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-10-『魔境のハネムーン』
しおりを挟む北門の前は、涼しげな庭園が広がっていた。
刈り取られた芝はさらさらと揺れ、散策を楽しめるように遊歩道が伸びている。通路の西側には三角屋根の東屋が建てられており、彩られた風景を眺めるには最適の場所であった。
そんな清涼な空気を満喫できるベンチで。
マクラ型のモンスター、壮一は地図を広げていた。
<ロストアイ>近隣の見取り図である。
魔界随一の博物館、夜間動物園、大型の青空市場、食べ放題が売りの果樹園、行楽用の遊覧船などの場所が、うさぎのイラスト付きでファンシーに描かれていた。
「へえー……《ロストアイ》の周辺って、
色んな娯楽施設があるんだな」
「パパが私のために造ってくれたの」
隣に座るネムエルが補足した。
先ほどまで、風で揺れる花々を眺めながら足をぶらぶらさせていたが、壮一のつぶやきをしっかりと聞いていたらしい。
真夜中の行為の日から、なぜかネムエルはべったりとくっつき、離れなくなった。
(なんか、懐かれたな)
予期せぬことだったが、ネムエル同伴で外出できるようになったのはありがたかった。
何せ、外の空気を吸うのは二週間ぶりだ。
外界で思う存分、気持ちのいい朝日を浴びることができた。
生き生きとした新緑の景色も、心の癒しとなってくれている。
(襲っちゃったことが、
うまく運んだみたいだけど……。
本人は重大に受けとめてないっぽいんだよな……
俺のできる限り、責任を取らないとな……)
あの場では〝特殊なマッサージ〟だと必死に誤魔化した。
うまくいくはずのない言い訳だったが、ネムエルは「そうなんだ」の一言で納得した。
ふんわりした性格の持ち主だったからこそ、通じた言い訳である。
ついでに生きたマクラ型モンスターであることも打ち明けたが、「従魔ってことだよね?」と軽く受けとめられた。
ここまでくると、生物として備えているはずの危機感がほとんどないようにも思えてくる。
(もっと早く……告白しておけばよかったかな。
でも、なんか騙してるみたいで……悪いよな)
うまくコトを収めたものの、壮一は罪悪感を覚えていた。
恋情に揺るがされたとはいえ、睡姦したのは事実であって、ぬぐえない罪だ。
決して嫌われたくないが――その場で嘘をついたことを悔いる気持ちもある。
(ネムエルの無知と優しさにつけこんでるよな、俺)
苦いものを覚えながらも、壮一はネムエルの方を見つめた。
「ん……?」
無垢な顏が、かくんと斜めに傾く。
急に見つめられて戸惑いながらも、くりくりとした目は好奇心の輝きを失っていなかった。どこか、新品のオモチャが起こす奇妙なアクションを楽しんでいるようでもある。
「ネムエル、
俺にできることがあったらさ。
なんでもするからさ。
だから、お願いごととか……」
「あっ」
「あっ?」
壮一の決意表明は中断された。
何かに気を取られて、ネムエルがくるりと顔をそらしたからだ。
視線の先には、堂々とした城壁がある。
その城門にあたる場所に、武装した魔族たちが集まっていた。
総数は六名。
輪になって、若い男女を囲んでいるようだ。
遠目でも、ピリピリとした剣呑な雰囲気が漂っているのはわかる。
「見つかっちゃってる」
「見つかっちゃってる?」
「うん。ここ最近ね、
人間さんがお城に遊びにくるの」
「へえ?
魔王城って一般開放されてるんだ。
グローバルなんだな」
「ううん。されてないよ。
だから人間さんは亜人や魔族に変装してくるの。
見つかったら最悪、死んじゃうかも」
「マジで?」
「マジで」
嘘偽りのない表情でネムエルはうなずいた。
壮一は再びカップルの方を窺った。座り込み、お互いに抱き合い、小動物のように恐怖でびくびくしている。
その足もとには、転げ落ちたネコミミキャップがあった。
(あかの他人とはいえ、
目の前で虐殺されるのはちょっとなぁー……
助けに入った方がいいか?
全員、眠らせちまえば……いや、
俺の睡眠魔法が殺気立ってる魔物に効くか不安だなぁ)
「あっ、シフルだ」
「うおっ!?」
するっと、素早く柱の陰に隠れるネムエル。
抱きかかえられた壮一は、普段のゆったりとした動きと違う猫のような敏捷さに驚きながらも、むぎゅうと東屋の支柱に押しつけられた。
本城の方から人影が歩いてくる。
外見年齢は十八かそこらか。涼感のある装いをしている女性だ。胸もとにブローチをあしらいながらも、シースルーのブラウスの襟はレースで彩られている。活発な性格の持ち主なのか、フリルのスカートの丈は膝上までしかない。
大胆なファッションもさることながら、目を惹くのは蒼髪だ。
ツインテールに結っているが、神秘的なことに髪先からキラキラしたものがこぼれ落ちている。
それは氷の結晶であったが、壮一にはわかるはずもなく。
ただ意思の強そうな顔つきから、背筋が凍るような冷たさを感じた。
「どっ、どうして、隠れるんだ?」
「シフルは私の教育係なの。
見つかったら、午前のお勉強の刑にされちゃう」
(ああ、サボってるんだな)
警戒心のこもった口振りから察した壮一は、ネムエルの性格を理解しつつあった。
自由人というか、わがままなところがあるのだろう。
「俺は人間さんたちの様子を見に行きたいな」
「うーん……隠れながらなら、いいよ」
妥協案が可決された。
壮一はネムエルの腕の中から、するりと落下する。
スタンッと地面に着地し、四足歩行の体勢を取った。
その横で、ネムエルも腹ばいになる。
お姫さまとは思えないおてんばぶりだが、芝生は身を隠せるほどの|丈(たけ)はない。
二人は丸い形に刈られた茂みを遮蔽物にして、ちょこちょこと突き進んだ。
一定の距離まで近づくと、会話が聞こえてくる。
「だっ、だから、ぼくらは害はないんですぅ。
へっ、へへへっ、そ、その、
いわゆる観光客ってやつでして……
じ、実は彼女との新婚旅行で……」
「はっ、はい。
ジョンの言うとおりです。
旅行会社のツアーで……魔界なら刺激的で、
思い出に残る旅行になるからってぇ」
事情を説明するカップルは媚びた愛想笑いを浮かべ、身振り手振りで自分たちが無害だと弁明していた。
なんとか、この場から逃げようとしているのだ。
しかしながら、そんな健気な努力も虚しく――シフルは話を聞けば聞くほど、ビキビキと顔面に青筋を増やしていった。
「なんだとぉ?
よっ、よりにもよって……ハハハハネムーンに来ただとぉお!?
みっ、みみみ見せつけやがって、
マジでふっざっけんなよぉおおおっ!!」
「ひぃっ!」
「うわぁああんっ!」
ガラの悪い怒号を浴びせられ、カップルはすくみあがった。
壮一はシフルをヤンキー女にカテゴライズした。
背丈が小さいこともあり、野球帽を被ってガムフーセンを膨らませているのが似合いそう女だ。
「シフルは氷の精霊だから、極度の冷却体質なの。
それが原因でずっと恋人ができなくて、
特に若いカップルを憎んでるの」
「そんな心の闇を抱えてるのかよ」
背景を説明するネムエルは淡々としていた。
取り囲んでいる魔族たちも「姉さんの病気がはじまっちまったな」とか「あーあ、コイツら死んだわ」などと好き勝手につぶやきながら、諦観に入った。
「たっ、助けてください。
ぼ、ぼくたちは、魔王城にあるレストランにつられてきただけなんです!
「そ、そうです。
魔界の珍しい食材が食べられて、驚きの無料。
しかも、絶品らしくて……一部のマニアには有名なんですぅ」
「てっ、てめえら人間どもが、
うちの台所を荒らしてやがったのかよぉおおおおおおお!」
火に油が注がれる。
魔王城の大食堂とは、モンスターたちの配給の場だ。
各地から食材が奉納されることで有名であるが、元々は魔王に仕える弱小モンスターたちがせめて食事に困らないようにと、救貧院的な立ち位置で造られたものだ。
当然のことながら、部外者の無断飲食は禁止である。
「シッ、シフルの姉さん。
おっ、落ち着いて。殺しはまずいッスよ。
ネムエル様が禁止したはずッス!」
二足歩行する魚類(マグロ型)の下級魔族が見るに見かね、間に割り込んで制止に入った。良心の発露から現れた勇敢なふるまいである。
だが、この場においては正解ではなかった。
「そうか。
じゃあさ、てめぇーが代わりに死ぬか?」
「うひゃあああああッスぅうううっ!?」
青筋だらけの顔面となったシフルは、おもむろに魚類の魔族の尖った口先に手を当てた。
そこから、怒涛の勢いで氷塊が発生した。
それは凄まじいスピードで流線型の顔を這い、同時に凝固し、魚類の魔族をむしばんでいく。
急速冷凍された勇士はものの数秒で、ゴロンっと地面に横たわった。
「ひっ、ひいいいいっ!」
「たっ、助けてください!
わ、私たちにできることならなんでもします!
お金もちゃんと払いますからぁ!」
目の前で行われる凶行が恐怖を殊更に煽り、カップルが命乞いをしはじめた。
どう始末しようか悩むシフルはこめかみにしわを寄せていたが、名案とばかりに指をピンと立てた。
引きつった口許には、悪魔的な笑みを貼りついていた。
「なんでもするぅ?
おおっ、そうだなぁー……。
じゃあよ、どっちか一方だけが助かるデスゲームとかしようか。
おいおいおい、愛が真実かどうか試されるときがきやがったぜ。
ふはっ、ははははっ!」
気持ちよさそうに哄笑を上げるシフルに対して、傍観を決めこんでいた魔族たちもさすがに良心が咎めたのか、表情には同情の色が濃くなっていった。
草影に隠れる壮一もまた、シフルの病みっぷりに息をのんだ。
あまりにも、目にあまる。
(これは完全に病気だな。
しょうがない……これも、人助けだ。
いちかばちか、睡眠魔法を使おう。
『安眠念波』っと)
壮一は草葉の陰に隠れながら、こっそり呪文を念じた。
力の波長が音も立てず、目標の魔族たちに浸透していく。
対象に眠りを誘発する魔法は広範囲に及び、またたく間に効果をあらわした。
「うおっ」
「なんだっ?」
「くう」
〝シフル=ロックフィートがレジストしました〟
(えっ、なんだと?)
ブンッと、音を立てて出現した赤色のパネル。
その文言を読み、壮一は目を剥いた。
色合いからして、警告ウィンドウに類するもの。
それは、スキルの失敗を告げていた。
それでも放った睡眠スキル、『安眠念波』はほとんどの魔族たちを倒した。恐慌に駆られていたカップルすらも、安らかな眠りの地に招待した。
だが。
その場の一人の者が立っていた。
警告にあった通りの人物だ。
「チッ。誰だ?
あたしを攻撃した次の自殺志願者はよぉー……
一体、何をしやがった?
おおっと、逃げるなよ。
そこにいるのはわかってるんだぜ。
死ぬよりも酷い目に遭いたくねーだろ?」
怒りの矛先が変わった。
尖った敵意がゆがんだ殺気となって伝わり、壮一の背筋をざわつかせた。
シフルの足もとから氷風が渦巻き始めた。青天だった天候が移り変わった。世界は曇天に変わり、ぱらぱらと雪へ降ってくる。
気温はみるみるうちに下がっていった。
シルフは黙々と、手の中に魔力を集積させている。
青く輝くそれは徐々に形を為し、空中で浮遊するツララとなった。先端が水に濡れて光り、相手を串刺しにするための凶悪なフォルムとなっている。
「わかった。
もう、出て来なくていいぞ。
どこのどいつか知らねえが、
てめぇーは串刺し刑だ」
(やっべえっ!)
魔物としての生存本能が、アラームを鳴らしている。
今更気付いたが――相手はどうやら〝格上〟だ。
うかつに逆らうべきではなかった。
選択肢を誤ったのだ。
心のどこかで、楽観的に考えていかもしれない。
仮にスキルが通じなくとも、身を伏せていれば安全だと。
このままでは、息の根をとめられる。
「シフル」
ガザッと茂みを突き破り、木の葉にまみれながらネムエルが立ちあがった。
ひょいっと、壮一を抱えつつ。
「んっ、ネム……か。
手に持ってるそいつはなんだ?」
「マクラさん」
「あー……そうか。
なるほど、新しい従魔のしわざか。
さっきのも遊びってことだな……でも、
もう二度と変な魔法を使わせるなよ。
このあたしですら、膝がガクッときたんだぜ」
ネムエルの指示だと解し、シフルは口調をやわらげた。
張りつめていた気配が消え、空中に浮かんでいた氷の魔法が塵へと還った。空を蓋していた曇天も、散り散りとなって晴れへと向かっていく。
シフルは気が抜けたようで、口許を押さえてあくびまでした。
すやすやと眠るカップルと仲間の魔族を一瞥しつつ、首をこきりと鳴らした。
「まー、なかなかの威力ではあったな。
おい。新しい下僕、珍しい形をしてるな。
名前はなんだ?」
「あっ、俺ですか?
ええっと、立花壮一です」
「ソーイチね。
男の声か……人工物系で、
寝具型のモンスターとは珍しいな。
どういう発生条件だったのか……まあいいや。
一応聞いとくが、ネムと一緒に寝てるとかないよな?」
「そ、そんなぁ。
まさかですよー……あっ、あははは」
「寝てるよ」
|途端(とたん)に、気まずい沈黙が降りた。
壮一は誤魔化そうとしたが、場の空気を読まないネムエルがあっさりと真実を暴いてしまった。
もっというなら、別の意味でも寝てしまっている。
サァーッと、壮一の白生地が青ざめた。
マクラの四角い顔に何本かの縦線を入る。
「はあ~っ……いいか、ネム。
お前も年頃の乙女だ。
相手が布製品でペット以下のちっぽけな存在とはいえ、道徳的によくないだろ。
それに新参者は教育する必要がある。
そいつをあたしに寄越しな」
「やっ」
差しだされた手を拒否するため、ネムエルは壮一を抱えながら身をひねった。
困り顏のシフルはこめかみを指でグッと押した。
「やっ、じゃなくてだな。
生まれたての魔物は、往々にして魔界の常識がわかってない。
だからキチッとシメておかないと、とんでもないことをする恐れがある。
あたしはそいつが生きる残るために、色々とルールを教えてやろうとしてるだけだ」
「この子はそんなこと、しないよ」
(してるわ)
シフルの忠告に対して、壮一は胸中で深く同意した。
彼女の教育がどんなものか不明だが、絶対の主従関係が構築されていれば、ネムエルによこしまな行為をしなかったかもしれない。
「むぅー……それに、今日の午前は勉強をするはずだろ。
ネムは何してるんだ?
まさか、また遊んでるんじゃないだろうな」
「さようならー」
「おいっ! コラッ!」
口論では分がないと悟り、脱兎のごとくネムエルは逃げ去った。
連れ去られる形となる壮一は、遠ざかるシフルが腰に両手を当てつつも、妹を見るような優しい目をしているのに気付いた。
しょうがない奴め――そんなことを言いたげな甘さ加減。
(あの人、ネムエルには甘いんだな。
俺のスキルが通じない相手か……ハイレベルなんだろな。
ううーん、悔しいけど、
失敗を学べたのはよかった)
調子に乗り過ぎて痛い目よりは、先に限界を知る方がいい。
少しだけ敗北感があったが、得難い収穫ではあった。
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