3 / 8
「プリキュア、キス、鼻くそ、ガソリンの香り、暗い闇」
しおりを挟む
やがて、着替えをすませた女がひらひらの衣装を着て戻ってきた。
女が言うには、髯男から借りた服はプリキュアなんとかの変身した時の衣装なのだそうだ。正直、それを着ている女は微妙な感じだった。
「なんか微妙じゃない?」と女は聞いたが、正直に答える勇気はなく、「拳銃が合わないかな?」とだけ答えた。
その時、パトカーのサイレンが鳴り響き、「あんずちゃあん! あんずちゃあん!」とマイクで呼ぶ声がした。
女は慌て屋形船の障子を開けて、土手ぞいに並走しているパトカーに向かって「名前呼ぶな、バカ! 撃ち殺す! そんなことでマイク使うな! 税金泥棒!」と怒鳴った。
女はあんずちゃんというらしかった。
「あんずちゃんていうのか」と笑って言うと、ピシャと障子を閉めて振り返り、
「その名前嫌いなの」と笑いもせず冷たく言った後、
「ねえ、この舟の止め方知らない?」と真顔で言った。
こんなことのために船舶免許をとったわけではなかったが、正直はじめて役に立った。
河岸に舟をつけると三十すぎの小太りの警察官が乗り込んできて、女をみるなり半笑いで「何、その格好」と言った。
女は真っ赤になって
「やっぱり変なんじゃない! どうしてくれんのよ!!」と怒鳴りたてた。
それにはかまわず、警察官はオレをみて、
「あ、この人?」とにこやかに言ってから、屋形船の船内の様子をいろいろながめだしはじめた。
「なによ、もう、こっちが先でしょ!」と騒ぐ女に、
「てゆうか、あんずちゃん、そろそろ時間なんじゃないの?」と言った後、
「ってゆうか、うわ! 穴! 穴あいてるよ? 天井!」と警察官が屋形船の破れた天井を見上げて言った。
「あー、あたしらがきたときにはそうなってた」
「ほんとにい? 舟の人は?」
「んー、エンジン室で寝てる」
それを聞いた警察官がエンジン室の方へ向かった瞬間、女は突然オレの顔を両手でつかんでキスをしてきた。長いやつ。そして言った。
「いい子にしててね。あれに乗るのよ?」
河原の草むらに突っ込んで停車しているパトカーが、夜になりたての薄い闇をくるまってこちらを見ていた。
「おれ、捕まったの?」
「さあ?」
「え?」
「あたしの仕事は身柄確保だけ。したら駅前のおばあさんにでっかい蜜蜂の瓶で頭カチ割られそうになってるし、ちょっとあせった」
女が笑うところをはじめて見た。
「じゃあ、行く」
「どこに」
「仕事」
「え、おまわりさんじゃ」
「こっちはバイト」
女は屋形舟からひょんと飛び降り、振り返りざまに
「こうみえても、あたしプロだから」と言った。
「なんの?」と聞いた次の瞬間には、女はもう夜の闇の中に消えていて、
「デリヘル」という声だけが、その場所に残った。
声の残響を感じながら、しばらくの間、オレはひとり、誰もいないからっぽの箱のなかに取り残されたような気持ちになった。
やがて「あんずちゃあん!」と声がして、
「困るよ~また撃ったでしょ! たのむよ~、ダメじゃな~い」と言いながら小太りの警察官が戻ってきた。
きょろきょろあたりを見渡しながら、
「あれ? あ、いなーい! どこ?」と言っているので
「あ、もう行くって、さっき行きましたけど」と消えた方を指さして教えると、
「あ、そうなの? もう、まいっちゃうよなあ~」とたいしてまいってはいないような困り笑いで言った。
「ま、いっか。じゃ、いきますか」と警察官が舟を降りようとするので、
「え、奥の人は?」と聞くと、
「死んではいないよ?」と、きょとんとして言った。
「救急車は」
「呼ぶ?」
「呼ぶでしょ」
「ですよね~」へんなつくり笑顔で言った。
あたりはもう完全に夜になっていた。
警察官が、パトカーの無線で救急車を手配すると言って、一旦パトカーに向かい、そしてふたたび屋形船に戻ってきてから、もうずいぶん時間が経った。
まだ救急車は来なかった。
「救急車こないねー」と警察官はひとりごとのように言ってから、
「もう、待っててもあれだし、行っちゃいますか」と鼻くそをほじりながらオレに言った。
「え?」
「大丈夫大丈夫、あたしの知る限りドラえもんはね、そう簡単には死なない。死んだとこみたことない」
「あのひとドラえもんではないですよ」
「似たようなもんでしょ?」
いまひとつ言ってる意味がわからなかった。
そもそも救急車を呼んでいたのかどうかさえ疑わしく思えてきた。
あげくに船から降りると、屋形船に火をつけようとしていた。
「ちょっと、何!?」
「あー、こうするとね、救急車の人がみつけやすいから」
「舟ごと燃えるでしょ」
「燃えるわけないだろ!!」
警察官の男は急に怒鳴って
「あ、ごめーん。大きな声だしちゃった。えへ」とかわいく言った。
そうこうしてる間に屋形舟はそこそこ大きな炎に包まれだしていった。
ガソリンの香りがした。
「あの人焼け死にますよ」
「人はそんな簡単に死なない。僕は信じる、人の力を。てゆうか多分もう死んでる。行こっか」と言って、警察官は草むらの中を歩き始めた。
一体何が起こっているのかわからない! という顔をした髯男の顔が脳裏に浮かんだ。
炎上する屋形船を背に、パトカーに向かって草むらを歩いている途中、警察官がぼそっと何かを言った。よく聞き取れなかった。なにか不吉な言葉のように思えた。
月のない夜の暗い闇は声までも吸い込んでいった。
女が言うには、髯男から借りた服はプリキュアなんとかの変身した時の衣装なのだそうだ。正直、それを着ている女は微妙な感じだった。
「なんか微妙じゃない?」と女は聞いたが、正直に答える勇気はなく、「拳銃が合わないかな?」とだけ答えた。
その時、パトカーのサイレンが鳴り響き、「あんずちゃあん! あんずちゃあん!」とマイクで呼ぶ声がした。
女は慌て屋形船の障子を開けて、土手ぞいに並走しているパトカーに向かって「名前呼ぶな、バカ! 撃ち殺す! そんなことでマイク使うな! 税金泥棒!」と怒鳴った。
女はあんずちゃんというらしかった。
「あんずちゃんていうのか」と笑って言うと、ピシャと障子を閉めて振り返り、
「その名前嫌いなの」と笑いもせず冷たく言った後、
「ねえ、この舟の止め方知らない?」と真顔で言った。
こんなことのために船舶免許をとったわけではなかったが、正直はじめて役に立った。
河岸に舟をつけると三十すぎの小太りの警察官が乗り込んできて、女をみるなり半笑いで「何、その格好」と言った。
女は真っ赤になって
「やっぱり変なんじゃない! どうしてくれんのよ!!」と怒鳴りたてた。
それにはかまわず、警察官はオレをみて、
「あ、この人?」とにこやかに言ってから、屋形船の船内の様子をいろいろながめだしはじめた。
「なによ、もう、こっちが先でしょ!」と騒ぐ女に、
「てゆうか、あんずちゃん、そろそろ時間なんじゃないの?」と言った後、
「ってゆうか、うわ! 穴! 穴あいてるよ? 天井!」と警察官が屋形船の破れた天井を見上げて言った。
「あー、あたしらがきたときにはそうなってた」
「ほんとにい? 舟の人は?」
「んー、エンジン室で寝てる」
それを聞いた警察官がエンジン室の方へ向かった瞬間、女は突然オレの顔を両手でつかんでキスをしてきた。長いやつ。そして言った。
「いい子にしててね。あれに乗るのよ?」
河原の草むらに突っ込んで停車しているパトカーが、夜になりたての薄い闇をくるまってこちらを見ていた。
「おれ、捕まったの?」
「さあ?」
「え?」
「あたしの仕事は身柄確保だけ。したら駅前のおばあさんにでっかい蜜蜂の瓶で頭カチ割られそうになってるし、ちょっとあせった」
女が笑うところをはじめて見た。
「じゃあ、行く」
「どこに」
「仕事」
「え、おまわりさんじゃ」
「こっちはバイト」
女は屋形舟からひょんと飛び降り、振り返りざまに
「こうみえても、あたしプロだから」と言った。
「なんの?」と聞いた次の瞬間には、女はもう夜の闇の中に消えていて、
「デリヘル」という声だけが、その場所に残った。
声の残響を感じながら、しばらくの間、オレはひとり、誰もいないからっぽの箱のなかに取り残されたような気持ちになった。
やがて「あんずちゃあん!」と声がして、
「困るよ~また撃ったでしょ! たのむよ~、ダメじゃな~い」と言いながら小太りの警察官が戻ってきた。
きょろきょろあたりを見渡しながら、
「あれ? あ、いなーい! どこ?」と言っているので
「あ、もう行くって、さっき行きましたけど」と消えた方を指さして教えると、
「あ、そうなの? もう、まいっちゃうよなあ~」とたいしてまいってはいないような困り笑いで言った。
「ま、いっか。じゃ、いきますか」と警察官が舟を降りようとするので、
「え、奥の人は?」と聞くと、
「死んではいないよ?」と、きょとんとして言った。
「救急車は」
「呼ぶ?」
「呼ぶでしょ」
「ですよね~」へんなつくり笑顔で言った。
あたりはもう完全に夜になっていた。
警察官が、パトカーの無線で救急車を手配すると言って、一旦パトカーに向かい、そしてふたたび屋形船に戻ってきてから、もうずいぶん時間が経った。
まだ救急車は来なかった。
「救急車こないねー」と警察官はひとりごとのように言ってから、
「もう、待っててもあれだし、行っちゃいますか」と鼻くそをほじりながらオレに言った。
「え?」
「大丈夫大丈夫、あたしの知る限りドラえもんはね、そう簡単には死なない。死んだとこみたことない」
「あのひとドラえもんではないですよ」
「似たようなもんでしょ?」
いまひとつ言ってる意味がわからなかった。
そもそも救急車を呼んでいたのかどうかさえ疑わしく思えてきた。
あげくに船から降りると、屋形船に火をつけようとしていた。
「ちょっと、何!?」
「あー、こうするとね、救急車の人がみつけやすいから」
「舟ごと燃えるでしょ」
「燃えるわけないだろ!!」
警察官の男は急に怒鳴って
「あ、ごめーん。大きな声だしちゃった。えへ」とかわいく言った。
そうこうしてる間に屋形舟はそこそこ大きな炎に包まれだしていった。
ガソリンの香りがした。
「あの人焼け死にますよ」
「人はそんな簡単に死なない。僕は信じる、人の力を。てゆうか多分もう死んでる。行こっか」と言って、警察官は草むらの中を歩き始めた。
一体何が起こっているのかわからない! という顔をした髯男の顔が脳裏に浮かんだ。
炎上する屋形船を背に、パトカーに向かって草むらを歩いている途中、警察官がぼそっと何かを言った。よく聞き取れなかった。なにか不吉な言葉のように思えた。
月のない夜の暗い闇は声までも吸い込んでいった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
還暦の性 若い彼との恋愛模様
MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。
そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。
その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。
全7話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる