笑顔のスペクトル

みすたぁ・ゆー

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Scene 5:涼ちゃんが彼氏でもいーんだけどなー?

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 箱を受け取った夏帆はキョトンとしていた。中身が気になっているということもあるだろうけど、だからこそどう扱っていいのか分からないみたい。

「それ、夏帆にあげるよ」

「この箱、何が入ってるの? まさかびっくり箱じゃないよね?」

「和菓子。この前のお茶会の時に余ったやつ。部活の休止期間に賞味期限が切れちゃうから、部の冷蔵庫から持ってきたんだ」

「開けて見てもいい?」

「家に帰ってからにしなよ。雨粒が入っちゃうよ。傘を差しながら歩いてる僕の身にもなってよ」

「だって私、部活のあとだからお腹が空いてるんだもん」

「見るだけじゃなくて、帰り道ですでに食べる気満々なんだ……」

 やれやれと僕が苦笑いしている間にも、夏帆は箱を開けてしまった。きっと夏帆は玉手箱や舌切り雀の大きなつづらでも躊躇なく開けてしまうタイプに違いない。

「涼ちゃん、これってお菓子だよね? 小豆のタルト?」

「『水無月』っていう和菓子。夏越なごしはらえ――つまり六月三十日に一年の残り半分の無病息災を願って、そのお菓子を食べる風習があるんだ。甘く煮た小豆を白いういろうの上に載せて、三角形に切り分けたものが多いかな」

「夏越の祓って、神社で茅の輪くぐりとかするやつ?」

「そうそう。だから夏越って言っても夏帆の名字の名越とは何の関係もないよ。夏帆もそのお菓子を食べて、今年の残りの半年を元気に過ごしてね」

「いただきまーす! もぐもぐ……」

「って、もう食べてるしっ! 話を聞いてないしっ!」

「きひへるほぉ……うん……あひがほ……」

「食べながら喋るのは行儀が悪いよ」

「むぐむぐ……」

 夏帆、食べることに集中していて僕の注意を聞いていない――と思う。そもそも歩きながら食べ物を食べている時点で行儀が悪いも何もないんだけど。

 そしてあっという間に水無月を平らげた夏帆は、とろけたような顔になって幸せそうだ。

「ごちそうさまー♪ このお菓子、美味しぃ。でも一個じゃ足りない。もっと!」

「そう言われても、もうないよ……」

「涼ちゃんのことだから、まだ別のお菓子を隠し持ってると見た!」

「……うぐ、鋭い。何その犬みたいな嗅覚……」

「わんわんっ♪」

「もうすぐ夕食なんだから、それくらいで我慢しておきなよ」

「……出してっ♪ 出してくれないと、涼ちゃんの耳たぶにかぶりついちゃうぞ?」

 不意に夏帆は僕の耳元で戯けるように囁いた。

 耳の奥へ伝わる想定外の空気の刺激と言葉の内容に、僕の体は思わずビクッと震える。さらに心臓が大きく跳ねて血流が激しく全身を駆け巡る。

「なななっ、何を言ってるんだよっ!? わ、分かった! 出すっ! すぐに出すからっ!」

 結局、僕はカバンに隠し持っていたもうひとつの箱を夏帆に手渡すことになってしまった。中には夜食で食べようと思っていたが入っている。

 もちろんこれもお茶会での残り物だけど、このお店のきんつばは美味しいから密かに楽しみにしてたのに……。


 目の前で夏帆の胃の中に消えていくきんつば。グッバイ、きんつば。キミのことは決して忘れないよ。


「えへへ、美味ひぃー。んぐんぐ」

 とうとうきんつばは跡形もなく消え去った。粒あんの欠片さえも全てが夏帆の胃の中へ。もうこうなってしまっては仕方がない。覆水盆に返らず。

 まぁ、夏帆は満足げだし、美味しそうに食べてたから今回はキッパリと諦めよう……クスン。

「ご馳走様っ♪ 涼ちゃん、美味しかったよ~」

「うぅ、お粗末様でしたぁ……。はぁ……。夏帆、こういうところは子どもっぽいよね。弓道をやってる時や普段の授業中とかは凛としてて格好良いのに。もし彼氏が出来たとして、この姿を知ったら幻滅するだろうなぁ」

「幻滅しない人を選ぶから平気だもーん」

「幻滅しない人って、それは余程の鈍感か心が広いか、あるいは奇人か――」

「――その条件だと、あとは涼ちゃんとか?」

「へっ!? ……なななななッ!」

「あははっ、照れてるー♪」

 頬どころか顔全体が熱くなって当惑する僕を見て、夏帆はこちらを指差しながらケタケタと笑っていた。

 僕のきんつばを食べたばかりか、からかって楽しむなんてヒドイ。さすがにちょっとカチンと来て、僕は思わずムキになって強く言い返す。

「幻滅しないのは、夏帆と幼馴染みですでに性格とかをよく知ってるからってだけだしっ!」

「……私は涼ちゃんが彼氏でもいーんだけどなー?」

「…………。へっ?」

 僕は目が点になった。

 だ、だって今、夏帆は僕が彼氏でもいいって言ったような気がするから。き、聞き間違いじゃないよね?

 直後、僕の頭の中はぐちゃぐちゃになって混乱してくる。
 
  
(つづく……)
 
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