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-24-『魔界観光』
しおりを挟む「あの変態ナマズっ!
わたくしを騙しましたわね……!」
客室に入ったリシャーラは、奥歯を噛みながらベッドに右拳を叩きつけた。
恥をかいただけではない。敵を倒すための手札がなくなってしまったのだ。腹の底から沸き立ついら立ちが収まらない。両拳がドスドスとシーツにめりこんでいく。
わめいても意味はないが、わめかずにはいられない。
「くぅううううっ!」
殴打に疲れてくると、腰に差している『浄夜刀』のひもを粗雑な仕草で外した。
持っているのも恥ずかしくなり、窓の外にでも投げようと振りかぶる。
しかし、すんでのところで立ちどまった。
(落ちつきなさい。
敵の本拠地にいるのですのよ……武器は、武器……
業物であることは。試し斬りで判明してますわ)
意識して、深呼吸。
手頃な下級モンスターを、なめらかに斬り裂いた記憶は真新しい。
柄を握り直す。鞘に納めたまま、中空を一閃した。軌跡に乱れはない。握り心地も悪くなく、重量もないので扱いやすい。
「武器のえり好みなど、してられませんわ。
いつ、何者かが襲ってくるかわからない状況ですもの」
静寂に満ちた部屋を見回し、神経を研ぎ澄ます。
<ロストアイ>には恐ろしい数の魔族がひしめいている。
室外で活動する彼らは無害な演じているが、いつ、本性を現すかわからないのだ。
何よりも、気がかりもあった。
(魔王討伐の前に……
騙されて<ロストアイ>に来てしまった罪のない人々を護らねば……狡猾ですわね。
まさかとは思いますが、わたくしの来訪を予感して……?)
自己評価が過大なリシャーラは腕組みし、どすんとベッドに座った。
すると、目の前にある一本足のテーブルが視界に入った。中央には、青色の液体で満たさたグラスが置かれていた。グラスの下にはプラカードも添えられている。
『当ホテル<ロストアイ>はお客さまを歓迎致します。
こちらは魔界で有機栽培されたブルー・デッド・ベリーを用いたウェルカムドリンクです。
のどが凍てつくような爽やかな波動をお楽しみください』
グラスの縁に薄切りレモンが刺さっていた。
水面では、炭酸の気泡が弾けている。
「……どこまで本気なのでしょうか」
本音を言えば、毒殺される危険はない。
リシャーラには『絶対耐性』がある。
生まれたときから、手にしていたチート能力だ。
肉体にとって害のある不純物はすべからく無力化する。
「まあ、試しに相手方の初手を窺ってみましょうか」
挑戦と受け取った。
グラスを手に取り、ストローでジュースを飲んでみる。
ラズベリー系のフレッシュな香りが嗅覚を刺激した。甘さは控えめだが、炭酸が舌の上で踊り、清涼な酸味がのどを気持ちよく通り抜ける。
(あっ、おいしい)
飲みながら部屋を見回すと、清掃も行き届いていた。
窓ガラスは新品のようにピカピカだし、ベッドのシーツなどは光沢がまぶしい。
試しに机の上を指を這わせても、ホコリひとつなかった。アンティークの家具は古臭くも磨き抜かれた赴きがある。
(いや、まさか……本気で、魔王城をホテルにしてるのですか……そんな馬鹿な。
ここは魔族にとっては、チカラの象徴となる歴史的な建造物ですわ。
きっと、見せかけの幻術の類……騙さませんわ)
リシャーラはおのれを納得させると、室内から出ようとした。
が。
飾り棚に置かれたイベントポップが視界の端で引っかかる。
源泉かけ流しの文字に心惹かれた。夜には魔弾の打ち上げ花火大会が開催され、馬車で十分のところには夜間動物園があるらしい。
他にも食べ放題の果樹園、巨大湖を巡る遊覧船、名産物のお土産屋、マッサージ付き岩盤浴、魔界の希少な花が咲く自然公園、人気の磯釣り場などがMAPで記されていた。
(なっ、なななな……なんですのこれ。
こっ、怖いくらい……観光客向けになってますわ。
けれども、ここは悪名高い《ロストアイ》なのですから……
きっとどこかに罠があり、人々に害を為すに決まってますわっ!
そうですわ! 宿泊客に被害がでないよう、護らなければ!)
リシャーラは意気込むと、観光地を回ることにした。
幸いなことに、団体客を案内する送迎馬車に乗り込むことに成功した。席はチケット制であったが、彼女は無視した。すべては正義のためである。
「はーい。
皆さま、本日はようこそ、魔界観光ツアーにいらっしゃいましたー。
わたくし、翼人族のピジョンが楽しく案内いたしますぅー。
あっ、途中下車した場合は生命の保証しかねますので、ご注意をー」
(とんでもないツアーですわ)
リシャーラは席がないので、荷物席の方からツアーガイドを睨んでいた。
客席は満席のため、仕方ない処置であった。
最初にジャンボ果実が振る舞われる『デビルズファーム』に到着した。
魔界名産の果実を好きなだけもぎ取るツアーである。果樹園をうろつくリシャーラは終始、挙動不審であったが、周りの客は美味に舌鼓を打っていた。
午後はランチ付きの遊覧船に乗船し、湖イルカを魔物と勘違いしたリシャーラが襲い掛かるなどハプニングはあったが、彼女一人が港まで泳いで帰るだけで済んだ。
下船先では、魔界特産の土産物屋を物色した。
どの品も良心的な価格であったが、リシャーラは金貨袋を湖中に落としたことに気付き、顔を青くしてそれどころではなかった。
「うぅううううっ……こ、これも陰謀ですわ。
わたくしをおとしめるための罠に決まってます」
ずぶ濡れになりながら、公園横のベンチでたそがれる。
予期せぬ甲冑水泳はリシャーラの体力を大いに削った。
金銭がなくなったこともみじめさを倍増させた。
決死の覚悟で魔王討伐に来たが――それとこれとは、別次元の心理的な苦境であった。
「あらら、大変でしたねー、お姉さん。
よかったら、アイスクリーム食べますかー?
珍しいことに万年雪で作ってるんですよー」
「……いりませんわ」
人懐っこいガイドが近寄ってきた。
ニパッと笑い、アイスクリームを差しだしてきたが、リシャーラはぷいと顔を背けた。魔族と馴れ合うつもりなどない。
「あはは、お嫌いですかー?
じゃあ、塩辛くてサクサクのお菓子もありますよー。
無料ですー。どうぞ、お土産にしてくださいー」
「どうして、わたくしに構うのですか?」
米で作ったポン菓子の袋を受け取らず、睨みつけながら問うた。
「そりゃあ、大事なお客さまですからー。
ちゃんと楽しませないとー」
「それが、あなた方に敵意のある人間でも、ですか?」
言ってから、我ながら意地悪な質問だと思った。
けれど、口にだしたあとで考えても遅い。
翼人はしばらく唇に指を当て、考えていたが、にっこりと笑った。
「私はあんまりぃー……ネチネチしてないので平気ですぅー。
同じ魔界の住人でも、私ことを食べようとする種族もいるしー。
ハーピーだけに、ハッピーでいきたいですー」
軽い口振りとともに、菓子を押しつけられる。
サッとガイドは身を翻した。リシャーラは突き返すひまもなく、見送るしかなかった。
(ネチネチ……わたくしが間違っているとでも、言うのですか!?)
菓子を地面に叩きつけようとした。できなかった。自分の中の冷静な部分がささやいている。厚意でもらった物に八つ当たりしても報われはしないと。
「はあ……」
怒りが過ぎ去ると、寂寥感に支配された。
周りの観光客は楽しげにしている。この場で楽しめていないのは自分だけだ。これがまやかしでも現実でも、心を痛めつける光景だ。
(大丈夫ですわ……。
わたくしは、使命を果たさねばなりません)
命を賭して、魔王討伐を誓った日を忘れはしない。
人々がひとまず安全なのは確認できた。
ならば、あとは責務を果たすだけだ。
そのあとのことは――そのあとのことなど、考える必要はない。
夜となった。
<ロストアイ>の上空には、魔弾の花火が打ち上げられていた。
観光客はその弾ける美しさにうっとりとしていたが、リシャーラは気もそぞろだった。ツアー終了後に魔王ネムエルの存在を突きとめようと城内を駆けまわったが、徒労に終わったからだ。
(……わたくしは、旅行に来たわけじゃありませんのに)
今となっては、自分の調査不足が腹立たしかった。
<ロストアイ>に足を運びさえすれば、相手は待ってましたとばかり戦いを仕掛けてくると考えていた。イメージでは雑魚をあっさりを蹴散らし、本命の魔王が闇を背負って降臨する感じである。
「おいしい……でも、悔しいですわ」
複雑な心境の中でリシャーラは夕食のバイキングが終えた。肉料理は絶品だったが、やはり素直に楽しむことはできなかった。
仕方なしに夜風にでも当たろうかと思い、とぼとぼとロビーに向かったが、右手にある大広間の方で催しがあるのを発見した。
のぼりには太文字で、こう書かれていた。
『魔王挑戦大会-円形結界式決闘術-』
《魔界の戦士タテヅナが考案した決闘法。
丸型の結界リングで向かい合い、相手を外に押しだすことで決着がつく。
尚、勝負は素手でなければならない。
スタートの合図はヤオ・チョウ。
反則技はないが、相手に性的な行為をしてはならない。
リングの上はあくまで聖域である》
「はっ?
魔王に挑戦できるんですの……?」
即座にリシャーラは大広間の方に足を向けた。挑戦者の受付には長蛇の列があった。並ぶことにためらいはなかった。魔王を倒せる好機だ。しかも一騎打ちである。望んでいた勝負がすぐそこにあると知って、リシャーラは歓喜で武者震いした。
「がはははははははっ!
俺の名は魔王ネムエル・ダハ。
決して女装したメタルサイプロクスではない!
勇気ある挑戦者たちよ。俺の武をしかと見よ!」
リングの上では、漆黒の肌に花柄のワンピースを着用した独眼巨人が吼えていた。 ルージュの口紅に染まった唇からは牙を覗かせ、マッシブなふとももを強調するかのようなミニスカート姿である。
まさにそれは、醜悪な姿としか表現しようがなく。
毛むくじゃらの中年男が突然、女装に目覚めたかのような――眼球が腐り落ちるほどの異形であった。
けれども、リシャーラは眼に焼きつけた。
自分の故郷を壊した張本人なのだ。
例え、吐き気を催す者であろうと、標的を心に刻みつけなければならない。
「あれが憎きネムエル……ついに、出会えましたわね……っ!」
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