宇宙でひとつの、ラブ・ソング

indi子/金色魚々子

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第五章 はじめての【夢】

第五章 はじめての【夢】 ①

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「こんにちは、春恵さん!」

「あら、樹里ちゃん久しぶり。元気ね」


 あれから慌ただしく時は過ぎ、合唱コンクール本番も無事に終わった。私はミスなく演奏できたけれど、クラスは残念なことに受賞とはならなかった。それでも真奈美ちゃんという友達が出来た私は、以前よりもウキウキと弾んだ気持ちで高校生活を過ごしている。時々感じる新田さんのじっと睨むような視線も気にならないくらい。


「ねぇ、聞いてよ春恵さん。実はね……友達ができました!」

「え? 本当に?!」

「何でそこ疑うのよ~。本当だって、ほら、見てこれ!」


 私はスマートフォンをずいっと春恵さんの眼前に差し出す。画面には、合唱コンクールの後に真奈美ちゃんと撮った写真が映し出されている。


「あら、ほんと。よかったね、樹里ちゃん」

「ねぇ~、やっとだよ」

「今度連れておいでよ、ここに」

「春恵さん、余計な事言うんじゃないの?」

「どうかな~?」


 春恵さんはニヤニヤと口角をあげた。ここでいつも、友達が出来ないことを愚痴っていたことをばらすのはやめて欲しい、なによりも、私のプライドのために。


「でも、元気そうでよかった。相沢先生が最近イライラしてるから、何かあったかと思って」

「ああ……あんまり私のレッスンできてないからね」


 練習で学校に残ったり、真奈美ちゃんと教室でずっとおしゃべりしていたり。そんな過ごし方をしていると、ピアノのレッスンはお母さんの思うように進んでいなかった。合唱コンクールが終わってからと言うもの、私への指導は以前の物に比べるとさらに厳しさを増した。厳しく当たられるほど、私の中でフラストレーションはどんどん溜まっていく。その気持ちを吐き出そうにも、曲作りは上手く進んでいなかった。それを思い出すと、体中がずしんと重たくなる。

 カウンターに子どもたちが近づいてくる。私にではなく、春恵さんに用事があるらしく私はあっという間に蚊帳の外になった。暇になった私は、あの一言ノートを思わず手に取って、パラパラとページを開く。……私の視線は、ある一点で止まった。


「何だこれは……」


 思わず漏れた声は、いつもより低い声だった。

 一言ノートに記されていたのは、私の愚痴にいつも一言くれるあの細い文字の主の……意外な告白だった。アメリカの研究所、とか、ロケットの開発、とか。自分とはまるで世界の違う人の話で、そのままでは作り話だと思ってしまうくらい。
 でも、いつも丁寧なその文字が所々震えていたりゆがんでいたり。書いた主の気持ちが大きく動揺しているのがこちらにもひしひしと伝わってくる。どうしても、私にはこれが作り物の話には思えなかった。


「ねえ、春恵さん」

「なあに?」

「これ、書いた人知ってる?」

「どれどれ……」


 春恵さんはノートを覗き込む。そして少し読んだ後、静かに首を振った。


「知らないわね。これ何? そういうお話でも流行ってるの?」

「そういう訳じゃないと思うけど」


 春恵さんは、この文字の持ち主が、いつも私の愚痴に一言くれている人と同一人物であるという事に気づいてはいないらしい。


「でも、難しい問題だよね。これ」

「あれ? 樹里ちゃん、その人に随分親身になってあげるのね」

「まあ……」


 一応、私に新しい道を授けてくれた人だ。そりゃ、そんな人が悩んでいたら寄り添ってあげたいという気持ちだってある。でも、こんな今まで抱えたことのない悩み、どう答えたらいいか皆目見当がつかない。


「どうしよ」

「うーん……、それなら樹里ちゃんが今、言いづらいことを誰かに打ち明けてみるとか」

「は?」

「一つや二つ、あるでしょ? いつか誰かに話さなきゃいけないことで、でもそれを打ち明けたら大変なことになるっていう事」

「……あるわ」


 今、ピアノのレッスンではなく……曲を作ることに夢中になっているという事。そっちに時間をかけたいから、少しピアノから離れたいとすら思っていること。それらを、親に話すことを考えたら背筋が震える。


「それをやってみて、樹里ちゃんがどう思ったか。自分と同じことをした人がいるだけで、悩んでいることの中身は違えど安心するもんだと思うし」

「そっかなぁ……?」

「きっとそうよ」


 春恵さんはそう言って、深い笑みを浮かべた。慈愛に満ちたというよりは、自分が言ったことに酔っているような、そんな自信たっぷりな笑い方。私も苦い笑みを浮かべることしかできなかった。

 私は……私なら、そんなつらい思い出を打ち明ける必要なんてないんじゃないかと思う。もしそんな事を友達に話して、その人たちが離れていってしまったら――人を傷つけたという過去の傷跡に、さらに塩を塗り込むようなものだ。想像しただけでも、背筋が冷たくなっていく。そんなこと、絶対にしたくない。だから、私の迂闊な一言でもしこの人が傷ついたりしてしまったら……そう思うと、どんどん怖くなっていく。私は何も書かずに、ノートをそっと閉じた。そして、喉を鳴らして一つだけ決意を固める。


「春恵さん、私、帰るね」

「あら、気を付けて帰るのよ」

「うん、あのさ……」


 春恵さんは小さく首を傾げる。


「春恵さんの次のレッスンで、お母さんがさらにイライラしてたらごめん!」

 そう言うと、春恵さんは少しだけ目を丸くさせた。そして、小さく笑みを漏らす。観念したような、これから起こることを楽しんでいるような、そんな笑い方だった。

 夜。お母さんのピアノ教室はまだレッスンをすべて終えていない。私はお父さんと並んで晩ご飯を食べていた。お父さんは私になんて興味がないようで、また分厚い本を読んでいる。しんと静まり返ったいつもの食卓。それなのに、私の耳には心臓のバクバクという音が鳴り響いて、私には騒々しく聞こえていた。ゆっくりとご飯を食べている内に、廊下から足音が聞こえてきた。私はとっさに背筋を伸ばし、お父さんは本を閉じる。


「あら、二人で食べてたの? 静かだったから気づかなかった」


 お母さんは鼻を鳴らして一瞥する。炊飯器からご飯をよそい、席に着く。お母さんが増えたからって、何か話題があるわけでもない。静かな食卓は続いていく。お母さんはご飯の塊を一口で口に押し込んでいく。おかずをどんどんかきこみ、頬を膨らませて食事を続ける。何度か喉を鳴らす音が聞こえてきたと思えば、お母さんは口を開いた。


「あんたも早く食べなさい。これからレッスンしなきゃいけないんだから」

「う、うん」


 その掃除機のような勢いでご飯を食べるお母さんを見ていると、話を切り出すタイミングも分からなくなっていく。私は一口だけお茶を飲んで、箸をおいた。

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