蜂蜜まみれのオレに彼女が教えるこの世に生きる喜び、そして哀しみのこと

付和雷象

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「プリキュア、キス、鼻くそ、ガソリンの香り、暗い闇」

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 やがて、着替えをすませた女がひらひらの衣装を着て戻ってきた。
 女が言うには、髯男から借りた服はプリキュアなんとかの変身した時の衣装なのだそうだ。正直、それを着ている女は微妙な感じだった。

「なんか微妙じゃない?」と女は聞いたが、正直に答える勇気はなく、「拳銃が合わないかな?」とだけ答えた。

 その時、パトカーのサイレンが鳴り響き、「あんずちゃあん! あんずちゃあん!」とマイクで呼ぶ声がした。

 女は慌て屋形船の障子を開けて、土手ぞいに並走しているパトカーに向かって「名前呼ぶな、バカ! 撃ち殺す! そんなことでマイク使うな! 税金泥棒!」と怒鳴った。
 
 女はあんずちゃんというらしかった。

「あんずちゃんていうのか」と笑って言うと、ピシャと障子を閉めて振り返り、
「その名前嫌いなの」と笑いもせず冷たく言った後、
「ねえ、この舟の止め方知らない?」と真顔で言った。


 こんなことのために船舶免許をとったわけではなかったが、正直はじめて役に立った。 
 河岸に舟をつけると三十すぎの小太りの警察官が乗り込んできて、女をみるなり半笑いで「何、その格好」と言った。
 女は真っ赤になって
「やっぱり変なんじゃない! どうしてくれんのよ!!」と怒鳴りたてた。
 それにはかまわず、警察官はオレをみて、
「あ、この人?」とにこやかに言ってから、屋形船の船内の様子をいろいろながめだしはじめた。
「なによ、もう、こっちが先でしょ!」と騒ぐ女に、
「てゆうか、あんずちゃん、そろそろ時間なんじゃないの?」と言った後、
「ってゆうか、うわ! 穴! 穴あいてるよ? 天井!」と警察官が屋形船の破れた天井を見上げて言った。
「あー、あたしらがきたときにはそうなってた」
「ほんとにい? 舟の人は?」
「んー、エンジン室で寝てる」

 それを聞いた警察官がエンジン室の方へ向かった瞬間、女は突然オレの顔を両手でつかんでキスをしてきた。長いやつ。そして言った。

「いい子にしててね。あれに乗るのよ?」

 河原の草むらに突っ込んで停車しているパトカーが、夜になりたての薄い闇をくるまってこちらを見ていた。

「おれ、捕まったの?」
「さあ?」
「え?」
「あたしの仕事は身柄確保だけ。したら駅前のおばあさんにでっかい蜜蜂の瓶で頭カチ割られそうになってるし、ちょっとあせった」
 
 女が笑うところをはじめて見た。

「じゃあ、行く」
「どこに」
「仕事」
「え、おまわりさんじゃ」
「こっちはバイト」

 女は屋形舟からひょんと飛び降り、振り返りざまに

「こうみえても、あたしプロだから」と言った。
「なんの?」と聞いた次の瞬間には、女はもう夜の闇の中に消えていて、
「デリヘル」という声だけが、その場所に残った。


 声の残響を感じながら、しばらくの間、オレはひとり、誰もいないからっぽの箱のなかに取り残されたような気持ちになった。


 やがて「あんずちゃあん!」と声がして、
「困るよ~また撃ったでしょ! たのむよ~、ダメじゃな~い」と言いながら小太りの警察官が戻ってきた。
 きょろきょろあたりを見渡しながら、
「あれ? あ、いなーい! どこ?」と言っているので
「あ、もう行くって、さっき行きましたけど」と消えた方を指さして教えると、
「あ、そうなの? もう、まいっちゃうよなあ~」とたいしてまいってはいないような困り笑いで言った。
「ま、いっか。じゃ、いきますか」と警察官が舟を降りようとするので、
「え、奥の人は?」と聞くと、
「死んではいないよ?」と、きょとんとして言った。
「救急車は」
「呼ぶ?」
「呼ぶでしょ」
「ですよね~」へんなつくり笑顔で言った。

 あたりはもう完全に夜になっていた。


 警察官が、パトカーの無線で救急車を手配すると言って、一旦パトカーに向かい、そしてふたたび屋形船に戻ってきてから、もうずいぶん時間が経った。

 まだ救急車は来なかった。

「救急車こないねー」と警察官はひとりごとのように言ってから、
「もう、待っててもあれだし、行っちゃいますか」と鼻くそをほじりながらオレに言った。
「え?」
「大丈夫大丈夫、あたしの知る限りドラえもんはね、そう簡単には死なない。死んだとこみたことない」
「あのひとドラえもんではないですよ」
「似たようなもんでしょ?」

 いまひとつ言ってる意味がわからなかった。
 そもそも救急車を呼んでいたのかどうかさえ疑わしく思えてきた。
 あげくに船から降りると、屋形船に火をつけようとしていた。

「ちょっと、何!?」
「あー、こうするとね、救急車の人がみつけやすいから」
「舟ごと燃えるでしょ」
「燃えるわけないだろ!!」
 警察官の男は急に怒鳴って
「あ、ごめーん。大きな声だしちゃった。えへ」とかわいく言った。

 そうこうしてる間に屋形舟はそこそこ大きな炎に包まれだしていった。
 ガソリンの香りがした。

「あの人焼け死にますよ」
「人はそんな簡単に死なない。僕は信じる、人の力を。てゆうか多分もう死んでる。行こっか」と言って、警察官は草むらの中を歩き始めた。

 一体何が起こっているのかわからない! という顔をした髯男の顔が脳裏に浮かんだ。

 炎上する屋形船を背に、パトカーに向かって草むらを歩いている途中、警察官がぼそっと何かを言った。よく聞き取れなかった。なにか不吉な言葉のように思えた。 
 
 月のない夜の暗い闇は声までも吸い込んでいった。
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