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5年後
バレンタイン 1
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2月13日。絵の具を買いに行くと家を出る渉を見送ると俺はいそいそとキッチンに入った。明日は平日で仕事だからチョコを作るチャンスは今日しかない。渉が寝た夜中にでもこっそりと作ろうかと思っていたのに、都合よく出掛けてくれるなんて。
「俺って神様に愛されてんのかも」
ふふん、と鼻歌を歌いながら冷蔵庫の上の段の奥から取り出したのは、昨日の夜中に仕込んでおいたリンゴの密煮だ。表面には蜜の照りがあり若干乾燥している。狙い通りだ。
「イイ感じだな」
俺はリンゴの香りを嗅いで微笑んだ。
渉はいつも持ち歩くくらいチョコレートが大好きだ。チョコレートならどんなものでも好きなのだが、その中でもオレンジピール入りのちょっとお高いチョコレートが好物だ。去年も一昨年もオレンジピール入りのチョコをプレゼントしたのだが、毎年同じのじゃつまらないかなと今年は趣向を変えてみたのだ。
下茹でした林檎にグラニュー糖、水あめを入れて煮る。途中でレモン汁とブランデーを入れて更に煮詰め、水分があらかた無くなったところで引き上げる。オーブンシートに並べて冷蔵庫で一晩寝かせたのが、俺が今持っている林檎ちゃんだ。
「さて、美味しく乾燥してくれよ~」
100度に設定したオーブンに林檎の蜜煮を入れて30分乾燥させる。林檎が乾燥して粗熱が取れたら、生クリーム4:溶かしたチョコレート6の割合で混ぜた生チョコレートをコーティングすれば完成だ。
コーティングするチョコレートを生チョコにすることで、口の中でチョコが割れて剝がれることがなく滑らかなくちどけになる。
渉の生暖かい舌の上で溶けていくチョコを想像するとなんとも煽情的な気分になった。
「もっと食べる?」
妄想の渉に問いかける。
「うん、食べる」
そっけなく言う渉の肩に手を置いて、自分の唇にチョコを挟んで渉の唇を塞いだ。渉は一瞬抗議の声を上げるが、二人の熱で溶けはじめたチョコが唇を濡らすとおずおずと唇を開き、俺の舌ごとチョコを受け入れた。
顎の裏側、一番弱い部分を舌で撫でれば渉の中の欲情がゆらり、と姿を現す。そうなればあとはなし崩し的に、だ。
ぐふ、ぐふふふふ
つい怪しい笑みがこぼれてしまう。このところ海外出張が多くてずっとご無沙汰だったのだ。帰国して直ぐに渉を抱きたかったが、なぜだか一向にそういう雰囲気にならない。ストレートに誘えばいいのだが期間が空いてしまうと誘うという行為が妙に恥ずかしくて、モジモジしているうちに寝る時間になってしまうのだ。付き合って6年、そのうち2年は一緒に暮らしているというのに。
触れれば崩れるのに普段の渉ときたらそういうものを寄せ付けない妙な潔癖さがあるのも要因の一つと言える。
「そういうところもいいんだけどさ」
俺は指についたチョコを舐めると上機嫌で林檎チョコを冷蔵庫にしまった。
バレンタイン当日。俺が働いている音楽会社に行くと、ディスクの上にチロルチョコが二個置いてあった。
「おはようございます。今日は一応バレンタインなんで。あ、もっと食べたかったら社長から奪ってきてくださいね。皆さんにって大袋に入っているチロルチョコを用意したんですが、社長が抱えて社長室に持って行っちゃったんですよ」
ほんと子供みたい、と事務の美沙さんが呟くと社長室のドアが開いて長野さんと社長が出てきた。
「社長、そんなに食べたら気持ち悪くなっちゃいますよ。昔からそうなんですから。そもそもこのチョコは皆さんにって美沙さんがくださったものです。独り占めしちゃダメでしょ」
「独り占めはしてない。ちゃんとみんなに配った!」
社長は俺の机にあるチョコ2つを指さして、それを見た長野さんが「ふたつ……」と呟いて眉間を押さえた。
「社長……また長野さんに叱られてるんですか?」
「叱られてはいない。ちょっと小言を言われているだけだ。それより今日の夕方、またスターフィッシュのスタジオに顔出すんだろ?」
スターフィッシュは俺が担当しているバンドだ。デビューして1年目になるが国内での人気も上々なので海外を視野に入れて活動中で、俺の海外出張が多いのはそのせいでもある。
「はい、海外向けのMVを撮っているんでその様子を見に行こうと思ってます」
「来週にはそれ持ってまた海外か」
「そうですね。いくつかライブハウスも回って出演交渉をしたいですし……」
本当は渉ともっと一緒にいたいのに……。
「そんなじっとりとした視線、よこすなよ佐倉」
社長は俺の肩にそっと手を置くと耳元に口を近づけた。
「久しぶりに会うと、あっちの方も燃えるだろ。刺激は大事だぜ」
社長の田淵亨とは大学の同期で昔からの知り合いだ。勿論、渉と俺の関係も知っている。社長ってことで人前では敬語で話すようにしているが、二人の時はタメ口だ。俺は同じように社長の耳に口を近づけると亨にしか聞こえない声で「うるせぇ」と囁いてやった。
燃えるどころかそんな雰囲気になれなくなってんだよ……。
夕方。スターフィッシュのスタジオに顔を出すと妙にノリノリで鼻歌を歌っている一郎が目に入った。ピンク地に白のハート模様のもこもこジャージを着て明らかに上機嫌だ。
「一郎……お前、浮かれすぎじゃないか?」
一郎はポーカーフェイスのまま口の端だけをあげた。
「今日の夜は早瀬さんの家に泊るんで。チョコレート交換をすることになってるんですよ。だから、今日は18時までしか仕事はしませんよ。それ以降は断固拒否」
渉の想い人であった早瀬は今ではコイツの腕の中だ。いや、早瀬の腕の中に一郎がいると言う方が正しいのかもしれない。このマイペースで頑固な性格を武器に早瀬の腕の中に居座ったという表現の方がしっくりくる。
「へーへー、俺だって今日は遅くまで働きたくないよ」
携帯電話が鳴ったのは昨日の妄想を思い出して口元が緩んだときだった。
【描きたいものができたからアトリエに行く。今日はアトリエに泊まるかも】
神様へのあらゆる恨み言を思い浮かべたことは言うまでもない。
「俺って神様に愛されてんのかも」
ふふん、と鼻歌を歌いながら冷蔵庫の上の段の奥から取り出したのは、昨日の夜中に仕込んでおいたリンゴの密煮だ。表面には蜜の照りがあり若干乾燥している。狙い通りだ。
「イイ感じだな」
俺はリンゴの香りを嗅いで微笑んだ。
渉はいつも持ち歩くくらいチョコレートが大好きだ。チョコレートならどんなものでも好きなのだが、その中でもオレンジピール入りのちょっとお高いチョコレートが好物だ。去年も一昨年もオレンジピール入りのチョコをプレゼントしたのだが、毎年同じのじゃつまらないかなと今年は趣向を変えてみたのだ。
下茹でした林檎にグラニュー糖、水あめを入れて煮る。途中でレモン汁とブランデーを入れて更に煮詰め、水分があらかた無くなったところで引き上げる。オーブンシートに並べて冷蔵庫で一晩寝かせたのが、俺が今持っている林檎ちゃんだ。
「さて、美味しく乾燥してくれよ~」
100度に設定したオーブンに林檎の蜜煮を入れて30分乾燥させる。林檎が乾燥して粗熱が取れたら、生クリーム4:溶かしたチョコレート6の割合で混ぜた生チョコレートをコーティングすれば完成だ。
コーティングするチョコレートを生チョコにすることで、口の中でチョコが割れて剝がれることがなく滑らかなくちどけになる。
渉の生暖かい舌の上で溶けていくチョコを想像するとなんとも煽情的な気分になった。
「もっと食べる?」
妄想の渉に問いかける。
「うん、食べる」
そっけなく言う渉の肩に手を置いて、自分の唇にチョコを挟んで渉の唇を塞いだ。渉は一瞬抗議の声を上げるが、二人の熱で溶けはじめたチョコが唇を濡らすとおずおずと唇を開き、俺の舌ごとチョコを受け入れた。
顎の裏側、一番弱い部分を舌で撫でれば渉の中の欲情がゆらり、と姿を現す。そうなればあとはなし崩し的に、だ。
ぐふ、ぐふふふふ
つい怪しい笑みがこぼれてしまう。このところ海外出張が多くてずっとご無沙汰だったのだ。帰国して直ぐに渉を抱きたかったが、なぜだか一向にそういう雰囲気にならない。ストレートに誘えばいいのだが期間が空いてしまうと誘うという行為が妙に恥ずかしくて、モジモジしているうちに寝る時間になってしまうのだ。付き合って6年、そのうち2年は一緒に暮らしているというのに。
触れれば崩れるのに普段の渉ときたらそういうものを寄せ付けない妙な潔癖さがあるのも要因の一つと言える。
「そういうところもいいんだけどさ」
俺は指についたチョコを舐めると上機嫌で林檎チョコを冷蔵庫にしまった。
バレンタイン当日。俺が働いている音楽会社に行くと、ディスクの上にチロルチョコが二個置いてあった。
「おはようございます。今日は一応バレンタインなんで。あ、もっと食べたかったら社長から奪ってきてくださいね。皆さんにって大袋に入っているチロルチョコを用意したんですが、社長が抱えて社長室に持って行っちゃったんですよ」
ほんと子供みたい、と事務の美沙さんが呟くと社長室のドアが開いて長野さんと社長が出てきた。
「社長、そんなに食べたら気持ち悪くなっちゃいますよ。昔からそうなんですから。そもそもこのチョコは皆さんにって美沙さんがくださったものです。独り占めしちゃダメでしょ」
「独り占めはしてない。ちゃんとみんなに配った!」
社長は俺の机にあるチョコ2つを指さして、それを見た長野さんが「ふたつ……」と呟いて眉間を押さえた。
「社長……また長野さんに叱られてるんですか?」
「叱られてはいない。ちょっと小言を言われているだけだ。それより今日の夕方、またスターフィッシュのスタジオに顔出すんだろ?」
スターフィッシュは俺が担当しているバンドだ。デビューして1年目になるが国内での人気も上々なので海外を視野に入れて活動中で、俺の海外出張が多いのはそのせいでもある。
「はい、海外向けのMVを撮っているんでその様子を見に行こうと思ってます」
「来週にはそれ持ってまた海外か」
「そうですね。いくつかライブハウスも回って出演交渉をしたいですし……」
本当は渉ともっと一緒にいたいのに……。
「そんなじっとりとした視線、よこすなよ佐倉」
社長は俺の肩にそっと手を置くと耳元に口を近づけた。
「久しぶりに会うと、あっちの方も燃えるだろ。刺激は大事だぜ」
社長の田淵亨とは大学の同期で昔からの知り合いだ。勿論、渉と俺の関係も知っている。社長ってことで人前では敬語で話すようにしているが、二人の時はタメ口だ。俺は同じように社長の耳に口を近づけると亨にしか聞こえない声で「うるせぇ」と囁いてやった。
燃えるどころかそんな雰囲気になれなくなってんだよ……。
夕方。スターフィッシュのスタジオに顔を出すと妙にノリノリで鼻歌を歌っている一郎が目に入った。ピンク地に白のハート模様のもこもこジャージを着て明らかに上機嫌だ。
「一郎……お前、浮かれすぎじゃないか?」
一郎はポーカーフェイスのまま口の端だけをあげた。
「今日の夜は早瀬さんの家に泊るんで。チョコレート交換をすることになってるんですよ。だから、今日は18時までしか仕事はしませんよ。それ以降は断固拒否」
渉の想い人であった早瀬は今ではコイツの腕の中だ。いや、早瀬の腕の中に一郎がいると言う方が正しいのかもしれない。このマイペースで頑固な性格を武器に早瀬の腕の中に居座ったという表現の方がしっくりくる。
「へーへー、俺だって今日は遅くまで働きたくないよ」
携帯電話が鳴ったのは昨日の妄想を思い出して口元が緩んだときだった。
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