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前編・エリザベスという宝石
しおりを挟むーーーエリザベス・ライアーノは、由緒正しきライアーノ伯爵家の産まれである。
ライアーノの実の父が己の姉に想いを寄せ、耐えきれなくなりむりやり遂げた結果がエリザベスだった。
他の男、しかも血族との子供を授かった叔母が他へ嫁げる筈もなく、かといって実の弟と添い遂げるわけにもいかず、エリザベスの扱いと、女としてライアーノ家に貢献することはできなくなった叔母の立場は地に落ちた。
父は、たとえ愛の結晶であり、お伽噺から飛び出してきたかのように美しいエリザベスでも、家族として愛することはなかった。
また、無理やり犯された末に生まれたエリザベスを見る度、叔母は悲しみと怒り、そして憎悪に満ちたベビーブルーの目を向けるのだ。エリザベスは、実の両親二人から大層憎まれ疎まれていた。
父の正式な妻であるイミナニアは叔母をよく思ってはおらず、その子供であるエリザベスも同様だ。
だが、妹はべつだった。
父と、イミニアの間に産まれた妹。
エリザベス程の知性も品も、美しさもない、そのくせ妙なところで狡猾な、嫌な妹だった。
正式に受け入れられ、祝福された妹の名はマロニア。
かつての救国の聖女、マロン様と母親であるイミナニアから取った名だ。
エリザベスに名前の由来などなく、適当につけた名前だ。
それでもこの名の響きを、エリザベスは気に入っていた。
いつも自分を疎む父を、憎悪の視線を向けてくる実の母である叔母を、嘲笑う妹を、妹ばかりを可愛がり、自分をないもののように扱う血のつながりのない母を、いつか絶対にナマコを見るような目で見下し、「愚かな無能は吐く言葉さえ雑草に叶わないのね、哀れだわ!」と、高笑いしてやるのだ。
エリザベスは、産まれた時から気高く美しかった。
だから、いつも何されても下を向かなかった。
何もしなくても自分は美しかったし、服も質素なドレスだったが、そのドレスでさえエリザベスが着れば純白のウエディングドレスも叶わない出来になったし、なによりも誰よりも、エリザベスは教養を叩きこんだ。
寝る間も惜しみ爪の先まで意識するようにし、高いものではなく安いものを食べて、安いものの分かる舌にした。これは大正解で、安い茶葉を出されるとすぐにわかるようになった。このことを遠回しに優雅な言回しで指摘すると、大抵は慌てたように新しいティーを用意することをしれたのも良かった点だろう。
なにより、エリザベスはどんなときも泣かなかった。
誉れ高く、美しく気高く、そして潔く。
椿のような在り方にすっかり魅了された使用人達は、皆エリザベスが大好きになった。
エリザベスには、一種のカリスマ性があったのだろう。マロニアに嘲笑われたら、こんなお粗末なことしかできないのかと真珠のようにたおやかに笑い返したし、疎んでくる父なんて目にも止めなかった。事実上の母の、妹贔屓の暴言なんて羽虫が飛んでるわ、という態度で受け流したし、叔母の憎悪にはそれはそれは美しい絹のような微笑みで目を細めた。
エリザベスは気づけば、誰も何も言わなくても食事が用意され、着替えが用意され、あれやこれやと競うように世話をやかれることになった。
最初の虐待に近い冷遇を思い出しては高笑いするエリザベスの側には、いつもうっとりとエリザベスに見惚れる使用人がいる。
ああ、なんてきぶんがいいの!
エリザベスはそう言って、いつも使用人に足先に口付ける権利をやるのだ。
「エリザベスお嬢様、ご存知ですか。ライアーノ家には、宝石を生み出す子供が時々生まれるそうですよ。」
「聞いたことはあるわ。なんでも、お祖父様がそうだった、とか。」
「ええ、それで、ライアーノ家の血が交じる貴族の倅達を集めて、宝石が出るか確認するんですって。そこに、お嬢様も呼ばれているんですよ」
アプリコットティーを飲んでいたエリザベスは、音を立てないよう優雅にカップをソーサーに戻した。
机に戻し、なんとなしに目に入った金に彩られた花の細工を指でなぞる。
傍らにいた使用人は、白魚のような指が金細工をなぞる、その動作のあまりの美しさに卒倒しそうになった。
抑えようと思ったのに漏れてしまった恍惚のため息にエリザベスはぴくりと反応し、そのベビーブルーの瞳で使用人を捉える。
「……私の御前で溜息を吐かないで頂戴」
「もっ、申し訳ありません!!あまりにお嬢様が、美しくてっ」
心からの本心であった。
それが分かったのか、エリザベスは目を伏せるだけでそれ以上咎めはしない。
使用人は出そうになったため息をごくんと飲み込んで、姿勢を伸ばす。
「結構。今回は許すわ。
それで、試すって一体どうやって?まさか、」
お祖父様同様、私に涙を見せろと命ずるつもり?
底冷えするような、深海のように冷たい声だった。
いつもの駒鳥の囀りのような澄んだ声ではない。亡者を煉獄で煮詰めたような、震えるほどに恐ろしい声色だ。
「それは、それは。疎まれ憎まれ、冷遇されるこの私を集めて、優遇される雑草共の前で涙を流せというの?」
エリザベスは、添えたままだった指先で、金細工に爪を立てた。
ぎり、と爪が鳴る。
「屈辱だわ」
紛れもない、敵意を滲ませた瞳でティーを見つめるエリザベスの姿に、堪らず使用人は膝をついた。
ーーーまるでヴェールのように白い顔を覆い隠す稲穂の如き長い御髪。
空を硝子瓶いっぱいに詰め込んだような、冷たい氷を銀で溶かしたような不思議な色合いの瞳。
ビー玉のように透き通って、それでもビー玉のように安っぽくはない宝石を縁取る穂は、まるで咲きかけの花弁のように影を落としていた。
陶器のように白く滑らかだが、陶器よりも柔らかく温かみのある絹肌の中で、柘榴を滴らせた唇がやけに色目かしい。
すっと通った鼻筋も形のいい眉も、砂糖菓子のような華奢な体躯もまさしく神の造形美。
ああ、鼻血がでそうだわ、と使用人は鼻を抑えた。
女神が丹精込めて創り給うたこの美貌、膝まづく他なにをなせばいいのやら。
「いいわ。行ってあげる。そのかわり、」
真珠の光沢を帯びたような桜色の爪が、アプリコットティーから離れる。
「私は決して涙を見せない。すべての者に、思い知らせてあげるわ」
ーーー「私の御前だ、つくばえ無礼者、とね」
ボタボタと、使用人の纏ったエプロンの上に鼻血が垂れた。
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