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群青の時~ロックな人々すべてに捧ぐ!!
#6 メジャーデビューへの道程
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夏期のライブツアーを無事に終えたダラスは、バンドとして初めての自主レーベルによるシングルCDをリリースした。収録曲は、『クリスタル』と『今夜、月のもとへ』の二曲____これらに加えて、年末までにはなんとか十曲入り程度のきちんとしたアルバムを発表したいとマネージャーのプクちゃん以下、ダラスのメンバー全員がさかんに意欲を燃やしていた。
だが、いかんせんダラス所属の弱小事務所にはそれを後援し、しかるべきセールスにつなげていくだけの資金力と影響力がなかった。当初はネット配信も検討されたものの、いたずらに曲をアップしたところで、ネット上の膨大な情報の海に水没してしまうだけだという反対意見が続出し、あわせて何か別の方法も考えてみることになった。
そこに数日前、地獄耳のプクちゃんから貴重な情報がもたらされた。
なんでも彼によると、さる大手レコード会社主催のバンドコンテストが近く開催される予定だそうで、もしもその事前オーディションを通過すれば、武道館における本選出場が約束されるばかりでなく、のちのちその巨大レーベルからメジャーデビューを飾る幸運の切符が手にできるらしい。さらに事情通のプクちゃん、曰く……次なるトレンドを担うバンドを鵜の目、鷹の目で探している音楽業界では、この手の得体の知れないオーディションの数々が、必ずと言っていいほどいつもどこかで開かれているとのことだった。
というわけで、ダラスのメンバーは今日、ダメもとでその大手レコード会社が主催するオーディションに参加することになっていた。
各人が靖国通りぞいにあるファストフード店に集合したのは、昼食どきをすぎた午後二時ちょうど____オーディション会場は、そこからほど近い市ヶ谷のお濠端にあった。
プクちゃんはもちろんのこと、秀丸と翼、それにジャンボとマイク河合は待ち合わせ時間までにちゃんと顔を揃えていた。にもかかわらず、約束の刻限がすぎても、高梨遊行だけがいっこうに姿を見せなかった。ふだんは時間厳守をメンバーたちに小うるさく言う彼自身が、どうしたことか今日に限って大幅に遅刻しているのだ。
こんな大切な機会に、かりにもバンドリーダーたる者が集合時間に遅れてくることなど、あってはならない失態である。ひょっとしたら高梨は、このオーディション自体に内心では抵抗を感じているのかも知れない。いや、と言うよりも、ある種の恐れを抱いて、完全にビビってしまっているのだろう……。
「サクっと歌って、さっさと帰っていいんでしょう!?」
秀丸はLサイズのフライドポテトをぱくついている敏腕マネージャーを不思議そうに観察しつつ、厳しい調子でそう訊ねた。
片山翼はジャンボが吐いたタバコの煙を手で追ってから、
「曲全体のピッチとかギターソロは、収録したCDの感じとほとんど同じでいいのよね?」
と同年代のプクちゃんに対して、女性らしい柔和な口調で細かい質問をつけ加えた。
「ええ、ライブバージョンじゃなしに、少しよそ行きのやつでお願いします」
とプクちゃんはポテトの次に二段重ねのハンバーガーに大口でかぶりついて、
「遊行さんが見えたら、念のために最終確認をしますが……それにしても遊行さん、ちょっと遅いな」
その時、ジュラルミン製のギターケースを持った高梨がひどく遠慮ぎみに姿を現した。
「ケーキの配送車がさ、ものすごい渋滞にハマっちゃって……ほんどさ、泣げぇる」
地方出身者の彼はバンドの収入だけでは生活が成り立たないので、その他にも洋菓子メーカーのケーキ配送の仕事をしている。朝美の支えがある秀丸は例外として、翼とジャンボも雑誌配達のアルバイトをしているし、マイク河合も片手間にスタジオミュージシャンをやりながら、多少の収入を得ていた。
メンバー全員が揃ったところで、ざっと最後の打ち合わせをすませると、
「では、もろもろよろしければ……一発、どかんとかましに参りましょう!」
と肥満体のプクちゃんは食べかけのハンバーガーを残して、勇んで立ちあがった。
マネージャーのプクちゃんに引率されて、ダラスのメンバーたちは総ガラス張りのどす黒い建物のなかに足を踏み入れた。さらに人影のないエントランスを通って、エレベーターで地下まで降りて行くと、そこに食堂兼用の殺風景な小ホールがあった。この場所で、オーディションが行われている模様だ。
実際、パイプ椅子に座った数名の主催者を前にして、すでに一組のバンドが演奏をしていた。彼らは緊張のあまり、最初のフレーズを何度もやり直している。
自分たちの出番まで、ダラスのメンバーは狭い録音スタジオを楽屋がわりにあてがわれたが、これと言って事前準備のない秀丸だけは、オーディション会場の壁にもたれて、もっか演奏中の他バンドの様子をぼんやりと眺めていた。
そのバンドはアヒル顔の女性ボーカルを主軸にして、あとは地味なベーシストとPAみたいなキーボード奏者がいるだけの、今どきめずらしいスリーピースのユニットだった。そのため、ほとんどのメロディーがカラオケ同然の打ち込み主体だから、果してこれがロックバンドと言えるのかどうかと黙って聴いていた秀丸は、独り首を傾げた。
「いまさら、あんなバンドもどき、絶対に受けないでしょう。瞬くまに消えちゃうんじゃないの?」
と僕は同意かたがた、秀丸にこっそり感想を求めた。
「いや、あいつらけっこうイケてるよ。あの女の子、見た目はあまりぱっとしないけど、歌はバカウマで、何よりも歌唱力が優れてる」
「でも、それだけじゃ絶対に売れないでしょう?」
と僕はさらに食い下がった。
「売れる、売れないの問題じゃないよ。大切なのは、どれだけ自分たちの世界に聴く人を引っぱり込めるかってこと……」
「このご時世に、ピンの女の子中心の歌バンドなんて、絶対にバンドとは呼べない!」
オーソドックスなロックバンドが好きな僕は、一見して彼女らの音楽形態をガールポップの亜流だと決めつけた。
「いや、それはちょっと違うな。奴らは単なるガールポップの猿真似なんかじゃない」
秀丸は僕の印象批判をあっさりと否定し、いつになく多弁になって過去の記憶を滔々と語りはじめた。
「俺は以前、誰もが知ってる某楽器メーカーが常設しているショボいステージで、偶然、ある学生バンドの演奏を聴いたことがあるんだよ。その素人バンドのボーカルってのがさ、どうしてなのか開演時間になっても、なかなか姿を見せないんだ。しばらくして、まばらだった観客があらかた帰りかけたころ、その男が遅ればせながら悠然とやってきたんだな。しかも、真っ昼間からへべれけの泥酔状態でね。ところが、そいつは特に遅れたことを詫びるでもなく、なんの前置きもなしにギターを弾きながら歌い出したんだよ。巻き舌の、喉にこもるような、かなり個性的な歌声だったな。ずぶずぶに酔っ払っているはずなのに、寸分の狂いもない音程と歌唱力____曲も独創的で申し分なかった。それを聴いていて、俺はものすごく感動したさ。その瞬間にふとこう思ったんだよ、俺もひたすら人の心に杭打つような、そんな迫力のある歌い手になりたいってね。それがいちばん大事なこと……だから、バンドの形態なんてこの際、どうだっていいんだ」
秀丸がひと息に昔ばなしを語り終えたとき、それぞれの楽器を手にした他のメンバーたちがオーディション会場に集まってきた。
前のバンドと入れ違いに、ダラスの面々はステージとは呼べないような簡素なステージに立った。秀丸は終始、不機嫌そうに黒いジーンズとTシャツの普段着のまま舞台にのぼり、自分なりの高さにマイクスタンドを調節した。
秀丸はとにかく、この手のオーディションが大嫌いだった。だいたい、本来的に音楽には順位や優劣などないはずだし、彼は売れる売れないだけで短絡的に自分たちの楽曲を消費されることに反発を超えて、むしろ嫌悪感すら覚えていた。たとえ、その時代に評価されなくとも、あとあと再評価されて長く人々から愛されつづける、そんな隠れた名曲はごまんとある。
そのため秀丸は、オーディション用にエントリーした『クリスタル』を歌い出しても、すんなりとその曲の世界に没入することができず、胸のうちでは自分の稚拙な理想主義と、冷厳な現実とのギャップに苦しんでいた。
(♪
独りの夜に あなたの声を
想いながら
気持ちのなかは 注意信号
涙の渦
白い宝石の絆
渡せなかった
この指輪oh,oh!
あなた以外は 愛せないと
笑わないで
冗談だねと思う瞳
切ないから
心奪われた結果
果てしない僕の想い
もうどうにも隠せないよ
水晶の輝き
あなたの眩しさ
水晶の輝き
あなたを恋して oh,oh!
頭のなかは 警戒状態
涙の粒
この胸のうちの想いは
あなたに捧げる
最後の誓いさ
水晶の輝き
あなたの眩しさ
水晶の輝き
あなたを恋して
水晶の輝き
あなたの眩しさ
水晶の輝き
あなたに尽くして……
oh,oh,oh,oh,oh!
秀丸はつとめて平静に、彼特有の滑らかでパンチのある歌声を維持しつづけた。それでいて、まったくもって心がこもらず、この曲を歌っていること自体が苦痛になった。
それでも、秀丸は自分の感情をコントロールしつつ、大サビのところまでなんとか一定のテンションを保った。翼のギターが、鮮やかな「ワウ」の響きで、秀丸の弱気を側面から鼓舞する。
(♪
クリスタル forever
クリスタル forever
クリスタル forever
クリスタル forever
クリスタル never
I'm falling in love,aging.
秀丸はなんとも言えない不快な気分で、とにかく『クリスタル』を歌い終えた。
彼が不愉快な気分のまま、審査員たちに挨拶もしないでステージを降りかけたとき、簡易テーブルの後ろに居並んでいた関係者の一人が急に立ちあがって、さっさと帰ろうとする秀丸のことを呼びとめた。
その男は一見、青年にも中年にも思えるような第一印象で、おまけに浅黒く日焼けした顔には飴色ぶちの眼鏡をかけ、いかにも業界の音楽ゴロといった嫌味な雰囲気をあたりに発散していた。
「ちょっと待ってくれないかな……僕はプロデューサーの水谷だけど、まだ君に訊きたいことが、いくつかあるんだ」
そう名乗ったプロデューサーのMは、思いのほか若々しい高音域の美声を放った。
「用があるなら、そっちのマネージャーさんにどうぞ」
秀丸はなおさら不機嫌になって、脇でバンドの様子を見守っていたプクちゃんのほうへ無愛想に顎をしゃくった。いっそのこと、毒々しい言葉のひとつでも吐きかけてやろうかと思ったが、秀丸は無言で怒りをこらえている高梨の顔を横目でちらりと窺うと、危うく自制して口をつぐんだ。
すぐにプロデューサーMのもとにマネージャーのプクちゃんが呼びつけられ、しばらく彼らは二人してこそこそと密談を交わしたあと、ダラスのメンバーには、外のロビーで知らせがあるまで待機しているよう指示があった。
ひっそりとした地下のロビーに一同そろって移動すると、そこにはさっきまで一緒にオーディションを受けていた三人組が、会話もなく悄然と座っていた。その暗いムードに引きずられて、ダラスのメンバーもロビーの一隅に黙然と腰をかける。
その場に居あわせた秀丸以外の全員が、何かしら異変を察知してあきらかに緊張していた。これからバンドの将来を決める重大な発表があるかも知れないのだから、それはそれで無理からぬことにちがいない。
「ねえ、アヒル顔の彼女____あんた、最高に歌が上手いね。その小さい体から、なぜあんなパンチのある声が出るの?」
そう言って自分では相手を褒めたつもりの秀丸が、恥ずかしそうに伏せ目がちになる。
事実、ロビーのソファーにぽつんと座っている小柄な女性は、ちょっと見にも細ぼそとした体つきで胸板も薄く、ちょうど貧相なカナリアの雛みたいだった。それなのに、ひとたび彼女が歌いはじめると、どこにそれだけのパワーを秘めているのかと思えるほど、人並み外れた豊かな声量があった。
「そ、そうですか?……どうも、ありがとうございます。私はプリグリのリコと申します」
彼女たちのバンド名は、『プリンセス・アンド・グリフィン』、略して「プリグリ」と言うらしい。
「俺はダラスの秀丸、今後ともよろしくね」
「ダラスの秀丸さんですか?……こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
とプリグリのリコは、あくまで丁寧な口調で応じる。
「ところで、先ほどは私たちの演奏を見ながら、しきりにお独りで何かぶつぶつおっしゃってたみたいですけど、私たちの演奏はいかがでした?」
初対面にもかかわらず、一貫して図々しい態度の秀丸に反応したのか、彼女も表面的にはひたすら丁重でありながらも、ひどくストレートな質問を浴びせてきた。
「え、ほんとに俺が?……独りでなんかぶつぶつ言ってた? 別になんでもないけど、たしかに薄気味悪いよね」
時代の流れと添い寝しようとする者たち____殊に音楽業界の、その狭苦しい村社会の住人は、こうした縁で仲良くなり、時にはライブを共同でセッティングしたりすることもある。
本質的には人見知りのくせに、女性に対しては妙に積極的な秀丸が、まんまとリコの連絡先をゲットしたところで、神妙な顔つきのプクちゃんと数名のスタッフを従えたプロデューサーのMが、粛々とした足どりでロビーにやってきた。
プロデューサーMはいちオクターブ高い女性的な声で、
「わざわざ、ここに残っていただいたのは、他でもありません。厳正なる協議の結果、このたびの一次審査を通過したバンドは、みなさまがた二組です。つきましては、さっそくデビューアルバム作成の下相談をすると共に、各人にはおよそ二週間後に行われる武道館の舞台に立ってもらいます。ちなみに、その本選での優勝はプリグリのお三方、準優勝はダラスのみなさんということに、前もって決定しております。では、さらに詳しいことは後ほど……」
秀丸は彼の話が終わらないうちに、足早にその場から立ち去ってしまった。
気まずそうなプクちゃんと、怒り顔の高梨がMプロデューサーのかたわらでおろおろするなか、片山翼とジャンボはしぶしぶ秀丸のあとを追った。ただ、マイク河合だけは、プリグリの事前優勝を祝福するふりをして、しつこくリコの電話番号を訊き出そうとしていた。
すっかり機嫌を損ねていた秀丸は、陽が落ちる前から憂さ晴らしのために酒を飲みに行こうと思った。
許しがたい音楽の品定めはもとより、ただの出来レースにすぎないコンテストの舞台裏が不愉快なら、それにも増してあの水谷とかいうプロデューサーの存在が、なんとも生理的にいけ好かなかった。同じ空気を吸っているだけで、自然と寒気を催すほどに……それで秀丸は翼とジャンボを誘って即刻、市ヶ谷の地を離れると、新宿のガード下でおでんをつまみにして、つづけざまに冷や酒をあおった。
それでも秀丸の鬱々とした気持ちはいっこうに晴れず、彼は期待したアルコールの効果に裏切られるかっこうで、すごすごと家路についた。
大理石が敷きつめられた玄関を通ってリビングまで行くと、そこにはめずらしくヤヤが一人ぽつねんと飼い猫のミーと遊んでいた。
「ヤヤがリビングにいるなんて、ちょっと異例じゃない?」
と秀丸はオープンキッチンのシンクで、水道水を蛇口からじかに飲んだ。
「そうか……私がここにいるの、そんなに不思議か?」
「って言うよりも、猫と遊んでるの、ほんとにめずらしい。ふだんは、てんでほっぽらかしにしているくせして」
「そうかもね。でもこの子、なんだか具合が悪いみたいなのよ、餌もあんまり食べないし……」
それまで笑顔だったヤヤが、とたんに表情を曇らせる。
赤坂の高級クラブに勤めているだけあって、この娘も飛び抜けた美貌の持ち主だが、それでも成熟した朝美の美しさには遠く及ばなかったし、それに彼女は男に性的関心のないレズビアンなのだ。
「秀丸、朝美はミーのことで何か言ってなかったか?」
「そうさね、たしかに朝美も猫のことは心配してたよな。動物病院に連れて行っても、まったく原因がわからなかったらしい」
「そうなのか、この子、ほんとに大丈夫か?」
「心配なら、他の病院でも診てもらったら」
と秀丸はもう一度、蛇口からがぶがぶと水を飲んでから、
「ところで、朝美はもう出勤したの?」
「うん、彼女なら人間の病院に寄ってからお店に行くって、かなり早くに出かけたよ」
「人間の病院……朝美、どっか調子悪いの?」
「秀丸……おまえ、何も知らないのか? 朝美は婦人科系の病気に罹ったらしいと、私にこぼしてたぞ」
そう言ってヤヤは、裏返っているミーの薄桃色のお腹を優しく撫でさすった。
「朝美もそいつも、厄介なことにならなきゃいいけどな」
「秀丸、あんた、お腹すいてないのか? 朝美のかわりに、あたしがなんか作ってやるよ。本場の台湾料理……」
「いや、いまのところノーサンキュだね。バンドの奴らとさんざん飲み食いしてきたから……けど、これから二人で軽くビールでも飲まないか?」
「サウンズ、グレート! 秀丸とさしで飲むの、久しぶりだな」
ヤヤの日本語は普通に話しているぶんには特に気にならないが、時としてあやしくなる点、たしかに違和感めいたものがある。
秀丸は冷蔵庫からビールをパックごと引き出すと、キッチンから走ってリビングのふかふかしたソファーに勢いよくダイフした。
「それはそうと秀丸、おまえはいつ髪、切った?」
ヤヤは顎を引いた下目遣いになって、そう訊ねてきた。
「いや全然、切ってない。いつもこんな感じの短髪だよ。ヤヤの気のせいだろ、何しろ俺が目指しているのは、デビット・ボウイ風のさっぱりしたルックスだからね」
「何それ、わけ分かんない!」
「早い話、バン・ヘーレンじゃないってことさ」
「もっと、わけ分かんないよ」
微かに含羞をおびたヤヤの、その奥ゆかしい東洋的なしぐさが、とても愛らしかった。これまで生活を共にするうえで、そんなふうに彼女を意識したことはなかったが、秀丸は勃然としてヤヤに女それ自身を感じた。
秀丸は衝動的に彼女の黒髪が乱れかかった肩を抱きよせると、そのふくよかな頬にそっと口づけをした。それに対してヤヤは別段、驚きもしなかったし、なんの抵抗も示さなかった。ただ身じろぎもせず、じっと何かに耐えている。
「こんなところでヤヤにおかしなことするの、よさないか!?」
と僕は秀丸の耳もとで、懸命にたしなめた。
しかし、そんな僕の助言を無視して、秀丸は彼女の体をソファーのうえに押し倒すなり、そのだぼだぼのワンピースを性急に脱がせて、素早くブラのホックをはずした。そして、彼女のすでに突起している乳首を、乳輪ごと荒々しく口に含んだ。
「秀丸、やめろよ。やめろってば____万一、朝美にバレたら、それこそ大変なことになるぞ」
酔っ払って自制心を失っている秀丸は、自らもズボンごと下着をおろすと、もう固く勃起している男性器をリビングの黄色い照明のもとにさらした。
本来、レズビアンのヤヤが、その凝り固まった男の欲情を眼にして、いったいどんな反応を示すのか、レズの彼女にとって、女としての潜在的なペニス羨望はあるのか、それとも逆に恐怖心しか持たないのか?……秀丸は、かなり悪趣味な好奇心に駆り立てられていた。
するとその瞬間、彼の足もとからフェイクファーのようなものが、一直線にリビングの入り口のほうまで走って行った。秀丸がとっさにそれを目で追うと、その目線の先に鷲尾朝美が一人、呆然と立ちつくしていた。
「二人とも、そこでいったい何してるの?」
彼女の、生まれつき大きな丸い瞳が、それ以上ないくらい満々と見開かれている。
室内をまるで永遠のような静けさが支配した。
ほどなくして、ヤヤが脱がされた下着を身につければ、秀丸も秀丸でそそくさと脱ぎちらかした服を着てその場で居ずまいを正すと、あとは弁解のしようもなく、ただ憮然とした顔で座っていた。
だから、言わんこっちゃない……僕は心のなかで深く後悔して、
「てっきり朝美は、もうお店に出勤したんだと思ってた!?」
とつい言わずもがなのことを口走った。
「私が出勤したかどうか、そんなことは別にどっちだっていいでしょう。私なら気分が悪くて、ずっと自分の部屋で寝てたわよ」
彼女はよりいっそう表情を険しくして、
「それより、きちんと説明してくれないかな……いまここで、二人はいったい何をしてたの?」
美しい女が怒ると、その顔は一転して冷酷なものに変わる。秀丸は終始、ただ押し黙っているしか術がなかった。
「ヤヤ、あなたは自分の部屋に戻ってなさい」
と朝美は彼女に強く命令した。と、ヤヤは能面同然に顔の筋肉を強ばらせたまま、急いで衣服を身につけ、命ぜられた通りにリビングを出ていった。
独りにされて逃げ場を失った秀丸は、
「朝美、どうせおまえは俺の言いぶんなんかより、自分の目で見たことを信じるんだろう? それはおまえ自身が思ってるほど俺のことを愛してない、何よりの証拠だよ」
としどろもどろになって、苦し言いわけをした。
「なに逆ギレみたいなこと言って、私を甘く見ないでくれる。私の質問は、子供でも簡単に答えられるでしょ? たとえ、それがなんでも私は絶対に怒らないから、どうか正直に話して……いま二人して、ここで何してたの?」
「あのさ、ヤヤと二人でビールを飲んでたら、ふとレズビアンの女っていったい全体、本質的なところはどんなものなのかと、ふと興味がわいたもんでね」
女性に対して決してしてはならないことだが、進退きわまった秀丸は、思わず直接的に状況証拠を認めてしまった。
「何がレズの女よ。あなたは翼ちゃんのファンだっていう、あのゆかりって尻軽女とも寝たんだってね。隠したってダメよ。もう仲間うちじゃ、もっぱらの噂になってるんだから……」
「いや、俺は自称ただのOLの、しかもあんまり男に関心のない女がどんなものか、すごく興味があって……」
「興味本位でレズの女と寝る男なんて、ほんと最低。そもそも、それってたちの悪い差別じゃない?____いいわ、そうやっていつまでも自己弁護して、身勝手なことをやりつづけてなさい。浅はかな私は、それでもあなたと一緒にいられて幸せよ。やっぱり秀丸って性悪、邪悪な秀悪なのね」
そう言い捨ててから、鷲尾朝美はさっさと自室に戻って行った。
さすがに甘え上手な秀丸も、浮気現場をじかに押さえられた以上は打つ手がなく、いまはどうにか急場をしのいだので、あとは追いおいタイミングを見計らって、彼女に詫びを入れ、心から許しを乞うしかないと考えていた。
寒ざむとしたリビングにとり残された彼は、自分自身に対してというよりも、むしろ最近、ことあるごとに女房づらをするようになった朝美に対して無性に腹が立った。
誰もいないキッチンの片隅では、ヤヤの飼い猫のミーが食べたばかりの餌と一緒に、異様な毛玉をげろりと吐いていた。その有り様を遠くから目にした秀丸は、猫の体調が心配になる一方で、何か見てはならないものを見てしまったような、不安定な感覚に襲われた。
だが、いかんせんダラス所属の弱小事務所にはそれを後援し、しかるべきセールスにつなげていくだけの資金力と影響力がなかった。当初はネット配信も検討されたものの、いたずらに曲をアップしたところで、ネット上の膨大な情報の海に水没してしまうだけだという反対意見が続出し、あわせて何か別の方法も考えてみることになった。
そこに数日前、地獄耳のプクちゃんから貴重な情報がもたらされた。
なんでも彼によると、さる大手レコード会社主催のバンドコンテストが近く開催される予定だそうで、もしもその事前オーディションを通過すれば、武道館における本選出場が約束されるばかりでなく、のちのちその巨大レーベルからメジャーデビューを飾る幸運の切符が手にできるらしい。さらに事情通のプクちゃん、曰く……次なるトレンドを担うバンドを鵜の目、鷹の目で探している音楽業界では、この手の得体の知れないオーディションの数々が、必ずと言っていいほどいつもどこかで開かれているとのことだった。
というわけで、ダラスのメンバーは今日、ダメもとでその大手レコード会社が主催するオーディションに参加することになっていた。
各人が靖国通りぞいにあるファストフード店に集合したのは、昼食どきをすぎた午後二時ちょうど____オーディション会場は、そこからほど近い市ヶ谷のお濠端にあった。
プクちゃんはもちろんのこと、秀丸と翼、それにジャンボとマイク河合は待ち合わせ時間までにちゃんと顔を揃えていた。にもかかわらず、約束の刻限がすぎても、高梨遊行だけがいっこうに姿を見せなかった。ふだんは時間厳守をメンバーたちに小うるさく言う彼自身が、どうしたことか今日に限って大幅に遅刻しているのだ。
こんな大切な機会に、かりにもバンドリーダーたる者が集合時間に遅れてくることなど、あってはならない失態である。ひょっとしたら高梨は、このオーディション自体に内心では抵抗を感じているのかも知れない。いや、と言うよりも、ある種の恐れを抱いて、完全にビビってしまっているのだろう……。
「サクっと歌って、さっさと帰っていいんでしょう!?」
秀丸はLサイズのフライドポテトをぱくついている敏腕マネージャーを不思議そうに観察しつつ、厳しい調子でそう訊ねた。
片山翼はジャンボが吐いたタバコの煙を手で追ってから、
「曲全体のピッチとかギターソロは、収録したCDの感じとほとんど同じでいいのよね?」
と同年代のプクちゃんに対して、女性らしい柔和な口調で細かい質問をつけ加えた。
「ええ、ライブバージョンじゃなしに、少しよそ行きのやつでお願いします」
とプクちゃんはポテトの次に二段重ねのハンバーガーに大口でかぶりついて、
「遊行さんが見えたら、念のために最終確認をしますが……それにしても遊行さん、ちょっと遅いな」
その時、ジュラルミン製のギターケースを持った高梨がひどく遠慮ぎみに姿を現した。
「ケーキの配送車がさ、ものすごい渋滞にハマっちゃって……ほんどさ、泣げぇる」
地方出身者の彼はバンドの収入だけでは生活が成り立たないので、その他にも洋菓子メーカーのケーキ配送の仕事をしている。朝美の支えがある秀丸は例外として、翼とジャンボも雑誌配達のアルバイトをしているし、マイク河合も片手間にスタジオミュージシャンをやりながら、多少の収入を得ていた。
メンバー全員が揃ったところで、ざっと最後の打ち合わせをすませると、
「では、もろもろよろしければ……一発、どかんとかましに参りましょう!」
と肥満体のプクちゃんは食べかけのハンバーガーを残して、勇んで立ちあがった。
マネージャーのプクちゃんに引率されて、ダラスのメンバーたちは総ガラス張りのどす黒い建物のなかに足を踏み入れた。さらに人影のないエントランスを通って、エレベーターで地下まで降りて行くと、そこに食堂兼用の殺風景な小ホールがあった。この場所で、オーディションが行われている模様だ。
実際、パイプ椅子に座った数名の主催者を前にして、すでに一組のバンドが演奏をしていた。彼らは緊張のあまり、最初のフレーズを何度もやり直している。
自分たちの出番まで、ダラスのメンバーは狭い録音スタジオを楽屋がわりにあてがわれたが、これと言って事前準備のない秀丸だけは、オーディション会場の壁にもたれて、もっか演奏中の他バンドの様子をぼんやりと眺めていた。
そのバンドはアヒル顔の女性ボーカルを主軸にして、あとは地味なベーシストとPAみたいなキーボード奏者がいるだけの、今どきめずらしいスリーピースのユニットだった。そのため、ほとんどのメロディーがカラオケ同然の打ち込み主体だから、果してこれがロックバンドと言えるのかどうかと黙って聴いていた秀丸は、独り首を傾げた。
「いまさら、あんなバンドもどき、絶対に受けないでしょう。瞬くまに消えちゃうんじゃないの?」
と僕は同意かたがた、秀丸にこっそり感想を求めた。
「いや、あいつらけっこうイケてるよ。あの女の子、見た目はあまりぱっとしないけど、歌はバカウマで、何よりも歌唱力が優れてる」
「でも、それだけじゃ絶対に売れないでしょう?」
と僕はさらに食い下がった。
「売れる、売れないの問題じゃないよ。大切なのは、どれだけ自分たちの世界に聴く人を引っぱり込めるかってこと……」
「このご時世に、ピンの女の子中心の歌バンドなんて、絶対にバンドとは呼べない!」
オーソドックスなロックバンドが好きな僕は、一見して彼女らの音楽形態をガールポップの亜流だと決めつけた。
「いや、それはちょっと違うな。奴らは単なるガールポップの猿真似なんかじゃない」
秀丸は僕の印象批判をあっさりと否定し、いつになく多弁になって過去の記憶を滔々と語りはじめた。
「俺は以前、誰もが知ってる某楽器メーカーが常設しているショボいステージで、偶然、ある学生バンドの演奏を聴いたことがあるんだよ。その素人バンドのボーカルってのがさ、どうしてなのか開演時間になっても、なかなか姿を見せないんだ。しばらくして、まばらだった観客があらかた帰りかけたころ、その男が遅ればせながら悠然とやってきたんだな。しかも、真っ昼間からへべれけの泥酔状態でね。ところが、そいつは特に遅れたことを詫びるでもなく、なんの前置きもなしにギターを弾きながら歌い出したんだよ。巻き舌の、喉にこもるような、かなり個性的な歌声だったな。ずぶずぶに酔っ払っているはずなのに、寸分の狂いもない音程と歌唱力____曲も独創的で申し分なかった。それを聴いていて、俺はものすごく感動したさ。その瞬間にふとこう思ったんだよ、俺もひたすら人の心に杭打つような、そんな迫力のある歌い手になりたいってね。それがいちばん大事なこと……だから、バンドの形態なんてこの際、どうだっていいんだ」
秀丸がひと息に昔ばなしを語り終えたとき、それぞれの楽器を手にした他のメンバーたちがオーディション会場に集まってきた。
前のバンドと入れ違いに、ダラスの面々はステージとは呼べないような簡素なステージに立った。秀丸は終始、不機嫌そうに黒いジーンズとTシャツの普段着のまま舞台にのぼり、自分なりの高さにマイクスタンドを調節した。
秀丸はとにかく、この手のオーディションが大嫌いだった。だいたい、本来的に音楽には順位や優劣などないはずだし、彼は売れる売れないだけで短絡的に自分たちの楽曲を消費されることに反発を超えて、むしろ嫌悪感すら覚えていた。たとえ、その時代に評価されなくとも、あとあと再評価されて長く人々から愛されつづける、そんな隠れた名曲はごまんとある。
そのため秀丸は、オーディション用にエントリーした『クリスタル』を歌い出しても、すんなりとその曲の世界に没入することができず、胸のうちでは自分の稚拙な理想主義と、冷厳な現実とのギャップに苦しんでいた。
(♪
独りの夜に あなたの声を
想いながら
気持ちのなかは 注意信号
涙の渦
白い宝石の絆
渡せなかった
この指輪oh,oh!
あなた以外は 愛せないと
笑わないで
冗談だねと思う瞳
切ないから
心奪われた結果
果てしない僕の想い
もうどうにも隠せないよ
水晶の輝き
あなたの眩しさ
水晶の輝き
あなたを恋して oh,oh!
頭のなかは 警戒状態
涙の粒
この胸のうちの想いは
あなたに捧げる
最後の誓いさ
水晶の輝き
あなたの眩しさ
水晶の輝き
あなたを恋して
水晶の輝き
あなたの眩しさ
水晶の輝き
あなたに尽くして……
oh,oh,oh,oh,oh!
秀丸はつとめて平静に、彼特有の滑らかでパンチのある歌声を維持しつづけた。それでいて、まったくもって心がこもらず、この曲を歌っていること自体が苦痛になった。
それでも、秀丸は自分の感情をコントロールしつつ、大サビのところまでなんとか一定のテンションを保った。翼のギターが、鮮やかな「ワウ」の響きで、秀丸の弱気を側面から鼓舞する。
(♪
クリスタル forever
クリスタル forever
クリスタル forever
クリスタル forever
クリスタル never
I'm falling in love,aging.
秀丸はなんとも言えない不快な気分で、とにかく『クリスタル』を歌い終えた。
彼が不愉快な気分のまま、審査員たちに挨拶もしないでステージを降りかけたとき、簡易テーブルの後ろに居並んでいた関係者の一人が急に立ちあがって、さっさと帰ろうとする秀丸のことを呼びとめた。
その男は一見、青年にも中年にも思えるような第一印象で、おまけに浅黒く日焼けした顔には飴色ぶちの眼鏡をかけ、いかにも業界の音楽ゴロといった嫌味な雰囲気をあたりに発散していた。
「ちょっと待ってくれないかな……僕はプロデューサーの水谷だけど、まだ君に訊きたいことが、いくつかあるんだ」
そう名乗ったプロデューサーのMは、思いのほか若々しい高音域の美声を放った。
「用があるなら、そっちのマネージャーさんにどうぞ」
秀丸はなおさら不機嫌になって、脇でバンドの様子を見守っていたプクちゃんのほうへ無愛想に顎をしゃくった。いっそのこと、毒々しい言葉のひとつでも吐きかけてやろうかと思ったが、秀丸は無言で怒りをこらえている高梨の顔を横目でちらりと窺うと、危うく自制して口をつぐんだ。
すぐにプロデューサーMのもとにマネージャーのプクちゃんが呼びつけられ、しばらく彼らは二人してこそこそと密談を交わしたあと、ダラスのメンバーには、外のロビーで知らせがあるまで待機しているよう指示があった。
ひっそりとした地下のロビーに一同そろって移動すると、そこにはさっきまで一緒にオーディションを受けていた三人組が、会話もなく悄然と座っていた。その暗いムードに引きずられて、ダラスのメンバーもロビーの一隅に黙然と腰をかける。
その場に居あわせた秀丸以外の全員が、何かしら異変を察知してあきらかに緊張していた。これからバンドの将来を決める重大な発表があるかも知れないのだから、それはそれで無理からぬことにちがいない。
「ねえ、アヒル顔の彼女____あんた、最高に歌が上手いね。その小さい体から、なぜあんなパンチのある声が出るの?」
そう言って自分では相手を褒めたつもりの秀丸が、恥ずかしそうに伏せ目がちになる。
事実、ロビーのソファーにぽつんと座っている小柄な女性は、ちょっと見にも細ぼそとした体つきで胸板も薄く、ちょうど貧相なカナリアの雛みたいだった。それなのに、ひとたび彼女が歌いはじめると、どこにそれだけのパワーを秘めているのかと思えるほど、人並み外れた豊かな声量があった。
「そ、そうですか?……どうも、ありがとうございます。私はプリグリのリコと申します」
彼女たちのバンド名は、『プリンセス・アンド・グリフィン』、略して「プリグリ」と言うらしい。
「俺はダラスの秀丸、今後ともよろしくね」
「ダラスの秀丸さんですか?……こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
とプリグリのリコは、あくまで丁寧な口調で応じる。
「ところで、先ほどは私たちの演奏を見ながら、しきりにお独りで何かぶつぶつおっしゃってたみたいですけど、私たちの演奏はいかがでした?」
初対面にもかかわらず、一貫して図々しい態度の秀丸に反応したのか、彼女も表面的にはひたすら丁重でありながらも、ひどくストレートな質問を浴びせてきた。
「え、ほんとに俺が?……独りでなんかぶつぶつ言ってた? 別になんでもないけど、たしかに薄気味悪いよね」
時代の流れと添い寝しようとする者たち____殊に音楽業界の、その狭苦しい村社会の住人は、こうした縁で仲良くなり、時にはライブを共同でセッティングしたりすることもある。
本質的には人見知りのくせに、女性に対しては妙に積極的な秀丸が、まんまとリコの連絡先をゲットしたところで、神妙な顔つきのプクちゃんと数名のスタッフを従えたプロデューサーのMが、粛々とした足どりでロビーにやってきた。
プロデューサーMはいちオクターブ高い女性的な声で、
「わざわざ、ここに残っていただいたのは、他でもありません。厳正なる協議の結果、このたびの一次審査を通過したバンドは、みなさまがた二組です。つきましては、さっそくデビューアルバム作成の下相談をすると共に、各人にはおよそ二週間後に行われる武道館の舞台に立ってもらいます。ちなみに、その本選での優勝はプリグリのお三方、準優勝はダラスのみなさんということに、前もって決定しております。では、さらに詳しいことは後ほど……」
秀丸は彼の話が終わらないうちに、足早にその場から立ち去ってしまった。
気まずそうなプクちゃんと、怒り顔の高梨がMプロデューサーのかたわらでおろおろするなか、片山翼とジャンボはしぶしぶ秀丸のあとを追った。ただ、マイク河合だけは、プリグリの事前優勝を祝福するふりをして、しつこくリコの電話番号を訊き出そうとしていた。
すっかり機嫌を損ねていた秀丸は、陽が落ちる前から憂さ晴らしのために酒を飲みに行こうと思った。
許しがたい音楽の品定めはもとより、ただの出来レースにすぎないコンテストの舞台裏が不愉快なら、それにも増してあの水谷とかいうプロデューサーの存在が、なんとも生理的にいけ好かなかった。同じ空気を吸っているだけで、自然と寒気を催すほどに……それで秀丸は翼とジャンボを誘って即刻、市ヶ谷の地を離れると、新宿のガード下でおでんをつまみにして、つづけざまに冷や酒をあおった。
それでも秀丸の鬱々とした気持ちはいっこうに晴れず、彼は期待したアルコールの効果に裏切られるかっこうで、すごすごと家路についた。
大理石が敷きつめられた玄関を通ってリビングまで行くと、そこにはめずらしくヤヤが一人ぽつねんと飼い猫のミーと遊んでいた。
「ヤヤがリビングにいるなんて、ちょっと異例じゃない?」
と秀丸はオープンキッチンのシンクで、水道水を蛇口からじかに飲んだ。
「そうか……私がここにいるの、そんなに不思議か?」
「って言うよりも、猫と遊んでるの、ほんとにめずらしい。ふだんは、てんでほっぽらかしにしているくせして」
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それまで笑顔だったヤヤが、とたんに表情を曇らせる。
赤坂の高級クラブに勤めているだけあって、この娘も飛び抜けた美貌の持ち主だが、それでも成熟した朝美の美しさには遠く及ばなかったし、それに彼女は男に性的関心のないレズビアンなのだ。
「秀丸、朝美はミーのことで何か言ってなかったか?」
「そうさね、たしかに朝美も猫のことは心配してたよな。動物病院に連れて行っても、まったく原因がわからなかったらしい」
「そうなのか、この子、ほんとに大丈夫か?」
「心配なら、他の病院でも診てもらったら」
と秀丸はもう一度、蛇口からがぶがぶと水を飲んでから、
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「うん、彼女なら人間の病院に寄ってからお店に行くって、かなり早くに出かけたよ」
「人間の病院……朝美、どっか調子悪いの?」
「秀丸……おまえ、何も知らないのか? 朝美は婦人科系の病気に罹ったらしいと、私にこぼしてたぞ」
そう言ってヤヤは、裏返っているミーの薄桃色のお腹を優しく撫でさすった。
「朝美もそいつも、厄介なことにならなきゃいいけどな」
「秀丸、あんた、お腹すいてないのか? 朝美のかわりに、あたしがなんか作ってやるよ。本場の台湾料理……」
「いや、いまのところノーサンキュだね。バンドの奴らとさんざん飲み食いしてきたから……けど、これから二人で軽くビールでも飲まないか?」
「サウンズ、グレート! 秀丸とさしで飲むの、久しぶりだな」
ヤヤの日本語は普通に話しているぶんには特に気にならないが、時としてあやしくなる点、たしかに違和感めいたものがある。
秀丸は冷蔵庫からビールをパックごと引き出すと、キッチンから走ってリビングのふかふかしたソファーに勢いよくダイフした。
「それはそうと秀丸、おまえはいつ髪、切った?」
ヤヤは顎を引いた下目遣いになって、そう訊ねてきた。
「いや全然、切ってない。いつもこんな感じの短髪だよ。ヤヤの気のせいだろ、何しろ俺が目指しているのは、デビット・ボウイ風のさっぱりしたルックスだからね」
「何それ、わけ分かんない!」
「早い話、バン・ヘーレンじゃないってことさ」
「もっと、わけ分かんないよ」
微かに含羞をおびたヤヤの、その奥ゆかしい東洋的なしぐさが、とても愛らしかった。これまで生活を共にするうえで、そんなふうに彼女を意識したことはなかったが、秀丸は勃然としてヤヤに女それ自身を感じた。
秀丸は衝動的に彼女の黒髪が乱れかかった肩を抱きよせると、そのふくよかな頬にそっと口づけをした。それに対してヤヤは別段、驚きもしなかったし、なんの抵抗も示さなかった。ただ身じろぎもせず、じっと何かに耐えている。
「こんなところでヤヤにおかしなことするの、よさないか!?」
と僕は秀丸の耳もとで、懸命にたしなめた。
しかし、そんな僕の助言を無視して、秀丸は彼女の体をソファーのうえに押し倒すなり、そのだぼだぼのワンピースを性急に脱がせて、素早くブラのホックをはずした。そして、彼女のすでに突起している乳首を、乳輪ごと荒々しく口に含んだ。
「秀丸、やめろよ。やめろってば____万一、朝美にバレたら、それこそ大変なことになるぞ」
酔っ払って自制心を失っている秀丸は、自らもズボンごと下着をおろすと、もう固く勃起している男性器をリビングの黄色い照明のもとにさらした。
本来、レズビアンのヤヤが、その凝り固まった男の欲情を眼にして、いったいどんな反応を示すのか、レズの彼女にとって、女としての潜在的なペニス羨望はあるのか、それとも逆に恐怖心しか持たないのか?……秀丸は、かなり悪趣味な好奇心に駆り立てられていた。
するとその瞬間、彼の足もとからフェイクファーのようなものが、一直線にリビングの入り口のほうまで走って行った。秀丸がとっさにそれを目で追うと、その目線の先に鷲尾朝美が一人、呆然と立ちつくしていた。
「二人とも、そこでいったい何してるの?」
彼女の、生まれつき大きな丸い瞳が、それ以上ないくらい満々と見開かれている。
室内をまるで永遠のような静けさが支配した。
ほどなくして、ヤヤが脱がされた下着を身につければ、秀丸も秀丸でそそくさと脱ぎちらかした服を着てその場で居ずまいを正すと、あとは弁解のしようもなく、ただ憮然とした顔で座っていた。
だから、言わんこっちゃない……僕は心のなかで深く後悔して、
「てっきり朝美は、もうお店に出勤したんだと思ってた!?」
とつい言わずもがなのことを口走った。
「私が出勤したかどうか、そんなことは別にどっちだっていいでしょう。私なら気分が悪くて、ずっと自分の部屋で寝てたわよ」
彼女はよりいっそう表情を険しくして、
「それより、きちんと説明してくれないかな……いまここで、二人はいったい何をしてたの?」
美しい女が怒ると、その顔は一転して冷酷なものに変わる。秀丸は終始、ただ押し黙っているしか術がなかった。
「ヤヤ、あなたは自分の部屋に戻ってなさい」
と朝美は彼女に強く命令した。と、ヤヤは能面同然に顔の筋肉を強ばらせたまま、急いで衣服を身につけ、命ぜられた通りにリビングを出ていった。
独りにされて逃げ場を失った秀丸は、
「朝美、どうせおまえは俺の言いぶんなんかより、自分の目で見たことを信じるんだろう? それはおまえ自身が思ってるほど俺のことを愛してない、何よりの証拠だよ」
としどろもどろになって、苦し言いわけをした。
「なに逆ギレみたいなこと言って、私を甘く見ないでくれる。私の質問は、子供でも簡単に答えられるでしょ? たとえ、それがなんでも私は絶対に怒らないから、どうか正直に話して……いま二人して、ここで何してたの?」
「あのさ、ヤヤと二人でビールを飲んでたら、ふとレズビアンの女っていったい全体、本質的なところはどんなものなのかと、ふと興味がわいたもんでね」
女性に対して決してしてはならないことだが、進退きわまった秀丸は、思わず直接的に状況証拠を認めてしまった。
「何がレズの女よ。あなたは翼ちゃんのファンだっていう、あのゆかりって尻軽女とも寝たんだってね。隠したってダメよ。もう仲間うちじゃ、もっぱらの噂になってるんだから……」
「いや、俺は自称ただのOLの、しかもあんまり男に関心のない女がどんなものか、すごく興味があって……」
「興味本位でレズの女と寝る男なんて、ほんと最低。そもそも、それってたちの悪い差別じゃない?____いいわ、そうやっていつまでも自己弁護して、身勝手なことをやりつづけてなさい。浅はかな私は、それでもあなたと一緒にいられて幸せよ。やっぱり秀丸って性悪、邪悪な秀悪なのね」
そう言い捨ててから、鷲尾朝美はさっさと自室に戻って行った。
さすがに甘え上手な秀丸も、浮気現場をじかに押さえられた以上は打つ手がなく、いまはどうにか急場をしのいだので、あとは追いおいタイミングを見計らって、彼女に詫びを入れ、心から許しを乞うしかないと考えていた。
寒ざむとしたリビングにとり残された彼は、自分自身に対してというよりも、むしろ最近、ことあるごとに女房づらをするようになった朝美に対して無性に腹が立った。
誰もいないキッチンの片隅では、ヤヤの飼い猫のミーが食べたばかりの餌と一緒に、異様な毛玉をげろりと吐いていた。その有り様を遠くから目にした秀丸は、猫の体調が心配になる一方で、何か見てはならないものを見てしまったような、不安定な感覚に襲われた。
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