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第七章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~樹里~
第七章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~樹里~ ②
しおりを挟む「はぁい」
ゆっくりとカバンに荷物をまとめて、私は席を立つ。出口に向かっていくと、私の目にあの一言ノートが飛び込んできた。初めて見た時よりも、大分表紙がよれよれになっている。私は無意識のうちに、そのノートを手に取っていた。
「あの、春恵さん!」
「何? 樹里ちゃん、帰らないの?」
「もう少し! もう少しだけここにいてもいい? やりたいことがあるの!」
「……もう! 私が帰るまでに終わらせてね」
「はーい!」
私はカウンターに置いてある椅子に座って、一言ノートとカバンの中に入っているノート、両方開く。そして、出来上がったばかりの歌詞を書き写していく。もう来ないかもしれないけれど、いつかこの歌詞を……私がうたう歌を、あの文字の主に届くように。願いを込めて。
***
「……はぁ」
しかし、それからも返事はなかった。友達ができたみたいだから、楽しくてもうここには来ないのかもしれない。私の気持ちは、どんよりと沈んだままだった。
(……どうしよう、本当に)
学校中歩き回ってみても、私の気持ちは変わらず曇り模様。気晴らしになるようなものはなにもなく、胃に入ったばかりのチョコバナナはお腹の中でぐるぐると回り続けていて、気持ち悪い。いつも以上ににぎやかな校内の喧騒は私の頭の中に響いて、何だか頭まで痛くなってきた。私はそれから逃れるように、屋上への階段を昇っていた。
「え? あれ? あ、開かない?」
屋上に繋がるドアのノブをガチャガチャと回してみても、ドアは一向に開いてくれない。来客が多い学校祭の日だから、鍵をかけてしまったのかもしれない。行くあてを失った私は、その場に座り込んだ。ため息をついても、緊張も不安も消し飛んで行ったりはしなかった。私は目を閉じて、数時間後に待ち構えているステージの事を想像する。お客さんはどれくらいいるのだろうか? 真奈美ちゃんも杏奈ちゃんも、見に来てくれるだろうか? お母さんは……どうしているだろうか? もし見に来てくれたら、また普通の親子に戻れるかもしれない。でも、もし誰もいなかったら……。
観客が誰もいないステージ、それはそれで、少し気が楽かもしれない。ただっ広い体育館に、私の歌だけが静かに響き渡る。いつもの練習の時みたいで、緊張もしなければ、誰にも評価されずに済む。しかし……それでは、何も意味がない気がした。私は、私の思っていることを、歌詞に乗せて、メロディに乗せて……誰かに伝えたいのだ。いつか、あの一言ノートの細い文字の相手に届くように。そう考えていたら、私の喉からは自然と歌が溢れ出していた。何でも練習したので、もう楽譜を見ることなく歌えるし、演奏だってできる。私は、ステージの上じゃなくっても歌えるのだ。背筋を伸ばして、お腹から声を出すように。
歌いきった私は、またうなだれるように頭を下げていた。歌っているときは気持ちが楽なのに、終わってしまうとまたどんよりと暗くなってしまう。もう一度ため息をつこうとした瞬間……まばらな拍手が聞こえてきた。
(だ、誰かに聞かれてた?)
私は隠れるように、踊り場の隅に体を寄せる。拍手をしていた相手がどこにいるか分からないけれど、それ以上近づいてくるような気配はなかった。
「……いい曲だね」
その人は、少しだけ低い声でそう言った。だから、それだけで男の人だという事に気づく。聞いたことないのに、どこか安心できる、そんな声。でも、私の体は、恥ずかしさのあまり隅っこで小さくなっている。ステージでもないのに高らかと歌って、バカみたい。
「その歌、誰の歌? 初めて聞くけど」
「……え? あ、あの……これ、私が作った曲なんです」
「君が?」
「はい」
「すごいね、自分で曲を作ることができるなんて」
「そ、そんなことないです!」
慌てて謙遜しても、その人は「すごいよ」と繰り返した。私は嬉しくなって、笑顔がほころぶ。
「こ、これから、体育館のステージで歌うんです。今の曲、でも、怖くて」
「……怖い?」
私は小さく頷く。顔も見えない相手なのに、自分の考えていることがすらすらと口から飛び出してくる。
「誰も来なかったらどうしよう、とか、失敗して変な空気になったらどうしよう、とか……」
「……君は、どうして曲を作ろうと思ったの?」
「えっと……」
私は、自分の曲を作ってみようと思った日を思い出す。お母さんのレッスンに嫌気がさして、杏奈ちゃんに悪口を言われて、とてもいらだっていたあの日。どんな曲を弾いても、私の気持ちが晴れることはなかった。それを誰でも書き込めるノートに打ち明けたら、後日『自分でつくってみたら?』と返事があったこと。
そこから、いろんなことがあった。まず、真奈美ちゃんという友達が出来たこと、高校に入って初めて友達の家に遊びに行ったこと。真奈美ちゃんのお兄さんにアドバイスと、本を貰ったこと。自分の気持ちをメロディで伝えることの大切さ。そして、かけがえのない人への感謝。今まで起きた出来事をすべて盛り込んで、私の曲が出来上がった。そんな話をしている内に、緊張がすっと解れていたことに気づいた。
「この歌を、いつか一番気持ちを伝えたい人に届けるのが、今の夢なんです」
私がそう言うと、その人ははっと息を飲んだように聞こえた。そして、とても静かな声で告げる。
「……届いたよ」
「え?」
「君が今まで頑張っていたことも、全部。……失敗してもいいと思う、先人たちだってきっと何度も失敗を繰り返してきた。その歌だってきっと、今まであった嫌なことや嬉しいことの積み重ねなように」
「……」
私はその言葉を聞いて、お父さんの事を思い出していた。お母さんと喧嘩した日に、私はお父さんに、似たようなことを言われた。そしてその言葉を知っているのは、私とお父さんを除いたら……あと一人しかいない。
私は勢いよく立ち上がった。
「あ、あの!」
階段を見下ろすと、もうそこには誰もいなかった。私は賑やかな廊下を走り抜けて、さっきの人を……あの細い文字の主を探そうとした。私は、彼の書く文字と声しか知らない。それだけしか知らないのに、見つかりそうな気がしてならなかった。
「樹里ちゃん!」
私たちのクラスがお店を開いている教室まで行くと、とても焦った表情をしている真奈美ちゃんと杏奈ちゃんがいた。
「もう! こんな時間までどこ行ってたのよ! そろそろ本番なのに……」
「ごめん、ちょっと一人になりたくって」
「……なんか、表情さっきと違うわね」
「え?」
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