宇宙でひとつの、ラブ・ソング

indi子/金色魚々子

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第三章 一歩前に進む勇気

第三章 一歩前に進む勇気 ①

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「なんじゃこれ……」


 あれから数日後、私はまた【子ども図書館】に来ていた。新田さんの陰口を聞いて以降、私の心は荒れに荒れているが合唱の練習は順調で、クラスメイトと話す機会はどっと増えた。……それなのに、まだ私とお昼ご飯を食べてくれるお友達はまだいない。こればっかりは、どうしてもうまくいかないものだ。
 そんな私は、【子ども図書館】で、あの緑色のノートを開いていた。この前私が書いた愚痴の下に、メッセージが残されていた。筆跡から見るに、前に書き込んだ人と同じだ。


『自分で作ればいいじゃん』


 そのたった一言だけ。それだけなのに、私の心に深く刺さったのが分かった。


「ねえ、春恵さん」

「何? 樹里ちゃん……あ、友達出来た?」

「そういうのもういいから。あのさ、コレ書いたの誰か分かる?」


 私はノートを大きく広げて、あの言葉を彼女に見せる。春恵さんはさらっと読んで、小さく首を傾げる。


「またノートに愚痴書いたの、樹里ちゃんってば」

「そこじゃない! それの下!」

「下ぁ?」


 春恵さんは私の手からノートをするっと抜き取り、今度こそあの言葉を……声をあげて読んだ。


「あら、いいじゃない! 樹里ちゃん曲作れるの?」

「だから、誰書いたのかって聞いてるの!」

「ん~、私にはちょっと分からないわ。ここに来る人、いっぱいいるから」

「そっか……」

「でも、文字を見る限り……小さい子ではないわね」

「私もそう思う」

「それで、それを書いた人を見つけてどうしたいの?」

「へ?」


 思いがけない質問に、私はあんぐりと口を開けた。


「文句言いたいとか? 喧嘩したいなら、他所でやってよね」

「そ、そういう訳じゃない! ……どういうつもりで、こんな事書いたのか聞いてみたいだけ。曲作れなんて、そんな気軽に……」

「でも、私もそれ良いと思うけど」

「え~~!」


 私が不満げに、大きく声を荒げる。


「無理だよ、それ。春恵さんまでそんな無茶な事言うんだから」

「……でも、今の樹里ちゃんってさ、何弾いてもつまらなそうじゃない?」

「……え?」


 思いがけないその言葉に、私は思わず押し黙る。唇を少しだけ噛んでいると、春恵さんは柔らかく笑みを作った。


「そんなに嫌なら、もうピアノなんてやめちゃえばいいのにって思うんだけど、そうもいかないのよね?」

「うん……」

「それなら、気晴らしにさ。いいんじゃない? ピアノ以外の事を考えるのも」

「でも、結局音楽のことじゃん」

「あら、そうね~」

「……作曲って、どうやってやるのかな?」

「確か本あるわよ、今探してあげる」

「さすが図書館。ありがとう」


 中々気が進まないが、私は春恵さんから本のある場所を受け取る。子ども向けに作られた低い本棚の中から、『曲の作り方』と言う本を選んで取り出す。安っぽいイラストが描かれた、身にも毒にもならないようなありきたりな本。私は貸出手続きをして、今日はそのまま家に帰った。


「遅かったじゃない」

 音が出ないようそーっとドアを開けたつもりなのに、レッスン室にいるはずのお母さんがすぐに顔をのぞかせた。レッスン室からは、まだつたないピアノの音が聞こえてくる。

「今の子が終わったら、すぐにあんたのレッスンだから。ご飯先に食べちゃいなさい」

「……はい」


 階段を上る私の足は重たく、一段昇るたびにため息をついていた。レッスン室から漏れ聞こえてくるお母さんの声はとびっきり優しい。先ほどの声とは大違いだ……私がピアノを始めた頃も、あれくらい優しかったことをふと思い出す。それが耳元に蘇ると、じんわりと涙がにじんできた。私は鼻をすすりながら、カバンを自分の部屋に放り込んだ。借りてきた本、読むのはまだまだ先になりそうだった。

 晩御飯を食べにダイニングに向かうと、お父さんがすでに食卓についていた。厚い本を傍らにおいて、それを覗き込みながらご飯を食べている。


「またお母さんに怒られるよ」


 お母さんはそういうお行儀の悪いことも大嫌いだ。


「バレなきゃいいんだよ、バレなきゃ……合唱コンクールの練習は、順調か?」

「うん」

「そうか」


 お父さんは、口数はあまり多くない。しゃべりたいことを言いきってしまったら、その後はずっと黙っている。それが大学にいる研究者らしいと言えばそうなのだけど、それはそれで少し寂しい気がする。中学の時の友達の話を聞いていると、お父さんは一緒に遊んでくれたり買い物連れて行ってくれたり、二人きりの時はちょっといいものをご馳走してくれたり……迷ったら、アドバイスをくれたり。そういう存在らしいのに、私はお父さんとそんな事をしたことはない。あまり口に出さない人だから、お母さんにとっては、自宅でピアノ教室を開くとか好きな事を勝手にできる都合の存在なのだろう。自分が食べる分だけ用意をして、私も食卓につく。静かな食卓に、かすかに漏れ聞こえるへたくそなピアノの音。私も、戻れるくらいならあれくらいの年齢に戻りたい。そしてピアノを捨てて、もっと楽しそうなことを見つけるのに。

 私のレッスンから解放されたのは、そろそろ日付が変わりそうな時間だった。疲れ切った体で部屋に戻ると、足に何かが当たった……投げ捨てたカバンだ。


「そうだ……」


 私はカバンの中から【子ども図書館】から借りてきた本を取りだし、ベッドに横になりながらそれを開く。子供だましの本だけど、ないよりはマシかもしれない。パラパラと流し読みをするようにページをめくっていると、本の間から紙が落ちてくる。


「なんだ、コレ?」


 雑に折りたたまれたその紙を、私は心の中で謝りながらそっと開く。もしかしたら、誰かのラブレターを盗み見ることになってしまったらどうしよう。そんな罪悪感と期待を込めて。


「……な~んだ」


 でも、そんな期待は簡単に打ち砕かれる。書いてあるのはただのペットボトルロケットについて書き写したもの。ご丁寧に日付まで。昨日書かれたばかりのものみたいだ。
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