宇宙でひとつの、ラブ・ソング

indi子/金色魚々子

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第三章 一歩前に進む勇気

第三章 一歩前に進む勇気 ②

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「あれ?」


 その書かれた文字に、私はどこかで見覚えがあった。記憶の糸を手繰り寄せ、思い出そうとする。


「……そうだ、一言ノートの!?」


 あの細い、大人びた文字によく似ている。あのノートがここにあったら比べることが出来るのに、と私は少し残念に思った。この文字の主、その正体に迫れるかもしれなかったのに。この作り方を見るだけでは、相手の正体どころか年齢や性別も分からないままだ。


「これ、失くして困ってないかな?」


 ふっと胸にそんな疑問が浮かび上がる。日付は昨日、作り方の途中。きっと、これが見つからなくって焦って探しているに違いない。一刻も早く返してあげた方がいいに違いない。私は本をカバンに戻して、布団をかぶった。朝一で【子ども図書館】に寄って、この本を返しに行こう。朝のレッスンは……合唱コンクールの朝練があるって嘘をついてさぼってしまおう。
 こんなことで嘘をついて、お母さんを騙す。私の心にはこれっぽちも嘘をつく罪悪感もなく、それすら楽しんでしまおうという気持ちでいっぱいだった。こんなに楽しい気持ちも、何だか久しぶりなような気がした。



「あら、樹里ちゃん、今日は早いのね」


 次の日の朝、大急ぎで【子ども図書館】に向かうと、ちょうど春恵さんが出勤してきたタイミングだった。私はカバンの中からあの本を取りだし、春恵さんに押し付ける。

「これ、返しに」

「もう読み終わったの?!」

「そうじゃなくって……なんか、本の間にメモが挟まってて。おとといの日付の」

「あら」

「もしかしたら、取りに来るかも知れないでしょ? だから、早めに返しておこうと思って」

「ごめんね、わざわざ」

「私もう学校行かなきゃだから、返却の手続きとかお願いしてもいいですか?」

「オッケー。行ってらっしゃい、友達作るのよ~」

「一言余計! ……行ってきます」


 私はそのまま走り出していた。朝もやの中を駆け抜けていくのは心地よく瑞々しい。駆け出すたびに、体はリズムを刻む。呼吸は歌みたいに聞こえてくる。本なんかなくても、曲が作れそうな気がした。


「……んぅ~」


 しかし、そう簡単にはいかない。休み時間や授業中まで使って色々考えてはみるものの、どうもうまくいかない。頭の中によぎる音はどこかで聞いたことのあるような音色ばかりで、そこに私のオリジナリティはない。昼休み、屋上の片隅でノートを広げて、お弁当を摘まみながら鼻歌を歌って、それを書き記していく。そのメロディをつなぎ合わてみるものの、それが一つの曲として成立しているのか……頭がこんがらがってしまって、深みにはまっていく。


(……お父さんに音楽理論でも教えてもらおうかな)


 うわの空なまま合唱の練習も終わる。私は電子ピアノを片づけて、さっさと帰ろうとした。今日は朝のレッスンをさぼったから、きっと夜のレッスンはさらに厳しいものになるだろう。カバンにメロディをメモしたノートを仕舞い肩にかける。その時、私のカバンを誰かが掴んだ。


「うわ?!」


 慌てて振り返ると、少しだけ耳を赤くさせたクラスメイトの女の子がそこにいた。名前は……えっと。


「三原、さん?」


 同じクラスの、三原真奈美みはらまなみさん。ソプラノパートを担当していて、大人しい女の子といった印象しかない。


「相沢さん、今時間ある?」

「う、うん。大丈夫だけど……」


 音程が分からなくなったとかで、こうやって引き留められることは多い。今回もそうだと思って、私が楽譜を出そうとカバンを開ける。しかし、三原さんが言い放ったのは予想だにしていなかった一言だった。


「今日ね、お昼休みの時ちらっと屋上で見たんだけど……相沢さん、曲作ってるの?」

「え?」


 まさか、あれを見られているとは思わなかった。私の口からは蛙をつぶしたような苦々しい声が出る。あの完成には程遠い音の連なりと、それを作ろうとしている私の姿。そのどちらとも見られていたのだと思ったら、顔から火が出るほど恥ずかしいし、穴があったら入りたい。私はキラキラと輝く三原さんの瞳から少しだけ視線をそらして、「うん」と小さく頷いだ。


「やっぱりー! 相沢さん、ピアノ弾けるし作曲もできるなんて……すごい、すごいよ!」


 その大人しそうな見かけとは裏腹に、三原さんの声はどんどん大きくなっていく。そのせいで、教室に残っていた他のクラスメイト達も、何があったのかとちらちらと視線をこちらに向け始めた。注目を浴びたくない私は、三原さんを廊下に誘う。


「ごめん、私、興奮すると声大きくなっちゃって……」


 三原さんは、舌をぺろりとだして小さく頭を下げていた。


「それで、相沢さんはどんな曲作ってるの? 聞いてみたいな~」

「違うの、曲作ってみようと思ったのは最近で……まだ全然できてなくって」

「そうなの?」

「うん。ちょっとは思いつくんだけど……中々うまくいかなくって、どうしたらいいか」


 あのメモが無くなったら、またあの作曲の本を借りてもいいかもしれない。子どもだましとバカにしていたけれど、いとも簡単にスランプに陥った今の私にとっては、迷える子羊たちを導く聖書同然かもしれない。


「そうなんだ。……それならさ、曲作っている人に話聞いてみるのは?」

「でも、そんな人身近にいないし」

「じゃあ、うちのお兄ちゃん、紹介してあげようか!」

「え?」


 その突拍子もない発案に私が目を丸くさせていると、それとは裏腹に三原さんの瞳は爛々と輝き始めた。


「うちのお兄ちゃんね、大学で軽音部に入ってバンドやってるんだけど……最近じゃ自分で曲作ったりして、これが結構人気でさ~」

「へぇ、すごいね」

「だから、相沢さんの参考になるかな?って……どう? 今からうち来ない?」


 私は「どうしよっかな」と首を傾げる。初めて話す子の家に行くのは少し怖いし、それ以上に、もし三原さんの家に寄ってから帰るとしたら……夜のレッスンを受ける時間が少なくなってしまう。もしそうなったら、お母さんの怒りは今までなかったくらい、激しいものになるだろう。それを想像しただけで、背筋がぶるりと震える。でも……。


「それなら、……行ってもいい?」


高校に進学してから、クラスメイトに誘われることなんてなかった。こんな機会、今逃したら、二度とないかもしれない。私は意を決して顔をあげる。

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