宇宙でひとつの、ラブ・ソング

indi子/金色魚々子

文字の大きさ
26 / 32
第七章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~樹里~

第七章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~樹里~ ①

しおりを挟む
「ちょっと、相沢大丈夫なの? 顔色めっちゃ悪いけど」


 ぎょっとした表情の杏奈ちゃんがそんな事言うので、私はほっぺを触る。質感はいつもと変わらない……いや、ちょっとガサガサしているかもしれないし、おでこにできたニキビも少し痛い。


「あはは! 樹里ちゃん、緊張してるんだ!」

「そ、そりゃするよ~! だって、もうじき本番なんだから」


 そう。季節は瞬く間に過ぎ去り、学校祭当日が来てしまった。私の手にはくしゃくしゃになった楽譜。書き込みが多くて、もうどこが音符なのかも分からない。歌の方も、真奈美ちゃんと杏奈ちゃんのお墨付きをもらっていて「もう心配ない!」と背中を押してもらっているけれど……体は緊張してガタガタ震えているし、お腹も強張ってしまって何も喉に通らない。二人とも露店で買ってきた焼きそばやチョコバナナを私にくれるけど、今日はそんなものを食べる気にはなかなかった。


「樹里ちゃんも、学校祭楽しまないと! もったいないよ!」

「そうそう。どうせ自分の事なんて誰も期待してないと思って、気を楽にしたらいいじゃない」

「わ、わかってるけど……」


 ぐっとチョコバナナを口に押し込まれる。ちょっぴり苦いチョコの香りと、甘いバナナの味が口いっぱいに広がる。おいしいけれど、今は胸いっぱいだ。


「まあ、まだ時間もあるからどこかで気晴らししておいでよ」

「う、うん……真奈美ちゃんと杏奈ちゃんは?」

「私ら、クラスのシフトあるから」

「え~、私一人で学校回るの?」


 周りをみると、楽しそうに歩いているグループが目に飛び込んでくる。友達と仲良く学校祭を回る、そんな高校生らしいことにも憧れていた私の夢も無残に打ち砕かれた。二人に見送られながら、私はチョコバナナ片手にとぼとぼと歩き始める。行くところなんで思いつかないけれど、何か気晴らしになりそうなもの。それを探しながら。

 私の心が重たいのは、発表が近づいて緊張しているだけではなかった。少し前から【子ども図書館】に行っても、あの細い文字の人が現れなくなってしまったこともある。
 曲が出来上がったのは三週間ほど前。その時【子ども図書館】に行った時は、あった。いつもの細い文字で『話を聞いてもらって良かった。ありがとう』と、優しさがにじみ出る言葉が。私も嬉しくなって、そのページの写真を撮ってしばらくの間ニヤニヤと流れていた。私の言葉で誰かが変わった瞬間を、生まれて初めて見ることができたから。ただ、曲ができても歌詞は全く浮かんでこない。杏奈ちゃんに流行りのダンスユニットの曲を借りたり、真奈美ちゃんにもおススメの恋愛小説を借りたりしたけれど……一向に思いつかなかった。


「あら、樹里ちゃん。こんな所で宿題? 難しいの?」


 テーブルに突っ伏して悩んでいると、春恵さんが覗き込んできた。


「ううん。歌詞作ってるの? 曲に付けるやつ」

「歌詞!? 曲、もう出来たの?」

「時間かかったけどね。できたよ」

「それはよかったわね、樹里ちゃん。……私も、先生にいい報告が出来そう」

「え? お、お母さんに?」


 春恵さんはうっかり口を滑らせてしまったみたいで、あっと口元を手のひらで押さえた。しかし、一度外に飛び出した言葉をなかったことにはできない。


「ねえ、お母さんに報告ってどういう事?」

「え、えっと~……それはぁ~」

「教えてよ春恵さん! はぐらかさないで!」


 お母さんがレッスンを再開させたのは、お父さんから聞いていた。休んでいても碌なことがないと、お父さんがせっついたらしい。私とお母さんの関係はいつも通り冷え切っていて、もうずっと会話なんてしていなかった。


「だから、先生も樹里ちゃんのことをとっても心配してるってこと。こんな私に偵察をお願いするくらいね」

「え~、それホント?」

「もちろん!」


 春恵さんは私の隣に座った。


「今までずっと、樹里ちゃんのピアノのレッスンできてたでしょ? その時は樹里ちゃんの様子とか見ることできたけど、今はそれもないから、どこでどうしてるか全然わかんないんだって。作曲するって言ってたけど、どうしてるのか、とか……」

「……私が挫折して、ピアノに戻ってくるの待ってるんだ」

「違うわよ。先生はね……『樹里には音楽の才能がある。だから、奏者としても作曲家としても間違いなく成功する。それを一番近くで見守りたかった。私は母親としての役割を見失っていた』って」

「……え?」


 思いがけない言葉に、私は声を失う。


「お母さんだって、何も自分の夢を押し付けてたわけじゃないのよ――いや、ちょぴっとそうだったかもしれないけど――、樹里ちゃんが自分の才能で羽ばたく日を楽しみにしてただけだと思うの」

「……そう、なのかな」

「でも、樹里ちゃんも先生も強情っぱりだし? ここは私が背中押してあげなきゃと思って、教えちゃった」

「え? な、何を?」

「樹里ちゃんが、高校の学校祭で、自分が作曲した曲を歌う事」

「は……はぁあああ!?」


 思わず大きな声が出てしまう。大きすぎる声は迷惑なので、と、春恵さんは私の口元を手で覆った。


「楽しみにしてるって」

「もう、余計なプレッシャーかけないでよぉ……」

「ま、頑張ってね。私は遠くから応援してます」


 春恵さんは軽く手を振ってカウンターに戻っていく。私はまた机に突っ伏していた。さらにのしかかった重しは、私の心が自由に羽ばたいていくのを押さえつける。それでも、曲は作らなければいけない。私はぐっと力を入れて頭を起こした。やらないことには、何もかも終わらせることはできない。私はノートを開いて、シャープペンを握りしめた。
 真奈美ちゃんのお兄さんが言っていたことを思い出す。


「自分の気持ちが、ちゃんと届くように」


 それなら、もう決まっている。私の背中を押した、もうノート越しに出会うこともできないかもしれない相手に『ありがとう』と伝えたい。ただそれだけだ。私は背筋を伸ばして、まっさらなノートに向き合った。想像力を膨らませて、私が知っている限りの言葉で感謝を綴る。私がその時どんな思いを感じたのか。それを織り交ぜて。


「……で、できた」


 思うがままに書いていたら、いつの間にか歌詞は出来上がっていた。まだ細かい修正はあるし、真奈美ちゃんと杏奈ちゃんにもチェックしてもらいたい。でも、出来た。安堵感と達成感に包まれた私は、ほっと息を吐く。


「できたの?」

「は、春恵さん!」


 気づけば、春恵さんが私の後ろに立っていた。あたりを見渡すと、子ども達の姿はどこにもない。


「もしかして、閉館時間?」

「そう。さ、早く帰りなさい。お母さん心配するわよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ループ25 ~ 何度も繰り返す25歳、その理由を知る時、主人公は…… ~

藤堂慎人
ライト文芸
主人公新藤肇は何度目かの25歳の誕生日を迎えた。毎回少しだけ違う世界で目覚めるが、今回は前の世界で意中の人だった美由紀と新婚1年目の朝に目覚めた。 戸惑う肇だったが、この世界での情報を集め、徐々に慣れていく。 お互いの両親の問題は前の世界でもあったが、今回は良い方向で解決した。 仕事も順調で、苦労は感じつつも充実した日々を送っている。 しかし、これまでの流れではその暮らしも1年で終わってしまう。今までで最も良い世界だからこそ、次の世界にループすることを恐れている。 そんな時、肇は重大な出来事に遭遇する。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

皆に優しい幸崎さんは、今日も「じゃない方」の私に優しい

99
ライト文芸
奥手で引っ込み思案な新入社員 × 教育係のエリート社員 佐倉美和(23)は、新入社員研修時に元読者モデルの同期・橘さくらと比較され、「じゃない方の佐倉」という不名誉なあだ名をつけられてしまい、以来人付き合いが消極的になってしまっている。 そんな彼女の教育係で営業部のエリート・幸崎優吾(28)は「皆に平等に優しい人格者」としてもっぱらな評判。 美和にも当然優しく接してくれているのだが、「それが逆に申し訳なくて辛い」と思ってしまう。 ある日、美和は学生時代からの友人で同期の城山雪の誘いでデパートのコスメ売り場に出かけ、美容部員の手によって別人のように変身する。 少しだけ自分に自信を持てたことで、美和と幸崎との間で、新しい関係が始まろうとしていた・・・ 素敵な表紙はミカスケ様のフリーイラストをお借りしています。 http://misoko.net/ 他サイト様でも投稿しています。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

処理中です...