驕って徳を積むようにしてんの」
「また勝てるように、ですか?」
「そっ。可愛い青年にはいくらでも驕っちゃう」
「ははは、何言ってるんですか」
空腹にカシオレを急ピッチで流し込んだことで僕はすでに酔いが回ってきていた。ふわふわして気分が良い。凄く楽しい。
「でさー、リモコン、どこにあったと思う?」
「えー、どこだろー。布団の中とかー?」
「ぶぶー。正解は冷蔵庫の中っ。ドリンク入れるところにさ、ちゃんと縦に入ってたわ」
「ぷぷぷぷ、あははは。やばー、キンキンのリモコンだ」
「よし、次のカクテル、貰いに行こうぜー」
「おーっ」
お酒のせいもありトオルさんの手が僕の腰に回るのも全然気にならなくなっていた。
「渉、どんなのにする?」
「本当にどんなのでも作っていただけるんですか?」
「えぇ、勿論大丈夫ですよ」
ジャニーズ顔のスラッとした長身のバーテンダーがほほ笑む。少し垂れた目が優しく細められると安心感が湧くから不思議だ。
「じゃあ、甘いやつがいいです。爽やかで甘いカクテルをお願いします」
「かしこまりました」
バーテンダーの長くてきれいな指がお酒の瓶を掴み、キレイに注ぐ。一連の動きに無駄がなく、見られることを前提にしているかのような優雅な動作だ。そしてグラスに注がれたのは白とオレンジのグラデーションが美しいお酒。表面に赤紫の花びらが一枚浮いていて、その色だけが夜の雰囲気を持っていた。
「きれい」
飲むのも勿体ないと思ってしまう。
「どうぞ」
そっと口づけると絶妙な甘さが口の中を包み、最後にオレンジの酸味が口の中を塗り替えていった。
「美味しいっ。凄い。カクテルってこんなに奥が深いんですね」
「だろ?ここのバーテンダーは腕がいいんだよ」
僕はバーテンダーに軽く頭を下げて席へと戻った。
「すみません、僕、ちょっとトイレに」
「おー、どうぞどうぞ」
久しぶりの高揚感だった。初めての店、初めて会った人、カクテルの奥深さ、何もかもが僕にとっては新しく刺激的だった。ふわふわした足取りで席に戻ろうとするとグイッと手をつかまれる。
「バーテンダーさん?」
「ちょっと飲み過ぎですね。先ほどのカクテル、ノンアルコールにしておいて良かった」
「ノンアル?あれ、ノンアルなんですか!!すごい。全然気が付かなかった」
1ミリも気が付かなかった自分が可笑しくてケラケラ笑っていると、ふぅっとため息が聞こえたような気がした。
「君、家はどこ?」
「家は神楽町です!」
「もう電車ないよ」
「あらー、大丈夫、大丈夫。歩いて帰れるから。あれー?トオルさんはー?」
「彼は帰ったよ」
「えー?かえったのー?ざんねーん」
残念といいながら、残念なのだろうかと疑問に思う。思ったところまでは覚えていた。
「タカ、大丈夫か?なんか、変だぞ」
鈍感な苅部にまで心配されるほど、僕はヤバイらしい。
「最近、あんまり眠れなくて」
「すげークマだもんなー。そうだ!いいモノやるよ」
ニヤニヤしながら苅部が僕に渡したのは風俗のチケットだ。「ピンキーヘブン」という文字がいかにも、というピンク色で印刷されている。
「一発抜けばスカッとするって。ぐっすり眠れるよ。自分でするのとは全然違うからな。このチケット使えばなんと50%引き!」
「いいよ、いらない」
「そんなこと言うなって。この俺が見返りもなくプレゼントするって余程だぜ?」
「・・・そんなに僕、ヤバイ?」
「やばい」
返すに返せず、ポケットに入れたまま授業を終えた。
放課後になり制作室に向かうも絵を見つめるばかりで一向に筆が進まない。気付けば2時間が過ぎていた。
だめだ。今日は帰ろう。
校門を出るとチラッと見えた影。一瞬見えたその影が佐倉だと分かってしまうほど僕はどうかしているらしい。僕は殆ど反射的に寮とは反対の方向へ歩き出した。
寮に帰ったところでご飯を食べて寝るいつもの日々だ。どうせ今日も眠れない。歩き疲れれば眠れるかもしれないという一抹の希望もあった。
寮とは反対方向、街の方へと歩き続けて二時間。陽はとっくに沈み、夜の街が活き活きとし始めていた。
「さすがに疲れたな」
コンビニに寄り紙パックのお茶を買うとガードレールに寄り掛かる様にして飲んだ。テンションの高い二人組の女子が通り過ぎる。それを追ってホストの身なりをしたお兄さんが同じようなテンションで話し掛ける。自動販売機の横でしゃがみ込む若いお兄さん。寄り添い歩くカップル。
「何やってるんだろう、僕」
もう帰ろうかと思うのに足が動かないのは、このまま帰ったところで何も変わらないからだ。
そういえば苅部に貰ったチケット、ポケットに入れっぱなしだ。
ポケットの中でクシャクシャになったチケットを取り出して見ると、ピンキーヘブンはこの近くにあるお店らしい。大きな通りを一本抜けて裏通りに入ると、喧騒が遠くなりぬめっとした空気が漂い始めた。沢山のテナントが入るビルの4階に80年代風のデザインでピンキーヘブンと書かれたネオンがあった。
あそこか・・・。と思ったものの行く勇気が持てない。
帰りたくない。現状をどうにかしたい。でも行く勇気もない。
ビルの前をウロウロと歩いたり、立ち止まってビルの入り口を覗いたり、僕の行動は完全な不審者だ。
「お兄さん、店に入る勇気が無いの?」
「え、あ、はい」
「ぷっ。素直だね。いいね、いいね。一緒に行ってあげる。こういうところ、初めてなんでしょ」
「あ、はい」
身長は僕より高い175センチくらい、しっかりとした体つきにシルバーのブレスレットが良く似あう。長めの髪の毛を一本で結んだワイルド系の男だ。屈託なく笑うその笑顔に引っ張られるように階段を下り連れていかれたのは地下のBARだ。
「あ、僕ここじゃな」
「いいから、いいから。何も心配しなくていいよ。一緒に飲もうぜ」
肩を抱かれるようにして店の奥の小さな丸テーブルの席に座った。
「酒はあのバーテンダーに言えば出してくれる。お金はそのつど、一杯ずつ払うんだ。何にする?」
「じゃあ、カシオレを」
「ぷっ、お酒弱いの?」
「はい。あんまり強くなくて」
「おっけー。驕ってやるよ」
間もなくして男がカシオレとビールを持って戻ってきた。
ほら、と渡されたカシオレをお礼を言って受け取る。
「俺、トオル。そっちは?」
「僕は渉です」
オレンジ色の照明を使用した薄暗い店内には2、30人のお客さんがいて、意外と人気のあるお店のようだ。
「いくつ?」
「21歳です。トオルさんは?」
「俺は23」
乾杯を言うわけでもなく、トオルさんが僕のグラスにグラスを合わせると氷がカランと鳴った。
「で、どう?このお店の感想は。初めて入ったんでしょ」
「はい。ん~、お酒が美味しいです。思っていたより飲みやすい」
「だろ。ここ、バーテンダーの腕がいいんだよ。オリジナルカクテルも作って貰えるぜ」
「凄い・・・。でも高そう。僕、あまり持ち合わせがなくて」
「大丈夫だよ。今日は俺の驕り。楽しく飲もうぜ。ほら、ほら、飲んで。次はオリジナルカクテル作って貰おうよ」
「でも・・・いいんですか?」
「今日、スロットで儲けたからね。こんな日は人に驕って徳を積むようにしてんの」
「また勝てるように、ですか?」
「そっ。可愛い青年にはいくらでも驕っちゃう」
「ははは、何言ってるんですか」
空腹にカシオレを急ピッチで流し込んだことで僕はすでに酔いが回ってきていた。ふわふわして気分が良い。凄く楽しい。
「でさー、リモコン、どこにあったと思う?」
「えー、どこだろー。布団の中とかー?」
「ぶぶー。正解は冷蔵庫の中っ。ドリンク入れるところにさ、ちゃんと縦に入ってたわ」
「ぷぷぷぷ、あははは。やばー、キンキンのリモコンだ」
「よし、次のカクテル、貰いに行こうぜー」
「おーっ」
お酒のせいもありトオルさんの手が僕の腰に回るのも全然気にならなくなっていた。
「渉、どんなのにする?」
「本当にどんなのでも作っていただけるんですか?」
「えぇ、勿論大丈夫ですよ」
ジャニーズ顔のスラッとした長身のバーテンダーがほほ笑む。少し垂れた目が優しく細められると安心感が湧くから不思議だ。
「じゃあ、甘いやつがいいです。爽やかで甘いカクテルをお願いします」
「かしこまりました」
バーテンダーの長くてきれいな指がお酒の瓶を掴み、キレイに注ぐ。一連の動きに無駄がなく、見られることを前提にしているかのような優雅な動作だ。そしてグラスに注がれたのは白とオレンジのグラデーションが美しいお酒。表面に赤紫の花びらが一枚浮いていて、その色だけが夜の雰囲気を持っていた。
「きれい」
飲むのも勿体ないと思ってしまう。
「どうぞ」
そっと口づけると絶妙な甘さが口の中を包み、最後にオレンジの酸味が口の中を塗り替えていった。
「美味しいっ。凄い。カクテルってこんなに奥が深いんですね」
「だろ?ここのバーテンダーは腕がいいんだよ」
僕はバーテンダーに軽く頭を下げて席へと戻った。
「すみません、僕、ちょっとトイレに」
「おー、どうぞどうぞ」
久しぶりの高揚感だった。初めての店、初めて会った人、カクテルの奥深さ、何もかもが僕にとっては新しく刺激的だった。ふわふわした足取りで席に戻ろうとするとグイッと手をつかまれる。
「バーテンダーさん?」
「ちょっと飲み過ぎですね。先ほどのカクテル、ノンアルコールにしておいて良かった」
「ノンアル?あれ、ノンアルなんですか!!すごい。全然気が付かなかった」
1ミリも気が付かなかった自分が可笑しくてケラケラ笑っていると、ふぅっとため息が聞こえたような気がした。
「君、家はどこ?」
「家は神楽町です!」
「もう電車ないよ」
「あらー、大丈夫、大丈夫。歩いて帰れるから。あれー?トオルさんはー?」
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「えー?かえったのー?ざんねーん」
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